中尾美穂~ときの忘れものの本棚から第20回
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(9)
中尾美穂
今回とりあげるのは、1990年代に各地に誕生した難波田史男作品のコレクションである。いくつかを難波田家が所蔵する書籍でふりかえってみたい。
1 大川美術館

『絵でみる近代日本の歩みと今 大川美術館 No.2 所蔵238選』大川美術館、1998年、難波田家蔵
桐生市にある大川美術館は、初代理事長兼館長であった大川栄二氏がサラリーマン時代に蒐集した「大川コレクション」で知られる。松本竣介や野田英夫を軸とし、さらに彼らと関わりの深い作家を含む国内外の近・現代美術へと収集方針を拡大した。難波田龍起はそうした主軸作家のひとりに名を連ねている。この所蔵品集によれば、史男の作品は父・龍起から同館への寄贈品。大川氏への厚い信頼がみてとれよう。館では1991年に「難波田史男展 兄紀夫・父龍起と共に」展が開かれている。
2 相澤美術館

『生と死の相剋 難波田史男』相澤美術館、1995年、難波田家蔵
新潟県寺泊町(現・長岡市)にあった相澤美術館は、コレクターの相澤直人氏によって設立された。企業経営のかたわら文化活動を続けた相澤氏は、自宅に開設した「相沢画廊」で1975年からコレクションの展示を始めた。作品収集にも力を注ぎ、1989年には相澤美術館をオープン。自ら館長を務めて難波田龍起・史男、長崎莫人、江口草玄などの企画展示を行なった。さらに1995年には新館を設けて「難波田龍起・史男記念室」を開室。画廊では1994年に「夭折の画家 難波田史男水彩展」を、美術館では開館時1995年に「難波田龍起・史男二人展(新館 難波田龍起・史男記念室開設)」を開いている。また2004年には美術館最後の企画になろうか、「難波田史男の世界 没後30年記念展」を開催した。なお、新館展示室の窓からは、史男が好んだ「海」が望まれた(1)。

『相澤コレクション』新潟県立近代美術館、2006年か、難波田家蔵

「県民の美の財産Ⅳ 新収蔵・相澤コレクションを中心に」展リーフレット 新潟県立近代美術館、2006年、難波田家蔵
相澤氏の収集した作品群は、相澤美術館閉館と共に、新潟県立近代美術館への申し入れにより「相澤コレクション」として同館がひきついでいる。上記は難波田家が所蔵する2006年の新収蔵品展のリーフレット。2011年にも同館で「難波田龍起・史男展」が開催されている。
3 アートスペース遊

『苦悩する青春の詩 難波田史男の世界』アートスペース遊、1995年、難波田家蔵
福島市では、小川澄氏が市内飯坂温泉にある小川内科医院2階を「アートスペース遊」とし、1995年にコレクションによる「苦悩する青春の詩 難波田史男の世界」展を開催した。あとがきによると、氏は会場入口を龍起原画・加筆によるステンドグラスで飾った。龍起は制作のために工房に何度か足を運んだという。
4 難波田龍起・史男記念美術館

『難波田龍起・史男記念美術館 図録』難波田龍起・史男記念美術館、1998年、難波田家蔵
富山市のギャラリーNOWは現代作家を紹介する画廊で、1989年に活動を始めた。1993年、画廊主宰の富山剛氏・三恵子氏夫妻が次男を水難事故で亡くし、龍起作品への思いをいっそう深める。その年、画廊でも「難波田史男展」を開催している。龍起夫妻との交流を経て、1998年に念願の難波田龍起・史男記念美術館が画廊に隣接してオープンした。
5 三和アルテ難波田記念室

