平嶋彰彦の「私の駒込名所図会」総集編 その5(最終回)
駒込は「ときの忘れもの」がある<私たちの町>です。その魅力を平嶋彰彦の撮りおろした写真と文章で紹介するとともに、散策に便宜をはかり、案内地図(国土地理院のマップ使用)を用意しました。皆さまも「ときの忘れもの」にご来館されるさいには、ぜひとも足をのばし、駒込の街歩きを楽しんでみることをお薦めいたします
㉑JR駒込駅 → ㉒駒込妙義坂子育地蔵 → ㉓古河庭園 → ㉔無量寺 → ㉕西ヶ原一里塚

㉑JR駒込駅
豊島区駒込2-1

JR駒込駅。線路わきの土手につつじが植えられている。2022.05.03
1885(明治18)年、日本鉄道会社の品川―赤羽間が開通して、目白駅が設置。1903年、豊島線(現山手線)の目白—田端間が開通、このときに池袋・大塚・巣鴨駅が開業。駒込駅はそれより7年おくれ1910年に出来た。
駒込は江戸におけるつつじ栽培の発祥地である。現在JR駒込駅の土手に植えられているつつじは、川添登の『東京の原風景』によると、駅が誘致されたとき、高木孫右衛門家から寄贈され、それを植えたのが最初だという。高木家は、慶長年間(1596~1615)に駒込を開発した高木将監の子孫で、江戸時代には代々名主をつとめた。
その後、1928、29(昭和3、4)年ごろ、駅前の人力車夫や中里の植木屋からつつじ400株が寄贈された。さらに1956年、ちかくの菓子屋の中村清一氏がつつじの手入れを奉仕で始め、1960年には駒込つつじ保存会が作られたという。
㉒駒込妙義坂子育地蔵
豊島区駒込2-6-15

駒込妙義坂子育地蔵。左は交通事故の犠牲になったセーラー服の少女の供養碑。2020.11.18
本郷通りの妙義坂にある地蔵堂で子育て地蔵と呼ばれる。中央に祀られるのが子育て地蔵尊の立像で、(向かって)右は如意輪観音の座像。如意輪観音も子育ての守護仏で、とくに女性の信仰が篤かった。左の石塔は珍しいもので、セーラー服姿の少女2人を浮き彫りにしている。1933(昭和8)年にこの近くで交通事故があり、11歳の少女2名が犠牲になった。その霊を慰めるための供養碑である。現在の地蔵堂は2006(平成18)年の建立。旧地蔵堂は1945(昭和20)年の空襲で焼失したが、それまでは境内も70坪ほどあり、毎月24日の縁日になると夜店も出て、多くの参詣客でにぎわったという。
㉓旧古河庭園
北区西ヶ原1丁目

旧古河庭園。洋館と庭園はジョサイア・コンドルの設計。2012.12.10
旧古河庭園は古河財閥3代目当主の古河虎之助の邸宅と庭園として造られた。煉瓦造り、地上2階・地下1階の洋館は1917(大正6)年に竣工した。洋館と庭園はジョサイア・コンドルの設計。コンドルの設計したものはこのほか、鹿鳴館・ニコライ堂・三菱一号館・旧岩崎邸・綱町三井倶楽部など。日本庭園の作庭は七代目小川治兵衛(植治)。山縣有朋の京都別邸だった無鄰菴・平安神宮神苑・円山公園などを手がけた。和洋の技術が見事に調和した邸宅と庭園は、文化財保護法による国の名勝指定を受けている。
㉔無量寺
北区西ケ原1-34-8

無量寺。盗賊除けの「足止め不動」で知られる。江戸六阿弥陀詣の3番目。2012.12.10
真言宗豊山派の寺院。江戸六阿弥陀詣の第3番目。六阿弥陀詣は阿弥陀如来を祀る江戸の6ヶ寺を春秋の彼岸に参詣する庶民信仰の行事。無量寺本尊の不動明王像は阿弥陀如来坐像の右手に安置されている。この不動明王は盗賊除けの効験があり、足止め不動として知られる。そのほか大師堂に正観音立像があり、これは雷除の本尊とされる。『新編武蔵風土記稿』によれば、古くは与楽寺(田端、六阿弥陀詣の第4番)の末寺だったが、5代将軍綱吉の命により、大塚護持院(現護国寺)末となった。また寺号も長福寺だったが、9代将軍家重の幼名長福丸と同名であるのを憚り、無量寺と改称したという。
㉕西ヶ原一里塚
北区西ヶ原2-4-2先

