葉栗剛--ドメスティックな木彫をとりもどす

山下裕二
(明治学院大学教授 2019年執筆)

 私はここ10年ほど、葉栗剛がつくりだす異形の木彫像に注目してきた。最初に見たのはたしか、2008年に開催されたアートフェア東京においてだったと思う。その後、彼は2013年には私が審査員をつとめる岡本太郎現代芸術賞展に入賞し、その作品は川崎市岡本太郎美術館に展示され、一般観客から大きな支持を集めた。

 しかし最近まで、葉栗本人と詳しく話す機会はなかったのだが、東京のギャラリー、ときの忘れもので開かれた個展を機に、あらためて彼から話を聞くことができた。2019年の6月のことである。そしてその後、彼の過去の作品に関する資料も通覧することができて、いま、このテキストを書いている。

 葉栗剛は1957年、愛知県生まれ。私より一歳年上の、ほぼ同世代である。彼は1984年に愛知県立芸術大学大学院を修了しているから、70年代後半から80年代前半にかけて、美術大学でアカデミックな彫刻の教育を受けてきたわけである。大学の卒業制作、修了制作の画像を見れば、西洋的な彫刻の作法に基づく、ある程度リアルな、こう言っては失礼かもしれないが、凡庸な裸体像である。

 ここで私は、日本の彫刻史における、裸体像の問題に思いをめぐらせてしまう。明治以降、新たなアカデミックな規範としての西洋彫刻がもたらされるまで、日本には裸体像をつくる伝統は、まったくと言っていいほどなかった。

 日本人が「ひとがた」をつくる行為の原点である、縄文時代の土偶には乳房や局部も表現されているから、それは裸体ではないか、という人もいるかもしれない。だが、西洋的な「ヌード」とはまったく異なる。死と再生にまつわる呪術に用いられた土偶の造形には、現実の人間を再現的に表そうとする意思はほとんどない。

 古墳時代の埴輪にも裸体表現はまったく見られないし、飛鳥時代に仏教が伝来して以降、日本の彫刻史はほぼ仏教美術一色となるが、そこでも裸体表現はほとんどない。数少ない例外としては、平安時代以降量産された金剛力士像、仁王像においては、筋骨隆々たる上半身が裸体として表されるのであるが、これとてもちろん、下半身は着衣である。

 そういえば、葉栗にインタビューした6月11日、私はその直後に東京藝術大学に行って、修復を終えたばかりの茨城県の寺院が所蔵する「金剛力士像(吽行)」を見る機会があったのだが、この1000年ほども前につくられた仏像と、今回のアートフェアに出品される葉栗の「男気(阿・吽)」、「紋々力士像(阿・吽)」が、なんだか重なって見えた。

haguri_aun男気・阿》H230×W70×D60cm
男気・吽》H200×W90×D80cm
2019
木彫 楠木、アクリル
サインあり

haguri_monmon-aun紋紋力士像・阿》H100×W50×D60cm
紋紋力士像・吽》H98×W50×D60cm
2019
木彫 楠木、アクリル
サインあり

 口を開いているのが「阿」で、口を結んでいるのが「吽」。息の合った二人を示す「阿吽の呼吸」という言葉は日本人なら誰でも知っている。この葉栗による一対の人物像は、もちろん仏像を意識したある種のパロディーなのである。葉栗本人は、仏像のことはさほど意識していないと言うが、私にはどうしても重なって見えるのである。

 さて、江戸時代まで、日本にはきわめて高度な木彫の技術に基づく仏教彫刻の伝統がしっかり受け継がれてきた。しかし、明治時代になってから、いわゆる仏師の仕事は「職人仕事」として蔑まれ、「美術」という範疇から追い出されてしまった。

 明治を代表する彫刻家として知られる高村光雲は、もともと職人的な仏師の出だが、東京美術学校教授となり、いわば無理矢理「彫刻家」に転身させられたようなものではないか。そして、光雲の息子である高村光太郎は、オーギュスト・ロダンにかぶれて、以後、日本の彫刻が西洋への追随一辺倒になる原因をつくった諸悪の根源ではないか。私は日本近代の彫刻史について、そんな暴論とも思われかねない意見を持っている。

 葉栗は、そんな不毛な日本近代の彫刻史を引きずった教育を受けるところからスタートして、徐々に、ほんとうに自分がつくりたいものとはなにかと考え、等身大の表現を志向するようになった作家だと思う。90年代のミュージシャンの群像のシリーズでは、さまざまな楽器を持った人物が、陽気に演奏している。だが、ここでも裸体。私から言わせれば、服を着せればいいのに、と思う。

