梅津元「瑛九-フォト・デッサンの射程」
第1回「You’re going to regret-第23回×第33回・瑛九展」
You’re going to regret, ニュー・オーダーのセカンド・アルバム『Power, Corruption & Lies』(1983)の冒頭を飾る「Age of Consent」から、まさかの不意打ち。そう、regret、今、私は、猛烈に後悔している。10年前の自分に言ってやりたい、「You’re going to regret」、君はきっと後悔する、と。
第23回瑛九展(2013)と第33回瑛九展(2023)
声を大にして言いたい。瑛九が提唱した「フォト・デッサン」は、瑛九流フォトグラムではない。もちろん、フォト・デッサンと称される作品の中に、瑛九流フォトグラムと見なすことができる作品が含まれていることは確かである。だが、そのような作品は、フォト・デッサンと総称される作品群のひとつの傾向を示すにすぎない。フォト・デッサンの射程は、フォトグラムの射程よりも、はるかに広く、はるかに深い。
そのことは、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」(宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館)において明確に示し、2013年の「第23回瑛九展」(ときの忘れもの)におけるギャラリー・トーク、2017年の「ガラスの光春-瑛九の乱反射」(『現代の眼』622号、東京国立近代美術館)、2019年の「瑛九と光春-イメージの版/層」(埼玉県立近代美術館)などでも表明してきたつもりであるが、このような基本的な認識さえも、いまだに共有されているとは言い難い。だが、そのような状況にとどまっていることの要因のひとつが、私自身の不甲斐ない振る舞いにあることを、今回の「第33回瑛九展 湯浅コレクション」を機に思い知らされ、深い後悔の念にとらわれている。
今から遡ること10年、2013年5月31日、まだ青山時代のときの忘れものにおいて、「第23回瑛九展」の会期中、瑛九についてのギャラリー・トークを行う機会を得た。このトークを企画し、和やかな雰囲気の中でトークを開催してくださった綿貫夫妻とスタッフの方々に、遅まきながら、深く感謝したい。なぜなら、このギャラリー・トークにおいて、瑛九について長年考えてきたことをまとまった形で示すことができたからである。
ところが、その重要な機会をその後につなげるための絶好の機会を、私は自ら放置してしまったのである。このギャラリー・トークの記録をブログで公開しますという提案をいただき、ほどなく、テープ起こしをすませたデータが送られてきた。そのデータを出力した校正紙が、今も手元にある、赤鉛筆で「校正する」と書いてある。しかし、赤字が入らないまま10年が過ぎた。この時、校正を進め、ギャラリー・トークの記録が公開されていたら、少しは違っていたのではないか、後悔の念が押し寄せてくる。
そろそろ具体的な話をしないとならない。事の発端は、今年、2023年6月に、ときの忘れものにおいて開催された「第33回瑛九展 湯浅コレクション」である。出来ていないことが山積したままの日々、それはもちろん、ここで書いている後悔の念と直結しており、舞い込んでくる様々な依頼に応じることを難しくさせている。だから、この展覧会を契機とする原稿依頼に対しても消極的な対応しかできなかったのだが、作品を目にした瞬間、私の中で何かが覚醒した。「作品を見る」という体験が、何事に対しても逡巡するばかりの私の思いとは別な次元で感覚を開き、「書かなければならない」と、誰かが告げている。
