王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥第27回」
TOTOギャラリー・間「ドットアーキテクツ展 POLITICS OF LIVING 生きるための力学」展を訪れて
はじめに パターゴルフ???
1930年代半ば、建築家たちが切磋琢磨した娯楽のひとつにゴルフがあった。建築家ゴルフ会(1934年頃結成)というのがあり、杯をめぐって同業者たちが上達を競い合ったようだ。1930年代前半に、ゴルフ振興の観点から、かつて財界の特権階級の趣味だったゴルフの大衆化が目論まれた。雑誌『技術日本』で「ゴルフ講座」を連載[*1]していた建築家・岸田日出刀は、ゴルフがあらゆる社会階級に広まりつつあったこと、様々な年齢層の者が共に遊べることを指摘している。しかし、ゴルフ場は会費が低額でも会員資格があり、多少は先天的に恵まれている必要があったと考えられる。また、15年戦争下、国内だけでなく台湾と東シナ海沿岸地域(満洲、大連、撫順、奉天、新京、ハルビン)にゴルフ場があった状況を鑑みると、大地の森の木々を切り倒し山を造形する巨大な力は、果たしてパブリック/一般庶民の余暇の延長だろうか、という疑問も湧いてくる。
そんなマッチョさとは比較にならないほど愛らしい、仮設でブリコラージュのパターゴルフのコースがドットアーキテクツによってTOTO乃木坂ビルの中庭に作られた。ゴルフが大衆のスポーツになる未来を信じた先人たちが叶えられなかったことを都会の雑踏、狭い空の下でやっているようにも見える。ドットアーテクツの一連の作品と行為は、人として根底にある自由を追い求めながら、20世紀の近現代化の過程で失ったものを取り戻して行く運動のようだ。パターゴルフは、場所を選ばす、広さを選ばず、人を選ばず、誰のものでもない。
*1:岸田日出刀は、雑誌『技術日本』173~177号(日本技術協会、1937年4月~1937年9月)に「東京近郊のゴルフ場」と、「ゴルフ講座」(全4回)を寄稿している。表紙は国立国会図書館のNDLオンライン(https://dl.ndl.go.jp/pid/1615896)で検索可能。

展示風景(タイトルウォールとバー)

展示風景(「伝説のパター」ほか)

展示風景(中庭)
1.展覧会概要
展覧会を担当したTOTOギャラリー・間の相川由希子さんによると、建築作品の紹介を核としていた当初の計画に対し、「自分たちの空間を自分たちで生み出して行こう」「ドットアーキテクツがこの空間を使うならどう使うか?」としてできたのが、今回実現した展示プランだったという。
展示会場に入ると目に飛び込んでくるのは、ネオン管ならぬ蛍光管の「DOT」。順路冒頭で彼らの事務所である「コーポ北加賀屋」とそれが建つ大阪・北加賀屋の場所のリサーチ、そして「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」と題した視察のレポートによって、ドットアーキテクツのステイトメントが表現され、その実践であるバー、博物館、ライブラリー、シルクスクリーン工房、ラジオ局が同じフロアに可視化された。屋外には「乃木坂パターゴルフ???倶楽部!!」と題されたパターゴルフ場と屋外工房、屋外階段に「美井戸神社」、上階の展示室では、建築作品が模型と撮り下ろしの写真と共に紹介され、奥の映画館ではcontact Gonzoとの共同制作作品「ギャラクティック運輸の初仕事」が上映されている。
相川さんの話では、会場構成は、平面図で検討された後、北加賀屋にある同程度の部屋で原寸の壁展開レイアウトがシュミレーションされたという。物に触れ、手と体を動かすことを得意とする彼らの思考回路が垣間見えたエピソードだった。ドットアーキテクツにとってはセルフビルドや施工者の一員として参加することはデフォルトなのだと思うが、補足しておくと本展の展示も彼ら自身によって施工されている。なんというか(音楽の)バンド活動みたいだ。

