「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」第1回
「ジャック・ヴィヨンとサロンのキュビストたち」
松井裕美

ジャック・ヴィヨン《紙》1962年。リトグラフ、30 x 36.5 cm。所蔵:ギャラリーときの忘れもの
緑の地に矩形が重ねられる、ただそれだけのシンプルな構図。それぞれの重なりの部分に、様々な濃淡の紫や桃色、黄、白が配色されている。部分的に導き入れられた黒い線や面も、全体の優しい雰囲気を損なうことなく調和している。キュビスムの画家、ジャック・ヴィヨンによる1962年のリトグラフ《紙》である。紙が一体どのように重なっているのか、見れば見るほど不思議な作品だ。紙は、重さを失った透明なレイヤーとして表現されているように見える。しかし見方を変えれば紙は、不透明なパステルカラーのインクの重みを感じさせる物質感をともなった平面によって、提示されているようにも思われる。シンプルな構図の中に、相反する複雑な知覚が秘められているのだ。
キュビスムといえば、代表的な画家としてまず挙げられるのはパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックだろう。ジャック・ヴィヨンもまた、生前よりフランスの美術界において高い評価を得て、若い画家たちに影響を与えた芸術家だった。ただし理知的な線の分析と、美しい色彩を特徴とするその作品は、ピカソやブラックの開始したキュビスムとはかけ離れたものであり、単線的なモダン・アートの歴史観では捉え難いものであり続けている。このため70年代後半以降、大型の展覧会でのヴィヨンの作品展示の機会は減り、美術史的な概説でも言及されなくなっていく。
この連載で振り返りたいのは、前衛美術史の舞台ではややマージナルな立場に身を置くことになったこの芸術家の生涯と作品である。ジャック・ヴィヨンの美学への再訪は、今日では一般に忘れられてしまったキュビスムの一面を再発見させてくれることになるだろう。
キュビスムの芸術家と一言にいっても、その作風や活動は驚くほど多様だ。キュビスムという言葉の発端となったのは、1908年にブラックがカーンワイラー画廊で展示した油彩画である。批評家のルイ・ヴォークセルは、その年のサロン・ドートンヌに落選したこの画家の描くモチーフが、立方体のように幾何学的に描かれていることを揶揄した。この幾何学的印象を強調した作風が、やがてピカソとブラックが1910年以降ラディカルに推し進めることになる、難解な分析的キュビスムへと発展していく。彼らはサロンではなく、画廊を中心に活動を繰り広げた。
これに対し、毎年春にパリで開かれるサロン・デザンデパンダンや、秋に開かれるサロン・ドートンヌを中心に作品展示を行った芸術家たちもいた。美術史家のデイヴィッド・コッティントンが、「サロンのキュビストたち」と呼ぶグループである(コッティントン氏のCubism in the Shadow of War[Yale University Press, 1998]は、今なおキュビスムについての最良の専門書のうちの一つである)。画廊が限られた人にのみ開かれたプライベートな空間だとすれば、サロンは大勢の観客が訪れる公的な性格が強い場所だ。したがってキュビスムが誕生して間もないころのパリの一般的な観客にとっては、ブラックやピカソよりもこのグループの芸術家の作品に触れる機会の方が多かった。

David Cottington, Cubism in the Shadow of War. The Avant Garde and Politics in Paris 1905-1914, Yale University Press, 1998
このグループに属していた芸術家の中には、ジャック・ヴィヨンの他に、アルベール・グレーズやジャン・メッツァンジェらがいた。彼らの作品は、当時の観客たちを驚かせるものだった。画面の中を踊る線が、時に大胆に、時に正確な規則をともないながらモチーフを切り刻む。線に囲まれた部位を彩る絵具は、描かれた対象を必ずしも再現するものではない。彼らの線と色彩のリズムは、場合によっては野蛮で稚拙なもの、再現的な技法に欠けたものとして批評家たちに揶揄されたのだが、実際には、科学と古典、そして哲学への知的な関心に結びついていた(この点については連載の別の記事で取り上げる予定だ)。

サロン・ドートンヌ(1912年)におけるキュビスムの部屋(第11室)
パリで開催されるこの二つのサロンは、前衛芸術家により良い展示の機会を与えるべく、第三共和制下において設立されたものである。「前衛」を自認する大抵の芸術家たちがこの二つのサロンに展示していた当時の状況を考えるなら、サロンに一度も出品せず、ストイックに画廊での展示に拘ったピカソの戦略は、当時としてはかなり珍しいものだった。
次回の記事では、ジャック・ヴィヨンの生い立ちから、版画家としてのキャリアを確立させるまでの軌跡を辿りたい。
(まつい ひろみ)
■松井 裕美(まつい ひろみ)
1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、神戸大学国際文化学部准教授。専門は近現代美術史。
単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siècle, du cubisme au surréalisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。
*画廊亭主敬白
美術にはまったくど素人の亭主がひょんなことから現代版画センターをつくったのが1974年。必然的に版画を扱うことになったのですが、知り合った某画商さんに「ローランサンは本人の作った版画よりジャック・ヴィヨン版の方が高いんだ」と言われ驚いたことを覚えています。へそ曲がりな亭主は「前衛美術史の舞台ではややマージナルな立場に身を置くことになったこの芸術家」が好きで、ときどき買っていたのですが、来年ジャック・ヴィヨン展を計画しており、『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)の著者・松井裕美先生(神戸大学大学院准教授)に連載をお願いした次第です。どうぞご愛読ください。
●本日のお勧めは瑛九です。
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《フォトデッサン型紙39》
切り抜き・厚紙
52.5x34.8cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。
「ジャック・ヴィヨンとサロンのキュビストたち」
松井裕美