『難波田史男作品集』三和研磨工業株式会社・三和アルテ難波田記念室、1999年
※難波田龍起作品集の二部作として同時刊行
起業家の竹ノ内和夫氏による難波田龍起・史男のコレクションは、宇治市の三和研磨工業株式会社(三和アルテ難波田記念室)発行の作品集に集約されている。竹ノ内氏のように最初は龍起の作品を蒐集し、やがて史男作品にも力を注ぐというのが、コレクションに共通する経緯のようだ。たとえば1999年にオープンした東京オペラシティアートギャラリーは、地権者のひとりであった寺田小太郎氏の「寺田コレクション」の主要収蔵先で知られるが、寺田氏も難波田龍起の作品購入を原点に作品蒐集を始め、のちに史男作品の大コレクターとなった。東京オペラシティアートギャラリーの展覧会については次回に触れたい。
こうしたコレクション形成の陰に父・龍起の情熱があったことを忘れてはならないが、コレクターの眼になってみると、心の奥底に響くような龍起の抽象に調和し、同様の清廉さを持ちつつも、史男の作品は明らかにポップで際立つ。この対比の鮮やかさに惹きつけられても不思議ではない。また、龍起の次の言葉にうかがえる、その穏やかなまなざしを共有したいと思ったかもしれない。
さっきから私は海に消えたFのことを想っていた。彼が下塗りしたまま残していた三十号のキャンバスに、いく本かの線をひいて、画室においてきたのが気になりだした。あの線はどう展開するのだろうか。海底のイメージはどう捕らえられるものか。
(中略)
さあ画室に戻ろう。
たちまち青色が甦ってくる。Fも好きだった青だ。私は青色をキャンバスに塗りこめよう。
(難波田龍起「海の風」『難波田史男作品集』三和研磨工業株式会社・三和アルテ難波田記念室、1999年に収録)
難波田史男は1960年代後半~70年代前半の作家に位置づけられる。だが、同時代の美術を俯瞰する主要展覧会記録や展覧会で、彼の作品が特記されたことはおそらくないだろう。手元にある雑誌の特集や美術記者・評論家による美術史論をめくってみても、彼に関する記述は出てこない。作品の異質さ、出品歴の少なさ、活動期間の短かさなどを考えれば当然ではある。ただ、新旧の前衛が台頭した激動の60年代後半や、視覚実験的・反芸術的な作品を含む美術が無数にひしめく70年代が過ぎたあとでも、いや過ぎたからこそ、史男作品はどこか新世代の若者感を漂わせ、奔放で傷つきやすく、しかし爽快に人々の前に現れる。画室から持ち出されたばかりといいたげな印象を、今日もぬぐえないのである。

史男の部屋 難波田家のアルバムより
註:
(1)難波田武男氏のご教示による。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」は奇数月の19日に掲載します。
次回は9月19日の予定です。
*画廊亭主敬白
猛暑に加え、秋田など記録的な大雨による被害が相次いでいます。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
15日に締め切った「瀧口修造と作家たちー清家コレクション展(入札)」にはたくさんの方にご参加、入札いただきありがとうございました。
出品全26点すべてが落札され、落札者の皆さんには昨日郵送で結果をお知らせしましたので、よろしくお願いいたします。
また残念なことに落札できなかった方(圧倒的にこちらの方が多い)にも、落札結果のリストを郵送しました。中には1円違いで落札できなかった方も・・・
貴重なコレクションを提供してくださった清家克久様には深甚の謝意を表します。
ありがとうございました。
●ときの忘れものは「ART OSAKA 2023」に出展します。
会期:2023年7月28日(金)~30日(日)
会場:Osaka City Central Public Hall 3F(大阪市中央公会堂)
出品作家:倉俣史朗、葉栗剛、瑛九、仁添まりな、植田正治、他
詳しくはコチラを参照してください。
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(9)
中尾美穂
今回とりあげるのは、1990年代に各地に誕生した難波田史男作品のコレクションである。いくつかを難波田家が所蔵する書籍でふりかえってみたい。
1 大川美術館

『絵でみる近代日本の歩みと今 大川美術館 No.2 所蔵238選』大川美術館、1998年、難波田家蔵
桐生市にある大川美術館は、初代理事長兼館長であった大川栄二氏がサラリーマン時代に蒐集した「大川コレクション」で知られる。松本竣介や野田英夫を軸とし、さらに彼らと関わりの深い作家を含む国内外の近・現代美術へと収集方針を拡大した。難波田龍起はそうした主軸作家のひとりに名を連ねている。この所蔵品集によれば、史男の作品は父・龍起から同館への寄贈品。大川氏への厚い信頼がみてとれよう。館では1991年に「難波田史男展 兄紀夫・父龍起と共に」展が開かれている。
2 相澤美術館

『生と死の相剋 難波田史男』相澤美術館、1995年、難波田家蔵
新潟県寺泊町(現・長岡市)にあった相澤美術館は、コレクターの相澤直人氏によって設立された。企業経営のかたわら文化活動を続けた相澤氏は、自宅に開設した「相沢画廊」で1975年からコレクションの展示を始めた。作品収集にも力を注ぎ、1989年には相澤美術館をオープン。自ら館長を務めて難波田龍起・史男、長崎莫人、江口草玄などの企画展示を行なった。さらに1995年には新館を設けて「難波田龍起・史男記念室」を開室。画廊では1994年に「夭折の画家 難波田史男水彩展」を、美術館では開館時1995年に「難波田龍起・史男二人展(新館 難波田龍起・史男記念室開設)」を開いている。また2004年には美術館最後の企画になろうか、「難波田史男の世界 没後30年記念展」を開催した。なお、新館展示室の窓からは、史男が好んだ「海」が望まれた(1)。

『相澤コレクション』新潟県立近代美術館、2006年か、難波田家蔵

「県民の美の財産Ⅳ 新収蔵・相澤コレクションを中心に」展リーフレット 新潟県立近代美術館、2006年、難波田家蔵
相澤氏の収集した作品群は、相澤美術館閉館と共に、新潟県立近代美術館への申し入れにより「相澤コレクション」として同館がひきついでいる。上記は難波田家が所蔵する2006年の新収蔵品展のリーフレット。2011年にも同館で「難波田龍起・史男展」が開催されている。
3 アートスペース遊

