オノサト・トシノブ「ここはまったく語らぬもの、そしてそれを聞くことはいったい何であるか」

住田常生
(高崎市美術館学芸員)

 メモリアルイヤーを記念する群馬県桐生市の大川美術館「生誕110年 みんなのオノサト・トシノブ展」に続き、群馬県立近代美術館展示室5でも主に収蔵作品による「生誕110年 特集オノサト・トシノブ」が始まった。本文タイトルは、円と直線による1950年代終りからの「ベタ丸」への自問で、「それはただ明るさであり太陽と共に在るという生物としての感動の明るさに結びつく」とオノサトは答えている。その数年前、23歳上の清水七太郎が『自由美術』誌上で「詩人小野里君」と紹介した地平から、一歩も出なかった生涯という印象だ。

オノサト展2「初期作品 右から《染屋》(1932年)、《人と木と鳥(枯れ枝に鳥の…)》(1933年)、《長崎の船と倉庫》(1935年)、《はにわの人》(1939年)」

 現在、群馬県立近代美術館で展示中の油彩15点、水彩5点、版画11点からその地平、というより漣立つ水面に着水できるか、ともかく語り始めよう。桐生の染物屋を描く20歳の《染屋》で、確かな素描力や紫などの色使いに意気がうかがわれ、そのまま油彩を楽しめばよさそうだがすぐ「油絵らしさ」を嫌って、盟友、瑛九と桐生で水墨やコンテ素描を競作し、真岡で児童画公開審査に臨む。《はにわの人》(1939年)に丁寧な仕上げより素描を、児童画に通じる素朴を感じるゆえんと思う。

オノサト展3「右から《二つの円》(1957年)、《One circle》(1958年)、《無題》(1959年)、《WORK》(1966年)」

 戦地からシベリア抑留と7年の空白があり、展示も《二つのべた丸》(1956年)まで飛ぶ。「同じ大きさの「丸」を並べるということ、その事に感動があった。―それですべてである」と語る「ベタ丸」の着想は「一瞬のこと」(オノサト)。何も描写しないこと。丸と線が一体であること。色やかたち、線など人の目と手による新たな自然を、人と自然のあわいに「実在」させること。それらすべてを「ただ明るさ」と言い切る居合にも似た詩想こそ、オノサトの真実だ。
 翌年《二つの円》の頃からタイトルに丸とともに円も使うようになるのは、版画制作の影響かもしれない。リトグラフ(《59-B》1959年)やシルクスクリーン(《シルクNo.7》1967年)など版画のフラットな色面は、「丸い形は幾何学的な円よりも自由」というこだわりからオノサトを解き、油彩でもフリーハンドの丸より、フラットな色面を分割する円のスタイルを選んだのでは?
 塗りつぶした「ベタ丸」と線に話を戻すと、丸(円)以上に線の影が濃い。かつてオノサトは「線が現れます。これは民族のものです」と言っている。縦横についての言も考え併せると、次のようなことらしい。線は自然に在るものではなく、現れるもの。平面をただ縦横に走るものではなく、時間や意識さえ含む空間である、と。少し難しいが《二つの円》を見ると、まず線描で円、次いで縦横の線が引かれ、色彩では、線描とは逆に縦横の線の上に円が置かれるので、目は奥へ、手前へと絵画空間を浮き沈みする。また線そのものも経糸と緯糸のように、震えながら織りなされる。
 桐生だから織物のイメージか、との質問は退けたそうだが、幼少の「製糸工場のサナギのにおい」の記憶や、先の「民族のもの」という言葉を思えば、オノサトの線はいっそう深い記憶の織物かもしれない。そういえば構図も左右対称と言いつつ「絣足」というのか、絣模様のずれのように揺れがある。みずから蜘蛛になぞらえて「私も毎日新しい網を張らうとする」とも記す。ふと同じ群馬の山口薫の顔が浮び、つい同世代画家たちの線とも考え併せてしまう。戦争と抑留体験の虚ろを埋めるように、主題も余白もなく画面全体を線で織り、最上層の丸(円)の縁から虚ろを覗かざるをえない心の底には、国内外を問わず、戦中戦後の心象を引きずる線との共通体験もあろうかと。もちろんオノサトは、かように湿った自意識を持ち合わせなかったが、先の「ただ明るさ」という答えや、色彩を「色光」というわりに絵は仄暗いのだ。
 円がフラットな色面分割に半ば埋もれ、色の反作用で半ば浮かび上がる《作品》(1964年作、1966年第33回ヴェネツィア・ビエンナーレ出品)になると、線と色がきれぎれに広がり、いっそう深く浸みて仄かに明るみ出す。鎮まる画面はすでに、広がり深まる波紋を孕んでいる。《波紋の緑》(1968年)は詩そのもののタイトル。「波紋だ…」。傍らで見ていた人から思わずため息がもれた。そう、理性よりいっそう感性にあやなす波と、返す波との反射光を、目でなく心に波立たせるもの。それこそオノサトが触れた「民族のもの」という生活感情の琴線かもしれない。例えば「ハードエッジ」などという外来語の対極にあるふくよかな線、といえばよいか。「線のフォルム」という晩年の言葉を思い出す。矛盾しているようでいて、絵の前の私はうなずいている。色と色のせめぎ合いの向こうに潜むあわい。模様や図案の一歩前で作品を絵画にとどめるふくよかな虚ろ。同じ手順を繰り返し、きれぎれの原色を集め最晩年まで届く仄明かり……。
 同じ手順を繰り返す油彩に入る手前の素描なのか、《朱とブルー、緑の二つ丸》(1961年)、《63-C(極小の丸)》(1963年)などの水彩が含むふくよかさこそ、オノサト作品の向こうからもれる密かな光源かもしれない。「てすさび」を持ち込みはしないが「はじめからそれをもたないものを信じない」(オノサト)と。恐らくそれが詩人たるゆえん。さて、その水面の漣に、私はどうにか着水できただろうか。

(すみたつねお)

オノサト展4「右から《作品》(1964年)、《波紋の緑》(1968年)、《朱と緑の円》(1974年)、《黄色い二つの丸》(1975年)、《雷》(1976年)」

オノサト展1「展示室5入口から 奥の壁向かって右《作品》(1964年)、左《波紋の緑》(1968年)、手前左壁《12の丸》(1958年、水彩)」

オノサト展5「版画作品展示」

●コレクション展示生誕110年 特集オノサト・トシノブ
会期:2022年7月2日(土)から8月28日(日)
会場:群馬県立近代美術館
休館日:月曜日(ただし7月18日、8月15日は開館)、7月19日(火)
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*毎月3日は小松﨑拓男さんのエッセイ「松本竣介研究ノート」の掲載日ですが、著者の事情で6月~8月は休載し、9月から再開します。

*画廊亭主敬白
昨日は、岩手県の石神の丘美術館の齋藤桃子先生の寄稿、続いて本日は群馬県立近代美術館のオノサト・トシノブ展について、高崎市美術館の住田常生先生にレビューをご執筆いただきました。
昨日もお伝えしましたが、8月のブログでは東京都美術館のフィン・ユールとデンマークの椅子展、国立西洋美術館のル・コルビュジエ展、武蔵野美術大学美術館の「原弘と造形:1920年代の新興美術運動から」展、さらにスペインのマラガでの「東洋の夢・絹の宝物展」、国際芸術祭「あいち2022」などを、学芸員の皆さんやスタッフたちのレポートでご紹介します。

●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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