塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」
第2回 閉ざされた楽園からスペイシャル・ポエムへ
塩見允枝子 Mieko(Chieko) Shiomi
“Spatial Poem No.1”
1965/1980
30.1×45.7×2.2(ボードサイズ)
Fluxus/塩見允枝子
マップボード、旗77本
うらわ美術館蔵
マチューナスのロフトはフルクサスの本部でしたから、ニューヨークに居るメンバー達はよくここに顔を出していました。私もこの場所でジョージ・ブレクトやラ・モンテ・ヤング、ボブ・ワッツらに会いました。又、ディック・ヒギンズとアリソン・ノールズ夫妻はすぐ近くに住んでいたので、彼らのロフトにお邪魔したこともあります。ディック・ヒギンズは日本でもインターメディアという概念を提唱した人として知られていますが、資産家の息子さんでもあったので、マチューナスの出版は遅くて待っていられないと言って、自分でSomething Else Pressという出版社を立ち上げ、沢山の書物を出版しました。
私が行った1964年と言えばフルクサスの最盛期で、ヨーロッパからもロベール・フィリウやエリック・アンダーセンなどが来ていて、皆でニュージャージーのブレクトの家まで遊びに行ったこともあります。フルクサスの人々はとっても親切で、ラ・モンテ・ヤングのコンサートやアル・ハンセンのハプニング、メカスの映画の試写会など面白そうな催し物があると、必ず連れて行ってくれました。
一方、私もマチューナスが企画した「パーペチュアル・フルックス・フェスト」の一環として、ワシントン・スクェア―・ギャラリーでソロ・コンサートを行なったり、ブレクトとワッツの企画した「マンデー・ナイト・レター」でジョイント・コンサートを行なったり、フィリップ・コーナーのコンサートにもパフォーマーとして参加したりと、充実した日々を過ごしていたのですが、次第に「ここは閉ざされた楽園だ。このままずっとこんな風に過ごしていたのでは、自分で飛ぶ力を失ってしまう」というような閉塞感に襲われるようになったのです。フルクサスの中での自分の居場所は極めて心地良かったのですが、そのフルクサス自体が、ニューヨークという巨大な街の中でどんな位置にあるのか、又、世界の中ではどんな存在なのか、ということが良く分からなかったので、自分の存在自体もあやふやになってしまったのです。
当時は、日常の中で自分で行なって楽しむというような、いわばdo-it-yourselfの性格を持ったイヴェント作品を書いていたのですが、もっといろんな人々とコミュニケートしたい、という気持ちが沸々と湧き上がってきました。そこで閃いたのが、地球をステージと考え、世界各国に住んでいる人々が彼らの日常の中で同じイヴェントを行ない、その報告を送って貰って、世界地図の上に編集して送り返す、という方法でした。世界の個々の人達に向けて、直接自分の方から手を差し伸べるという発想の転換ですね。早速マチューナスにこのアイディアについて話しに行くと、「それはいい考えだ。それならこういう人達に招待状を送りなさい」と言って、フルクサスの住所録を手渡してくれたのです。
これはシリーズで何回か行なおうと考えていました。「初めに言葉ありき」という洒落のつもりではなかったのですが、第1回目は、どんなジャンルの人にも共通の「ことばのイヴェント」にしました。白紙のカードを同封し、その上に何かのことばを書いて、それをどこかへ置いてもらうというものでした。地球への言葉のコラージュですね。70人以上から回答があり、中にはカードを置いた場所を私が自分で発見するようにと、そこへ至る地図を書いて送ってくれた人もいます。
報告を読んで、皆さんがこのイヴェントをそれぞれに楽しんで行なって下さったことは窺えましたが、問題はそれらをどのように世界地図の上に編集するかということでした。一枚の紙の上に書くには余りに字数が多いので、旗の両面に言葉と場所を印刷し、ピンで地図板の上に立てるという形にしたのです。旗となるカードの印刷はマチューナスが担当してくれましたが、それを二つ折りにしてピンに糊付けする作業は全部自分でやりました。6000本近い旗を作ったでしょうか。まさにフルクサス的なマルチプルですが、それを自分の事として作るようになるとは思ってもみませんでした。こうして参加者全員に、旗の入った箱と地図板とをセットにして送り返したのですが、マチューナスが使っていたプラスチック・ケースや頑丈な箱と違って、私が作った物は材質的に軟弱で輸送に耐えられず、ヨーロッパの或る人からは、「地図板が11個のピースにひび割れていたけれど、接着して何とか復元しました」というような便りを頂き、自分はまだまだ未熟だな、と痛感したことです。
このシリーズは帰国してからも続け、10年間に9つのイヴェントを行ないました。マチューナスはNo.2から No.4までにそれぞれ異なった意匠のマルチプルを作成しましたが、実際には、最後のNo.9<消えるイヴェント>迄、それぞれの内容に相応しい意匠のエディションを出すつもりだと言って、それらのスケッチを添えた手紙を送ってくれました。彼が亡くなった後、それらしき未完成の素材が見つかったそうです。一方、私は1976年に全ての報告をまとめた全集を出し、参加して下さった200人余りの方々に贈呈しました。今でもそれらの報告に目を通すと、日常を新たな目で見直す楽しみを発見した時代特有の、新鮮な風が吹いてくるように感じます。
(しおみ みえこ)
●塩見允枝子先生には2020年11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。
●塩見允枝子エッセイ連載記念特別頒布作品
015) Invitations to Spatial Poem
スペイシャル・ポエムへの招待状セット 1965/2020

