中尾美穂~ときの忘れものの本棚から第21回

「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(10)

中尾美穂


前回述べたように、1980年代、90年代に各地に誕生した難波田史男コレクションのほとんどは、父・難波田龍起や周囲の真摯な働きかけに呼応した個人コレクターの功績によるところが大きい。彼らはまず龍起の作品を収集し、龍起の深遠な抽象絵画へ注いだ眼差しで史男作品に真価を見た。龍起の世界観を通して史男の水彩やデッサン、油彩画に魅了された鑑賞者も多数いるはずである。父子の結びつきの強さは、難波田史男がどこにも属さない作家という印象を受ける理由のひとつかもしれない。生前も没後も他作家との展覧が少なく、1971年の第1回展から73年の第3回まで毎年出品していた「新鋭選抜展」(日本橋三越・高麗橋三越)は、1974年の不慮の死によってその後の参加が叶わなかった(同年第4回展には龍起の選定で以下の5点を出品し、入賞する。作品名は《ひとり》《彼方》《女神》《空》《星空の下》で、いずれも早稲田大学會津八一記念博物館に収蔵されている )。史男が同時代・同世代の作家たちとほとんど点を持たなかったのが本意であったとしてもなかったとしても、代わりにこれほど長く父との競演が続くとは想像しなかっただろう。

1986年、東京都世田谷区にオープンした公立の世田谷美術館における難波田史男コレクションも、地元の作家、龍起の作品収蔵がきっかけである。龍起の希望で、開館前年に700点以上の史男作品が同館所蔵となった。館では1988年、1990年にライブラリー前ギャラリーで小規模の「難波田史男展」を開催。1993年に新宿の小田急美術館を会場に「世田谷美術館コレクション 青春の疾走 難波田史男展」、1998年には同館で再び収蔵品展として個展を行なった。

10-0 小田急美術館*難波田家蔵
『世田谷美術館コレクション 青春の疾走 難波田史男展 図録』小田急美術館・読売新聞社、1993年

小田急美術館展カタログによれば、当時の世田谷美術館の収蔵点数は754点。龍起が手元に残していた史男の遺作を含む79点が公開された。遺作は兄・紀夫と最後に出かけた九州・四国旅行の前日まで描いていたという。そして2003年、所蔵品をメインにした企画展「〈時空を超える風景たち〉展 明治の記録画から現代都市の写真まで」では、亡くなる1~2年前に描かれた水彩・油彩が「第10章 空間世界を旅する夢の風景」にまとめられて10点余紹介された。題名不詳または《無題》が多い作品群から、史男自身が題名を添書したものなど、風景と推測できるものが選ばれている。小田急美術館展でも展示された《夕空と舟》(水彩、インク、1972年)などである。こうした企画が図らずも史男作品の具象性や主題の光と闇に焦点を当て、他作家とも龍起とも違う絵画観の作家であることを示した。身近な生活空間からふいと異界へわけもなく越境する、その無邪気さ・軽やかさ・切なさは史男独自のものだ。

10-1 世田谷美術館「LANDSCAPES・・」*難波家蔵
『〈時空を超える風景たち〉展 明治の記録画から現代都市の写真まで』世田谷美術館、2003年、難波田家蔵

難波田家が所蔵する同館印刷物のもう1冊に、三つ折りのリーフレット『難波田史男展』がある。2008年から2009年にかけて2階収蔵品展示室で行われた。収蔵品展示室といえども広々とした空間で、大作《モグラの道》(水彩・インク、1963年)、《イワンの馬鹿》(水彩・インク、1964年)、《サンメリーの音楽師》(油彩、1968年)が一挙公開されている。

10-2 世田谷美術館「難波田史男展」*難波田家蔵
『難波田史男展』世田谷美術館2階収蔵品展示室、2008年、難波田家蔵

龍起は父子の距離についてどう書いたか。リーフレットに再掲の回想を参照しよう。

画家や彫刻家の二代目は私の知っている範囲でもかなりいる。そしてその二代目は親に似ることをむしろ欲しない鬼子が多いようである。史男の場合でも、私とはおのずから違う絵画の勉強をして自己を形成してきたように思われる。第七画廊に出した現代絵巻物風な全紙十枚分のガッシュの大作や油の百号を七枚もつづけた大作になると、それこそ私の面影などみじんもなくなっている。
(難波田龍起「史男の絵について」『難波田史男展』リーフレットより)

