佐藤圭多のエッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」第9回
名付ける

「アナさん久しぶり!」「久しぶりケイタ。紹介するわ、こちら友達のアナさん」ポルトガルではこんなことがよく起こる。名前をオリジナルでつけることが少ないためだ。親が外国籍の場合は好きにつけて良いのだが、両親がポルトガル国籍の場合は、キリスト教の聖人名などで構成される名前リストから選ぶ必要がある。そのためアナさんの友達はアナさんで、それぞれの夫の名前が2人ともミゲル、なんていうことが起こる。実用上支障があるので、フルネームは父方の名字や母方の名字などを続け、たいてい4語や5語で形成される。名前が同じでも、名字も含めていけばそのうち特定されるから問題ないとのこと。画数まで気にして我が子を名付ける日本人からすると、随分あっさりした名付け方だ。


名前に「ニョ」(またはニャ)をつけたがるのもポルトガルだ。「◯◯ちゃん」くらいの意味で、英語だと「little ◯◯」にあたる。そう書くと子供につけるイメージで、確かに子供に使うことは多いのだけれど、大人にも使う。ブラジルのサッカー選手「ロナウジーニョ」の本名は「ロナウド」だ。なるほど、人に親しみを込める意味合いなのだなと解釈していると、名前以外にもつけるから驚く。「かわいい」をあらわす単語「fofa」(フォファ)が「fofinha」(フォフィーニャ)になる。「ありがとう」を意味する「obrigada」(オブリガーダ)が「obrigadinha」(オブリガディーニャ)になる。こうなってくると、単純に親しみを感じる対象につけるという話でもなくなってくる。かわいい、は形容詞なので、場合によっては目的語にも「ニョ」がついて「フォフィーニョ ロナウジーニョ」のように、ニョがどんどん連なっていく。

ポルトガル人はコーヒーも名前で呼ぶ。ポルトガルのコーヒーの飲み方には相当な種類があって、スタンダードなエスプレッソから始まり、お湯多めだとか少なめだとか、後からお湯で割ったものだとか、二番煎じの豆を使うなど様々だ。ミルクの入れ方にもバリエーションは果てしなく、数滴たらす、半分入れる、多めに入れる、フォームしたミルクを入れる、カップでなくグラスに入れる、等々。そしてそれらは「café ◯◯」などと呼ばれずに、「galão」とか「pingado」とか「abatanado」とか、1つ1つ立派な名前を与えられているのだ。スターバックスでもカスタマイズして同様の飲み方はできるだろうけれど、「ミルク多め」ではなくいちいち名前をつけるのがコーヒー好きのポルトガルらしい。名付ける、というのは対象に愛着がある証拠でもある。

友達をあだ名で呼ぶのは親しさの裏返しでもあるし、ペットにもふつう名前をつける。お掃除ロボットのルンバを買った時、アプリをインストールしたら名前をつけるよう求められて感心した。適当でも名前をつけたらその日から子供たちはそれをルンバとは呼ばずに名前で呼びはじめ、いまや完全に定着した。名付けの威力は絶大だ。名付けるという行為は、本人ではなく外野に決定権があるのが面白い。必然的に名前には名付けた人の視点や考えが入り込むので、他者への関心を含んでいて、ベクトル的だ。プロダクトデザイナーの立場からすると、デザインしたプロダクトを愛着を持って使ってもらえることほど嬉しいことはない。街なかで自分がデザインしたカメラを使っている人を見かけることがあるが、できることなら抱きしめたいくらいである。愛着を持ってもらうにはどうすれば良いかを日々考えてデザインしていて、ベクトルを包含する名付けという行為は1つのヒントだと思っている。


日本の商業施設の名前にはなぜかラテン語圏の言語が多く使われる。ルミネ、パルコ、アトレ、シャポー、アルタ。英語だと意味と直結しやすいからだと思うけれど、敢えて意味がわからないようにするというのは考えてみればおかしな話だ。では適当に名付けられたのかと言えばむしろ逆、そのわからなさは絶妙なさじ加減で、どこかの国のいい意味の単語なんだろう、くらいでそれ以上追求しない程度に設計されている。日本から見るとラテン語の国々は丁度よい“わからなさ”なのかも知れない。
ポルトガルから見た日本もまた然り。たとえば、近所のスーパーの若い女性店員の腕には日本語のタトゥーが入っている。タトゥーはこちらでは珍しくなく、老若男女問わず入れているのだが、20代前半であろう彼女の腕には控えめなサイズのひらがなで「おばさん」と入っているのである(!)日本人としては反射的に意味を解釈してしまうので笑ってしまう。その点日本の商業施設の名付けの方がまだ慎重である。会計の際に彼女に「それ日本語だね」と話すと「そう、かわいいでしょ」と微笑まれた。それ以上何も返せなかった。