1976年にスペイシャル・ポエムの全集を出した後、主に美術館や研究者の方々のために招待状のセットを若干数作りましたが、この度、最後のエディションとして23部の限定版でセットを作成しました。SHADOWフィルムのオリジナルが23枚残っていたので、それに合わせた部数となったのです。ニューヨーク滞在中に出したNo.1<ことばのイヴェント>の招待状は、印刷代を倹約するために1枚ずつオリヴェッティのタイプライターで打ちました。今回のセットに含まれているのは、残っていた1枚からのコピーです。内容物13枚の内、8枚がオリジナル、5枚が同色の紙でのコピーです。
外封筒サイズ:33 x 24 x 1cm Ed.23 サインとナンバー入り
016) A FLUXGAME 1969


ラベルには「FIND THE END」と書かれ、プラスチック・ケースの中には細い紐がランダムに丸められてぎっしりと入っています。紐の端を探せ、という一見ナンセンスなゲームのようにも思えますが、この作品にはどこか哲学的な謎が秘められているような気がしないでもありません。この作者がJack Coke’s Farmer’s Co-opとなっているのは、ポール・シャリッツが教えていた大学の教室の学生に、そのアイディアの基があるからだと言われています。
箱サイズ:12 x 10 x 1.4cm
保護の為の紙箱サイズ:14.5 x 11.7 x 2.5cm
【塩見允枝子先生のサイン入りハガキ付き】
017) LY 1961 1961


