中尾美穂「ときの忘れものの本棚から」第3回
『緑蔭小舎と作家たち』
『緑蔭小舎と作家たち』
著者:柳田冨美子
発行日:2009年11月3日
発行:ときの忘れもの(綿貫令子)
編集:尾立麗子・秋葉恵美・綿貫不二夫
デザイン:ディスハウス(北澤敏彦・森田茂)
印刷:モリモト印刷
サイズ:26.3×19.0cm
ページ:159頁
*非売品、限定500部刊行
「ときの忘れもの」から本書を見せていただいたとき、私の郷里が長野県なので偶然を嬉しく思うと同時に後悔した。成城にあった「緑蔭小舎」前の並木道を通ったことがあるのに同舎を知らず、一度も訪れなかったからである。
「緑蔭小舎」は『遠野物語』で知られる民俗学者・柳田國男邸に誕生したギャラリーだった。舎主は長男の柳田為正氏に嫁いだ冨美子夫人。還暦を迎えてからの一念発起で、義父の國男が1927年(昭和2年)に建てたモダンな洋館の一部、かつての書斎兼書庫「喜談書屋」を改装し、1978年(昭和53年)11月に開廊した。書斎の名は國男が隣町の喜多見の一字を当てた。日本の民俗学の発展・研究者の交流に寄与し、戦後1947年(昭和22年)からの10年間は「民俗学研究所」として知られた場所である。

緑蔭小舎外観(現在は長野県の飯田市美術博物館に移築され、柳田國男館として活用されています(国の登録有形文化財)。
一方、「緑蔭小舎」の名は緑豊かな邸の佇まいにちなむ。ここで翌1979年(昭和54年)4月から「舟越保武〈彫刻と素描〉展」、ついで「山口長男展」、MORIOKA第一画廊の上田浩司氏協力による「松田松雄展」「長谷川潔 版画展」など、周囲の協力を得て本格的に展覧会を始めた。4回展「彫刻と素描 西常雄・森芳雄」では舎主自ら企画を手がける。相原求一朗、畦地梅太郎、馬場彬、大沢昌助、佐野ぬい等々の魅力的な作家の顔ぶれ、広々とした展示風景やレセプションの様子に気概がただよう。ときには隠れた非凡な作家をとりあげ、独自の路線にすがすがしさも感じとれる。
10年近く経営を続けたギャラリーだが、1987年(昭和62年)12月に休廊した。理由は柳田家ゆかりの長野県飯田市へ「喜談書屋」の移築・寄贈が決まったため(1989年に飯田市美術博物館の付属施設「柳田國男館」の名称で公開)。再開は約2年後。跡地に建てた新居のサロンで1990年(平成2年)4月に「緑蔭小舎再開第一回記念展 難波田龍起・舟越保武展」、5月に「西常雄自選展」を行なっている。また翌年に「難波田龍起油彩展」を新設した3階建てビルの1階で開いた。一方で「緑蔭小舎」の名を「緑蔭館ギャラリー」に改め、貸画廊とした。これにはABがあり、別館「緑蔭館ビル」がA。以前ここにあった旧居は遠野市に同家の別荘として移したという。1995年には再び企画展を催し、「難波田龍起・大沢昌助・須田寿三人展」をBで開催。これらすべてが柳田家の敷地内の出来事である。本書のあちこちをめくって判読したが、建物の配置が不明で心もとない。ともかく柳田家の歩みとともに「緑蔭小舎」も推移を重ねたようである。
編集を担当した「ときの忘れもの」の尾立麗子氏によると、2005年から刊行までに4年間を要したという。当時の記事や挨拶状をふんだんに再録し、1990年「西常雄自選展」に14ページを割いて画集にもなっている点が興味深い。このような記録集は希少で、一展覧会の事実確認のために右往左往した経験のある者にとってぜひ巡り合いたいと願う本だ。それに唯一の柳田國男像を遺した西の作品群を眺めていると、偉大な民俗学者の存在が「緑蔭小舎」を通して美術の側面からも生き生きと肉付けされるかに思える。
ところで難波田龍起の文章「緑蔭小舎に寄せる」(1995年)と、関係者に本書への寄稿を依頼した舎主の「先生に御報告と御願い」(1996年)を最後に、画廊の歩みは途絶えている。その後どうなったのだろうか?