ポルトガル語の教室に通っている。先生は自分より年上の生徒たちに向かっても容赦なく「ニョ」「ニャ」をつけて呼ぶ。それだけでは物足りなかったようで、途中からさらに「マヌエル」や「マリア」など聖人の名前を後ろにつけるようになった。僕であれば「ケイタジーニョ・マヌエル」と呼ばれる。ポルトガル人は名前が短いと不安なのかもしれない。
クラスメイトは見事に様々な国籍だ。フランス、ドイツ、リトアニア、アメリカ、イラン、エジプト、セネガル、アルジェリア、中国、ロシア、ウクライナ。十数人のクラスだけれど、さながら小さな世界地図だ。ここでは自然と一人ひとりが母国の名前を背負うことになる。これは結構新鮮な体験で、国の違いは個人の違いの延長上にあるのだと素直に実感する。あなたと私が違うのは当たり前。そこに差はあれど、そもそも自分と同じ人間などいないのだから、その差が境界を生むことはない。みんなでポルトガル語習得という1つの目標に向かって努力する。それぞれの母国語の訛りで、ポルトガル語を順番に読む。なぜ国境は境という字を使うのだろうと考えたりする。
(さとう けいた)
■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。跡見学園女子大学兼任講師。SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰。
・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は2023年10月20日の予定です。
「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと- 第6回 阿部勤さんのこと」
●8月13日(日)~8月21(月)は夏季休廊中です。
◆「阿部勤建築で一枚の版画(リトグラフ)を見る」
2023年8月25日(金)~9月2日(土) 11:00-19:00 *日曜・月曜・祝日は休廊
本年1月に亡くなられた阿部勤先生(1936-2023)は2021年11月22日の日付の入ったリトグラフ「中心のある家」を制作されていました。
阿部先生が設計された個人住宅Las Casas(2017年からギャラリーときの忘れもの)で、その建築空間を体感していただきながら、遺された版画作品をご覧ください。併せてル・コルビュジエ、安藤忠雄、磯崎新、マイケル・グレイヴス、アントニン・レーモンド、石山修武、六角鬼丈、毛綱毅曠、倉俣史朗、佐藤研吾、杉山幸一郎、光嶋裕介などの建築家の版画・ドローイングを展示します。
●ときの忘れものが販売しているジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」が今年度の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞しました。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
Blu-Ray版:18,000円(税込)
DVD版:15,000円(税込)
商品の詳細は3月4日ブログをご参照ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

名付ける

「アナさん久しぶり!」「久しぶりケイタ。紹介するわ、こちら友達のアナさん」ポルトガルではこんなことがよく起こる。名前をオリジナルでつけることが少ないためだ。親が外国籍の場合は好きにつけて良いのだが、両親がポルトガル国籍の場合は、キリスト教の聖人名などで構成される名前リストから選ぶ必要がある。そのためアナさんの友達はアナさんで、それぞれの夫の名前が2人ともミゲル、なんていうことが起こる。実用上支障があるので、フルネームは父方の名字や母方の名字などを続け、たいてい4語や5語で形成される。名前が同じでも、名字も含めていけばそのうち特定されるから問題ないとのこと。画数まで気にして我が子を名付ける日本人からすると、随分あっさりした名付け方だ。


名前に「ニョ」(またはニャ)をつけたがるのもポルトガルだ。「◯◯ちゃん」くらいの意味で、英語だと「little ◯◯」にあたる。そう書くと子供につけるイメージで、確かに子供に使うことは多いのだけれど、大人にも使う。ブラジルのサッカー選手「ロナウジーニョ」の本名は「ロナウド」だ。なるほど、人に親しみを込める意味合いなのだなと解釈していると、名前以外にもつけるから驚く。「かわいい」をあらわす単語「fofa」(フォファ)が「fofinha」(フォフィーニャ)になる。「ありがとう」を意味する「obrigada」(オブリガーダ)が「obrigadinha」(オブリガディーニャ)になる。こうなってくると、単純に親しみを感じる対象につけるという話でもなくなってくる。かわいい、は形容詞なので、場合によっては目的語にも「ニョ」がついて「フォフィーニョ ロナウジーニョ」のように、ニョがどんどん連なっていく。

ポルトガル人はコーヒーも名前で呼ぶ。ポルトガルのコーヒーの飲み方には相当な種類があって、スタンダードなエスプレッソから始まり、お湯多めだとか少なめだとか、後からお湯で割ったものだとか、二番煎じの豆を使うなど様々だ。ミルクの入れ方にもバリエーションは果てしなく、数滴たらす、半分入れる、多めに入れる、フォームしたミルクを入れる、カップでなくグラスに入れる、等々。そしてそれらは「café ◯◯」などと呼ばれずに、「galão」とか「pingado」とか「abatanado」とか、1つ1つ立派な名前を与えられているのだ。スターバックスでもカスタマイズして同様の飲み方はできるだろうけれど、「ミルク多め」ではなくいちいち名前をつけるのがコーヒー好きのポルトガルらしい。名付ける、というのは対象に愛着がある証拠でもある。