展示風景
2.シルクスクリーン工房
今年の3月、個展の企画に先立ち、ドットアーキテクツはイタリアのミラノとトリノにある社会センターを視察した。社会センターは、行政や企業ではない民間のグループが、未使用の工場、学校、ごみ集積場などの建造物跡をスクォット(占拠)した施設を主体的に管理、運営し、公共サービスが行き届いていない支援を行なっている場所だという。ドットアーキテクツの拠点である「コーポ北加賀屋」はそうした運営と活動を参照して作られた。
「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」で示された、彼らがリサーチで訪れた場所の中に、メツカル(トリノ)という拠点がある。精神病院、結核患者の隔離センター、廃棄物不法投棄場所、路上生活者や移民のシェルターといった役割の変遷を辿ってきた建物で、医学が現代ほど発達していなかった頃の設備の一部を人類の反省として残しているほか、木工室、金工室、ジム、スケートボードのランプ[*2]、音楽スタジオ、自転車修理場、養鶏場、菜園、シルクスクリーン工房などが備わっている。
シルクスクリーンは、高い技術に約束された美術の表現技法である一方で、日本では、大衆の労働運動や学生運動で活用されたガリ版印刷を連想させ、現代のデモクラシーの運動においては、Tシャツにオリジナルの主張を刷る手軽な手段として用いられている。会場に登場した「シルクスクリーン工房」は、アジアと呼ばれる日本の周りの国・地域の近現代の民主的な運動や、社会センターを営む人たちの行動的な精神とも繋がっている。
会期中、関連イベントでシルクスクリーン体験が開催される。大人が工房に立つ姿に、てこをスキージーに持ち替えたお好み焼き屋さんを想像してしまうのはなぜだろう。完成物に満足するだけではなく、作る/作ってあげる/作るプロセスを見る喜びがあるのもシルクスクリーンの魅力だと思う。
*2:室内置きのミニランプ(ramp)。スケートボード専用なのか確認できていないが、記載ママとした。

展示風景(シルクスクリーン工房)

3.グラフィティ
「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」で紹介されているトルキエラ(ミラノ・城塞農家跡)、マカオ(ミラノ・食肉工場跡)、レオンカヴァッロ(ミラノ・化学薬品工場跡)、ラジオブラックアウト(トリノ)、ガブリオ(トリノ・中学校跡)、マニテュアナ(トリノ・粗大ごみ集積所跡)の外壁には、ライティング(グラフィティ)が施さている。グラフィティのルーツは、ニューヨークのサウスブロンクスなどにおいて、街の各ブロックを制するグループ同士が縄張りを争い、縄張りの主張をするために名前と番地を「タギング」していたことであった。ここに挙げた社会センターの壁の装飾は、その場所が占拠した「自分たちの場所(ナワバリ)」であることを宣言しているようにも見える。本展の床にもライティングやステンシルが刻まれている。

展示風景(床)
さいごに
ここまで、民主的な運動を想起させるシルクスクリーン工房と、ナワバリを意味するグラフィティを挙げたが、ドットアーキテクツの根源にあると考えられる「ストリートの感性」について触れたい。家成俊勝さんは著書『ドットアーキテクツ|山で木を切り舟にして海に乗る』(2020年、LIXIL出版)の中で、震災後に見た民間の巷での相互扶助、追放看板に対して感じる違和感、共同管理される路地、小豆島の農村歌舞伎について言及している。筆者が第24回で書いたことと重複するが、古代から明治の初めくらいまで、「道」は現代のそれよりもずっと受容性に富む場所であった。テレビやラジオがない時代、巷の歌や演劇などのパフォーマンスは、市井に事実を速報性をもって伝える表現活動だった。思うに、その頃のストリートの寛容さが現代に再現されたのが非常時下だったのではないか。非常時、ストリートは救助や医療行為、食糧・物資を提供する場所と化し、家には電気がこないので情報は巷で人から人に伝わる。そこにヒエラルキーはなく人は等しかった。そういう、本来ストリートがもつ自他への肯定感、公私の曖昧さや懐の深さのような感性がルーツにあるから、広場を囲う《馬木キャンプ》、路地に暮らす《No.07》、都市のインフラの抽出したKYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING researchlight《河童よ、ふたたび》などが生まれ、《コーポ北加賀屋》、《千鳥文化》での地域と生きる実践が続いているのではないだろうか。本展では前展覧会からの引用と応用にもストリート的な共感と敬意の感性を垣間見た。