西ヶ原一里塚。地元住民と渋沢栄一の運動により保存された。2012.12.10
西ヶ原一里塚は日光御成街道(本郷通り)の本郷追分につづく2つ目の一里塚。西ヶ原一里塚は、大正時代に道路改修工事で撤去されることになったが、地元住民と渋沢栄一などによる保存運動により撤去を免れた。それを記念して「西ヶ原一里塚二本榎保存之碑」が建つ。一里塚は、江戸幕府が主要街道の一里ごとに築かせた塚で、多くの場合、その上に榎の木が植えられた。現在の榎の木は、江戸時代のものが枯れた後、新たに植えたもの。
西ヶ原一里塚から本郷通りを王子方向へ200mほど歩くと飛鳥山公園で、渋沢史料館・北区飛鳥山博物館・紙の博物館がある。
⟹平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その11(前編)、(後編)
⟹平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その12(後編)
●主な参考文献
『東京の原風景』(川添登、ちくま学芸文庫)/『日本歴史地名大系13 東京都の地名』(平凡社)/妙義坂子育地蔵現地説明板(豊島区教育委員会)/『公園へ行こう』「旧古河庭園」(東京都公園協会HP)/無量寺現地説明板(北区教育委員会)/『新編武蔵風土記稿 第一巻』「巻十八 豊島郡之十岩淵領 西ヶ原村」、「巻十九 豊島郡之十一岩淵領 上駒込村」(雄山閣)/『北区の歴史と文化財』「国史跡西ヶ原一里塚」(北区飛鳥山博物館HP)
(ひらしま あきひこ)
・ 平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさきは毎月14日に更新します。
■平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月現在で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
駒込は「ときの忘れもの」がある<私たちの町>です。その魅力を平嶋彰彦の撮りおろした写真と文章で紹介するとともに、散策に便宜をはかり、案内地図(国土地理院のマップ使用)を用意しました。皆さまも「ときの忘れもの」にご来館されるさいには、ぜひとも足をのばし、駒込の街歩きを楽しんでみることをお薦めいたします
㉑JR駒込駅 → ㉒駒込妙義坂子育地蔵 → ㉓古河庭園 → ㉔無量寺 → ㉕西ヶ原一里塚

㉑JR駒込駅
豊島区駒込2-1

JR駒込駅。線路わきの土手につつじが植えられている。2022.05.03
1885(明治18)年、日本鉄道会社の品川―赤羽間が開通して、目白駅が設置。1903年、豊島線(現山手線)の目白—田端間が開通、このときに池袋・大塚・巣鴨駅が開業。駒込駅はそれより7年おくれ1910年に出来た。
駒込は江戸におけるつつじ栽培の発祥地である。現在JR駒込駅の土手に植えられているつつじは、川添登の『東京の原風景』によると、駅が誘致されたとき、高木孫右衛門家から寄贈され、それを植えたのが最初だという。高木家は、慶長年間(1596~1615)に駒込を開発した高木将監の子孫で、江戸時代には代々名主をつとめた。
その後、1928、29(昭和3、4)年ごろ、駅前の人力車夫や中里の植木屋からつつじ400株が寄贈された。さらに1956年、ちかくの菓子屋の中村清一氏がつつじの手入れを奉仕で始め、1960年には駒込つつじ保存会が作られたという。
㉒駒込妙義坂子育地蔵
豊島区駒込2-6-15

