ガウディの街バルセロナより
その2 バルセロナの街
丹下敏明
バルセロナへ
バルセロナの街は前方は地中海、その内陸側は標高500メーターほどの山で閉ざされ、そして両側をジョブレガット(Llobregat)、エル・ベソス(El Besos)の両川で挟まれるという言ってみれば地形的な条件によって市域が決められている。比較的コンパクトな街で、日本なら高崎市ほどの市街区の広がりがある。つまり、地形的に四周を囲まれているために無限に拡張発展ができない地形ということだ。街は大雑把に分けると、観光客にも知られている、ゴシック時代の建物が建ち並ぶゴシック地区と呼ばれている中核部とそれを囲む旧市街、そして内陸部は旧市街を抱え込むアイシャンプレ(Eixample)と呼ばれる新市街に分けられる。さらに周辺にいくつかの古い町が張り付くという構成になっている。
空路で街に入る時、ピレネーを超えるとコスタ・ブラバ(Costa Brava, 荒涼の海岸とでも訳せるだろうか)と呼ばれる海岸に出て、これに沿って南下するというコースをとる。このコスタ・ブラバは60年代、独裁者フランコのいる国へ越境しようというもの好きなボヘミアン達に人気のあった場所で、ダリは40年ほどこの一帯の小さな村に住んでいた。この絶壁が並び、その間に猫の額のような砂浜のある風景を右手に見ながら下り、バルセロナに入るというのが一般的な空路になっている。だから、入国時にはこれを目で追うために座席は必ず’J列’を取るようにしている。そうするとコスタ・ブラバが終わった頃には高度を下げてゆきバルセロナ空港に到着しようという寸前にバルセロナの街が一望できるからだ。海岸線に平行してグリッド状に整然と広がる新市街がまず印象的だ。92年バルセロナ・オリンピックの時に作られた選手村、そしてヨット・ハーバーに立ちすくむツインタワー、次いでジャン・ヌーヴェルのアグバールのタワー、その奥手にはサグラダ・ファミリアのシルエットもちらりと目に入ってくる。整然とした大半の街区とは性格が違っている海側には、密集し通りも飛行機からでは読み取れないが、鐘塔が何本か建ちあがっているのが見える部分が旧市街だ。新市街はこの旧市街を取り囲んでいる形になっている。更に周辺にはやはり古い市街区らしいごちゃごちゃしたポイントが複数見える。つまり、新市街は周辺の町や村と旧市街を繋ぐ役をしているからだ。ボーイングの777機のJ席についていてもこの光景はあっという間に通過してしまうので、Google MapsやGoogle Earthで見ていただいた方がよく分かるかもしれない。しかし、私にはいつもこれを見るとやっと家に戻ったのだという実感がわくシーンだ。

1. バルセロナに帰る風景
街の構成
ゴシック地区と呼ばれているカテドラル周辺は、ほぼ古代ローマ時代に出来たバルセロナの市域で現在の行政区分からするとその面積は84.20Haある。ゴシック地区は古代ローマ時代の大きな切り石をリサイクルした宮殿や、市壁の残りが今もそこここに残されているのでローマ時代のバルセロナを散策することもできる。古代ローマ時代のテンプルの円柱が民家の中に残され、水道橋はカテドラルの一部に重なり合って残り、市の中心を示すベンチマークすら現在も確認できる。この時代のバルセロナは4分されたイベリア半島のひとつタラコネンシス州の一地方都市でしかなかったが、その後西ゴート族のアタウルフ王(372頃~415年)はここに首都を築こうと計画していた。この計画は王自身の暗殺により実現されなかったが、良港をもつこの地はポスト・ローマでは群を抜いて発展していった。
ゴシック地区のカテドラルの真ん前には老舗のコロン・ホテルというのがあるが、このホテルはジョアン・ミロがマジョルカ島パルマの住宅兼工房からバルセロナに来る時、定宿として使っていた。私も一度だけ偶然に彼をロビーで見かけたことがある。1980年代のなかばには当時、92年バルセロナ・オリンピックの総合室内競技場を設計していた磯崎さんもこのホテルのテラスのある部屋にいつも泊まっていた。最近ではホテルの最上階はバーになっているので、そこからこのゴシック地区がよく見渡せる。