LYはラ・モンテ・ヤングの略で、よく知られている「コンポジション1961:直線を引いて それを辿れ」という作品のインストラクションを小冊子にしたエディションです。「Composition 1961 No.1 January 1 / Draw a straight line and follow it.」に始まり、「No.29 December 31 / Draw a straight line and follow it.」に至るまで、どの日にも全く同じインストラクションが書かれています。この作品は日本でも数多く演奏されてきましたが、こうして頁を繰って読み進めていると、それだけで彼が引いた直線を辿っているような気がしてきます。 白紙の頁も含めて68頁。
サイズ:9 x 9 x 0.3cm なお、この作品へのオマージュとして、同じサイズのカードの両面をめぐって無限に続く直線を引き、それをリズム譜で辿った小品を添えています。 オマージュ・カードはサイン入り
018) FLUXUS (Its Historical Development and Relationship to Avant-Garde Movement) フルクサス(その歴史的展開と前衛運動との関係) 60年代
60年代にマチューナスが制作したこのチャートには、デュシャンやケージなど、具体的な作家の名前と共に、レディメイド、不確定主義、具体主義、コラージュなど様々な主義や手法などが関連図として描かれ、その中にフルクサスのメンバーも分類されて書き込まれています。 これは、先月ご紹介した新聞FLUXFEST SALEの中のExpanded Arts Diagram の基となったチャートと思われます。 サイズ:43 x 14.3cm 朱色の紙に片面印刷
【塩見允枝子先生のサイン入りハガキ付き、新聞は折りたたんで専用のパッケージに入れて発送いたします。】
019) fluxorchestra at carnegie recital hall sept. 25 8pm 1965
24個の円形の顔の内、左上の舌の中に上記のタイトルが書かれています。その右隣の顔には「指揮者:ラ・モンテ・ヤング」、その右隣には「楽団員衣装:ロバート・ワッツ」、又、その他の顔の舌には上演する曲目の作家名とタイトルが記してあります。さらに、紙面の周囲には「スタン・ヴァンダービーク:ヴァイオリン」「ジョナス・メカス:アコーデオン」「アイオー:トランペット」など、オーケストラ・メンバーの名前と楽器名がずらりと並んでいますが、この出版物は果たして現実のコンサートのものか、或いは、マチューナスのファンタジーなのかは定かではありません。 サイズ:43.2 x 30cm
薄いモスグリーンの紙に片面印刷
【塩見允枝子先生のサイン入りハガキ付き、新聞は折りたたんで専用のパッケージに入れて発送いたします。】
※この度の特別頒布では上記016)、018)、019)の作品をお求めいただいた方限定で、塩見先生のサイン入りハガキを1枚プレゼントいたします。
●お申込み方法
お問合せ、お申込みはこちらから、またはメール(info@tokinowasuremono.com)にてお願いします。
※お問合せ、ご注文には、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
現在、ときの忘れものは冬季休廊中です。お問い合わせには2021年1月5日(火)以降、順番に対応いたしますので予めご了承下さいませ。
■塩見允枝子 SHIOMI Mieko
1938年岡山市生まれ。1961年東京芸術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を行う。1963年ナム・ジュン・パイクによってフルクサスに紹介され、翌年マチューナスの招きでニューヨークへ渡る。1965年航空郵便による「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始し、10年間に9つのイヴェントを行う。一方、初期のイヴェント作品を発展させたパフォーマンス・アートを追求し、インターメディアへと至る。1970年大阪へ移住。以後、声と言葉を中心にした室内楽を多数作曲。
1990年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに招待されたことから欧米の作家達との交流が復活。1992年ケルンでの「FLUXUS VIRUS」、1994年ニューヨークでのジョナス・メカスとパイクの共催による「SeOUL NYmAX」などに参加すると同時に、国内でも「フルクサス・メディア・オペラ」「フルクサス裁判」などのパフォーマンスや、「フルクサス・バランス」などの共同制作の視覚詩を企画する。
1995年パリのドンギュイ画廊、98年ケルンのフンデルトマルク画廊で個展。その他、欧米での幾つかのグループ展への出品やエディションの制作にも応じてきた。
2012年東京都現代美術館でのトーク&パフォーマンス「インターメディア/トランスメディア」で、一つのコンセプトを次々に異なった媒体で作品化していく「トランスメディア」という概念を提唱。
音楽作品やパフォーマンスの他に、視覚詩、オブジェクト・ポエムなど作品は多岐にわたり、国内外の多くの美術館に所蔵されている。現在、京都市立芸術大学・芸術資源研究センター特別招聘研究員。
●塩見允枝子さんの「オーラル・ヒストリー」もぜひお読みください。
●ブログ2020年04月08日『後藤美波、塩見允枝子「女性の孤独な闘いを知る10分 SHADOW PIECE」ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの』
映画監督の後藤美波さんによる短編ムービーをご紹介しましたのでぜひご覧ください。
https://creators.yahoo.co.jp/gotominami/0200058884
●書籍のご案内
◆「スペイシャル・ポエム」
塩見允枝子
「SPATIAL POEM スペイシャル・ポエム」(自家版)サイン入り
1976年刊 英文
21×27.5cm 70ページ
発行者:塩見允枝子
◆「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
塩見允枝子
「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1992年
19.0×21.6cm
発行者:塩見允枝子
●塩見允枝子『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』のご案内
塩見允枝子
『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』サイン本
2017年
塩見允枝子 発行
60ページ
21.4x18.2cm
●ドキュメンタリー叢書創刊 #01『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました。
執筆:ジョナス・メカス、井戸沼紀美、吉増剛造、井上春生、飯村隆彦、飯村昭子、正津勉、綿貫不二夫、原將人、木下哲夫、髙嶺剛、金子遊、石原海、村山匡一郎、越後谷卓司、菊井崇史、佐々木友輔、吉田悠樹彦、齊藤路蘭、井上二郎、川野太郎、柴垣萌子、若林良
*ときの忘れもので扱っています。メール・fax等でお申し込みください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
第2回 閉ざされた楽園からスペイシャル・ポエムへ

