井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」第4回
『あのこは貴族』
夜の代々木公園で、AとBに意見が割れていた。土曜の夜9時、それぞれの理由で集まった6人。そのうちの1人が、大切な人にLINEでどうコミュニケーションをとるべきかについて、皆が話し合っていた。
その場の空気は深刻でなく、むしろとても和やかで、しかしA側の意見とB側の意見はどちらも曲げられることがなさそうだった。そしてどちらの意見にも、それぞれ正しさがあるように思えた。この話し合いはどんな結末を迎えるんだろう。缶ビールを飲みながらなんとなく眺めていると、20メートルくらい離れた場所にいたカップルが急に、打ち上げ花火を放った。
ピュンピュン!ピュン! 冬と春のはざまの空に、突拍子もなく打ち上がった花火。どこか間抜けに、強い光を放った。1人が駆け寄ってきて「すいません! こんなつもりじゃなかったんです!」と楽しそうに謝る。AかBの結論しかありえないと思われた話し合いに、突然Cの大正解が立ち現れたような気がして、身体じゅうに嬉しさがこみ上げた。
わたしは映画を観る時も、いつもこの「C」を求めてしまう節がある。話の筋が通っているかとか、倫理的にどうかというよりも、そこに「C」があることや、その「C」を信じられるまでの過程が描かれていることが、自分にとっては(無意識の部分が大きいけれど)とても大切だ。
先日観た映画『あのこは貴族』は「C」に溢れた映画だと思った。だから大好きだった。山内マリコさんの小説を原作にした、岨手由貴子(そでゆきこ)監督の映画。東京の良家に生まれ、箱入り娘として「結婚=幸せ」と刷り込まれてきた華子(門脇麦)と、富山の一般家庭に生まれ、学費を稼ぐためキャバクラで働いたすえ、大学を中退した美紀(水原希子)。今は同じ東京で暮らすふたりの、それぞれの生活が描かれる。
左から:美紀(水原希子)、華子 ©山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会
華子と美紀は、幸一郎という人物を通じて互いを知り、わずかな時を共に過ごす。長年をかけて培われてきたAとBの世界はそう簡単には交わらず、2人もそのことをわかっている。神保町の居酒屋の、お世辞にも綺麗とは言えないトイレに戦慄し、その場でタクシーを呼び止めて逃げ帰るのが華子だし、何千円もするホテルのアフタヌーンティーで無意識に「死んだ顔」をしてしまうのが美紀だ。違う世界の人間とすれ違わないように出来ているのが東京で、どの場所からも東京タワーの全貌が見えることはない。
しかしそこで「仕方ないよね」と思考を停止してしまうほど、悲しいことはない。本当は、仕方なくない。そのことにも映画は気づかせてくれる。AはA、BはBの世界に意思なく留まり続けることで、本来は自分のものになるべき力を誰かに搾取されていないか、選択肢を奪われていないか。『あのこは貴族』はさまざまな方法で訴えかけてくるのだが、素晴らしいことに、その過程には説教臭さが一切ない。
たとえばレストランで「軽めの食べ物を頼んでいいですか?」と尋ねられた華子は「はい、お腹空いてます!」と真逆のことを答える。タクシーで道順を確かめられたときにも、その質問をさらりと無視して「こんなことってあるんですね……」とデート後の恍惚を伝え出す。わかりきったような問いに、期待された答えで返さない華子を、映画の中の人々は「不思議ちゃん」と笑ったり「変な人」と敬遠しないどころか、全く否定せずに受け止める。観客は頬をゆるませる。そういうことを自然に繰り返すうちに、いつだって世界には予想外の煌めく「ルートC」が眠っていて、誰にでもその道を走る権利があるはずなのだと信じる勇気が湧いてくる。脳内をコン、と心地よく打つ台詞たちと、俳優たちの説得力のある演技、それらを彩る音楽と、意味を豊かに届ける映像……映画の全部が一体となって、まだ見ぬ道を照らしてくれる。
やがて美紀は同郷出身の里英(山下リオ)と共に、生まれ育った場所からも、自分たちの力を吸い上げる場所からも離れ、「ルートC」に向けて、ママチャリの重いタイヤを二人で漕ぎ始める。華子は男に養われるのを辞め、タクシーを降りて、親友の逸子(石橋静河)の後から、ぎこちなく三輪車を押し始める。ガタガタと進み始めたそれぞれの姿は決して優雅とはいえないけれど、あの夜見た花火みたいに強く、鮮やかに発光している。
名家の生まれで幼い頃から将来を決定され、今も重圧に苦しむ幸一郎(高良健吾)は、黒いスーツの集団に囲まれながら羨ましそうに華子を見つめる。その姿を観て、今も決まり切った道筋に、自分の意思に関わらずはめ込まれている人たちが早く解放されますように。と願いもしたけれど、「まずあなたはどうですか?」と映画に問われている気もして、ギクリと胸に手をあてた。
