佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第79回
革命の話
さいきん、ある雑誌への投稿の機会をいただき、自分自身の生活と周辺のいわゆる地域社会との関係について半ば率直に書かせていただいた。お題としては何らかの循環の系を見つけてそれを記せ、というようなものだったと思う。循環=サーキュレーションという言葉を聞くとやはり自分としては忘れられない記憶がある。それは数年前のインド・ベンガル地方での他愛ない会話から生まれ出た気付き、である。その雑誌にも少し触れた内容だが、このブログではもう少し噛み砕いてユルリと綴り直してみたい。
話し相手は林剛平さんだ。生態学とものづくりに関する在野の研究者である。研究者というと堅苦しそうな気配を想像しかねないが、剛平さんはそんな枠からはちゃんとハミ出てしまっており、嗅覚と触覚で世界のメカニズムをロジカルに夢想する研究者だ。様々な世界、フィールド(まさに荒れ地と訳しても良いような)を行き来しながら、知見を広げ続けている。
そんな剛平さんと一緒に、数年前の春ごろ(だんだん暑くなり始めていた)、ベンガルの地シャンティニケタンにて「In-Field Studio」という短期間の建築学校を開催していた。一週間ほど地元の農村に通いつめ、そこで現地の素材を用いた小屋や壁を作った。そして記憶に残っている会話とは、その短期学校が無事終わった次の日、滞在していたホテルの門の前で営むチャイ屋での世間話である。
そのチャイ屋は大きな街路樹を支えにしながら何本かの柱を立てて屋根を差し掛けていた。そこのチャイ屋は比較的規模が大きく、卵と玉ねぎを混ぜた塩っぱいタマゴサンドや、細いドーナッツなども食べられる。確かチャイの味は比較的甘めである。素焼きのチャイカップで出てくるか、市販の紙カップで出てくるかはその日によって違う。ともかくそんなお店の一角で、剛平さんと私はチャイをススリ飲みながら話し込んでいたのだった。

(チャイ屋さんのお盆。いつもこれにチャイが載って来る。)
そこで、「革命」とは何か、という話に向かった。革命という言葉は日本語では一般に文化や政治に関わる場で使われる。クーデターのような既存の制度や国家体制を突然破壊し、転覆させ、世界をまるっきり正反対に変えてしまうような行為が頭に浮かぶ。一方で、革命の英訳は「Revolution」である。その語源はどうやらラテン語の「Revolvere」であり、「回転する」あるいは「巻き直す」という意味であるらしい。つまり革命とは、世界を巻き直すこと。緩んでしまってブカブカと外にハミ出てしまったカセットテープのテープをリールの中に再び仕舞い込むように、世界で不具合をきたしている緩んだ部分を見つけて、巻き直してやること。そしてまた巡り巡って元の地点に帰ってくる。あるいは元の地点に帰って来つつ、実はこっそり半歩くらいは前に足を進めている。Revolutionとは「巻き直す」なのだと聞いた途端にそんなイメージが頭に浮かび、まさに思考がグルグルと回転し始めたのだった。確かに、産業革命や情報革命とは、あたかもその革命が起きた瞬間から世界が変わったように思われるが、実際にはこれまでの技術や生活の在り方がいきなり消え去ることはない。現代においても引き続き手仕事や手書きの行為は、先端技術の傍らで社会の中の適切な位置にあるように、古いも新しいも常に共に在り、結局のところ世界は全く不連続ではなく、連続しているのだ。
剛平さんとのそんな会話の後から、私はかなり回転、あるいは回ることに対して意識が向いてしまうようになった。インドに行くことも、日本からインドへ行きそしてまた日本へ帰る、というように回転運動の軌跡として捉えるようになった。福島と東京の間の移動もまた、どちらが始まりにあるか、あるいはどちらが起点・拠点であるかの序列無しにその二点の間を往還し続ける移動体験として考えられるようになった。今のところ福島に家と事務所を置き、出稼ぎのように東京や関東圏に出向くような生活をしているが、それもどこかでおそらく、移動と停滞の強弱は変化し、また別の生活の在り方に推移していくこともあり得るだろう。建築というのはそれぞれの土地に根付き、動かないものだが、建築を考える思考は土地からは少しだけ浮き上がり、大地からの幾らかの引力は常に感じながらも、常にユラユラと遊動していくこともあり得るだろう。そこから創作に繋がる可能性を感じている。