“Spatial Poem No.1”
1965/1980
30.1×45.7×2.2(ボードサイズ)
Fluxus/塩見允枝子
マップボード、旗77本
うらわ美術館蔵
マチューナスのロフトはフルクサスの本部でしたから、ニューヨークに居るメンバー達はよくここに顔を出していました。私もこの場所でジョージ・ブレクトやラ・モンテ・ヤング、ボブ・ワッツらに会いました。又、ディック・ヒギンズとアリソン・ノールズ夫妻はすぐ近くに住んでいたので、彼らのロフトにお邪魔したこともあります。ディック・ヒギンズは日本でもインターメディアという概念を提唱した人として知られていますが、資産家の息子さんでもあったので、マチューナスの出版は遅くて待っていられないと言って、自分でSomething Else Pressという出版社を立ち上げ、沢山の書物を出版しました。
私が行った1964年と言えばフルクサスの最盛期で、ヨーロッパからもロベール・フィリウやエリック・アンダーセンなどが来ていて、皆でニュージャージーのブレクトの家まで遊びに行ったこともあります。フルクサスの人々はとっても親切で、ラ・モンテ・ヤングのコンサートやアル・ハンセンのハプニング、メカスの映画の試写会など面白そうな催し物があると、必ず連れて行ってくれました。
一方、私もマチューナスが企画した「パーペチュアル・フルックス・フェスト」の一環として、ワシントン・スクェア―・ギャラリーでソロ・コンサートを行なったり、ブレクトとワッツの企画した「マンデー・ナイト・レター」でジョイント・コンサートを行なったり、フィリップ・コーナーのコンサートにもパフォーマーとして参加したりと、充実した日々を過ごしていたのですが、次第に「ここは閉ざされた楽園だ。このままずっとこんな風に過ごしていたのでは、自分で飛ぶ力を失ってしまう」というような閉塞感に襲われるようになったのです。フルクサスの中での自分の居場所は極めて心地良かったのですが、そのフルクサス自体が、ニューヨークという巨大な街の中でどんな位置にあるのか、又、世界の中ではどんな存在なのか、ということが良く分からなかったので、自分の存在自体もあやふやになってしまったのです。
当時は、日常の中で自分で行なって楽しむというような、いわばdo-it-yourselfの性格を持ったイヴェント作品を書いていたのですが、もっといろんな人々とコミュニケートしたい、という気持ちが沸々と湧き上がってきました。そこで閃いたのが、地球をステージと考え、世界各国に住んでいる人々が彼らの日常の中で同じイヴェントを行ない、その報告を送って貰って、世界地図の上に編集して送り返す、という方法でした。世界の個々の人達に向けて、直接自分の方から手を差し伸べるという発想の転換ですね。早速マチューナスにこのアイディアについて話しに行くと、「それはいい考えだ。それならこういう人達に招待状を送りなさい」と言って、フルクサスの住所録を手渡してくれたのです。
これはシリーズで何回か行なおうと考えていました。「初めに言葉ありき」という洒落のつもりではなかったのですが、第1回目は、どんなジャンルの人にも共通の「ことばのイヴェント」にしました。白紙のカードを同封し、その上に何かのことばを書いて、それをどこかへ置いてもらうというものでした。地球への言葉のコラージュですね。70人以上から回答があり、中にはカードを置いた場所を私が自分で発見するようにと、そこへ至る地図を書いて送ってくれた人もいます。
報告を読んで、皆さんがこのイヴェントをそれぞれに楽しんで行なって下さったことは窺えましたが、問題はそれらをどのように世界地図の上に編集するかということでした。一枚の紙の上に書くには余りに字数が多いので、旗の両面に言葉と場所を印刷し、ピンで地図板の上に立てるという形にしたのです。旗となるカードの印刷はマチューナスが担当してくれましたが、それを二つ折りにしてピンに糊付けする作業は全部自分でやりました。6000本近い旗を作ったでしょうか。まさにフルクサス的なマルチプルですが、それを自分の事として作るようになるとは思ってもみませんでした。こうして参加者全員に、旗の入った箱と地図板とをセットにして送り返したのですが、マチューナスが使っていたプラスチック・ケースや頑丈な箱と違って、私が作った物は材質的に軟弱で輸送に耐えられず、ヨーロッパの或る人からは、「地図板が11個のピースにひび割れていたけれど、接着して何とか復元しました」というような便りを頂き、自分はまだまだ未熟だな、と痛感したことです。
このシリーズは帰国してからも続け、10年間に9つのイヴェントを行ないました。マチューナスはNo.2から No.4までにそれぞれ異なった意匠のマルチプルを作成しましたが、実際には、最後のNo.9<消えるイヴェント>迄、それぞれの内容に相応しい意匠のエディションを出すつもりだと言って、それらのスケッチを添えた手紙を送ってくれました。彼が亡くなった後、それらしき未完成の素材が見つかったそうです。一方、私は1976年に全ての報告をまとめた全集を出し、参加して下さった200人余りの方々に贈呈しました。今でもそれらの報告に目を通すと、日常を新たな目で見直す楽しみを発見した時代特有の、新鮮な風が吹いてくるように感じます。
(しおみ みえこ)
●塩見允枝子先生には2020年11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」は毎月28日掲載です。
●塩見允枝子エッセイ連載記念特別頒布作品
015) Invitations to Spatial Poem
スペイシャル・ポエムへの招待状セット 1965/2020

