戸田穣「ピラネージ展に寄せて」第1回

ピラネージ『牢獄』1961年版


 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720-1778)は18世紀イタリアの建築家・版画家である。彼の版画は、18世紀にはアルプス北方からはるばるローマを訪れたイギリス人、フランス人他諸国の貴顕、美術家・建築家に求められ、とりわけ英仏建築界においては歴史上、パラディオ主義とならんでピラネージ主義と呼ばれる流行を生んだ。その版は彼の死後も息子たちの手を経て継承され、19世紀にもピラネージ熱が冷めることはなく、むしろ建築の枠を超えて多くの作家、美術家の想像力を刺激した。その後しばらくの忘却ののち、20世紀に「再発見」され以後、幻想、空想、奇想の建築家として迎えられてきた。その生涯と作品については岡田哲史『建築巡礼32 ピラネージの世界』や桐敷真次郎・岡田哲史『ピラネージと『カンプス・マルティウス』』という二つの好著があるが、残念ながらいずれも絶版のようだ。本稿の筆者はフランス建築史を専門としているので、イタリアの建築家であるピラネージだが、フランスの文脈に引き寄せつつ紹介したい。

 日本では澁澤龍彦(1928-1987)の著書を通じてピラネージの名前を知ったという人が多いのではないだろうか。あるいはフランスの作家マルグリット・ユルスナール(1903-1987)の『ピラネージの黒い脳髄』(原著1961;多田智満子訳、1985)を読まれた方も多いだろう。今回、ときの忘れもので展示される『牢獄』シリーズ16点は、1961年に国際ビブリオフィリィ・クラブ(国際愛書クラブ)によってジャスパール=ポリュス商会(Jaspard, Polus & Cie.)から出版されたもので、これにユルスナールが解説として寄稿したのが「黒い脳髄」であった。この文章は翌1962年にはエッセイ集『条件付きで』(Sous bénéfice d'inventaire, Gallimard)に収められたのだが、それとしては日本語には翻訳されておらず、このピラネージについての文章だけが邦訳されたのは、日本におけるピラネージへの特別な関心のあかしであろう(本書もどうやら絶版のようだが……)。

 ピラネージの『牢獄』には二つのエディションがあり、初版(出版社の名前をとってブシャール版と呼ぶ)は1750年にローマで出版された。この14枚からなる最初のステートは商業的には成功したとはいえず、ピラネージを落胆させた。しかしピラネージは1761年にみずから第2版(ピラネージ版)を出版する。ピラネージ版は成功し、19世紀ロマン主義の時代にはピラネージを代表する作品として受容された。ピラネージ版は、ブシャール版のたんなる再版ではなく、作家が改めて鑿をとり、大胆な改訂を施している。それはまったく異なる版画となったと言ってもよいほどだ。ユルスナールのテクストも初版から第2版へのメタモルフォーゼを説くものだった。そして1961年版もピラネージ版の翻刻である。

 1961年の翻刻はパリのアトリエ・ブラコン=デュプレシによって制作されている。これはカタルーニャ出身のルイス・ブラコン・イ・サニエ(Lluís Bracons i Sunyer, 1892-1961)とフランス出身のスザンヌ・デュプレシ(Suzanne Duplessis)との夫妻によるアトリエで、ジャン・コクトーやダリ、藤田嗣治の版画などを手がけた。ルイス・ブラコンの経歴も興味深い。若い頃パリにてジャン・デュナン(Jean Dunand, 1877-1942)から日本の漆芸を学んだのち、帰郷してバルセロナ高等美術学校で教鞭をとり多くの後進を育てた。デュナンはアール・デコの時代に活躍した漆芸家・装飾家で、日本人の菅原精造(1884-1937)から漆芸を学びフランスに広めた人物だ。菅原は東京美術学校に在籍したのち1905年から渡仏。終生異国の地で漆芸に人生を捧げた人物で、アイリーン・グレイとの協働なども知られる。
 菅原の漆芸の技法はデュナン、ブラコンを通じてカタルーニャにもたらされ、ブラコンのバルセロナ時代、ひとり目の妻であったエンリケータ・パスカル・イ・ベニガーニ(Enriqueta Pascual i Benigani, 1905-1969)は ―― ブラコンとの婚姻関係は1928年で解消されるものの ―― カタルーニャにおける漆芸の第一人者として美術界の重要人物となるのだった。
 一方、再びパリに移住したブラコンは漆芸からは離れて、新しい伴侶であるスザンヌ・デュプレシと版画アトリエを営み活躍した。パリとカタルーニャの美術界とを結ぶ存在でもあり、晩年の1959年には当時パリに留学中だった若き未来の巨匠ホアン・バルバラ・イ・ゴメス(Joan Barbarà i Gomez, 1927-2013)をフランス美術界に導くとともに、共同でアトリエを設立している。
 ブラコンは1961年に亡くなっているから、今回ときの忘れものにて展示されるピラネージ『牢獄』の翻刻は、彼の生涯の中でも最後の作品のひとつということになろうし、当時のパリにおいても代表的な版画家が手掛けた仕事だといえるだろう。

(とだ じょう)

牢獄_1図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄I.表題紙》

牢獄_2図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄II.拷問台の上の男》

牢獄_3図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄III.円形の塔》

牢獄_4図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄IV.広場》

牢獄_5図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄V.ライオンの浅浮彫り》

牢獄_6図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄VI.煙を噴く火》

牢獄_7図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄VII.跳橋》

牢獄_8図_Bracons-Duplessisによる復刻
〈牢獄〉シリーズより《牢獄VIII.戦勝記念》

戸田 穣(とだじょう)
1976年大阪府生まれ。2000年東京大学教養学部教養学科第二卒業。2009年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門はフランス近世近代建築史、日本近現代建築史。金沢工業大学環境・建築学部建築デザイン学科准教授を経て、現在は昭和女子大学 環境デザイン学部 環境デザイン学科 専任講師。

「幻想の建築 ピラネージ展」
会期:2023年8月4日(金)~8月12日(土)*日曜・月曜・祝日休廊
ピラネージ展_案内状表120018世紀イタリアの建築家・版画家ジャン=バティスタ・ピラネージ(1720-1778)の《牢獄》シリーズ全16点(1761年ピラネージの原作、1961年Bracons-Duplessisによる復刻)を展示します。
本展については建築史家の戸田穣先生に第1回「ピラネージ『牢獄』1961年版」について、第2回「ピラネージの青春時代、そしてその原版の行方」についてご寄稿いただきました。
出品作品の詳細、価格については7月27日ブログをお読みください。