(最近のスケッチ。遠くを臨みながら近くを視るの図。)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日8月7日(月)は休廊日です(日・月・祝日は休廊)。
◆「幻想の建築 ピラネージ展」
会期:2023年8月4日(金)~8月12日(土)*日曜・月曜・祝日休廊
18世紀イタリアの建築家・版画家ジャン=バティスタ・ピラネージ(1720-1778)の《牢獄》シリーズ全16点(1761年ピラネージの原作、1961年Bracons-Duplessisによる復刻)を展示します。
本展については建築史家の戸田穣先生に第1回「ピラネージ『牢獄』1961年版」について、第2回「ピラネージの青春時代、そしてその原版の行方」についてご寄稿いただきました。
出品作品の詳細、価格については7月27日ブログをお読みください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
革命の話
さいきん、ある雑誌への投稿の機会をいただき、自分自身の生活と周辺のいわゆる地域社会との関係について半ば率直に書かせていただいた。お題としては何らかの循環の系を見つけてそれを記せ、というようなものだったと思う。循環=サーキュレーションという言葉を聞くとやはり自分としては忘れられない記憶がある。それは数年前のインド・ベンガル地方での他愛ない会話から生まれ出た気付き、である。その雑誌にも少し触れた内容だが、このブログではもう少し噛み砕いてユルリと綴り直してみたい。
話し相手は林剛平さんだ。生態学とものづくりに関する在野の研究者である。研究者というと堅苦しそうな気配を想像しかねないが、剛平さんはそんな枠からはちゃんとハミ出てしまっており、嗅覚と触覚で世界のメカニズムをロジカルに夢想する研究者だ。様々な世界、フィールド(まさに荒れ地と訳しても良いような)を行き来しながら、知見を広げ続けている。
そんな剛平さんと一緒に、数年前の春ごろ(だんだん暑くなり始めていた)、ベンガルの地シャンティニケタンにて「In-Field Studio」という短期間の建築学校を開催していた。一週間ほど地元の農村に通いつめ、そこで現地の素材を用いた小屋や壁を作った。そして記憶に残っている会話とは、その短期学校が無事終わった次の日、滞在していたホテルの門の前で営むチャイ屋での世間話である。
そのチャイ屋は大きな街路樹を支えにしながら何本かの柱を立てて屋根を差し掛けていた。そこのチャイ屋は比較的規模が大きく、卵と玉ねぎを混ぜた塩っぱいタマゴサンドや、細いドーナッツなども食べられる。確かチャイの味は比較的甘めである。素焼きのチャイカップで出てくるか、市販の紙カップで出てくるかはその日によって違う。ともかくそんなお店の一角で、剛平さんと私はチャイをススリ飲みながら話し込んでいたのだった。

(チャイ屋さんのお盆。いつもこれにチャイが載って来る。)
そこで、「革命」とは何か、という話に向かった。革命という言葉は日本語では一般に文化や政治に関わる場で使われる。クーデターのような既存の制度や国家体制を突然破壊し、転覆させ、世界をまるっきり正反対に変えてしまうような行為が頭に浮かぶ。一方で、革命の英訳は「Revolution」である。その語源はどうやらラテン語の「Revolvere」であり、「回転する」あるいは「巻き直す」という意味であるらしい。つまり革命とは、世界を巻き直すこと。緩んでしまってブカブカと外にハミ出てしまったカセットテープのテープをリールの中に再び仕舞い込むように、世界で不具合をきたしている緩んだ部分を見つけて、巻き直してやること。そしてまた巡り巡って元の地点に帰ってくる。あるいは元の地点に帰って来つつ、実はこっそり半歩くらいは前に足を進めている。Revolutionとは「巻き直す」なのだと聞いた途端にそんなイメージが頭に浮かび、まさに思考がグルグルと回転し始めたのだった。確かに、産業革命や情報革命とは、あたかもその革命が起きた瞬間から世界が変わったように思われるが、実際にはこれまでの技術や生活の在り方がいきなり消え去ることはない。現代においても引き続き手仕事や手書きの行為は、先端技術の傍らで社会の中の適切な位置にあるように、古いも新しいも常に共に在り、結局のところ世界は全く不連続ではなく、連続しているのだ。
剛平さんとのそんな会話の後から、私はかなり回転、あるいは回ることに対して意識が向いてしまうようになった。インドに行くことも、日本からインドへ行きそしてまた日本へ帰る、というように回転運動の軌跡として捉えるようになった。福島と東京の間の移動もまた、どちらが始まりにあるか、あるいはどちらが起点・拠点であるかの序列無しにその二点の間を往還し続ける移動体験として考えられるようになった。今のところ福島に家と事務所を置き、出稼ぎのように東京や関東圏に出向くような生活をしているが、それもどこかでおそらく、移動と停滞の強弱は変化し、また別の生活の在り方に推移していくこともあり得るだろう。建築というのはそれぞれの土地に根付き、動かないものだが、建築を考える思考は土地からは少しだけ浮き上がり、大地からの幾らかの引力は常に感じながらも、常にユラユラと遊動していくこともあり得るだろう。そこから創作に繋がる可能性を感じている。

(最近のスケッチ。遠くを臨みながら近くを視るの図。)
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日8月7日(月)は休廊日です(日・月・祝日は休廊)。
◆「幻想の建築 ピラネージ展」
会期:2023年8月4日(金)~8月12日(土)*日曜・月曜・祝日休廊

本展については建築史家の戸田穣先生に第1回「ピラネージ『牢獄』1961年版」について、第2回「ピラネージの青春時代、そしてその原版の行方」についてご寄稿いただきました。
出品作品の詳細、価格については7月27日ブログをお読みください。
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
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