「湯浅コレクション」の質の高い作品に息を飲み、目が開き、感覚が覚醒する。「多分、書くことになると思いますが。」などと、まるで他人事のようにしか語ることができないことを自覚しつつ、それでも、書かなければならないことを受け入れる気持ちになり、だからこそ、後悔の念がますます強くなる。
10年前、ギャラリー・トークの内容を公開できていたら、瑛九のフォト・デッサンについての理解は、もう少し進んでいたのではないか。もし、そうなっていたとしたら、これから開始される連載を、もう少しスムーズに進めることができたのではないか、後悔先に立たず、だから、10年前の自分に、何度でも宣告する、「You’re going to regret」。
瑛九のフォト・デッサンについての理解が進んでいないことに対する危惧と苛立ちを強く感じるが、その苛立ちはブーメランのように戻ってきて、なすべきことを放置してきた自分自身の振る舞いを直撃する。だから、「第33回瑛九展 湯浅コレクション」(2023)に出品された作品について具体的に論じるこの連載は、「第23回瑛九展」(2013)のギャラリー・トークにおいて示した議論を総論的な軸として展開されなければならない。
「瑛九氏のフォト・デッサン」『みづゑ』1936年3月号
連載の開始にあたり、個人的な事情に拘泥するような文章を長く書き連ねてしまったことをご容赦願いたい。本題に入るにあたり、まず、瑛九の言葉を紹介したい。
「(前略)僕の仕事といふとワカラズやはマン・レイと同じ仕事かと思ひやがるので不愉快だが、オレがマン・レイをケイベツしてゐる事はワカルやつにはワカつてゐる(後略)」
瑛九の手紙(山田光春宛、1936年3月9日)より(出典:『瑛九1935-1937闇の中で「レアル」を探す』東京国立近代美術館、2016年、129頁。)
この手紙が書かれてから87年が経過しているが、フォト・デッサンを「瑛九流のフォトグラム」と説明しているようでは、いつまでたっても、「ワカラズや」の誹りを逃れられないことを知るべきだ。
この手紙が書かれた「1936年3月9日」という日付には、重要な意味がある。「瑛九氏のフォト・デッサン」が掲載された雑誌『みづゑ』1936年3月号は「1936年2月20日印刷納本・3月3日発行」であり、『眠りの理由』は「1936年4月6日納本・4月10日発行」である。つまり、この手紙が書かれた「1936年3月9日」は、『みづゑ』1936年3月号の刊行より後の日付であり、なおかつ、『眠りの理由』の出版よりも前の日付なのである。
また、展覧会に目を向ければ、1936年の4月から6月にかけて、フォト・デッサンの個展が、東京(銀座紀伊國屋ギャラリー/4月6日~10日)、大阪(三角堂/6月3日~6月6日)、宮崎(西村楽器店/6月12日~13日)において、それぞれ開催されている。
ここで、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」の重要性を、改めて、強く主張したい。『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」において、「瑛九」という名前と「フォト・デッサン」という呼称が、同年4月発行の『眠りの理由』ならびに同年4月~6月に東京、大阪、宮崎で開催された個展に先行して、使われているからである。
つまり、「瑛九のデビュー作」と見なされている『眠りの理由』は、正確に言えば、「瑛九のデビュー作品集」であり、「瑛九」の名前で最初に発表された作品は、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品なのである。
では、「瑛九」の名前で最初に発表された、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」を見ていこう。