友達をあだ名で呼ぶのは親しさの裏返しでもあるし、ペットにもふつう名前をつける。お掃除ロボットのルンバを買った時、アプリをインストールしたら名前をつけるよう求められて感心した。適当でも名前をつけたらその日から子供たちはそれをルンバとは呼ばずに名前で呼びはじめ、いまや完全に定着した。名付けの威力は絶大だ。名付けるという行為は、本人ではなく外野に決定権があるのが面白い。必然的に名前には名付けた人の視点や考えが入り込むので、他者への関心を含んでいて、ベクトル的だ。プロダクトデザイナーの立場からすると、デザインしたプロダクトを愛着を持って使ってもらえることほど嬉しいことはない。街なかで自分がデザインしたカメラを使っている人を見かけることがあるが、できることなら抱きしめたいくらいである。愛着を持ってもらうにはどうすれば良いかを日々考えてデザインしていて、ベクトルを包含する名付けという行為は1つのヒントだと思っている。


日本の商業施設の名前にはなぜかラテン語圏の言語が多く使われる。ルミネ、パルコ、アトレ、シャポー、アルタ。英語だと意味と直結しやすいからだと思うけれど、敢えて意味がわからないようにするというのは考えてみればおかしな話だ。では適当に名付けられたのかと言えばむしろ逆、そのわからなさは絶妙なさじ加減で、どこかの国のいい意味の単語なんだろう、くらいでそれ以上追求しない程度に設計されている。日本から見るとラテン語の国々は丁度よい“わからなさ”なのかも知れない。
ポルトガルから見た日本もまた然り。たとえば、近所のスーパーの若い女性店員の腕には日本語のタトゥーが入っている。タトゥーはこちらでは珍しくなく、老若男女問わず入れているのだが、20代前半であろう彼女の腕には控えめなサイズのひらがなで「おばさん」と入っているのである(!)日本人としては反射的に意味を解釈してしまうので笑ってしまう。その点日本の商業施設の名付けの方がまだ慎重である。会計の際に彼女に「それ日本語だね」と話すと「そう、かわいいでしょ」と微笑まれた。それ以上何も返せなかった。


ポルトガル語の教室に通っている。先生は自分より年上の生徒たちに向かっても容赦なく「ニョ」「ニャ」をつけて呼ぶ。それだけでは物足りなかったようで、途中からさらに「マヌエル」や「マリア」など聖人の名前を後ろにつけるようになった。僕であれば「ケイタジーニョ・マヌエル」と呼ばれる。ポルトガル人は名前が短いと不安なのかもしれない。
クラスメイトは見事に様々な国籍だ。フランス、ドイツ、リトアニア、アメリカ、イラン、エジプト、セネガル、アルジェリア、中国、ロシア、ウクライナ。十数人のクラスだけれど、さながら小さな世界地図だ。ここでは自然と一人ひとりが母国の名前を背負うことになる。これは結構新鮮な体験で、国の違いは個人の違いの延長上にあるのだと素直に実感する。あなたと私が違うのは当たり前。そこに差はあれど、そもそも自分と同じ人間などいないのだから、その差が境界を生むことはない。みんなでポルトガル語習得という1つの目標に向かって努力する。それぞれの母国語の訛りで、ポルトガル語を順番に読む。なぜ国境は境という字を使うのだろうと考えたりする。
(さとう けいた)
■佐藤 圭多 / Keita Sato
プロダクトデザイナー。1977年千葉県生まれ。キヤノン株式会社にて一眼レフカメラ等のデザインを手掛けた後、ヨーロッパを3ヶ月旅してポルトガルに魅せられる。帰国後、東京にデザインスタジオ「SATEREO」を立ち上げる。2022年に活動拠点をリスボンに移し、日本国内外のメーカーと協業して工業製品や家具のデザインを手掛ける。跡見学園女子大学兼任講師。SATEREO(佐藤立体設計室) を主宰。
・佐藤圭多さんの連載エッセイ「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと-」は隔月、偶数月の20日に更新します。次回は2023年10月20日の予定です。
「大西洋のファサード -ポルトガルで思うこと- 第6回 阿部勤さんのこと」
●8月13日(日)~8月21(月)は夏季休廊中です。
◆「阿部勤建築で一枚の版画(リトグラフ)を見る」
2023年8月25日(金)~9月2日(土) 11:00-19:00 *日曜・月曜・祝日は休廊

阿部先生が設計された個人住宅Las Casas(2017年からギャラリーときの忘れもの)で、その建築空間を体感していただきながら、遺された版画作品をご覧ください。併せてル・コルビュジエ、安藤忠雄、磯崎新、マイケル・グレイヴス、アントニン・レーモンド、石山修武、六角鬼丈、毛綱毅曠、倉俣史朗、佐藤研吾、杉山幸一郎、光嶋裕介などの建築家の版画・ドローイングを展示します。
●ときの忘れものが販売しているジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」が今年度の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞しました。

各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
Blu-Ray版:18,000円(税込)
DVD版:15,000円(税込)
商品の詳細は3月4日ブログをご参照ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

コメント