あの夜の公園のカップルのように、まずは自分たちに向けた花火を。予想がつかない方向に飛んだ光を観てのびやかに笑えたら、どんなに良いだろう。自分たちに向けたそれが、ふいに誰かの「C」を照らすかもなんて考えたら、いやらしくって咄嗟に脳内で打ち消したけれど、同時に少しでもそんな未来が予想できるのなら、頑張っていける気もした。
映画『あのこは貴族』は2021年2月26日から全国公開中 ©山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会
おまけ:リトアニア大使にお会いした日のこと
3月のはじめ、綿貫夫妻と尾立さんからメールをいただいて、急遽リトアニア大使にお会いするという光栄な機会をいただいた。リトアニアといえば、わたしにとってはなんといってもジョナス・メカスのふるさとだ。普段の生活では大使にお会いできる機会なんて全くないものだから、どんな格好で伺えば良いのかも見当がつかないまま、雨の中小走りでギャラリーに向かった。
ギャラリーの外には見慣れない外交官ナンバーの車が停められていて、中に入るとリトアニア大使館の特命全権大使のご夫妻と、参事官の3名がいらした。みなさんが笑顔で挨拶をしてくださり、綿貫不二夫さんが「彼女もメカスの若い友人です」と畏れ多い紹介をしてくださった。ギャラリーでは、なんとこの日のためにスタッフの皆さんが急遽準備されたというジョナス・メカス展が(!)。映像まで投影されていて、なんとも贅沢な空間だった。
テーブルのもとに集まり、不二夫さんが大使たちに「どういうきっかけでこのギャラリーを知ったのですか」と尋ねると、意外にも「塩見允枝子さんの展示のDMがきっかけ」だという。フルクサスの中心にいたアーティストの一人である塩見さん、その作品を所有しているギャラリーなら、リトアニア出身でフルクサスの主導者であるジョージ・マチューナスや、その友人であるジョナス・メカスについても話が出来ると考えられたのだろう(令子さんによると、ギャラリーが所蔵する塩見さんの作品も、最近改めて注目を集めているそうだ)。
いまや本国では「文化遺産」になりつつあるメカスやマチューナス、フルクサスのことを、今後もどんどん発信し、盛り上げていきたいと力強く語る大使に、綿貫さんが「出来ることなら何でもいたします」と即答されていたのが印象的だった。ここに書いていいのかわからないけれど、すでに進行中のプロジェクトもあるそうで、メカス生誕100年である2022年に、わたしも何かしたい、しなければという思いが強まった。
大使たちは帰り際、その日ギャラリーで預かったメカスさんの写真や書籍などについて「次に皆さんがいらっしゃるころには、れっきとした資料として大使館に収蔵した姿をお見せします」とおっしゃった。綿貫さんたちがポンポンと貴重な資料を大使たちに渡しているのを見たときには「こんな貴重なものまで……!?」と驚いたけれど、そうした淀みのない善意や、「受け渡していく」行為によって、文化は作られていくのだなとしみじみ考えさせられた。ひよっ子のわたしをその場に呼んでくださったことにも、改めて感謝の気持ちがこみあげる。

帰り際、階段を降りて靴を履いてもなおメカスさんのお話を続けられた大使に「リトアニアに行くのにおすすめの季節はいつですか?」と尋ねると「夏です。ビールが美味しいですから」とフレンドリーな返答をいただけて嬉しかった。いつかリトアニアを訪れて、このブログで現地の様子について綴らせて欲しいという新しい目標も出来た。
本筋からは逸れるけれども、その日からわたしは塩見允枝子さんや、フルクサスに関わった日本人アーティストたちに強い興味を抱いている。ギャラリーで不二夫さんが名前を挙げていらした塩見允枝子さん、オノ・ヨーコさん、久保田成子さん、斎藤陽子さんに、草間彌生さん、田中敦子さんを加えた6名をとりあげた2008年の展示『不協和音 ー日本のアーティスト6人』の図録をまずは取り寄せた。この資料を読んでいると、本人たちは「女性」と括られることを全く望んではいないけれども、同時に「男社会」に辟易して国外へ渡ったというような記述もいくつも見られる。そして本人たちの意図に関わらず、事実として多くの女性たちがフルクサスの中心的な役割を担っていたことも興味深い。戦後間もない日本にはどのような状況があり、どんな思いでそれぞれが運動に関わっていたのか。塩見允枝子さんご本人によるエッセイ(!)もありがたく拝読しながら、リトアニアと共にフルクサスを盛り上げるため、今後も勉強を続けていきたい。
(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
