大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-
第1回 辿り着いた国
佐藤圭多

2012年10月6日、僕はスペイン南部の街セビリアから、リスボン行きのバスに乗っていた。欧州3ヶ月の放浪の旅の締めくくりに選んだ国はポルトガルだ。「ユーラシア大陸の西端」というフレーズは旅を終わらせるには説得力があったし、何より大西洋に沈む夕日を見てみたかったのだ。ポルトガルはイベリア半島の西側にへばりつくように南北に広がる国で、僕には大西洋を眺めるために張り出した展望台のように思えてならなかった。
途中休憩で停まった町タヴィラが僕にとってのはじめてのポルトガルだった。バスを降りると白ひげのおじいさんが乗った古い車がポロポロポロと横切り、きらびやかな女性が肩で風切るセビリアとの違いに、おもわず吹き出したのを覚えている。イベリア半島はその大半が乾燥地帯で、人々の話すスペイン語も乾いた印象が強い。それがポルトガル語になると「ス」は「シュ」と濁り、湿気を感じる。3ヶ月間、ヨーロッパの国々を気を張りつめて歩いてきた僕は、この「シュ」という言葉の湿度になにか懐かしさを感じ、ホッとした。到着地は「リスボン」ではなく「リシュボァ」だったのだ。

僕はプロダクトデザイナーで、様々なメーカーと協業して製品開発を手伝うデザインスタジオ「SATEREO」を主宰している。デザインする製品はカメラ、オーディオ、ロボット、医療機器などの電子製品からイスや照明器具などの家具、最近では住宅や店舗の空間設計も手がけている。カメラメーカーのデザイナーだった僕は、2012年に会社を辞め、退職記念に自分がデザインした一眼レフEOS 5D Mark IIIを買って旅に出た。
会社員時代から休みが取れるといつも旅に出て、今まで訪れた国は50カ国以上になる。会社を辞めるまでは、行くのはアジア、中南米、中東、アフリカといった国々で、ヨーロッパを訪れたことはなかった。最大でも1週間程度しか取れない会社の休みだと、見たいものが多すぎて観光名所をなぞるだけになってしまいそうだという予感もあった。なにより地続きながら様々な個性に富むヨーロッパの国々を知るならば、国同士の接し方を知りたいと思ったのだ。国境を陸路で越える旅がしたかった。海に囲まれた国で育った者としては、真面目なドイツと情感豊かなフランスが繋がっていて歩いて渡れるという事実がどうしても想像できない。そこに興味があった。
ヨーロッパを3ヶ月巡るなかで、イタリアのヴェローナにあるカステルヴェッキオを訪れた僕は、はじめて自分が建築を学ぶことを考えはじめた。プロダクトデザインで日々扱っていたマテリアルやテクスチャといった要素が、手では決して触れることのできない「空間」の質に作用することがとても興味深く思えたのだ。その思いは旅の終着地ポルトガルでアルヴァロ・シザの建築を見たことで確信になった。その足でポルト大学の建築学部に行き願書をもらって帰国の途についた。結局訳あってポルト大学には通えなかったのだけれど、日本で建築の学校に入り、卒業して今は建築やインテリアの設計もしている。

気になっている事がひとつあった。プロダクトも建築も人の生活が主題であるにも関わらず、自分は日本の、しかも東京での生活しか知らない。イエメンの日干しレンガの家、ウズベキスタンの青タイルのモスク、エチオピアの大地を穿った教会…旅では色々な生活を見せてもらってきた。けれど自分は、1つの生活から離れたことがない。日本の生活に何も不足はないけれど、たまたま生まれついた場所ではなく、能動的に生活を選ぶとしたらどの国だろうか。日々デザインの仕事を続けながら、10年もそんなことを頭の片隅で考えているうちに、ふとポルトガル語の「シュ」という響きがよみがえってきた…