展示風景(壁、マトリックスは塚本由晴さんによる)
「ドットアーキテクツ展 POLITICS OF LIVING 生きるための力学」展は、2023年5月18日~8月6日まで開催されている。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。次回は2023年8月18日の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●軽井沢で「倉俣史朗展 カイエ」が開催中です。
会場:軽井沢現代美術館
長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2052-2
会期:2023年4月27日(木)~11月23日(木・祝日)
休館日:火曜、水曜 (GW及び、夏期は無休開館
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格等については、3月4日ブログをご参照ください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
TOTOギャラリー・間「ドットアーキテクツ展 POLITICS OF LIVING 生きるための力学」展を訪れて
はじめに パターゴルフ???
1930年代半ば、建築家たちが切磋琢磨した娯楽のひとつにゴルフがあった。建築家ゴルフ会(1934年頃結成)というのがあり、杯をめぐって同業者たちが上達を競い合ったようだ。1930年代前半に、ゴルフ振興の観点から、かつて財界の特権階級の趣味だったゴルフの大衆化が目論まれた。雑誌『技術日本』で「ゴルフ講座」を連載[*1]していた建築家・岸田日出刀は、ゴルフがあらゆる社会階級に広まりつつあったこと、様々な年齢層の者が共に遊べることを指摘している。しかし、ゴルフ場は会費が低額でも会員資格があり、多少は先天的に恵まれている必要があったと考えられる。また、15年戦争下、国内だけでなく台湾と東シナ海沿岸地域(満洲、大連、撫順、奉天、新京、ハルビン)にゴルフ場があった状況を鑑みると、大地の森の木々を切り倒し山を造形する巨大な力は、果たしてパブリック/一般庶民の余暇の延長だろうか、という疑問も湧いてくる。
そんなマッチョさとは比較にならないほど愛らしい、仮設でブリコラージュのパターゴルフのコースがドットアーキテクツによってTOTO乃木坂ビルの中庭に作られた。ゴルフが大衆のスポーツになる未来を信じた先人たちが叶えられなかったことを都会の雑踏、狭い空の下でやっているようにも見える。ドットアーテクツの一連の作品と行為は、人として根底にある自由を追い求めながら、20世紀の近現代化の過程で失ったものを取り戻して行く運動のようだ。パターゴルフは、場所を選ばす、広さを選ばず、人を選ばず、誰のものでもない。
*1:岸田日出刀は、雑誌『技術日本』173~177号(日本技術協会、1937年4月~1937年9月)に「東京近郊のゴルフ場」と、「ゴルフ講座」(全4回)を寄稿している。表紙は国立国会図書館のNDLオンライン(https://dl.ndl.go.jp/pid/1615896)で検索可能。

展示風景(タイトルウォールとバー)

展示風景(「伝説のパター」ほか)

展示風景(中庭)
1.展覧会概要
展覧会を担当したTOTOギャラリー・間の相川由希子さんによると、建築作品の紹介を核としていた当初の計画に対し、「自分たちの空間を自分たちで生み出して行こう」「ドットアーキテクツがこの空間を使うならどう使うか?」としてできたのが、今回実現した展示プランだったという。
展示会場に入ると目に飛び込んでくるのは、ネオン管ならぬ蛍光管の「DOT」。順路冒頭で彼らの事務所である「コーポ北加賀屋」とそれが建つ大阪・北加賀屋の場所のリサーチ、そして「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」と題した視察のレポートによって、ドットアーキテクツのステイトメントが表現され、その実践であるバー、博物館、ライブラリー、シルクスクリーン工房、ラジオ局が同じフロアに可視化された。屋外には「乃木坂パターゴルフ???倶楽部!!」と題されたパターゴルフ場と屋外工房、屋外階段に「美井戸神社」、上階の展示室では、建築作品が模型と撮り下ろしの写真と共に紹介され、奥の映画館ではcontact Gonzoとの共同制作作品「ギャラクティック運輸の初仕事」が上映されている。
相川さんの話では、会場構成は、平面図で検討された後、北加賀屋にある同程度の部屋で原寸の壁展開レイアウトがシュミレーションされたという。物に触れ、手と体を動かすことを得意とする彼らの思考回路が垣間見えたエピソードだった。ドットアーキテクツにとってはセルフビルドや施工者の一員として参加することはデフォルトなのだと思うが、補足しておくと本展の展示も彼ら自身によって施工されている。なんというか(音楽の)バンド活動みたいだ。

