瑛九の銅版画と原版
小林美紀(宮崎県立美術館学芸課 主査)
1 銅版画の原版
銅版画の原版は、限定部数分を刷ると、版も摩耗するものであるし、傷を入れるなどして廃版処理することが多い。版が最適な状態を保っていれば、いくらでも刷ることはできるであろうが、実際には、プレス機にかけることが続けば、版はそれなりに傷んでくる。また、作者のあずかり知らぬところで増刷されれば不利益になる。そのような事情もあり、銅版画の原版が存在することはあまり一般的ではない。瑛九の場合は、ミヤ子夫人が保管しており、むしろほとんどが残っていた。現在大半は当館が所蔵しているが、おそらく何枚かは個人などに渡っているのではないかと推察できる(アトリエ資料として収蔵されたプレス機の中から出てきたこともある)。したがって、総数として何種類の銅版画を瑛九が制作したのか、正確な数はわかっていない。しかしながら、おおよその予測を立てることはできる。
宮崎県立美術館には、瑛九関連の銅版が285枚ある。そのうち作者が瑛九ではないと思われるものが7枚(ミヤ子夫人より寄贈された『EROTICA』の原版と同梱されていたもの。瑛九が講習会等で教えた人たちのものではないかとの記載あり。そのほとんどが試作のようで完成品ではない。)ある。したがって、瑛九作と思われる版は278枚であるが、そのうち作品として成立していると思われる原版は274枚あり、大半は後刷りの版画集に使用されたものである。両面に版があり、片面は南天子画廊が、もう片面は林グラフィックプレスが使用しているものや、特装版の画集封入用に使用された作品もある。両面ともに作品として使用されているのは74点である。片面のみが作品として成立しているものは200枚あるが、両面に絵柄はあるものの未腐食のままであったり、腐食が中途半端で終了していたり、大判サイズの別の作品の原版を切って再利用しているため、裏面は作品になっていないものもある。また、片面には何も絵柄がなく、もう片面は別の作品を切り分けた切れ端のままのものが4枚ある。(下図は参考例)
私家版※1に掲載してある、1953年に制作したNo.101「ゴーストップ」(限定3部)の原版を翌年さらに加筆し、No.145「シグナルA」(限定2部)を制作している。その原版はカットしており、一部は裏面を他の版に使用している。不明板は片面に浅い傷くらいしかついていない。「ゴーストップ」(のちの「シグナルA」)の原版は瑛九によって切られているため、後刷りには含まれていない。
印刷はできる状態であるものの、形を切り取った版(便宜上うさぎ型とする)など、私家版や後刷りの目録に掲載されていない版もある。未腐食(というよりも腐食が浅い)ものや、もともとは別の大きな版画の原版を切って使っているものもあり、作品としては存在していないと思われるものがある。これらは、後刷りの版画集『SCALE』Ⅳの中で、カタログ掲載の資料として刷られているものも含まれるが、掲載分の画像しかなく、印刷されたそのものはない。
"※1 ミヤ子夫人が1962年に作成した私家版の銅版画写真集(限定10部との記載あり・掲載作品数229点)アルバムにはm.sugitaとサインがあるが、瑛九の兄である杉田正臣も同じ表記になる。瑛九とは実質的に籍を入れていなかったミヤ子夫人は本来、谷口姓であるが、当時は名前に漢字をあて、杉田都と表記することが多かった。
2 宮崎県立美術館所蔵の銅版画
現在、宮崎県立美術館に作品として登録してある瑛九の銅版画は434点である。そのうち、いわゆる後刷りの作品は、南天子画廊の発刊である瑛九原作銅版画集1~5に収録されている50点と、林グラフィックプレスの発刊した瑛九銅版画集『SCALE』Ⅰ~Ⅴに収録されている255点、当館所蔵の作品とはエディションが異なるが、寄贈等により単品で収蔵され、重複している作品が12点ある。したがって、後刷りとして収蔵されているものは合わせて317点である。当館所蔵の南天子画廊の作品はエディションが45/50、林グラフィックプレスものは7/60(原版の状態によっては母数が10、45のものがある)であり、いずれもスタンプサインが入っている。この時に使用されたサインスタンプ(林グラフィックプレス作成)も当館に収蔵されている。
また、2つの後刷り版画集以外に、瑛九自身の版画集や、他者の詩集に収録したものが28点ある。内訳は、富松良夫の詩集『黙示』に収録された1点、版画集『スフィンクス』に1点、版画集『小さい悪魔』に6点、詩集『宇宙塵』に2点、『EROTICA』1及び2に18点である。