ポルトガルに移り住んで2ヶ月になる。この文章を書いている今はまだ3月なのだけど、浜辺には海水浴客がちらほら見える。リスボンの街から眺めるテージョ川は今日も太陽に照らされてキラキラと明滅し、逆光でシルエットになった人々の姿が美しい。
10年前に初めてリスボンを訪れた時、同じ光景を中心部のコメルシオ広場から見たことを思い出す。海側にはカイス・ダス・コルーニャスと名前のついた二本の柱が立っていて、たいていカモメがとまっている。この柱は、1755年のリスボン大地震からの復興の際にエウジェニオ・ドス・サントスが設計した、港湾都市リスボンの玄関である。エリザベス二世がこの柱の間を通ってリスボンに上陸したことで有名で、船から見たリスボンの入口として企図されたものだと言う。けれどそれは、ユーラシア大陸の東端から辿り着いた僕にとって、この先はてしなく広がる大西洋のファサードに見えたのだった。
そんな大西洋の水面きらめく国ポルトガルで、見聞きし感じたことをこれから書いていこうと思います。どうぞお付き合いください。
(さとう けいた)
■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。
SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰
・佐藤圭多さんの新連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に掲載します。
*画廊亭主敬白
コロナ禍で移動の難しい時期ですが、無事、リスボンに到着されたようで安心しました。
奥様、お子様たちのお元気そうな写真も、ありがとうございます。
新しい生活、何かとご不自由でしょうが、健康第一にお過ごしください。
せっかく駒込のご近所で皆さんとお近づきになれたのに、ポルトガルに移住すると言われたときは驚きましたが、ブログに寄稿したいのだがと言われ、とても嬉しかったです。
先月3月16日から、やはり隔月で、スペイン在住の建築家・丹下敏明先生の連載も始まりました。磯崎新事務所のスペイン代表で、私たちとは古くからの付き合いですが、ブログには初登場です。
期せずして、スペイン(奇数月16日)とポルトガル(偶数月20日)から二つの連載開始となりますが、楽しみにしています。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊ですが、4月15日(金)~24日(日)「中村潤展 うろうろをへて こつこつのはて」は会期中無休です。
第1回 辿り着いた国
佐藤圭多

2012年10月6日、僕はスペイン南部の街セビリアから、リスボン行きのバスに乗っていた。欧州3ヶ月の放浪の旅の締めくくりに選んだ国はポルトガルだ。「ユーラシア大陸の西端」というフレーズは旅を終わらせるには説得力があったし、何より大西洋に沈む夕日を見てみたかったのだ。ポルトガルはイベリア半島の西側にへばりつくように南北に広がる国で、僕には大西洋を眺めるために張り出した展望台のように思えてならなかった。
途中休憩で停まった町タヴィラが僕にとってのはじめてのポルトガルだった。バスを降りると白ひげのおじいさんが乗った古い車がポロポロポロと横切り、きらびやかな女性が肩で風切るセビリアとの違いに、おもわず吹き出したのを覚えている。イベリア半島はその大半が乾燥地帯で、人々の話すスペイン語も乾いた印象が強い。それがポルトガル語になると「ス」は「シュ」と濁り、湿気を感じる。3ヶ月間、ヨーロッパの国々を気を張りつめて歩いてきた僕は、この「シュ」という言葉の湿度になにか懐かしさを感じ、ホッとした。到着地は「リスボン」ではなく「リシュボァ」だったのだ。