fig.1:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」199頁
瑛九のその後の活動を視野に入れるならば、この作品は、『眠りの理由』に収録された10点のフォト・デッサンと同じタイプであることがわかる。このタイプについてならば、「瑛九流のフォトグラム」と説明しても間違いではない。

fig.2:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」213頁
fig.2(213頁)は、fig.1(199頁)とは全くタイプが異なる作品である。奇怪でグロテスクな印象は、瑛九のコラージュ作品と共通しているように感じられる。なお、図版掲載ページにはタイトルなどの文字情報が記載されていないため天地は不明である。ここでは、『みづゑ』1936年3月号の誌面の天地に従って掲載している(fig.1も同様)。

fig.3:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」214頁

fig.4:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」215頁
fig.3(214頁)とfig.4(215頁)も、fig.2(213頁)と同じタイプの作品であるが、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」において、制作に用いられたガラス原板(乾板)が展示されている。このことは、極めて重要である。なぜなら、このガラス原板(乾板)に見られる画像がカメラによって撮影されたものであり、そこに瑛九が施した加工の様子を具体的に確認することができるからである。同時に、ガラス原板(乾板)には見られない線が、焼付後の印画紙の上から描画されたものであることも判明する。

fig.5:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」216頁
fig.5(216頁)も、原理的には、fig.2~4(213~215頁)と同じタイプの作品であるが、ガラス原板(乾板)の焼付によって得られた画像の外側にも線描が見られる点が注目される。なぜなら、この線描は、焼付によって得られた画像を拡張するように、瑛九が印画紙の上から描画したものであることがわかるからである。
以上、見てきたように、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」には、型紙を用いたフォトグラムのタイプ1点(fig.1/199頁)と、カメラで撮影したガラス原板への加工を施したタイプ4点(fig.2~fig.5/213~216頁)の、二つの全く異なる傾向の作品が掲載されていたのである。
なお、掲載された作品の点数については、当初は、どちらのタイプも4点を掲載する予定であったことが、巻末の編者による注記から読み取ることができる。この注記は、巻末に掲載された矢橋六郎による「瑛九氏のフォト・デッサン」と題された短文の末尾に記載されている。

fig.6:『みづゑ』1936年3月号、263頁。
この注記に明確に示されているように、「瑛九」という名前で発表された「フォト・デッサン」には、1936年の瑛九のデビュー当初から、二つの異なる傾向があったのである。フォト・デッサンについて何かを語るならば、まず、この事実を正確に認識しておかなければならない。
フォト・デッサンの3つのタイプ
ここで、フォト・デッサンの射程の広さと深さを再認識するために、改めて、私自身の見解を示しておきたい。瑛九のフォト・デッサンは、制作方法の明確な違いから、以下の3つのタイプに分類することができる。
[A]カメラを用いて撮影したガラス原板(乾板)に加工・描画を施し、これを拡大焼付したもの。この工程によって得られた印画紙の上にさらに描画が施される場合もある。
[B]撮影用のガラス原板(乾板)に直接描画を施し、これを拡大焼付したもの。
[C]印画紙の上にモチーフを置いて感光させることにより像を得るもの。切り抜いた型紙、描画が施された透明シート、版画の試し刷りなどが用いられることも多い。
例えば、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品であれば、fig.1(199頁)は[C]のタイプに、fig.2~fig.5(213~216頁)は[A]のタイプに、それぞれ属していることがわかる。
ここで、極めて重要なことは、上記の3つのタイプのうち、フォトグラムないしフォトグラムの応用技法と見なすことができるのは、[C]のみであり、[A]と[B]はフォトグラムないしフォトグラムの応用技法には属していないことである。このことははっきりしている。
だが、フォト・デッサンが瑛九流のフォトグラムであるという説明がいまだに流布してしまっているのは、『眠りの理由』(1936年)に収められた10点の作品が、全て[C]のタイプであり、しかも、この作品集が「瑛九氏フォート・デッサン作品集」と銘打たれていることが大きく影響していると推測される。
だからこそ、『眠りの理由』よりも早く、「瑛九」の名前で発表された「フォト・デッサン」として、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品の重要性を、ここで、強く主張しておきたい。
Regret
「You’re going to regret」と歌う「Age of Consent」(1983)の10年後、New Orderはアルバム『Republic』(1993)をリリースするが、1曲目のタイトルは「Regret」であった。「Age of Consent」は、数多くあるNew Order の80年代の名曲のひとつであり、「Regret」は数少ないNew Order の90年代の名曲である。しかし、「Regret」の歌詞に「regret」という言葉が登場するのは一回だけ、「It’s nothing I regret」、少しも後悔していない、どうでもいい、というフレーズとして、である。この連載を終える頃、「You’re going to regret」な気持ちが、「It’s nothing I regret」な気持ちへと変化していることを願いつつ、第1回はここまでとしたい。
(うめづ げん)
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日の更新です。次回更新は2023年11月24日を予定しています。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。