1992年生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに手掛けたイベントに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)がある。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年5月22日掲載予定です。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第4回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。2月28日には第4回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。
●東京・アーティゾン美術館で「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」展が5月9日[日]まで開催され、オノサト・トシノブ、瀧口修造、元永定正、倉俣史朗など現代美術の秀作が多数展示されています。
●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
『あのこは貴族』
夜の代々木公園で、AとBに意見が割れていた。土曜の夜9時、それぞれの理由で集まった6人。そのうちの1人が、大切な人にLINEでどうコミュニケーションをとるべきかについて、皆が話し合っていた。
その場の空気は深刻でなく、むしろとても和やかで、しかしA側の意見とB側の意見はどちらも曲げられることがなさそうだった。そしてどちらの意見にも、それぞれ正しさがあるように思えた。この話し合いはどんな結末を迎えるんだろう。缶ビールを飲みながらなんとなく眺めていると、20メートルくらい離れた場所にいたカップルが急に、打ち上げ花火を放った。
ピュンピュン!ピュン! 冬と春のはざまの空に、突拍子もなく打ち上がった花火。どこか間抜けに、強い光を放った。1人が駆け寄ってきて「すいません! こんなつもりじゃなかったんです!」と楽しそうに謝る。AかBの結論しかありえないと思われた話し合いに、突然Cの大正解が立ち現れたような気がして、身体じゅうに嬉しさがこみ上げた。
わたしは映画を観る時も、いつもこの「C」を求めてしまう節がある。話の筋が通っているかとか、倫理的にどうかというよりも、そこに「C」があることや、その「C」を信じられるまでの過程が描かれていることが、自分にとっては(無意識の部分が大きいけれど)とても大切だ。
先日観た映画『あのこは貴族』は「C」に溢れた映画だと思った。だから大好きだった。山内マリコさんの小説を原作にした、岨手由貴子(そでゆきこ)監督の映画。東京の良家に生まれ、箱入り娘として「結婚=幸せ」と刷り込まれてきた華子(門脇麦)と、富山の一般家庭に生まれ、学費を稼ぐためキャバクラで働いたすえ、大学を中退した美紀(水原希子)。今は同じ東京で暮らすふたりの、それぞれの生活が描かれる。

華子と美紀は、幸一郎という人物を通じて互いを知り、わずかな時を共に過ごす。長年をかけて培われてきたAとBの世界はそう簡単には交わらず、2人もそのことをわかっている。神保町の居酒屋の、お世辞にも綺麗とは言えないトイレに戦慄し、その場でタクシーを呼び止めて逃げ帰るのが華子だし、何千円もするホテルのアフタヌーンティーで無意識に「死んだ顔」をしてしまうのが美紀だ。違う世界の人間とすれ違わないように出来ているのが東京で、どの場所からも東京タワーの全貌が見えることはない。
しかしそこで「仕方ないよね」と思考を停止してしまうほど、悲しいことはない。本当は、仕方なくない。そのことにも映画は気づかせてくれる。AはA、BはBの世界に意思なく留まり続けることで、本来は自分のものになるべき力を誰かに搾取されていないか、選択肢を奪われていないか。『あのこは貴族』はさまざまな方法で訴えかけてくるのだが、素晴らしいことに、その過程には説教臭さが一切ない。
たとえばレストランで「軽めの食べ物を頼んでいいですか?」と尋ねられた華子は「はい、お腹空いてます!」と真逆のことを答える。タクシーで道順を確かめられたときにも、その質問をさらりと無視して「こんなことってあるんですね……」とデート後の恍惚を伝え出す。わかりきったような問いに、期待された答えで返さない華子を、映画の中の人々は「不思議ちゃん」と笑ったり「変な人」と敬遠しないどころか、全く否定せずに受け止める。観客は頬をゆるませる。そういうことを自然に繰り返すうちに、いつだって世界には予想外の煌めく「ルートC」が眠っていて、誰にでもその道を走る権利があるはずなのだと信じる勇気が湧いてくる。脳内をコン、と心地よく打つ台詞たちと、俳優たちの説得力のある演技、それらを彩る音楽と、意味を豊かに届ける映像……映画の全部が一体となって、まだ見ぬ道を照らしてくれる。
やがて美紀は同郷出身の里英(山下リオ)と共に、生まれ育った場所からも、自分たちの力を吸い上げる場所からも離れ、「ルートC」に向けて、ママチャリの重いタイヤを二人で漕ぎ始める。華子は男に養われるのを辞め、タクシーを降りて、親友の逸子(石橋静河)の後から、ぎこちなく三輪車を押し始める。ガタガタと進み始めたそれぞれの姿は決して優雅とはいえないけれど、あの夜見た花火みたいに強く、鮮やかに発光している。