 だがその後、90年代終わりごろから制作される、いわゆるヤンキーをかたどった作品では、しっかり服が着せられることとなる。ヤンキー・・・この言葉の意味を海外の人に説明するのはほんとうに難しい。1970年代頃から、大阪を震源地として使われるようになった言葉で、リーゼントヘアにラッパズボン、革ジャン、といった出で立ちの不良少年たちを指す言葉なのだが、葉栗はそうした誰も彫刻として造形しようとは思わなかった風俗を題材としたのである。ここに至って、彼はもう完全にアカデミズムから脱して、自分が面白いものをつくる、というふうに腹を括ったんだと思う。

haguri_16たびだち I
2009年
楠、アクリル彩色
H153.0cm
写真:二塚一徹

 そして、2010年代に入ると、今回の出品作に直接つながる、堂々たる体躯の刺青をまとった人物が登場するようになる。葉栗の彫刻は、裸体からスタートして、徐々に服を着せていって、そして裸体でも着衣でもない、刺青という表皮を獲得した。そしてその体型も、かなりリアルなものから、極端なデフォルメを経て、彼なりにイメージを煮詰めた末に、葉栗ならではの、ひょっとして自らの今の姿形も意識したかたちに落ちついたんだと思う。

 さて、葉栗の作品を際立たせている精緻な刺青は、アシスタントである長崎美希が描いている。今回の出品作に施された龍、鯉、牡丹などの、伝統的な刺青の模様は、数年前の作品に比べて、飛躍的にクオリティーが上がっている。おそらく長崎は、刺青の歴史を周到に研究したのだと思う。彩色された肌の上にではなく、白木に直接描くには、さまざまな試行錯誤を経なくては、こうはうまくいかない。見事なものだと感嘆した。そして、6月にインタビューしたときに長崎にもはじめて会ったが、こんなに若い、おとなしそうな女性が、この刺青を描いているのかと思って驚いた。

 刺青に対する意識は、日本と欧米とで大きな差がある。欧米ではスポーツ選手などが手足や胸、首などにびっしりと刺青を入れているのはもはや当たり前だが、日本はそうではない。先日、区民プールに行ったら、「刺青、タトゥーが見える人は入れません」という大きな看板があって、最近ではむしろそんな規制が厳しくなっていることに驚いた。

 いわゆる和彫りの刺青は、欧米のちょっとしたタトゥーなどとは比べものにならない、高度な技術に基づくものである。幕末に大人気だった歌川国芳の武者絵を見てもらいたい。明治以降も国芳の弟子達によって、刺青を浮世絵に描く系譜は受け継がれたが、谷崎潤一郎が「刺青」という素晴らしい小説を書いたころから、皮肉なことに犯罪者の印という烙印を押されるようになってしまった。長崎には、今後も刺青の歴史を研究してもらって、さらに精緻で魅力的な表皮をまとわせてもらいたいと思う。

 仏師による職人的な木彫の技術も、市井の彫師による刺青の技術も、明治以降の「近代化」という嘘くさいテーゼによって、アカデミズムとしての「美術」から遠い地点に追いやられて、100年あまりの時間が経ってしまった。だが、その命脈は完全に絶えたわけはなく、復権させようとする機運はたしかにある。葉栗剛は、ドメスティックな木彫をとりもどすために重要な仕事をしている作家だと思う。海外の人のほうが、かえってそのことを理解してくれるかもしれない。
やました ゆうじ

*画廊亭主敬白
本日21日は祝日ですが、ときの忘れものは開廊しています。近くの有名古書店「BOOKS 青いカバ」さんも開店していますので、どうぞお出かけください。
山下裕二先生の論考は、2019年にアメリカで開催した「ART MIAMI 2019 葉栗剛展」の折にご寄稿いただいたものです。掲載した下記のカタログは大好評で完売となってしまいましたので、再録します。
1573629138118『Exhibition 葉栗剛展 Haguri Takeshi Exhibition』図録
2019年
ときの忘れもの発行
A5 24P
執筆:山下裕二(明治学院大学教授)
図版:約12点掲載
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)、新澤悠(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Miller Waku
SOLD

葉栗先生の作品は海外のアートフェアでは圧倒的な人気なので、英文併記のカタログは必須です。ときの忘れもの史上初のカタログ増刷となるかも。
IMG_0886人気といえば、画廊の直ぐ傍の六義園は連日長蛇の行列です。
六義園の桜が見ごろで大賑わいですが、すぐ近くのときの忘れものの葉栗剛展の桜吹雪も満開です。25日まで連休も休まず開廊しています。どうぞお出かけください。>とtwitterでつぶやいたらいつもの10倍のアクセスがありました(笑)。

IMG_0881庭内の一角にひっそりと何やら謎のオブジェが・・・ 周囲を見回しても何の説明も無い。

<画廊の方の桜吹雪>
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◆「葉栗剛 新作展
会期:2023年3月14日(火)~3月25日(土)*会期中無休
本日21日(火曜、祝日)は開廊しています。

*出品全作品のデータは3月9日ブログをご参照ください。価格についてはメールにてお問合せください。
葉栗先生は3月24日(金)と25日(土)に在廊します。
葉栗剛展DM表面1280葉栗剛展DM宛名面1280



●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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