展示風景
2.シルクスクリーン工房
今年の3月、個展の企画に先立ち、ドットアーキテクツはイタリアのミラノとトリノにある社会センターを視察した。社会センターは、行政や企業ではない民間のグループが、未使用の工場、学校、ごみ集積場などの建造物跡をスクォット(占拠)した施設を主体的に管理、運営し、公共サービスが行き届いていない支援を行なっている場所だという。ドットアーキテクツの拠点である「コーポ北加賀屋」はそうした運営と活動を参照して作られた。
「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」で示された、彼らがリサーチで訪れた場所の中に、メツカル(トリノ)という拠点がある。精神病院、結核患者の隔離センター、廃棄物不法投棄場所、路上生活者や移民のシェルターといった役割の変遷を辿ってきた建物で、医学が現代ほど発達していなかった頃の設備の一部を人類の反省として残しているほか、木工室、金工室、ジム、スケートボードのランプ[*2]、音楽スタジオ、自転車修理場、養鶏場、菜園、シルクスクリーン工房などが備わっている。
シルクスクリーンは、高い技術に約束された美術の表現技法である一方で、日本では、大衆の労働運動や学生運動で活用されたガリ版印刷を連想させ、現代のデモクラシーの運動においては、Tシャツにオリジナルの主張を刷る手軽な手段として用いられている。会場に登場した「シルクスクリーン工房」は、アジアと呼ばれる日本の周りの国・地域の近現代の民主的な運動や、社会センターを営む人たちの行動的な精神とも繋がっている。
会期中、関連イベントでシルクスクリーン体験が開催される。大人が工房に立つ姿に、てこをスキージーに持ち替えたお好み焼き屋さんを想像してしまうのはなぜだろう。完成物に満足するだけではなく、作る/作ってあげる/作るプロセスを見る喜びがあるのもシルクスクリーンの魅力だと思う。
*2:室内置きのミニランプ(ramp)。スケートボード専用なのか確認できていないが、記載ママとした。

展示風景(シルクスクリーン工房)

3.グラフィティ
「イタリア、ミラノ・トリノの社会センターを巡る旅」で紹介されているトルキエラ(ミラノ・城塞農家跡)、マカオ(ミラノ・食肉工場跡)、レオンカヴァッロ(ミラノ・化学薬品工場跡)、ラジオブラックアウト(トリノ)、ガブリオ(トリノ・中学校跡)、マニテュアナ(トリノ・粗大ごみ集積所跡)の外壁には、ライティング(グラフィティ)が施さている。グラフィティのルーツは、ニューヨークのサウスブロンクスなどにおいて、街の各ブロックを制するグループ同士が縄張りを争い、縄張りの主張をするために名前と番地を「タギング」していたことであった。ここに挙げた社会センターの壁の装飾は、その場所が占拠した「自分たちの場所(ナワバリ)」であることを宣言しているようにも見える。本展の床にもライティングやステンシルが刻まれている。

展示風景(床)
さいごに
ここまで、民主的な運動を想起させるシルクスクリーン工房と、ナワバリを意味するグラフィティを挙げたが、ドットアーキテクツの根源にあると考えられる「ストリートの感性」について触れたい。家成俊勝さんは著書『ドットアーキテクツ|山で木を切り舟にして海に乗る』(2020年、LIXIL出版)の中で、震災後に見た民間の巷での相互扶助、追放看板に対して感じる違和感、共同管理される路地、小豆島の農村歌舞伎について言及している。筆者が第24回で書いたことと重複するが、古代から明治の初めくらいまで、「道」は現代のそれよりもずっと受容性に富む場所であった。テレビやラジオがない時代、巷の歌や演劇などのパフォーマンスは、市井に事実を速報性をもって伝える表現活動だった。思うに、その頃のストリートの寛容さが現代に再現されたのが非常時下だったのではないか。非常時、ストリートは救助や医療行為、食糧・物資を提供する場所と化し、家には電気がこないので情報は巷で人から人に伝わる。そこにヒエラルキーはなく人は等しかった。そういう、本来ストリートがもつ自他への肯定感、公私の曖昧さや懐の深さのような感性がルーツにあるから、広場を囲う《馬木キャンプ》、路地に暮らす《No.07》、都市のインフラの抽出したKYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING researchlight《河童よ、ふたたび》などが生まれ、《コーポ北加賀屋》、《千鳥文化》での地域と生きる実践が続いているのではないだろうか。本展では前展覧会からの引用と応用にもストリート的な共感と敬意の感性を垣間見た。

展示風景(壁、マトリックスは塚本由晴さんによる)
「ドットアーキテクツ展 POLITICS OF LIVING 生きるための力学」展は、2023年5月18日~8月6日まで開催されている。
(おう せいび)
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」は偶数月18日に掲載しています。次回は2023年8月18日の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●軽井沢で「倉俣史朗展 カイエ」が開催中です。

長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2052-2
会期:2023年4月27日(木)~11月23日(木・祝日)
休館日:火曜、水曜 (GW及び、夏期は無休開館
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
詳細は3月24日ブログをご参照ください。
お申込みはこちらから
●ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。

各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格等については、3月4日ブログをご参照ください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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