1976年にスペイシャル・ポエムの全集を出した後、主に美術館や研究者の方々のために招待状のセットを若干数作りましたが、この度、最後のエディションとして23部の限定版でセットを作成しました。SHADOWフィルムのオリジナルが23枚残っていたので、それに合わせた部数となったのです。ニューヨーク滞在中に出したNo.1<ことばのイヴェント>の招待状は、印刷代を倹約するために1枚ずつオリヴェッティのタイプライターで打ちました。今回のセットに含まれているのは、残っていた1枚からのコピーです。内容物13枚の内、8枚がオリジナル、5枚が同色の紙でのコピーです。
外封筒サイズ:33 x 24 x 1cm Ed.23 サインとナンバー入り
016) A FLUXGAME 1969


ラベルには「FIND THE END」と書かれ、プラスチック・ケースの中には細い紐がランダムに丸められてぎっしりと入っています。紐の端を探せ、という一見ナンセンスなゲームのようにも思えますが、この作品にはどこか哲学的な謎が秘められているような気がしないでもありません。この作者がJack Coke’s Farmer’s Co-opとなっているのは、ポール・シャリッツが教えていた大学の教室の学生に、そのアイディアの基があるからだと言われています。
箱サイズ:12 x 10 x 1.4cm
保護の為の紙箱サイズ:14.5 x 11.7 x 2.5cm
【塩見允枝子先生のサイン入りハガキ付き】
017) LY 1961 1961