2. 市の科学博物館にある古代ローマ時代のバルセロナの模型

3. 古代ローマ時代のバルセロナは現在のカテドラル一帯のみ(コロン・ホテルより)

4. 旧市街には今もローマ時代の市壁の石が残っている

5. 古代ローマ時代のネクロポリス

6. 古代ローマ時代のテンプルの円柱が残る

7. 水道橋(左手がカテドラル隣接の司教館の壁)

8. 王の広場の裏側にはローマ以前のイベロ族、古代ローマ、20世紀の修復時のれんがが混在
このゴシック地区を取り囲むようにある旧市街と呼ばれる一帯は436.80Haある。実はこれが19世紀中頃にスタートした拡張計画がはじまる以前のバルセロナということになる。つまり、ゴシック地区の西側、モンジュイック(Montjuic)の丘の足元にあるエル・ラバル(El Raval)地区、反対側のサン・ペラ(San Pere)、ラ・リベーラ(La Rivera)地区、また港から海に張り出すようにある、バルセロナータ地区とコンパクトな街であった。

9. 歴史博物館展示の1500年頃の模型に旧市街が読み取れる

10. 旧市街の一角
このうち誰でも知っているのがラス・ランブラスの遊歩道だろうか。しかし、この道自体ももともとは市壁が15世紀に建設されたのだが、更に市域を拡張するために外側に移動され、撤去された市壁跡がこの道となった。旧市街のメインストリートとしてのポジションを現在も保っている。エイシャンプレ(拡張という意味)地区は747.60Haとこれより断然面積は大きく、更に周辺の町が今もその姿を留めながら遠巻きにするというのが’J列’から見える現在のバルセロナだ。

11. 春のラス・ランブラス通り

12. 海から眺めるラス・ランブラス通り
*写真はすべて筆者撮影
(たんげ としあき)
■丹下敏明(たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作(カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984年以降 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blans計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画(全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展(バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加
現在、磯崎新スペイン事務所代表
主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
その2 バルセロナの街
丹下敏明
バルセロナへ
バルセロナの街は前方は地中海、その内陸側は標高500メーターほどの山で閉ざされ、そして両側をジョブレガット(Llobregat)、エル・ベソス(El Besos)の両川で挟まれるという言ってみれば地形的な条件によって市域が決められている。比較的コンパクトな街で、日本なら高崎市ほどの市街区の広がりがある。つまり、地形的に四周を囲まれているために無限に拡張発展ができない地形ということだ。街は大雑把に分けると、観光客にも知られている、ゴシック時代の建物が建ち並ぶゴシック地区と呼ばれている中核部とそれを囲む旧市街、そして内陸部は旧市街を抱え込むアイシャンプレ(Eixample)と呼ばれる新市街に分けられる。さらに周辺にいくつかの古い町が張り付くという構成になっている。
空路で街に入る時、ピレネーを超えるとコスタ・ブラバ(Costa Brava, 荒涼の海岸とでも訳せるだろうか)と呼ばれる海岸に出て、これに沿って南下するというコースをとる。このコスタ・ブラバは60年代、独裁者フランコのいる国へ越境しようというもの好きなボヘミアン達に人気のあった場所で、ダリは40年ほどこの一帯の小さな村に住んでいた。この絶壁が並び、その間に猫の額のような砂浜のある風景を右手に見ながら下り、バルセロナに入るというのが一般的な空路になっている。だから、入国時にはこれを目で追うために座席は必ず’J列’を取るようにしている。そうするとコスタ・ブラバが終わった頃には高度を下げてゆきバルセロナ空港に到着しようという寸前にバルセロナの街が一望できるからだ。海岸線に平行してグリッド状に整然と広がる新市街がまず印象的だ。92年バルセロナ・オリンピックの時に作られた選手村、そしてヨット・ハーバーに立ちすくむツインタワー、次いでジャン・ヌーヴェルのアグバールのタワー、その奥手にはサグラダ・ファミリアのシルエットもちらりと目に入ってくる。整然とした大半の街区とは性格が違っている海側には、密集し通りも飛行機からでは読み取れないが、鐘塔が何本か建ちあがっているのが見える部分が旧市街だ。新市街はこの旧市街を取り囲んでいる形になっている。更に周辺にはやはり古い市街区らしいごちゃごちゃしたポイントが複数見える。つまり、新市街は周辺の町や村と旧市街を繋ぐ役をしているからだ。ボーイングの777機のJ席についていてもこの光景はあっという間に通過してしまうので、Google MapsやGoogle Earthで見ていただいた方がよく分かるかもしれない。しかし、私にはいつもこれを見るとやっと家に戻ったのだという実感がわくシーンだ。