駒込妙義坂子育地蔵。左は交通事故の犠牲になったセーラー服の少女の供養碑。2020.11.18
本郷通りの妙義坂にある地蔵堂で子育て地蔵と呼ばれる。中央に祀られるのが子育て地蔵尊の立像で、(向かって)右は如意輪観音の座像。如意輪観音も子育ての守護仏で、とくに女性の信仰が篤かった。左の石塔は珍しいもので、セーラー服姿の少女2人を浮き彫りにしている。1933(昭和8)年にこの近くで交通事故があり、11歳の少女2名が犠牲になった。その霊を慰めるための供養碑である。現在の地蔵堂は2006(平成18)年の建立。旧地蔵堂は1945(昭和20)年の空襲で焼失したが、それまでは境内も70坪ほどあり、毎月24日の縁日になると夜店も出て、多くの参詣客でにぎわったという。
㉓旧古河庭園
北区西ヶ原1丁目

旧古河庭園。洋館と庭園はジョサイア・コンドルの設計。2012.12.10
旧古河庭園は古河財閥3代目当主の古河虎之助の邸宅と庭園として造られた。煉瓦造り、地上2階・地下1階の洋館は1917(大正6)年に竣工した。洋館と庭園はジョサイア・コンドルの設計。コンドルの設計したものはこのほか、鹿鳴館・ニコライ堂・三菱一号館・旧岩崎邸・綱町三井倶楽部など。日本庭園の作庭は七代目小川治兵衛(植治)。山縣有朋の京都別邸だった無鄰菴・平安神宮神苑・円山公園などを手がけた。和洋の技術が見事に調和した邸宅と庭園は、文化財保護法による国の名勝指定を受けている。
㉔無量寺
北区西ケ原1-34-8

無量寺。盗賊除けの「足止め不動」で知られる。江戸六阿弥陀詣の3番目。2012.12.10
真言宗豊山派の寺院。江戸六阿弥陀詣の第3番目。六阿弥陀詣は阿弥陀如来を祀る江戸の6ヶ寺を春秋の彼岸に参詣する庶民信仰の行事。無量寺本尊の不動明王像は阿弥陀如来坐像の右手に安置されている。この不動明王は盗賊除けの効験があり、足止め不動として知られる。そのほか大師堂に正観音立像があり、これは雷除の本尊とされる。『新編武蔵風土記稿』によれば、古くは与楽寺(田端、六阿弥陀詣の第4番)の末寺だったが、5代将軍綱吉の命により、大塚護持院(現護国寺)末となった。また寺号も長福寺だったが、9代将軍家重の幼名長福丸と同名であるのを憚り、無量寺と改称したという。
㉕西ヶ原一里塚
北区西ヶ原2-4-2先

西ヶ原一里塚。地元住民と渋沢栄一の運動により保存された。2012.12.10
西ヶ原一里塚は日光御成街道(本郷通り)の本郷追分につづく2つ目の一里塚。西ヶ原一里塚は、大正時代に道路改修工事で撤去されることになったが、地元住民と渋沢栄一などによる保存運動により撤去を免れた。それを記念して「西ヶ原一里塚二本榎保存之碑」が建つ。一里塚は、江戸幕府が主要街道の一里ごとに築かせた塚で、多くの場合、その上に榎の木が植えられた。現在の榎の木は、江戸時代のものが枯れた後、新たに植えたもの。
西ヶ原一里塚から本郷通りを王子方向へ200mほど歩くと飛鳥山公園で、渋沢史料館・北区飛鳥山博物館・紙の博物館がある。
⟹平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その11(前編)、(後編)
⟹平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき その12(後編)
●主な参考文献
『東京の原風景』(川添登、ちくま学芸文庫)/『日本歴史地名大系13 東京都の地名』(平凡社)/妙義坂子育地蔵現地説明板(豊島区教育委員会)/『公園へ行こう』「旧古河庭園」(東京都公園協会HP)/無量寺現地説明板(北区教育委員会)/『新編武蔵風土記稿 第一巻』「巻十八 豊島郡之十岩淵領 西ヶ原村」、「巻十九 豊島郡之十一岩淵領 上駒込村」(雄山閣)/『北区の歴史と文化財』「国史跡西ヶ原一里塚」(北区飛鳥山博物館HP)
(ひらしま あきひこ)
・ 平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさきは毎月14日に更新します。
■平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月現在で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
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