松本竣介研究ノート 第36回(番外編)

『TOKYO POPから始まる|日本現代美術1996-2021|』を刊行して


小松﨑拓男


 自著を語るというお題を頂戴したが、存外何を書けばいいのかよくわからない。
 平凡社から去る2月16日に出した新刊本『TOKYO POPから始まる|日本現代美術1996-2021|』のことである。これまでカタログ、美術雑誌、新聞などに書いてきた文章を大体の時系列と内容でまとめたものだ。25年間自身の歩んできた日本の現代美術の現場のありさまを、その時々の文章で表した、いわば一種のドキュメントでもある。
 実は著書を出版することは宿願でもあった。
 というのには理由がある。なぜなら私が学者の家系の末裔だからだ。著作の一冊でも出さねばという思いがあり、それがようやく叶ったということだ。

 私の母方の曽祖父は市村瓚次郎(いちむら さんじろう)といい、日本の近代、つまり明治の学問の草創期の漢学者、今でいえば中国史などの中国研究者であった。若い時には森鴎外とともに訳詩集『於母影』に参加、長編の漢詩を書いている。長年、東京帝国大学の教授を務め、昭和天皇に皇太子の名前を奏上するなど戦前の官学の重責を担い、戦後は国学院大学の学長をした。しかし、学問に専心したいと1年余りで辞したという、根っからの研究者であった。集めた中国の典籍3万点あまりが東京都立図書館に市村文庫として残っている。母方の祖母の話では、勉強のために机に向かっている姿しか見たことがなかったという。東京の高田馬場にあった屋敷には大勢の書生が住込み、広大な敷地を新しくできた道路の明治通りが突っ切ることになったという。また当時の国鉄には地元の茨城の筑波から東京までは切符も買わずにそのまま顔パスで乗車できたそうだ。明治を感じる話だ。百科事典類にも名前が残る文字通りの大博士だ。
 母方の家系には茨城大学の学長を務めた歴史学者、大阪大学の国語学者、山形大学の地質学者がいるほか、第九のコンサートで知られた板東俘虜収容所の所長を務めていた松江豊寿も縁戚だという。かつての茨城県筑波の名家だ。
 また母方の祖父は地方銀行に勤めていた銀行員だが、盛岡高等農林時代に宮沢賢治の主催した文学の同人「アザリア会」に参加し宮沢賢治全集にも名前が残っている。銀行員の傍、俳句誌の同人となり俳句を嗜んだ。
 一方、父方は叔父が私大でドイツ語を教えていた。また従兄弟が今、北海道大学の理系の教授だ。父は旧制中学卒のノンキャリアの旧大蔵官僚だったが、所得税の専門家として、税理士試験のための専門書を長年執筆してきた。
 ということで、私も国立国会図書館の書架のどかで父の書いた本と自分の本を、ようやく並べることができたということである。遅ればせの親孝行である。できれば両親が生きているうちに実現したかったが、叶わなかった。