名家の生まれで幼い頃から将来を決定され、今も重圧に苦しむ幸一郎(高良健吾)は、黒いスーツの集団に囲まれながら羨ましそうに華子を見つめる。その姿を観て、今も決まり切った道筋に、自分の意思に関わらずはめ込まれている人たちが早く解放されますように。と願いもしたけれど、「まずあなたはどうですか?」と映画に問われている気もして、ギクリと胸に手をあてた。
あの夜の公園のカップルのように、まずは自分たちに向けた花火を。予想がつかない方向に飛んだ光を観てのびやかに笑えたら、どんなに良いだろう。自分たちに向けたそれが、ふいに誰かの「C」を照らすかもなんて考えたら、いやらしくって咄嗟に脳内で打ち消したけれど、同時に少しでもそんな未来が予想できるのなら、頑張っていける気もした。
映画『あのこは貴族』は2021年2月26日から全国公開中 ©山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会
おまけ:リトアニア大使にお会いした日のこと
3月のはじめ、綿貫夫妻と尾立さんからメールをいただいて、急遽リトアニア大使にお会いするという光栄な機会をいただいた。リトアニアといえば、わたしにとってはなんといってもジョナス・メカスのふるさとだ。普段の生活では大使にお会いできる機会なんて全くないものだから、どんな格好で伺えば良いのかも見当がつかないまま、雨の中小走りでギャラリーに向かった。
ギャラリーの外には見慣れない外交官ナンバーの車が停められていて、中に入るとリトアニア大使館の特命全権大使のご夫妻と、参事官の3名がいらした。みなさんが笑顔で挨拶をしてくださり、綿貫不二夫さんが「彼女もメカスの若い友人です」と畏れ多い紹介をしてくださった。ギャラリーでは、なんとこの日のためにスタッフの皆さんが急遽準備されたというジョナス・メカス展が(!)。映像まで投影されていて、なんとも贅沢な空間だった。

いまや本国では「文化遺産」になりつつあるメカスやマチューナス、フルクサスのことを、今後もどんどん発信し、盛り上げていきたいと力強く語る大使に、綿貫さんが「出来ることなら何でもいたします」と即答されていたのが印象的だった。ここに書いていいのかわからないけれど、すでに進行中のプロジェクトもあるそうで、メカス生誕100年である2022年に、わたしも何かしたい、しなければという思いが強まった。
大使たちは帰り際、その日ギャラリーで預かったメカスさんの写真や書籍などについて「次に皆さんがいらっしゃるころには、れっきとした資料として大使館に収蔵した姿をお見せします」とおっしゃった。綿貫さんたちがポンポンと貴重な資料を大使たちに渡しているのを見たときには「こんな貴重なものまで……!?」と驚いたけれど、そうした淀みのない善意や、「受け渡していく」行為によって、文化は作られていくのだなとしみじみ考えさせられた。ひよっ子のわたしをその場に呼んでくださったことにも、改めて感謝の気持ちがこみあげる。

帰り際、階段を降りて靴を履いてもなおメカスさんのお話を続けられた大使に「リトアニアに行くのにおすすめの季節はいつですか?」と尋ねると「夏です。ビールが美味しいですから」とフレンドリーな返答をいただけて嬉しかった。いつかリトアニアを訪れて、このブログで現地の様子について綴らせて欲しいという新しい目標も出来た。

(いどぬま きみ)
■井戸沼紀美
1992年生まれ、都内在住。明治学院大学卒。これまでに手掛けたイベントに『ジョナス・メカスとその日々をみつめて』(2014年)、『ジョナス・メカス写真展+上映会』(2015年)がある。
・井戸沼紀美のエッセイ「二十二日の半券」は隔月、奇数月の22日に更新します。次回は2021年5月22日掲載予定です。
●塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第4回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。

●東京・アーティゾン美術館で「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」展が5月9日[日]まで開催され、オノサト・トシノブ、瀧口修造、元永定正、倉俣史朗など現代美術の秀作が多数展示されています。
●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。
●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
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