そこで私の恩師の夫人に頼み、現在の写真を送っていただいた。私邸につき、許可を得て掲載させていただく。
並木通りに面した「緑蔭館ギャラリー」の看板
「緑蔭館ギャラリー」A、B
インターネットで検索すると営業しているようにみえるが、「緑蔭館ギャラリー」は閉廊して久しい。成城駅前の変化と違い、柳田家裏の並木通りは閑静なままで当時の面影をとどめている。この外観を懐かしむ関係者がブログを読まれたら嬉しい。私もその恩師の美術・文学談議に心ときめいた時代を思い出して郷愁にかられた。そもそも恩師夫妻を訪ねるたびに、この通りを行き来していたのだった。
今回のテーマの収穫がもう一つある。旧知のギャラリーで偶然、<えほん遠野物語>『おしらさま』(文:京極夏彦、絵:伊野孝行、2018年、汐文社刊)を見せられた。家の神、オシラサマは東北の各地方に異なる呼び名や伝承があるが、柳田國男は馬と娘の悲恋物語とオシラサマの名を遺した。現地収集を重んじて伝承を尋ね歩く情景を反映した編纂だからこそ『遠野物語』は真に迫り、読み継がれる。
学者のアプローチとは違うものの、『緑蔭小舎と作家たち』も発掘調査的な編集だ。それも画廊による画廊史である。味気ない展覧会の羅列にならず、一歩踏み込んで読者を飽きさせない読み物になっている所以だろう。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。
次回は11月19日の予定です。
『緑蔭小舎と作家たち』についてはこちらのブログもご覧ください。
『緑陰小舎と作家たち』(2010年5月1日)
『緑蔭小舎と作家たち』へ寄せられた感想1(2010年5月6日)
『緑蔭小舎と作家たち』へ寄せられた感想2(2010年5月24日)
●本日のお勧め作品は舟越保武です。
舟越保武 Yasutake FUNAKOSHI
「若い女 B」
1984年
リトグラフ(雁皮紙)
48.5×37.0cm
Ed.170 Signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「ジョナス・メカス展」は終了しましたが、WEB展はユーチューブでご覧いただけます。
展示作品・風景紹介
メカス日本日記の会・木下哲夫さん 特別インタビュー〈ジョナス・メカスとの40年〉
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『緑蔭小舎と作家たち』

著者:柳田冨美子
発行日:2009年11月3日
発行:ときの忘れもの(綿貫令子)
編集:尾立麗子・秋葉恵美・綿貫不二夫
デザイン:ディスハウス(北澤敏彦・森田茂)
印刷:モリモト印刷
サイズ:26.3×19.0cm
ページ:159頁
*非売品、限定500部刊行
「ときの忘れもの」から本書を見せていただいたとき、私の郷里が長野県なので偶然を嬉しく思うと同時に後悔した。成城にあった「緑蔭小舎」前の並木道を通ったことがあるのに同舎を知らず、一度も訪れなかったからである。
「緑蔭小舎」は『遠野物語』で知られる民俗学者・柳田國男邸に誕生したギャラリーだった。舎主は長男の柳田為正氏に嫁いだ冨美子夫人。還暦を迎えてからの一念発起で、義父の國男が1927年(昭和2年)に建てたモダンな洋館の一部、かつての書斎兼書庫「喜談書屋」を改装し、1978年(昭和53年)11月に開廊した。書斎の名は國男が隣町の喜多見の一字を当てた。日本の民俗学の発展・研究者の交流に寄与し、戦後1947年(昭和22年)からの10年間は「民俗学研究所」として知られた場所である。

緑蔭小舎外観(現在は長野県の飯田市美術博物館に移築され、柳田國男館として活用されています(国の登録有形文化財)。