さらに、後刷り以外の作品が89点あるが、後刷り以外がすべて自刷りであるとはいえない。当館所蔵の資料の中にも池田満寿夫による試し刷りの版画があったり、瑛九のアトリエで銅版画の刷りの手伝いをしていたことがある湯浅英夫(宮崎)のような人物もいたりするため、サインや裏書きなどがなければ判別は難しい。現況、瑛九の銅版画のレゾネは作られていない。
瑛九は石版画(リトグラフ)にも熱心に取り組み、実に多くの作品を制作している。石版画については、福井県の木水育男が瑛九から143枚の石版画を購入(1958年4月18日付木水宛瑛九書簡 ※『瑛九からの手紙』に掲載)しているが、その時の書簡によると瑛九本人がまとめたところ1枚不明とのことで、1958年の4月の時点では全144枚となっている。1974年に原田勇と堀栄治が編集し、瑛九の会が出版した「石版画総目録」では158点である。これは本間美術館が作成した石版画写真集(1962年作成。限定10部。こちらの掲載作品は1956~58年の作品で、総数は149点となっている。瑛九自身が、1958年に福井県武生市で開催された瑛九石版画展のために作成したリストを参照している。)が、基礎資料としてあげられ、その後の調査で加えたもの(「実験のとき」として、エッチングプレス機で刷られた1951年作の6点が加えられている。)の総数である。しかしながら当館所蔵の作品にはエディションが異なる作品も存在しており、目録の部数と合わないものや、未掲載の作品もあった。石版画については原版がほとんど残っておらず、瑛九がアトリエで使用していたリトプレス機も瑛九の没後、他の人に引き取られており、現物を見ることはできない。
瑛九自身が、石版画の時と同じように自分の銅版画をまとめた一覧表などがあればよいが、残念ながら明確な記録はない。後刷りの作品(2つの版画集を合わせて当館所蔵の作品は305点)及びそれに掲載していない版画集『EROTICA』(1、2合わせて18点)などの数を足すと少なくとも350点ほどの銅版画の存在が明らかになってくる。私家版には1951年~58年までに制作された229点の作品が掲載されており、限定部数が記載されているものもあれば、記載されていないものもある。後刷りの作品のデータ整理は、この私家版が元になっている。なお、瑛九・銅版画集『SCALE』には、私家版に未掲載の作品については、ミヤ子夫人に推定の制作年及び題名を付けてもらったと記載がある。
「みづゑ」(1955年、596号)に掲載された文章や、山田光春の著書「瑛九 評伝と作品」によれば、瑛九が銅版画に興味を持ったのは少年時代であり、当時銅版画を試みようと技法書を読むも、専用のプレス機が必要であることがわかり挫折している。その頃の瑛九の経験といえば木版画くらいで、ばれんで刷るくらいにしか思っていなかったのである。その後、久保貞次郎の家にて、二人で古い銅版画の技法書と格闘しながら、銅版画らしきものを制作したことを述懐している。最初のエッチングプレス機は、1949年の11月に久保貞次郎から宮崎の丸島町に送ってもらった緑色に塗装されたプレス機であり、制作がそこから始まっている。この緑色のプレス機と思われるものは、現在海外にあるようで、2021年に「生誕110年記念瑛九展 -Q Ei 表現のつばさ-」を開催した時に、展覧会場を訪れたご婦人から該当する写真を見せていただいた。確かに緑色のものであった。アトリエに残っていた小さなエッチングプレス機(湯浅英夫撮影の写真などに写っているもの)は現在宮崎県立美術館が所蔵している。
サインもエディションナンバーも入っている作品が3点、サインとA.Pが3点、サインのみのものが37点ある。サインもエディションナンバーも入っていないものが46点であるが、そのうち裏面に鉛筆書きでタイトル等が記載されているものが7点ある。したがって、自刷りとはっきり断定できない(具体的記載等なく、根拠がない)ものが39点である。ただし、それらの作品は、購入や寄贈の大半がミヤ子夫人や親族であることから、ほとんどは自刷りのものであると考える。
3 原版と作品と
宮崎県立美術館では、南天子画廊版と林グラフィックプレス版の後刷り版画集はすべて収蔵しているため、自刷りのものと重複して収蔵している作品がある。後刷りの作品自体も同様に一部重複している。また、池田満寿夫による原作銅版画集の試し刷り(資料として所蔵しているだけで展示等は行っていない)もある。それらの作品と私家版の銅版画写真集及び原版を照合させていくと、下に示すような作品があった。
