大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-

第4回 船が行く

佐藤圭多


祖父は船乗りだった。祖父の部屋にあった模型は、海の貴婦人とも呼ばれた海王丸という名の練習船で、祖父も商船学校時代にこの帆船に乗って航海を学んだ
「ジブラルタル海峡は、ほんとに怖いところだ」祖父の話を、小学生の僕は未だ見ぬヨーロッパの景色に重ねて聞いていた
 祖父の部屋には、帆船の模型があった。とても精巧な模型で、ガラスケースに入れて大切に飾られており、子供だった僕には近づくことさえ憚られた。装飾品とはおよそ無縁な家になぜそれがあったのかといえば、祖父は船乗りだったからだ。模型は、海の貴婦人とも呼ばれた海王丸という名の練習船で、祖父も商船学校時代にこの帆船に乗って航海を学んだ。
 日本郵船の船乗りになった祖父は、インド洋を回り紅海を通ってスエズ運河を超え、地中海に出てヨーロッパにも郵便物を届けた。「ジブラルタル海峡は、ほんとに怖いところだ」祖父の話を、小学生の僕は未だ見ぬヨーロッパの景色に重ねて聞いていた。
 大西洋を眺めていて、大きな帆船を見た。ゆったりと帆に風を孕ませて進むその姿は、高貴そのものだ。ポルトガルの有名な帆船といえばサグレスで、ビールの名前にまでなっている。リスボンのはるか南、ヨーロッパの最果てと呼ばれるサグレス岬がその名の由来である。ちなみに帆船に積まれる小舟のことをポルトガル語でbateira(バッテイラ)と言い、それがばってら(鯖の押し寿司)の語源だというから面白い。帆船サグレスはビールになり、小舟は海を渡って寿司になった。

ポルトガルの有名な帆船といえばサグレスで、ビールの名前にまでなっている
 「太平洋の水を汲んで、日本海に流してみよう」時間が無限にある学生時代、そんなことを思いついて友人2人と出掛けたことがある。東京湾の岸壁からペットボトルに紐を付けて下ろし、めいめい汲み上げた後は、車を走らせ一路北上。太平洋が後部座席でチャプチャプと音を立てる。一番近い日本海を目指し、富山の浜辺に着いた時にはすっかり日が暮れていた。人のいない夜の海に3人の男が膝まで入り、ペットボトルを開けて同時にひっくり返す。トボトボトボ。意味のないその儀式は、誰に記録されるでもなく数秒で終わったのだけれど、僕らはとても満足した。前人未到の偉業を成し遂げた気分だった。当たり前だが、日本海は太平洋を注がれても何一つ変わらない。海は果てしない。やっぱり果てしなかったのだ。

ともだちは海のにおい
 ちいさな なみがうまれても
 うみは よしよし
 おおきな なみがうまれても
 うみは よしよし
 なみが ないても よしよし
 なみが おこっても よしよし
 なみがわらえば とてもよしよし
 うみは なみ
 なみは うみ
 (工藤直子「ともだちは海のにおい」)

発見のモニュメント
 リスボンのベレン地区に「発見のモニュメント」という人気の観光スポットがある。高さ52mもある記念碑で、大航海時代の33名の偉人像がテージョ川から大西洋に乗り出さんとしている。ジェロニモス修道院の海側にあるこの場所から、未知の大陸を夢見て多くの猛者たちが出帆したと聞くと感慨深いものがある。記念碑にはインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマをはじめ、ブラジルを発見したカブラル、偉業をたたえた一大叙事詩を書いた詩人カモンイスや、鹿児島に来たイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの姿もある。そして先頭に立つ高さ7mの像がエンリケ航海王子だ。ポルトガル国王ジョアン1世の三男で、長男が王位を継いだため「王子」のままだったことからそう呼ばれる。航海王子だが実際航海に出たわけではなく、大陸が尽きて突風が荒れ狂うサグレスの地で、茫洋と広がる目の前の大西洋を見ながら、昼夜を分かたず航海術を研究し、天文を読み、地図を描き、造船研究所まで作って大航海時代の礎を築いたと言われる。

当時、海には”果て”があると考えられていた。
 当時、海には”果て”があると考えられていた。果てまで行くとその先の海は煮えたぎり、巨大な滝となっていて、二度と帰ることはできない。その”果て”と考えられていたのがアフリカ北西部(現在の西サハラ)にあるボハドール(ボジャドール、Boujdour)岬だ。ポルトガルから見ると、ボハドール岬より先のアフリカ大陸はギニア湾側に回り込んでいくので、はるか大西洋を越えてブラジルに突き当たるまで視線の先に大陸は無い。恐怖に駆られて逃げ帰ってくる家臣たちを幾度となく励まし、叱咤し、資金をつぎ込んで初めて岬の先に船を遣わせたのはエンリケである。アフリカ北岸の要所セウタの攻略で戦果を挙げ期待された王子が、突如サグレス岬に籠ってしまったのを見て、民衆は「海と結婚した」と噂したという。海の果てには魔物が棲むと言われた時代に、躍起になってボハドール岬を回らせようとしている王子の姿に、人々は眉をひそめたに違いない。それでもエンリケは諦めなかった。彼は真に科学者だったのだ。この男の孤独と狂気によって、大航海時代の幕は開けられた。

ポルトガルの海
 塩からい海よ お前の塩のなんと多くが ポルトガルの涙であることか
 我らがお前を渡ったため なんと多くの母親が涙を流し
 なんと多くの子が空しく祈ったことか
 (中略)
 ボハドールの岬を越えんと欲するならば
 悲痛もまたのり越えなければならぬ
 神は海に危難と深淵をもうけた
 だが神が大空を映したのもまたこの海だ
  (フェルナンド・ペソア「ポルトガルの海」池上岑夫訳)

海には始まりも終わりもなく、目にできるのはいつも途中の海である
 海には始まりも終わりもなく、目にできるのはいつも途中の海である。それは完成形にたどり着くまでの過程ではなく、永遠に途中だ。さかのぼれば始まりはあったのかもしれないが、僕は海の始まりを感覚的に捉えられない。いつでも広く、大きく、誰も見ていなくても横たわっているのが海で、目をやるたびに違う表情を見せる。時に大らかに、時に荒々しく、時に憂いを帯びて。昼下がり、リスボンから海沿いの街カスカイス行きの電車に乗っていて、そんなことを思った。左手の車窓が全面海になったのだ。気がつくと周りに座る多くの人たちが、何をするでもなく海を見ている。こころなしか日常が遠のいて、海と自分だけの、音のない世界。海を眺めるポルトガル人の顔は、美しい。

(さとう けいた)

■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。
SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰

・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は12月20日の予定です。