《題不詳》
1958年
フォト・デッサン
25.3×20.2cm
サイン・年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第1回「You’re going to regret-第23回×第33回・瑛九展」
You’re going to regret, ニュー・オーダーのセカンド・アルバム『Power, Corruption & Lies』(1983)の冒頭を飾る「Age of Consent」から、まさかの不意打ち。そう、regret、今、私は、猛烈に後悔している。10年前の自分に言ってやりたい、「You’re going to regret」、君はきっと後悔する、と。
第23回瑛九展(2013)と第33回瑛九展(2023)
声を大にして言いたい。瑛九が提唱した「フォト・デッサン」は、瑛九流フォトグラムではない。もちろん、フォト・デッサンと称される作品の中に、瑛九流フォトグラムと見なすことができる作品が含まれていることは確かである。だが、そのような作品は、フォト・デッサンと総称される作品群のひとつの傾向を示すにすぎない。フォト・デッサンの射程は、フォトグラムの射程よりも、はるかに広く、はるかに深い。
そのことは、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」(宮崎県立美術館、埼玉県立近代美術館、うらわ美術館)において明確に示し、2013年の「第23回瑛九展」(ときの忘れもの)におけるギャラリー・トーク、2017年の「ガラスの光春-瑛九の乱反射」(『現代の眼』622号、東京国立近代美術館)、2019年の「瑛九と光春-イメージの版/層」(埼玉県立近代美術館)などでも表明してきたつもりであるが、このような基本的な認識さえも、いまだに共有されているとは言い難い。だが、そのような状況にとどまっていることの要因のひとつが、私自身の不甲斐ない振る舞いにあることを、今回の「第33回瑛九展 湯浅コレクション」を機に思い知らされ、深い後悔の念にとらわれている。
今から遡ること10年、2013年5月31日、まだ青山時代のときの忘れものにおいて、「第23回瑛九展」の会期中、瑛九についてのギャラリー・トークを行う機会を得た。このトークを企画し、和やかな雰囲気の中でトークを開催してくださった綿貫夫妻とスタッフの方々に、遅まきながら、深く感謝したい。なぜなら、このギャラリー・トークにおいて、瑛九について長年考えてきたことをまとまった形で示すことができたからである。
ところが、その重要な機会をその後につなげるための絶好の機会を、私は自ら放置してしまったのである。このギャラリー・トークの記録をブログで公開しますという提案をいただき、ほどなく、テープ起こしをすませたデータが送られてきた。そのデータを出力した校正紙が、今も手元にある、赤鉛筆で「校正する」と書いてある。しかし、赤字が入らないまま10年が過ぎた。この時、校正を進め、ギャラリー・トークの記録が公開されていたら、少しは違っていたのではないか、後悔の念が押し寄せてくる。
そろそろ具体的な話をしないとならない。事の発端は、今年、2023年6月に、ときの忘れものにおいて開催された「第33回瑛九展 湯浅コレクション」である。出来ていないことが山積したままの日々、それはもちろん、ここで書いている後悔の念と直結しており、舞い込んでくる様々な依頼に応じることを難しくさせている。だから、この展覧会を契機とする原稿依頼に対しても消極的な対応しかできなかったのだが、作品を目にした瞬間、私の中で何かが覚醒した。「作品を見る」という体験が、何事に対しても逡巡するばかりの私の思いとは別な次元で感覚を開き、「書かなければならない」と、誰かが告げている。