2021年に開催した「生誕110年記念瑛九展」では、作品とともに所蔵している原版の一部や、実際に使用していたエッチングプレス機、各種道具類、アトリエ資料としての『SCALE』や私家版の銅版画写真集及び石版画写真集も展示している。また、コレクション展においても、アトリエ資料や山田光春アーカイヴ、書籍などを作品とともに紹介しており、毎回ではないが銅版画に合わせて原版も見比べることができるよう工夫している。
一部であるが、原版と実際の作品を見比べてみる。
P-72には、左下に ED 4/10 、右下にサインと制作年が記入してあり、裏面には左上に丸囲いで56、「No.198 白サギ」とペン書き、左下に45と鉛筆書きがある。私家版掲載のものも限定10部とあるので記入事項と合致する。左下の45については何の数字かは不明。P-1835には表裏ともに署名等は記載されていない。したがって、記載情報によっての決め手には欠ける。ただし、この作品を含めた数点の寄贈であり、いずれも実妹の所蔵品であることから、瑛九による作品であると考える。また、私家版の写真画像を見ると、差異はほとんどないように思われる。
後刷りの作品(南天子画廊発刊の「瑛九原作銅版画集5 風車」に収録)は題名が「白さぎ」とひらがなになっているが、同柄である。原作銅版画集は池田満寿夫が刷りを担当している。ただし、こちらの作品は「瑛九原作銅版画集総目録」において1955年作と記載されているが、私家版では1956年となっており、年記もあることから、1956年の方が正しいと考える。
(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
□ 2022年度 宮崎県立美術館 第3期コレクション展案内

2023年1月17日(火)~4月4日(火) 観覧無料
昨年度収蔵した『1947年国際シュルレアリスム展』カタログから、ヴィクトル・ブラウネルやイヴ・タンギー、ジャン・アルプらの版画を初公開する。また、宮崎出身の塩月桃甫や益田玉城などの、春のはなやぎを感じさせる作品や、山内多門の作品を紹介する。さらに、イタリアの彫刻家であるボナノッテの、詩や小説をモティーフにしたレリーフ作品『連続』を素描とともに展示。瑛九展示室では、フォト・デッサンや銅版画など、モノトーンで表現した作品にスポットを当てる。併せて今回の話題で取り上げた銅版画の原版の一部も作品とともに見ることができるので、乞うご期待。
*画廊亭主敬白
瑛九をメイン作家とするときの忘れものですが、長年市場を混乱させてきた「銅版画の後刷り問題」があり敢えて展示の機会をつくってきませんでした。昨秋の「第31回瑛九展」で久しぶりに瑛九の銅版画自刷りを特集展示しました。
瑛九はいったい銅版画をどのくらい制作したのか。
自刷りの銅版画は果たして何部くらい刷ったのか。
美術館はもとより、市場でも高い評価を獲得してきた瑛九ですが、銅版画についてはレゾネも無く、詳細はいまだに霧の中です。
瑛九の銅版画を数多く所蔵し、またご遺族から銅版の原版の寄贈を受けた宮崎県立美術館の学芸員・小林美紀先生は長い間、所蔵作品の調査、研究にあたってこられました。
その成果の一端を、このたびご寄稿いただき、瑛九ファンの端くれとして深い感謝と敬意を表する次第です。ありがとうございました。
「俺も瑛九のアトリエでフォトデッサンの作り方など教えてもらった」、先日亡くなられた磯崎新先生(大分出身)から、夜行列車の車中で偶然加藤正先生(瑛九と同じ宮崎出身)と知り合い、加藤先生に連れられて浦和の瑛九のアトリエを訪ねたときのことを伺ったことがありました。もっと詳しく聞いておけばよかったと悔やまれます。
●本日のオススメは瑛九のエッチングです。
瑛九
《白い角》
1954年
銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:23.6×18.2cm
シートサイズ:36.8×25.7cm
Ed.25
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
小林美紀(宮崎県立美術館学芸課 主査)
1 銅版画の原版
銅版画の原版は、限定部数分を刷ると、版も摩耗するものであるし、傷を入れるなどして廃版処理することが多い。版が最適な状態を保っていれば、いくらでも刷ることはできるであろうが、実際には、プレス機にかけることが続けば、版はそれなりに傷んでくる。また、作者のあずかり知らぬところで増刷されれば不利益になる。そのような事情もあり、銅版画の原版が存在することはあまり一般的ではない。瑛九の場合は、ミヤ子夫人が保管しており、むしろほとんどが残っていた。現在大半は当館が所蔵しているが、おそらく何枚かは個人などに渡っているのではないかと推察できる(アトリエ資料として収蔵されたプレス機の中から出てきたこともある)。したがって、総数として何種類の銅版画を瑛九が制作したのか、正確な数はわかっていない。しかしながら、おおよその予測を立てることはできる。