『苦悩する青春の詩 難波田史男の世界』アートスペース遊、1995年、難波田家蔵
福島市では、小川澄氏が市内飯坂温泉にある小川内科医院2階を「アートスペース遊」とし、1995年にコレクションによる「苦悩する青春の詩 難波田史男の世界」展を開催した。あとがきによると、氏は会場入口を龍起原画・加筆によるステンドグラスで飾った。龍起は制作のために工房に何度か足を運んだという。
4 難波田龍起・史男記念美術館

『難波田龍起・史男記念美術館 図録』難波田龍起・史男記念美術館、1998年、難波田家蔵
富山市のギャラリーNOWは現代作家を紹介する画廊で、1989年に活動を始めた。1993年、画廊主宰の富山剛氏・三恵子氏夫妻が次男を水難事故で亡くし、龍起作品への思いをいっそう深める。その年、画廊でも「難波田史男展」を開催している。龍起夫妻との交流を経て、1998年に念願の難波田龍起・史男記念美術館が画廊に隣接してオープンした。
5 三和アルテ難波田記念室

『難波田史男作品集』三和研磨工業株式会社・三和アルテ難波田記念室、1999年
※難波田龍起作品集の二部作として同時刊行
起業家の竹ノ内和夫氏による難波田龍起・史男のコレクションは、宇治市の三和研磨工業株式会社(三和アルテ難波田記念室)発行の作品集に集約されている。竹ノ内氏のように最初は龍起の作品を蒐集し、やがて史男作品にも力を注ぐというのが、コレクションに共通する経緯のようだ。たとえば1999年にオープンした東京オペラシティアートギャラリーは、地権者のひとりであった寺田小太郎氏の「寺田コレクション」の主要収蔵先で知られるが、寺田氏も難波田龍起の作品購入を原点に作品蒐集を始め、のちに史男作品の大コレクターとなった。東京オペラシティアートギャラリーの展覧会については次回に触れたい。
こうしたコレクション形成の陰に父・龍起の情熱があったことを忘れてはならないが、コレクターの眼になってみると、心の奥底に響くような龍起の抽象に調和し、同様の清廉さを持ちつつも、史男の作品は明らかにポップで際立つ。この対比の鮮やかさに惹きつけられても不思議ではない。また、龍起の次の言葉にうかがえる、その穏やかなまなざしを共有したいと思ったかもしれない。
さっきから私は海に消えたFのことを想っていた。彼が下塗りしたまま残していた三十号のキャンバスに、いく本かの線をひいて、画室においてきたのが気になりだした。あの線はどう展開するのだろうか。海底のイメージはどう捕らえられるものか。
(中略)
さあ画室に戻ろう。
たちまち青色が甦ってくる。Fも好きだった青だ。私は青色をキャンバスに塗りこめよう。
(難波田龍起「海の風」『難波田史男作品集』三和研磨工業株式会社・三和アルテ難波田記念室、1999年に収録)
難波田史男は1960年代後半~70年代前半の作家に位置づけられる。だが、同時代の美術を俯瞰する主要展覧会記録や展覧会で、彼の作品が特記されたことはおそらくないだろう。手元にある雑誌の特集や美術記者・評論家による美術史論をめくってみても、彼に関する記述は出てこない。作品の異質さ、出品歴の少なさ、活動期間の短かさなどを考えれば当然ではある。ただ、新旧の前衛が台頭した激動の60年代後半や、視覚実験的・反芸術的な作品を含む美術が無数にひしめく70年代が過ぎたあとでも、いや過ぎたからこそ、史男作品はどこか新世代の若者感を漂わせ、奔放で傷つきやすく、しかし爽快に人々の前に現れる。画室から持ち出されたばかりといいたげな印象を、今日もぬぐえないのである。

史男の部屋 難波田家のアルバムより
註:
(1)難波田武男氏のご教示による。
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。

次回は9月19日の予定です。
*画廊亭主敬白
猛暑に加え、秋田など記録的な大雨による被害が相次いでいます。
被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
15日に締め切った「瀧口修造と作家たちー清家コレクション展(入札)」にはたくさんの方にご参加、入札いただきありがとうございました。
出品全26点すべてが落札され、落札者の皆さんには昨日郵送で結果をお知らせしましたので、よろしくお願いいたします。
また残念なことに落札できなかった方(圧倒的にこちらの方が多い)にも、落札結果のリストを郵送しました。中には1円違いで落札できなかった方も・・・
貴重なコレクションを提供してくださった清家克久様には深甚の謝意を表します。
ありがとうございました。
●ときの忘れものは「ART OSAKA 2023」に出展します。

会場:Osaka City Central Public Hall 3F(大阪市中央公会堂)
出品作家:倉俣史朗、葉栗剛、瑛九、仁添まりな、植田正治、他
詳しくはコチラを参照してください。
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