「湯浅コレクション」の質の高い作品に息を飲み、目が開き、感覚が覚醒する。「多分、書くことになると思いますが。」などと、まるで他人事のようにしか語ることができないことを自覚しつつ、それでも、書かなければならないことを受け入れる気持ちになり、だからこそ、後悔の念がますます強くなる。
10年前、ギャラリー・トークの内容を公開できていたら、瑛九のフォト・デッサンについての理解は、もう少し進んでいたのではないか。もし、そうなっていたとしたら、これから開始される連載を、もう少しスムーズに進めることができたのではないか、後悔先に立たず、だから、10年前の自分に、何度でも宣告する、「You’re going to regret」。
瑛九のフォト・デッサンについての理解が進んでいないことに対する危惧と苛立ちを強く感じるが、その苛立ちはブーメランのように戻ってきて、なすべきことを放置してきた自分自身の振る舞いを直撃する。だから、「第33回瑛九展 湯浅コレクション」(2023)に出品された作品について具体的に論じるこの連載は、「第23回瑛九展」(2013)のギャラリー・トークにおいて示した議論を総論的な軸として展開されなければならない。
「瑛九氏のフォト・デッサン」『みづゑ』1936年3月号
連載の開始にあたり、個人的な事情に拘泥するような文章を長く書き連ねてしまったことをご容赦願いたい。本題に入るにあたり、まず、瑛九の言葉を紹介したい。
「(前略)僕の仕事といふとワカラズやはマン・レイと同じ仕事かと思ひやがるので不愉快だが、オレがマン・レイをケイベツしてゐる事はワカルやつにはワカつてゐる(後略)」
瑛九の手紙(山田光春宛、1936年3月9日)より(出典:『瑛九1935-1937闇の中で「レアル」を探す』東京国立近代美術館、2016年、129頁。)
この手紙が書かれてから87年が経過しているが、フォト・デッサンを「瑛九流のフォトグラム」と説明しているようでは、いつまでたっても、「ワカラズや」の誹りを逃れられないことを知るべきだ。
この手紙が書かれた「1936年3月9日」という日付には、重要な意味がある。「瑛九氏のフォト・デッサン」が掲載された雑誌『みづゑ』1936年3月号は「1936年2月20日印刷納本・3月3日発行」であり、『眠りの理由』は「1936年4月6日納本・4月10日発行」である。つまり、この手紙が書かれた「1936年3月9日」は、『みづゑ』1936年3月号の刊行より後の日付であり、なおかつ、『眠りの理由』の出版よりも前の日付なのである。
また、展覧会に目を向ければ、1936年の4月から6月にかけて、フォト・デッサンの個展が、東京(銀座紀伊國屋ギャラリー/4月6日~10日)、大阪(三角堂/6月3日~6月6日)、宮崎(西村楽器店/6月12日~13日)において、それぞれ開催されている。
ここで、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」の重要性を、改めて、強く主張したい。『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」において、「瑛九」という名前と「フォト・デッサン」という呼称が、同年4月発行の『眠りの理由』ならびに同年4月~6月に東京、大阪、宮崎で開催された個展に先行して、使われているからである。
つまり、「瑛九のデビュー作」と見なされている『眠りの理由』は、正確に言えば、「瑛九のデビュー作品集」であり、「瑛九」の名前で最初に発表された作品は、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品なのである。
では、「瑛九」の名前で最初に発表された、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」を見ていこう。