宮崎県立美術館には、瑛九関連の銅版が285枚ある。そのうち作者が瑛九ではないと思われるものが7枚(ミヤ子夫人より寄贈された『EROTICA』の原版と同梱されていたもの。瑛九が講習会等で教えた人たちのものではないかとの記載あり。そのほとんどが試作のようで完成品ではない。)ある。したがって、瑛九作と思われる版は278枚であるが、そのうち作品として成立していると思われる原版は274枚あり、大半は後刷りの版画集に使用されたものである。両面に版があり、片面は南天子画廊が、もう片面は林グラフィックプレスが使用しているものや、特装版の画集封入用に使用された作品もある。両面ともに作品として使用されているのは74点である。片面のみが作品として成立しているものは200枚あるが、両面に絵柄はあるものの未腐食のままであったり、腐食が中途半端で終了していたり、大判サイズの別の作品の原版を切って再利用しているため、裏面は作品になっていないものもある。また、片面には何も絵柄がなく、もう片面は別の作品を切り分けた切れ端のままのものが4枚ある。(下図は参考例)
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「白い道」の一部と思われる版 | (私家版画像) |
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「一人ぼっち」の一部と思われる版 | (私家版画像) |
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「シグナルA」の版の一部 | (私家版画像) | (私家版画像) |
私家版※1に掲載してある、1953年に制作したNo.101「ゴーストップ」(限定3部)の原版を翌年さらに加筆し、No.145「シグナルA」(限定2部)を制作している。その原版はカットしており、一部は裏面を他の版に使用している。不明板は片面に浅い傷くらいしかついていない。「ゴーストップ」(のちの「シグナルA」)の原版は瑛九によって切られているため、後刷りには含まれていない。
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↑印刷したものがない | ↑資料253風花 |
印刷はできる状態であるものの、形を切り取った版(便宜上うさぎ型とする)など、私家版や後刷りの目録に掲載されていない版もある。未腐食(というよりも腐食が浅い)ものや、もともとは別の大きな版画の原版を切って使っているものもあり、作品としては存在していないと思われるものがある。これらは、後刷りの版画集『SCALE』Ⅳの中で、カタログ掲載の資料として刷られているものも含まれるが、掲載分の画像しかなく、印刷されたそのものはない。
"※1 ミヤ子夫人が1962年に作成した私家版の銅版画写真集(限定10部との記載あり・掲載作品数229点)アルバムにはm.sugitaとサインがあるが、瑛九の兄である杉田正臣も同じ表記になる。瑛九とは実質的に籍を入れていなかったミヤ子夫人は本来、谷口姓であるが、当時は名前に漢字をあて、杉田都と表記することが多かった。
2 宮崎県立美術館所蔵の銅版画
現在、宮崎県立美術館に作品として登録してある瑛九の銅版画は434点である。そのうち、いわゆる後刷りの作品は、南天子画廊の発刊である瑛九原作銅版画集1~5に収録されている50点と、林グラフィックプレスの発刊した瑛九銅版画集『SCALE』Ⅰ~Ⅴに収録されている255点、当館所蔵の作品とはエディションが異なるが、寄贈等により単品で収蔵され、重複している作品が12点ある。したがって、後刷りとして収蔵されているものは合わせて317点である。当館所蔵の南天子画廊の作品はエディションが45/50、林グラフィックプレスものは7/60(原版の状態によっては母数が10、45のものがある)であり、いずれもスタンプサインが入っている。この時に使用されたサインスタンプ(林グラフィックプレス作成)も当館に収蔵されている。
また、2つの後刷り版画集以外に、瑛九自身の版画集や、他者の詩集に収録したものが28点ある。内訳は、富松良夫の詩集『黙示』に収録された1点、版画集『スフィンクス』に1点、版画集『小さい悪魔』に6点、詩集『宇宙塵』に2点、『EROTICA』1及び2に18点である。