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『TOKYO POP』展のカタログと著書

 さて、当の本書『TOKYO POPから始まる|日本現代美術1996-2021|』の内容だが、この25年間の日本の現代美術の流れを、これまで展覧会に際して執筆したカタログ原稿や雑誌、新聞の求めに応じて書いてきたその折々の現代美術にまつわる文章がまとめてある。韓国の美術雑誌の依頼に応じて書いたものもあり、これは、これまで日本語としては発表されたことのない文章で、ここで初めて紹介するものだ。
 東アジア、特に中国や韓国の現代美術の一端に触れた文章が表しているのは、この25年の間にそれまで欧米中心であった現代美術が、グローバル化する中で、日本を含めた東アジア地域に、欧米の現代美術と同等で質の高い現代美術が存在していることに世界が注目した年月であったともいえるだろう。つまり、それはこの25年の間に、世界の美術史の中で東アジアの美術についても語らなければならない時代がやってきたことを意味している。そのことは欧米の文脈から孤立し、独自の伝統と歴史の中で形成されてきたとされる美術を、世界的な視野の中で見直すということでもある。
 なぜそうなのか。それは簡単に述べれば、社会構造が欧米化し、工業化や民主化など欧米の近代的価値が東アジアの中においてもひとつの共通する価値として認識され、全く同質ではないが、近代社会としての基本構造を共有することになったからである。と同時に、それは東アジア的な変容を伴うものとして存在する。このことは、また私たちが日本の現代美術を叙述すること、あるいは言葉や文章によって、さまざまな視点から書き留めることが重要であることを意味している。すなわち多様な語りと、多視点的な叙述こそが、この世界の美術の多様性や豊かさ、芳醇さを明らかにする確かな証拠となり得るということなのだ。私の今回のこの本も、そうした多くの視点から美術の世界を語る、その一冊という役割を担うだろう。この一冊で全てがわかる訳ではない。こういうこともあったのだという事実が、ひとつの歴史が、そこには描かれるということなのだ。だから本書を読む読者は、これをきっかけに、もう一度、この25年の間に何が起こったかを自分の目で調べて欲しい。その一歩のための本でもある。
 最後にこの本をどう読むべきか、そのコツを示しておきたい。まず、序章から読み始めて欲しい。文章は難しくないので読み易いはずである。その後、本編の中から興味のあるものや、読みやすそうなものを選んで2~3編読んでみてもらいたい。それが終わったら、今度はあとがきを読む。そうすると、おおよその日本の現代美術の流れのようなものを見渡すことができるはずである。頭から通しで読もうとすると飽きてしまう。だから、こうした方法で流れを意識したら、あとは気ままに自分の好きなところを、順番を気にすることなく読み込んでもらいたい。
 さあ、これで準備は整った。いざ、日本の現代美術の25年の旅へ。

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これまで企画してきた展覧会のカタログの一部

こまつざき たくお

小松﨑拓男のエッセイ「松本竣介研究ノート」は毎月3日の更新です。

小松﨑拓男 Takuo KOMATSUZAKI
千葉県生まれ。横浜そごう美術館、郡山市美術館準備室、平塚市美術館の主任学芸員を経て、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]学芸課長、広島市現代美術館学芸課長、副館長を歴任後、金沢美術工芸大学教授を2019年まで務める。現在、美術評論家連盟会員、文教大学情報学部非常勤講師として「美術」「サブカルチャー論」担当。
キュレーター時代には絵画をはじめとしてメディア・アートなど先端領域を含めた幅広い分野で近現代美術の展覧会を企画。村上隆、奈良美智、会田誠などを公立美術館で初めて本格的に紹介した。
主な展覧会に「TOKYO POP」(平塚市美術館)「New Media New Face / New York」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])「絵画新世紀」「サイバー・アジア」(広島市現代美術館)「エコメトロ」(光州ビエンナーレ)などがある。

●書籍のご紹介
598257『TOKYO POPから始まる|日本現代美術1996-2021|』
出版社:平凡社
小松崎拓男 著
出版年月 2022/02
ISBN 9784582206494
Cコード 0070
判型・ページ数 4-6 304ページ
価格:2,860円(本体2,600円+税)
※送料360円(銀行振り込み、2冊以下の場合)
90年代以降、キュレーターとして現代美術の現場を並走してきた著者が語る、日本現代美術の四半世紀。村上隆から奈良美智まで、日本のアート・シーンの現在についての貴重なドキュメント。
ときの忘れもので、著者サイン入り本を扱っています。

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●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。作品価格は3月21日ブログをご参照ください。
No.22_空洞の椅子No.22
《空洞の椅子》
2022
画用紙に鉛筆、顔彩
18.0×16.5cm/27.0×35.5cm
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No.28_空洞のための囲い2No.28
《空洞のための囲い2》
2022
銀塩写真
8.1×8.2cm/11.1×12.7cm
Signed

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●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
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