ちなみに文中の「油の百号を七枚もつづけた大作」が≪サンメリーの音楽師≫である。

ちょうど今夏、東京オペラシティアートギャラリーでのコレクション展が開かれ、史男の水彩やデッサンをあらためて観た。初めて作品を観たときに感じたユーモアとさわやかな色彩が、20年以上経っても変わらずにある。龍起の油彩とともに入口近くに展示され、国内屈指の近現代美術コレクションの導入部にふさわしい品格を感じさせる。父子の共通点といっていいだろう。さらに史男の水彩は、近づいて見るとにじみがコントロールされていて無駄に濁らない。そのため、ドライで軽快な明るさが感じられる。主観だが、父の作品と比較した時にとりわけ明るさや軽さが強調されるように思う。それは史男自身、意識したことであろう。

10-3 オペラシティ「Preview|5難波田史男展」*難波田家蔵
『Preview5 難波田史男展 ―未発表油彩を中心に―』東京オペラシティ難波田展示室(東京オペラシティ文化財団)、1998年、難波田家蔵

同コレクションの最初期の展示「Preview5 難波田史男展 ―未発表油彩を中心に―」では、その水彩の軽快さが油彩にも応用されている点に触れている。

油彩の厚みと粘りをいかしつつ、いかに軽快に見せるかの腐心が、そこには認められるからだ。
(正木基「難波田史男の水彩と油彩」『Preview5 難波田史男展 ―未発表油彩を中心に―』より)

また同論考の最後に、作品タイトル〈無題〉の不統一についての興味深い補足がある。〈無題〉は龍起と澄江夫人がつけたもの、〈無題〉以外のタイトルは史男自身によるものと両親によるもの、さらに展覧会スタッフによるものがあるという。作品の手がかりが、まとまったコレクションによって見つかりやすくなる好例である。そして2004年の「タイム・オブ・マイ・ライフ 永遠の少年たち」展で、「青春」の作家として企画の中心的存在に位置づけられた。同年は史男の没後30年にあたる(2)。こうした扱いが、難波田家所蔵の史男資料をざっと通してみてきた筆者には新鮮に映る。限られた資料や証言をよりどころにすることなく、難波田史男という作家を知るのは難しい。しかし今日、 私たちは前よりも自由に、思いがけない扉から彼の作品に近づくことができる。

10-4 オペラシティ「タイム・オブ・・・」*難波田家蔵
『タイム・オブ・マイ・ライフ 永遠の少年たち』リーフレットおよびパンフレット 東京オペラシティアートギャラリー、2004年、難波田家蔵

10-5 オペラシティ「タイム・オブ・・・」2*難波田家蔵
「タイム・オブ・マイ・ライフ」展リーフレット

10-6 オペラシティ「タイム・オブ・・・」3*難波田家蔵
「タイム・オブ・マイ・ライフ」展リーフレット

画業と呼ぶにはあまりにも短すぎる10年ほどの間に、彼が遺した2,000点以上にのぼるドローイング、油彩、版画などの作品は、生への純粋な希求とその理想に、永遠の夢を求め続けた一人の青年の魂の記録というべきだろう。
堀元彰「永遠の少年たち――美術の青春、あるいは青春の美術」『タイム・オブ・マイ・ライフ 永遠の少年たち』パンフレットより)

(註)
1)難波田武男氏のご教示による
2)堀元彰氏のご教示による

(なかお みほ)

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
201603_collection池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」奇数月の19日に掲載します。
次回は2024年1月19日の予定です。


●本日のお勧め作品は難波田龍起です。
nambata-70《(作品)》
色紙に水彩、鉛筆、パステル
イメージサイズ:25.0×21.0cm
シートサイズ:26.5×23.0cm
サインあり
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*本日(日曜)と明日20日(月曜)画廊は開廊していますが、11月19日(日)は山手線内回りの池袋~渋谷~大崎間の全列車が運休しています。お気をつけてお越しくださいませ。


臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら、12月2日(土)は臨時休業とさせていただきます。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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