さらに、後刷り以外の作品が89点あるが、後刷り以外がすべて自刷りであるとはいえない。当館所蔵の資料の中にも池田満寿夫による試し刷りの版画があったり、瑛九のアトリエで銅版画の刷りの手伝いをしていたことがある湯浅英夫(宮崎)のような人物もいたりするため、サインや裏書きなどがなければ判別は難しい。現況、瑛九の銅版画のレゾネは作られていない。
瑛九は石版画(リトグラフ)にも熱心に取り組み、実に多くの作品を制作している。石版画については、福井県の木水育男が瑛九から143枚の石版画を購入(1958年4月18日付木水宛瑛九書簡 ※『瑛九からの手紙』に掲載)しているが、その時の書簡によると瑛九本人がまとめたところ1枚不明とのことで、1958年の4月の時点では全144枚となっている。1974年に原田勇と堀栄治が編集し、瑛九の会が出版した「石版画総目録」では158点である。これは本間美術館が作成した石版画写真集(1962年作成。限定10部。こちらの掲載作品は1956~58年の作品で、総数は149点となっている。瑛九自身が、1958年に福井県武生市で開催された瑛九石版画展のために作成したリストを参照している。)が、基礎資料としてあげられ、その後の調査で加えたもの(「実験のとき」として、エッチングプレス機で刷られた1951年作の6点が加えられている。)の総数である。しかしながら当館所蔵の作品にはエディションが異なる作品も存在しており、目録の部数と合わないものや、未掲載の作品もあった。石版画については原版がほとんど残っておらず、瑛九がアトリエで使用していたリトプレス機も瑛九の没後、他の人に引き取られており、現物を見ることはできない。
瑛九自身が、石版画の時と同じように自分の銅版画をまとめた一覧表などがあればよいが、残念ながら明確な記録はない。後刷りの作品(2つの版画集を合わせて当館所蔵の作品は305点)及びそれに掲載していない版画集『EROTICA』(1、2合わせて18点)などの数を足すと少なくとも350点ほどの銅版画の存在が明らかになってくる。私家版には1951年~58年までに制作された229点の作品が掲載されており、限定部数が記載されているものもあれば、記載されていないものもある。後刷りの作品のデータ整理は、この私家版が元になっている。なお、瑛九・銅版画集『SCALE』には、私家版に未掲載の作品については、ミヤ子夫人に推定の制作年及び題名を付けてもらったと記載がある。
「みづゑ」(1955年、596号)に掲載された文章や、山田光春の著書「瑛九 評伝と作品」によれば、瑛九が銅版画に興味を持ったのは少年時代であり、当時銅版画を試みようと技法書を読むも、専用のプレス機が必要であることがわかり挫折している。その頃の瑛九の経験といえば木版画くらいで、ばれんで刷るくらいにしか思っていなかったのである。その後、久保貞次郎の家にて、二人で古い銅版画の技法書と格闘しながら、銅版画らしきものを制作したことを述懐している。最初のエッチングプレス機は、1949年の11月に久保貞次郎から宮崎の丸島町に送ってもらった緑色に塗装されたプレス機であり、制作がそこから始まっている。この緑色のプレス機と思われるものは、現在海外にあるようで、2021年に「生誕110年記念瑛九展 -Q Ei 表現のつばさ-」を開催した時に、展覧会場を訪れたご婦人から該当する写真を見せていただいた。確かに緑色のものであった。アトリエに残っていた小さなエッチングプレス機(湯浅英夫撮影の写真などに写っているもの)は現在宮崎県立美術館が所蔵している。
サインもエディションナンバーも入っている作品が3点、サインとA.Pが3点、サインのみのものが37点ある。サインもエディションナンバーも入っていないものが46点であるが、そのうち裏面に鉛筆書きでタイトル等が記載されているものが7点ある。したがって、自刷りとはっきり断定できない(具体的記載等なく、根拠がない)ものが39点である。ただし、それらの作品は、購入や寄贈の大半がミヤ子夫人や親族であることから、ほとんどは自刷りのものであると考える。
3 原版と作品と
宮崎県立美術館では、南天子画廊版と林グラフィックプレス版の後刷り版画集はすべて収蔵しているため、自刷りのものと重複して収蔵している作品がある。後刷りの作品自体も同様に一部重複している。また、池田満寿夫による原作銅版画集の試し刷り(資料として所蔵しているだけで展示等は行っていない)もある。それらの作品と私家版の銅版画写真集及び原版を照合させていくと、下に示すような作品があった。
2021年に開催した「生誕110年記念瑛九展」では、作品とともに所蔵している原版の一部や、実際に使用していたエッチングプレス機、各種道具類、アトリエ資料としての『SCALE』や私家版の銅版画写真集及び石版画写真集も展示している。また、コレクション展においても、アトリエ資料や山田光春アーカイヴ、書籍などを作品とともに紹介しており、毎回ではないが銅版画に合わせて原版も見比べることができるよう工夫している。