fig.1:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」199頁
瑛九のその後の活動を視野に入れるならば、この作品は、『眠りの理由』に収録された10点のフォト・デッサンと同じタイプであることがわかる。このタイプについてならば、「瑛九流のフォトグラム」と説明しても間違いではない。

fig.2:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」213頁
fig.2(213頁)は、fig.1(199頁)とは全くタイプが異なる作品である。奇怪でグロテスクな印象は、瑛九のコラージュ作品と共通しているように感じられる。なお、図版掲載ページにはタイトルなどの文字情報が記載されていないため天地は不明である。ここでは、『みづゑ』1936年3月号の誌面の天地に従って掲載している(fig.1も同様)。

fig.3:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」214頁

fig.4:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」215頁
fig.3(214頁)とfig.4(215頁)も、fig.2(213頁)と同じタイプの作品であるが、2011年の「生誕100年記念 瑛九展」において、制作に用いられたガラス原板(乾板)が展示されている。このことは、極めて重要である。なぜなら、このガラス原板(乾板)に見られる画像がカメラによって撮影されたものであり、そこに瑛九が施した加工の様子を具体的に確認することができるからである。同時に、ガラス原板(乾板)には見られない線が、焼付後の印画紙の上から描画されたものであることも判明する。

fig.5:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」216頁
fig.5(216頁)も、原理的には、fig.2~4(213~215頁)と同じタイプの作品であるが、ガラス原板(乾板)の焼付によって得られた画像の外側にも線描が見られる点が注目される。なぜなら、この線描は、焼付によって得られた画像を拡張するように、瑛九が印画紙の上から描画したものであることがわかるからである。
以上、見てきたように、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」には、型紙を用いたフォトグラムのタイプ1点(fig.1/199頁)と、カメラで撮影したガラス原板への加工を施したタイプ4点(fig.2~fig.5/213~216頁)の、二つの全く異なる傾向の作品が掲載されていたのである。
なお、掲載された作品の点数については、当初は、どちらのタイプも4点を掲載する予定であったことが、巻末の編者による注記から読み取ることができる。この注記は、巻末に掲載された矢橋六郎による「瑛九氏のフォト・デッサン」と題された短文の末尾に記載されている。

fig.6:『みづゑ』1936年3月号、263頁。
この注記に明確に示されているように、「瑛九」という名前で発表された「フォト・デッサン」には、1936年の瑛九のデビュー当初から、二つの異なる傾向があったのである。フォト・デッサンについて何かを語るならば、まず、この事実を正確に認識しておかなければならない。
フォト・デッサンの3つのタイプ
ここで、フォト・デッサンの射程の広さと深さを再認識するために、改めて、私自身の見解を示しておきたい。瑛九のフォト・デッサンは、制作方法の明確な違いから、以下の3つのタイプに分類することができる。
[A]カメラを用いて撮影したガラス原板(乾板)に加工・描画を施し、これを拡大焼付したもの。この工程によって得られた印画紙の上にさらに描画が施される場合もある。
[B]撮影用のガラス原板(乾板)に直接描画を施し、これを拡大焼付したもの。
[C]印画紙の上にモチーフを置いて感光させることにより像を得るもの。切り抜いた型紙、描画が施された透明シート、版画の試し刷りなどが用いられることも多い。
例えば、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品であれば、fig.1(199頁)は[C]のタイプに、fig.2~fig.5(213~216頁)は[A]のタイプに、それぞれ属していることがわかる。
ここで、極めて重要なことは、上記の3つのタイプのうち、フォトグラムないしフォトグラムの応用技法と見なすことができるのは、[C]のみであり、[A]と[B]はフォトグラムないしフォトグラムの応用技法には属していないことである。このことははっきりしている。
だが、フォト・デッサンが瑛九流のフォトグラムであるという説明がいまだに流布してしまっているのは、『眠りの理由』(1936年)に収められた10点の作品が、全て[C]のタイプであり、しかも、この作品集が「瑛九氏フォート・デッサン作品集」と銘打たれていることが大きく影響していると推測される。
だからこそ、『眠りの理由』よりも早く、「瑛九」の名前で発表された「フォト・デッサン」として、『みづゑ』1936年3月号に「瑛九氏のフォト・デッサン」として掲載された5点の作品の重要性を、ここで、強く主張しておきたい。
Regret
「You’re going to regret」と歌う「Age of Consent」(1983)の10年後、New Orderはアルバム『Republic』(1993)をリリースするが、1曲目のタイトルは「Regret」であった。「Age of Consent」は、数多くあるNew Order の80年代の名曲のひとつであり、「Regret」は数少ないNew Order の90年代の名曲である。しかし、「Regret」の歌詞に「regret」という言葉が登場するのは一回だけ、「It’s nothing I regret」、少しも後悔していない、どうでもいい、というフレーズとして、である。この連載を終える頃、「You’re going to regret」な気持ちが、「It’s nothing I regret」な気持ちへと変化していることを願いつつ、第1回はここまでとしたい。
(うめづ げん)
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日の更新です。次回更新は2023年11月24日を予定しています。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、瑛九です。

《題不詳》
1958年
フォト・デッサン
25.3×20.2cm
サイン・年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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