僕はプロダクトデザイナーで、様々なメーカーと協業して製品開発を手伝うデザインスタジオ「SATEREO」を主宰している。デザインする製品はカメラ、オーディオ、ロボット、医療機器などの電子製品からイスや照明器具などの家具、最近では住宅や店舗の空間設計も手がけている。カメラメーカーのデザイナーだった僕は、2012年に会社を辞め、退職記念に自分がデザインした一眼レフEOS 5D Mark IIIを買って旅に出た。
会社員時代から休みが取れるといつも旅に出て、今まで訪れた国は50カ国以上になる。会社を辞めるまでは、行くのはアジア、中南米、中東、アフリカといった国々で、ヨーロッパを訪れたことはなかった。最大でも1週間程度しか取れない会社の休みだと、見たいものが多すぎて観光名所をなぞるだけになってしまいそうだという予感もあった。なにより地続きながら様々な個性に富むヨーロッパの国々を知るならば、国同士の接し方を知りたいと思ったのだ。国境を陸路で越える旅がしたかった。海に囲まれた国で育った者としては、真面目なドイツと情感豊かなフランスが繋がっていて歩いて渡れるという事実がどうしても想像できない。そこに興味があった。
ヨーロッパを3ヶ月巡るなかで、イタリアのヴェローナにあるカステルヴェッキオを訪れた僕は、はじめて自分が建築を学ぶことを考えはじめた。プロダクトデザインで日々扱っていたマテリアルやテクスチャといった要素が、手では決して触れることのできない「空間」の質に作用することがとても興味深く思えたのだ。その思いは旅の終着地ポルトガルでアルヴァロ・シザの建築を見たことで確信になった。その足でポルト大学の建築学部に行き願書をもらって帰国の途についた。結局訳あってポルト大学には通えなかったのだけれど、日本で建築の学校に入り、卒業して今は建築やインテリアの設計もしている。

気になっている事がひとつあった。プロダクトも建築も人の生活が主題であるにも関わらず、自分は日本の、しかも東京での生活しか知らない。イエメンの日干しレンガの家、ウズベキスタンの青タイルのモスク、エチオピアの大地を穿った教会…旅では色々な生活を見せてもらってきた。けれど自分は、1つの生活から離れたことがない。日本の生活に何も不足はないけれど、たまたま生まれついた場所ではなく、能動的に生活を選ぶとしたらどの国だろうか。日々デザインの仕事を続けながら、10年もそんなことを頭の片隅で考えているうちに、ふとポルトガル語の「シュ」という響きがよみがえってきた…

ポルトガルに移り住んで2ヶ月になる。この文章を書いている今はまだ3月なのだけど、浜辺には海水浴客がちらほら見える。リスボンの街から眺めるテージョ川は今日も太陽に照らされてキラキラと明滅し、逆光でシルエットになった人々の姿が美しい。
10年前に初めてリスボンを訪れた時、同じ光景を中心部のコメルシオ広場から見たことを思い出す。海側にはカイス・ダス・コルーニャスと名前のついた二本の柱が立っていて、たいていカモメがとまっている。この柱は、1755年のリスボン大地震からの復興の際にエウジェニオ・ドス・サントスが設計した、港湾都市リスボンの玄関である。エリザベス二世がこの柱の間を通ってリスボンに上陸したことで有名で、船から見たリスボンの入口として企図されたものだと言う。けれどそれは、ユーラシア大陸の東端から辿り着いた僕にとって、この先はてしなく広がる大西洋のファサードに見えたのだった。
そんな大西洋の水面きらめく国ポルトガルで、見聞きし感じたことをこれから書いていこうと思います。どうぞお付き合いください。
(さとう けいた)
■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。
SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰
・佐藤圭多さんの新連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に掲載します。
*画廊亭主敬白
コロナ禍で移動の難しい時期ですが、無事、リスボンに到着されたようで安心しました。
奥様、お子様たちのお元気そうな写真も、ありがとうございます。
新しい生活、何かとご不自由でしょうが、健康第一にお過ごしください。
せっかく駒込のご近所で皆さんとお近づきになれたのに、ポルトガルに移住すると言われたときは驚きましたが、ブログに寄稿したいのだがと言われ、とても嬉しかったです。
先月3月16日から、やはり隔月で、スペイン在住の建築家・丹下敏明先生の連載も始まりました。磯崎新事務所のスペイン代表で、私たちとは古くからの付き合いですが、ブログには初登場です。
期せずして、スペイン(奇数月16日)とポルトガル(偶数月20日)から二つの連載開始となりますが、楽しみにしています。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊ですが、4月15日(金)~24日(日)「中村潤展 うろうろをへて こつこつのはて」は会期中無休です。
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