一部であるが、原版と実際の作品を見比べてみる。
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「白サギ」(P-72) | 「白サギ」(P-1835) | 「白さぎ」(P-60) ※後刷り(南天子画廊版) |
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(原版) | ※画像の線を強調加工したもの | ※私家版の画像 |
P-72には、左下に ED 4/10 、右下にサインと制作年が記入してあり、裏面には左上に丸囲いで56、「No.198 白サギ」とペン書き、左下に45と鉛筆書きがある。私家版掲載のものも限定10部とあるので記入事項と合致する。左下の45については何の数字かは不明。P-1835には表裏ともに署名等は記載されていない。したがって、記載情報によっての決め手には欠ける。ただし、この作品を含めた数点の寄贈であり、いずれも実妹の所蔵品であることから、瑛九による作品であると考える。また、私家版の写真画像を見ると、差異はほとんどないように思われる。
後刷りの作品(南天子画廊発刊の「瑛九原作銅版画集5 風車」に収録)は題名が「白さぎ」とひらがなになっているが、同柄である。原作銅版画集は池田満寿夫が刷りを担当している。ただし、こちらの作品は「瑛九原作銅版画集総目録」において1955年作と記載されているが、私家版では1956年となっており、年記もあることから、1956年の方が正しいと考える。
(こばやし みき)
■小林美紀(こばやし みき)
1970年、宮崎県生まれ。1994年、宮崎大学教育学部中学校教員養成課程美術科を卒業。宮崎県内で中学校の美術科教師として教壇に立つ。2005年~2012年、宮崎県立美術館学芸課に配属。瑛九展示室、「生誕100年記念瑛九展」等を担当。2012年~2019年、宮崎大学教育学部附属中学校などでの勤務を経て、再び宮崎県立美術館に配属、今に至る。
□ 2022年度 宮崎県立美術館 第3期コレクション展案内

2023年1月17日(火)~4月4日(火) 観覧無料
昨年度収蔵した『1947年国際シュルレアリスム展』カタログから、ヴィクトル・ブラウネルやイヴ・タンギー、ジャン・アルプらの版画を初公開する。また、宮崎出身の塩月桃甫や益田玉城などの、春のはなやぎを感じさせる作品や、山内多門の作品を紹介する。さらに、イタリアの彫刻家であるボナノッテの、詩や小説をモティーフにしたレリーフ作品『連続』を素描とともに展示。瑛九展示室では、フォト・デッサンや銅版画など、モノトーンで表現した作品にスポットを当てる。併せて今回の話題で取り上げた銅版画の原版の一部も作品とともに見ることができるので、乞うご期待。
*画廊亭主敬白
瑛九をメイン作家とするときの忘れものですが、長年市場を混乱させてきた「銅版画の後刷り問題」があり敢えて展示の機会をつくってきませんでした。昨秋の「第31回瑛九展」で久しぶりに瑛九の銅版画自刷りを特集展示しました。
瑛九はいったい銅版画をどのくらい制作したのか。
自刷りの銅版画は果たして何部くらい刷ったのか。
美術館はもとより、市場でも高い評価を獲得してきた瑛九ですが、銅版画についてはレゾネも無く、詳細はいまだに霧の中です。
瑛九の銅版画を数多く所蔵し、またご遺族から銅版の原版の寄贈を受けた宮崎県立美術館の学芸員・小林美紀先生は長い間、所蔵作品の調査、研究にあたってこられました。
その成果の一端を、このたびご寄稿いただき、瑛九ファンの端くれとして深い感謝と敬意を表する次第です。ありがとうございました。
「俺も瑛九のアトリエでフォトデッサンの作り方など教えてもらった」、先日亡くなられた磯崎新先生(大分出身)から、夜行列車の車中で偶然加藤正先生(瑛九と同じ宮崎出身)と知り合い、加藤先生に連れられて浦和の瑛九のアトリエを訪ねたときのことを伺ったことがありました。もっと詳しく聞いておけばよかったと悔やまれます。
●本日のオススメは瑛九のエッチングです。

《白い角》
1954年
銅版(作家自刷り)
イメージサイズ:23.6×18.2cm
シートサイズ:36.8×25.7cm
Ed.25
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
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