LYはラ・モンテ・ヤングの略で、よく知られている「コンポジション1961:直線を引いて それを辿れ」という作品のインストラクションを小冊子にしたエディションです。「Composition 1961 No.1 January 1 / Draw a straight line and follow it.」に始まり、「No.29 December 31 / Draw a straight line and follow it.」に至るまで、どの日にも全く同じインストラクションが書かれています。この作品は日本でも数多く演奏されてきましたが、こうして頁を繰って読み進めていると、それだけで彼が引いた直線を辿っているような気がしてきます。 白紙の頁も含めて68頁。
サイズ:9 x 9 x 0.3cm なお、この作品へのオマージュとして、同じサイズのカードの両面をめぐって無限に続く直線を引き、それをリズム譜で辿った小品を添えています。 オマージュ・カードはサイン入り
018) FLUXUS (Its Historical Development and Relationship to Avant-Garde Movement) フルクサス(その歴史的展開と前衛運動との関係) 60年代

【塩見允枝子先生のサイン入りハガキ付き、新聞は折りたたんで専用のパッケージに入れて発送いたします。】
019) fluxorchestra at carnegie recital hall sept. 25 8pm 1965

薄いモスグリーンの紙に片面印刷
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●お申込み方法
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現在、ときの忘れものは冬季休廊中です。お問い合わせには2021年1月5日(火)以降、順番に対応いたしますので予めご了承下さいませ。
■塩見允枝子 SHIOMI Mieko
1938年岡山市生まれ。1961年東京芸術大学楽理科卒業。在学中より小杉武久氏らと「グループ・音楽」を結成し、即興演奏やテープ音楽の制作を行う。1963年ナム・ジュン・パイクによってフルクサスに紹介され、翌年マチューナスの招きでニューヨークへ渡る。1965年航空郵便による「スペイシャル・ポエム」のシリーズを開始し、10年間に9つのイヴェントを行う。一方、初期のイヴェント作品を発展させたパフォーマンス・アートを追求し、インターメディアへと至る。1970年大阪へ移住。以後、声と言葉を中心にした室内楽を多数作曲。
1990年ヴェニスのフルクサス・フェスティヴァルに招待されたことから欧米の作家達との交流が復活。1992年ケルンでの「FLUXUS VIRUS」、1994年ニューヨークでのジョナス・メカスとパイクの共催による「SeOUL NYmAX」などに参加すると同時に、国内でも「フルクサス・メディア・オペラ」「フルクサス裁判」などのパフォーマンスや、「フルクサス・バランス」などの共同制作の視覚詩を企画する。
1995年パリのドンギュイ画廊、98年ケルンのフンデルトマルク画廊で個展。その他、欧米での幾つかのグループ展への出品やエディションの制作にも応じてきた。
2012年東京都現代美術館でのトーク&パフォーマンス「インターメディア/トランスメディア」で、一つのコンセプトを次々に異なった媒体で作品化していく「トランスメディア」という概念を提唱。
音楽作品やパフォーマンスの他に、視覚詩、オブジェクト・ポエムなど作品は多岐にわたり、国内外の多くの美術館に所蔵されている。現在、京都市立芸術大学・芸術資源研究センター特別招聘研究員。
●塩見允枝子さんの「オーラル・ヒストリー」もぜひお読みください。
●ブログ2020年04月08日『後藤美波、塩見允枝子「女性の孤独な闘いを知る10分 SHADOW PIECE」ジェンダー差別「考えたことがない」―― 世界的”女性アーティスト”が背負ってきたもの』
映画監督の後藤美波さんによる短編ムービーをご紹介しましたのでぜひご覧ください。
https://creators.yahoo.co.jp/gotominami/0200058884
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◆「スペイシャル・ポエム」

「SPATIAL POEM スペイシャル・ポエム」(自家版)サイン入り
1976年刊 英文
21×27.5cm 70ページ
発行者:塩見允枝子
◆「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」

「A FLUXATLAS(フルックスアトラス)」
1992年
19.0×21.6cm
発行者:塩見允枝子
●塩見允枝子『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』のご案内

『パフォーマンス作品集 フルクサスをめぐる50余年』サイン本
2017年
塩見允枝子 発行
60ページ
21.4x18.2cm
●ドキュメンタリー叢書創刊 #01『ジョナス・メカス論集 映像詩人の全貌』が刊行されました。

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阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
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