ジャック・ヴィヨン《紙》1962年。リトグラフ、30 x 36.5 cm。所蔵:ギャラリーときの忘れもの
緑の地に矩形が重ねられる、ただそれだけのシンプルな構図。それぞれの重なりの部分に、様々な濃淡の紫や桃色、黄、白が配色されている。部分的に導き入れられた黒い線や面も、全体の優しい雰囲気を損なうことなく調和している。キュビスムの画家、ジャック・ヴィヨンによる1962年のリトグラフ《紙》である。紙が一体どのように重なっているのか、見れば見るほど不思議な作品だ。紙は、重さを失った透明なレイヤーとして表現されているように見える。しかし見方を変えれば紙は、不透明なパステルカラーのインクの重みを感じさせる物質感をともなった平面によって、提示されているようにも思われる。シンプルな構図の中に、相反する複雑な知覚が秘められているのだ。
キュビスムといえば、代表的な画家としてまず挙げられるのはパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックだろう。ジャック・ヴィヨンもまた、生前よりフランスの美術界において高い評価を得て、若い画家たちに影響を与えた芸術家だった。ただし理知的な線の分析と、美しい色彩を特徴とするその作品は、ピカソやブラックの開始したキュビスムとはかけ離れたものであり、単線的なモダン・アートの歴史観では捉え難いものであり続けている。このため70年代後半以降、大型の展覧会でのヴィヨンの作品展示の機会は減り、美術史的な概説でも言及されなくなっていく。
この連載で振り返りたいのは、前衛美術史の舞台ではややマージナルな立場に身を置くことになったこの芸術家の生涯と作品である。ジャック・ヴィヨンの美学への再訪は、今日では一般に忘れられてしまったキュビスムの一面を再発見させてくれることになるだろう。
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キュビスムの芸術家と一言にいっても、その作風や活動は驚くほど多様だ。キュビスムという言葉の発端となったのは、1908年にブラックがカーンワイラー画廊で展示した油彩画である。批評家のルイ・ヴォークセルは、その年のサロン・ドートンヌに落選したこの画家の描くモチーフが、立方体のように幾何学的に描かれていることを揶揄した。この幾何学的印象を強調した作風が、やがてピカソとブラックが1910年以降ラディカルに推し進めることになる、難解な分析的キュビスムへと発展していく。彼らはサロンではなく、画廊を中心に活動を繰り広げた。
これに対し、毎年春にパリで開かれるサロン・デザンデパンダンや、秋に開かれるサロン・ドートンヌを中心に作品展示を行った芸術家たちもいた。美術史家のデイヴィッド・コッティントンが、「サロンのキュビストたち」と呼ぶグループである(コッティントン氏のCubism in the Shadow of War[Yale University Press, 1998]は、今なおキュビスムについての最良の専門書のうちの一つである)。画廊が限られた人にのみ開かれたプライベートな空間だとすれば、サロンは大勢の観客が訪れる公的な性格が強い場所だ。したがってキュビスムが誕生して間もないころのパリの一般的な観客にとっては、ブラックやピカソよりもこのグループの芸術家の作品に触れる機会の方が多かった。

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サロン・ドートンヌ(1912年)におけるキュビスムの部屋(第11室)
パリで開催されるこの二つのサロンは、前衛芸術家により良い展示の機会を与えるべく、第三共和制下において設立されたものである。「前衛」を自認する大抵の芸術家たちがこの二つのサロンに展示していた当時の状況を考えるなら、サロンに一度も出品せず、ストイックに画廊での展示に拘ったピカソの戦略は、当時としてはかなり珍しいものだった。
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次回の記事では、ジャック・ヴィヨンの生い立ちから、版画家としてのキャリアを確立させるまでの軌跡を辿りたい。
(まつい ひろみ)
■松井 裕美(まつい ひろみ)
1985年生まれ。パリ西大学ナンテール・ラ・デファンス校(パリ第10大学)博士課程修了。博士(美術史)。現在、神戸大学国際文化学部准教授。専門は近現代美術史。
単著に『キュビスム芸術史』(名古屋大学出版会、2019年)、共編著に『古典主義再考』(中央公論美術出版社、2020年)、編著に『Images de guerres au XXe siècle, du cubisme au surréalisme』(Les Editions du Net, 2017)、 翻訳に『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。
・松井裕美さんの連載エッセイ「線の詩情、色彩の調和――ジャック・ヴィヨンの生涯と芸術」は毎月25日の更新です。
*画廊亭主敬白

●本日のお勧めは瑛九です。

《フォトデッサン型紙39》
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52.5x34.8cm
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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催し、美術書の編集事務所としても活動しています。
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