佐藤圭多のエッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」第8回

未来派野郎


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その曲のタイトルは「Milan, 1909」。坂本龍一のアルバム「未来派野郎」に収録された1曲だ。追悼の意味でしばらく氏の音楽ばかり聴いていたのだけれど、ちょうど世界最大のデザイン見本市であるミラノサローネに行く準備をしていた時だったから、すこし不思議な感覚になった。「未来派野郎」のアルバムジャケット(リニューアル後のもの)はイタリア未来派をわかりやすくイメージさせるデザインで、走る姿(?)の坂本龍一が重なってブレている。未来派というと機械礼賛、ともすればファシズムにもつながる破壊的なイメージすらある。一方でジャコモ・バッラの「鎖に繋がれた犬」など、何としても「動き」を絵に定着させたいというひたむきさに、微笑ましい気分になる時があるのは僕だけだろうか。走っている、だからブレている、という直接的な表現。その純粋さはときに微笑ましく、ときに危険を孕む。

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ミラノから電車で北に40分ほど行った湖畔の街、コモに前泊した。古くからの景勝地だが、僕の目的は街に数多く残されたイタリアファシズム時代の建築家ジュゼッペ・テラー二の建築だ。コモ大聖堂の裏手、車通りを挟んでテラーニの代表作「カサ・デル・ファッショ」 (1936)がある。プランは完全な正方形、立面全体の縦横比は1:2、フレーム部分は2:3、開口部は黄金比といった具合に、厳格な幾何学に基づいた建築で見る人に緊張感すら与える。「ファシスト党本部」という用途がそうさせたのだろうか。図面や写真で見ていた時はそんなことを思っていた。

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近づくと、外壁が石張りで仕上げてある事に気がついた。ちょっと意外な気がした。石を貼ると、石と石の出会う部分は目地となり、線になる。開口部まで徹底して黄金比にするくらいの建築家である。余計な線が見えてくるのを嫌った、目地の無い大壁面だと勝手に思い込んでいた。そのわりには目地材を入れない眠り目地で納めてあり、近づかないと気づかないくらいに消してある。見せたいようでもあり、消したいようでもある。これほど極端な建築家が 、目地についてだけ曖昧なことがあるだろうか。どうもテーマは単に整然とさせることではないような気がしてくる。

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疑問を抱えたまま周囲をウロウロしていると、格子状の開口部がひたすら並ぶ、本棚のような建築の前に出た。テラーニと同じ時代を生きた同志、チェザレ・カッターネオの建築だ。時代を経て改変されてしまってはいるものの、テラーニに負けずとも劣らない厳格さをにじませている。脇を通過するとき、壁に妙なスリットがあることに気がついた。幅10cmのそのスリットに顔を近づけると、視線がすーっと奥に抜けていく。幅約40m、無数の格子状の開口部の終端が、全て10cmだけ本体から浮いている(!)まるで何かの衝撃でファサードだけ分離して動きはじめたかようだ。

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スリットに慣らされた眼で戻ってくると、ミニマルで無口な塊に見えていたカサ・デル・ファッショが、躍動し始めた。遠巻きに見ると厳格なだけに見えるけれど、視点を近づけると実は豊かな「奥行き」が潜んでいたのだ。どの面もフレーム、窓、ガラスブロックなどの要素が出たり入ったり、わずかに浮いていたりと一様ではない。石を貼ったのも、奥行きにレイヤーを与えるためかもしれない。フロッタージュのように、白くプレーンな紙から凹凸が浮かび上がって見えてきた。

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ぶつかり合っていた力の均衡が崩れ始めた瞬間、表面に予兆としてわずかにあらわれるズレ。狙いは幾何学ではなく、幾何学からズレようとする「動き」なのでは……その時「未来派野郎」のジャケットのブレた坂本龍一を思い出したのだ。スタティックであることを宿命づけられた建築が、今まさに動き出そうとしている。カサ・デル・ファッショが、僕にはそんなふうに見えた。

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ミラノサローネは大変なお祭り騒ぎで、ミラノが、イタリアが今もってデザインの中心地であることを強く意識させた。目新しい表現に各社しのぎを削る中で、自動車メーカーの素朴なインスタレーションがあった。大きなスピーカーを背負った10人ほどの青年たちが列をなし、壁の方を向いてスピーカーを通行人に向ける。するとF1の疾走する音が、端から順に猛スピードで駆け抜けるのだ。一瞬この狭い道をF1が走り抜けたような錯覚を起こさせる。自動車の轟音を「サモトラケのニケよりも美しい」と賛美した未来派がまた頭をよぎる。そこにもまた少年のいたずらのような、微笑ましさと危うさを感じるのだ。

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後戻りできない工業化の波が押し寄せる中、未来派は時代と呼応しながらも子供のままであろうとしたもうひとつの近代の姿なのかもしれない。ミラノを散歩中プレイリストからまた偶然流れてきたエンニオ・モリコーネを聴いて、坂本龍一とニューシネマパラダイスのトト少年の両方を思い出しながら、イタリアを後にした。

(さとう けいた)

■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。跡見学園女子大学兼任講師。SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰。

・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は2023年8月20日の予定です。

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