1. バルセロナに帰る風景
街の構成
ゴシック地区と呼ばれているカテドラル周辺は、ほぼ古代ローマ時代に出来たバルセロナの市域で現在の行政区分からするとその面積は84.20Haある。ゴシック地区は古代ローマ時代の大きな切り石をリサイクルした宮殿や、市壁の残りが今もそこここに残されているのでローマ時代のバルセロナを散策することもできる。古代ローマ時代のテンプルの円柱が民家の中に残され、水道橋はカテドラルの一部に重なり合って残り、市の中心を示すベンチマークすら現在も確認できる。この時代のバルセロナは4分されたイベリア半島のひとつタラコネンシス州の一地方都市でしかなかったが、その後西ゴート族のアタウルフ王(372頃~415年)はここに首都を築こうと計画していた。この計画は王自身の暗殺により実現されなかったが、良港をもつこの地はポスト・ローマでは群を抜いて発展していった。
ゴシック地区のカテドラルの真ん前には老舗のコロン・ホテルというのがあるが、このホテルはジョアン・ミロがマジョルカ島パルマの住宅兼工房からバルセロナに来る時、定宿として使っていた。私も一度だけ偶然に彼をロビーで見かけたことがある。1980年代のなかばには当時、92年バルセロナ・オリンピックの総合室内競技場を設計していた磯崎さんもこのホテルのテラスのある部屋にいつも泊まっていた。最近ではホテルの最上階はバーになっているので、そこからこのゴシック地区がよく見渡せる。

2. 市の科学博物館にある古代ローマ時代のバルセロナの模型

3. 古代ローマ時代のバルセロナは現在のカテドラル一帯のみ(コロン・ホテルより)

4. 旧市街には今もローマ時代の市壁の石が残っている

5. 古代ローマ時代のネクロポリス

6. 古代ローマ時代のテンプルの円柱が残る

7. 水道橋(左手がカテドラル隣接の司教館の壁)

8. 王の広場の裏側にはローマ以前のイベロ族、古代ローマ、20世紀の修復時のれんがが混在
このゴシック地区を取り囲むようにある旧市街と呼ばれる一帯は436.80Haある。実はこれが19世紀中頃にスタートした拡張計画がはじまる以前のバルセロナということになる。つまり、ゴシック地区の西側、モンジュイック(Montjuic)の丘の足元にあるエル・ラバル(El Raval)地区、反対側のサン・ペラ(San Pere)、ラ・リベーラ(La Rivera)地区、また港から海に張り出すようにある、バルセロナータ地区とコンパクトな街であった。

9. 歴史博物館展示の1500年頃の模型に旧市街が読み取れる

10. 旧市街の一角
このうち誰でも知っているのがラス・ランブラスの遊歩道だろうか。しかし、この道自体ももともとは市壁が15世紀に建設されたのだが、更に市域を拡張するために外側に移動され、撤去された市壁跡がこの道となった。旧市街のメインストリートとしてのポジションを現在も保っている。エイシャンプレ(拡張という意味)地区は747.60Haとこれより断然面積は大きく、更に周辺の町が今もその姿を留めながら遠巻きにするというのが’J列’から見える現在のバルセロナだ。

11. 春のラス・ランブラス通り

12. 海から眺めるラス・ランブラス通り
*写真はすべて筆者撮影
(たんげ としあき)
■丹下敏明(たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作(カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984年以降 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blans計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画(全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展(バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加
現在、磯崎新スペイン事務所代表
主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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