一方、「緑蔭小舎」の名は緑豊かな邸の佇まいにちなむ。ここで翌1979年(昭和54年)4月から「舟越保武〈彫刻と素描〉展」、ついで「山口長男展」、MORIOKA第一画廊の上田浩司氏協力による「松田松雄展」「長谷川潔 版画展」など、周囲の協力を得て本格的に展覧会を始めた。4回展「彫刻と素描 西常雄・森芳雄」では舎主自ら企画を手がける。相原求一朗、畦地梅太郎、馬場彬、大沢昌助、佐野ぬい等々の魅力的な作家の顔ぶれ、広々とした展示風景やレセプションの様子に気概がただよう。ときには隠れた非凡な作家をとりあげ、独自の路線にすがすがしさも感じとれる。
10年近く経営を続けたギャラリーだが、1987年(昭和62年)12月に休廊した。理由は柳田家ゆかりの長野県飯田市へ「喜談書屋」の移築・寄贈が決まったため(1989年に飯田市美術博物館の付属施設「柳田國男館」の名称で公開)。再開は約2年後。跡地に建てた新居のサロンで1990年(平成2年)4月に「緑蔭小舎再開第一回記念展 難波田龍起・舟越保武展」、5月に「西常雄自選展」を行なっている。また翌年に「難波田龍起油彩展」を新設した3階建てビルの1階で開いた。一方で「緑蔭小舎」の名を「緑蔭館ギャラリー」に改め、貸画廊とした。これにはABがあり、別館「緑蔭館ビル」がA。以前ここにあった旧居は遠野市に同家の別荘として移したという。1995年には再び企画展を催し、「難波田龍起・大沢昌助・須田寿三人展」をBで開催。これらすべてが柳田家の敷地内の出来事である。本書のあちこちをめくって判読したが、建物の配置が不明で心もとない。ともかく柳田家の歩みとともに「緑蔭小舎」も推移を重ねたようである。
編集を担当した「ときの忘れもの」の尾立麗子氏によると、2005年から刊行までに4年間を要したという。当時の記事や挨拶状をふんだんに再録し、1990年「西常雄自選展」に14ページを割いて画集にもなっている点が興味深い。このような記録集は希少で、一展覧会の事実確認のために右往左往した経験のある者にとってぜひ巡り合いたいと願う本だ。それに唯一の柳田國男像を遺した西の作品群を眺めていると、偉大な民俗学者の存在が「緑蔭小舎」を通して美術の側面からも生き生きと肉付けされるかに思える。
ところで難波田龍起の文章「緑蔭小舎に寄せる」(1995年)と、関係者に本書への寄稿を依頼した舎主の「先生に御報告と御願い」(1996年)を最後に、画廊の歩みは途絶えている。その後どうなったのだろうか?
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今回のテーマの収穫がもう一つある。旧知のギャラリーで偶然、<えほん遠野物語>『おしらさま』(文:京極夏彦、絵:伊野孝行、2018年、汐文社刊)を見せられた。家の神、オシラサマは東北の各地方に異なる呼び名や伝承があるが、柳田國男は馬と娘の悲恋物語とオシラサマの名を遺した。現地収集を重んじて伝承を尋ね歩く情景を反映した編纂だからこそ『遠野物語』は真に迫り、読み継がれる。
学者のアプローチとは違うものの、『緑蔭小舎と作家たち』も発掘調査的な編集だ。それも画廊による画廊史である。味気ない展覧会の羅列にならず、一歩踏み込んで読者を飽きさせない読み物になっている所以だろう。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。

次回は11月19日の予定です。
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「若い女 B」
1984年
リトグラフ(雁皮紙)
48.5×37.0cm
Ed.170 Signed
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◆「ジョナス・メカス展」は終了しましたが、WEB展はユーチューブでご覧いただけます。
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TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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