酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」第3回
「西脇順三郎展―いちファンとしての没後20年展」
2002年(平成14年)4月7日から4月27日の期間、西脇順三郎の絵画と著作(主に詩集) を蒐集したものを「いちファンとしての没後20年展」として展示しました。開催場所は、当時、港区高輪にあった限定本や初版本を主として扱っていた書肆・啓祐堂 (今は廃業されています) という狭いギャラリーを併設した古書店でした。
マンションのコンクリート階段を少し上がった中二階で古書店を営んでおられたご主人は、サラリーマン時代に集めた本で、定年後にこの店を始められたということでした。道路からファサードを見上げると (添付の写真) 、モダンなデザインのショーウインドー越しに、それらしい本が並んでいて、古書好きには覗かないわけにはいかないのでした。「お気軽にお入り下さい」の文字にもワクワクしたのを、今になっても“動悸”がする思いです。
この古書店の存在を教えてくれたのは画家の料治幸子さん (「ときの忘れもの」でも取り扱っています)でした。料治さんもまた高輪在住の方でありました。開店されたのが1999年だということでしたから、私が最初に訪れたのもまたこの年で、爾来、私は会社が終わるとほとんど毎日と言ってもいいくらいに訪れたものでした。ご主人の杉本光生(てるお)氏とは、やはり本や絵の話で時間を忘れるくらいに、またほかのお客様も見えられてご一緒に食事やなんかして帰ることも多く、いつもほとんど終電でありました。
閑話休題。この古書店は細長い店舗で、入って手前の部屋には本がズラッと並び、トイレ・水回りを挟んで奥の方がギャラリーになっていました。そう多くはない私の西脇コレクションの展示にはお誂え向きでした。杉本氏は私の西脇展の提案に即快諾してくれました。
という文面で案内ハガキを作成しました。写真にありますように案内には、長編散文詩「トリトンの噴水」を単行本化した1955年発行(トリトン社)の詩集『ANDROMEDA』の表紙を使いました。勿論この詩集の装丁は詩人本人であります。
この展覧会でもまた、たくさんの人たちとの出会いがありました。準備段階では、ベルギーの画家詩人アンリ・ミショー(1899-1984)のコレクターでもある詩人・美術評論家の鶴岡善久氏(1936年生)から貴重な文献と西脇のポートレートをお借りすることができました。当時、鶴岡氏はご自宅で私設のミショー美術館を公開していました。時折ご自宅に伺ってはミショー以外の絵画作品や稀覯本なども拝見させていただき、近所の飲み屋かなんかでたくさんお話を伺ったのですが、残念ながら今ではもう忘れてしまいました。
2003年に佐谷画廊で開催された 『第24回オマージュ瀧口修造展 西脇順三郎と瀧口修造』の展覧会カタログ巻頭に掲載された鶴岡氏の「西脇順三郎の絵画・私見」の一節に、
とありますが、確かに西脇絵画の人物はどこか浮遊感が漂って、実に自然の背景に揺らめいているように思います。それは現実世界には在り得ない非在性を思わせますが、しかし「存在」というのはなにも構築性のある重量感を感じさせるものばかりではないと思います。漂うものにさえも生命は存在しています。私は、そういう漂う存在を目に見えるように形象したのが西脇順三郎の絵画ではないかと思うのです (ここで、「漂う存在」のことを「霊魂」などとは言わないけれども… )。
西脇絵画のポエジーは自然世界の藪の中に潜み遍在して、自在に変容しているのではないか、などと想像してもいるのです。そしてこれは詩人の理性の表現ではなく感性の稀有なるエクスプレッションなのだと思います。こういう変容する「存在」に何故か知れず、惹かれている自分がいるのです。部屋に掛けておくと、私の日々には何かがそよぐのを感じるのです。これはとてもありがたいことで、この何かというものが「つまらない現実」に喜びと快楽をもたらしてくれるのです。思えば、これが私の西脇順三郎の絵画が好きな理由です。
そして、開催中には当時の資生堂会長の福原義春氏(1931-2023)が来場して下さいました。福原氏が見えてくれたのも料治さんの繋がりからでした。残念ながら氏は今年の八月にお亡くなりになり、「永劫の旅人かへらず」になられました。ご冥福をお祈り致します。
会場でのお話の中で福原氏は「私は西脇先生をとても尊敬しております……」と仰ったことは、20年を経た今でも鮮明に覚えています。現代詩に造詣の深かった福原氏のこの言葉は、西脇の詩集を開くたびにいつも私の念頭にあるのです。今は終了していますが資生堂主催の「現代詩花椿賞」という文学賞の創設とパトロネージュは、福原氏の西脇順三郎への胸中密やかなオマージュだったのではないかと私は思っています。
下記は詩集「旅人かへらず」(昭和22年刊)より165番の一節です。
■酒井実通男(さかいみちお)
昭和27年(1952)12月、新潟県長岡市生まれ。中央大学理工学部卒。
エンジニアとしてサラリーマン生活を続ける傍ら、2004年7月東京目黒にて、絵画と本と椅子のギャラリー“gallery artbookchair”を開店(金・土・日のみ)。2008年6月故郷・長岡市にUターンする。現在は、集めた本の整理とフラヌールの日々。長岡市栃堀在住。
・酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」(全6回)は毎月23日の更新です。次回は12月23日掲載となります。
●本日のお勧め作品は、駒井哲郎です。
《顔(びっくりしている少女)》
1975年
銅版
23.0×21.0cm
Ed.60
サインあり
※レゾネNo.312(美術出版社)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら、12月2日(土)は臨時休業とさせていただきます。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

「西脇順三郎展―いちファンとしての没後20年展」
2002年(平成14年)4月7日から4月27日の期間、西脇順三郎の絵画と著作(主に詩集) を蒐集したものを「いちファンとしての没後20年展」として展示しました。開催場所は、当時、港区高輪にあった限定本や初版本を主として扱っていた書肆・啓祐堂 (今は廃業されています) という狭いギャラリーを併設した古書店でした。
マンションのコンクリート階段を少し上がった中二階で古書店を営んでおられたご主人は、サラリーマン時代に集めた本で、定年後にこの店を始められたということでした。道路からファサードを見上げると (添付の写真) 、モダンなデザインのショーウインドー越しに、それらしい本が並んでいて、古書好きには覗かないわけにはいかないのでした。「お気軽にお入り下さい」の文字にもワクワクしたのを、今になっても“動悸”がする思いです。
上・道路から見上げた書肆・啓祐堂ファサード
下・「没後20年展」の案内状
下・「没後20年展」の案内状
この古書店の存在を教えてくれたのは画家の料治幸子さん (「ときの忘れもの」でも取り扱っています)でした。料治さんもまた高輪在住の方でありました。開店されたのが1999年だということでしたから、私が最初に訪れたのもまたこの年で、爾来、私は会社が終わるとほとんど毎日と言ってもいいくらいに訪れたものでした。ご主人の杉本光生(てるお)氏とは、やはり本や絵の話で時間を忘れるくらいに、またほかのお客様も見えられてご一緒に食事やなんかして帰ることも多く、いつもほとんど終電でありました。
閑話休題。この古書店は細長い店舗で、入って手前の部屋には本がズラッと並び、トイレ・水回りを挟んで奥の方がギャラリーになっていました。そう多くはない私の西脇コレクションの展示にはお誂え向きでした。杉本氏は私の西脇展の提案に即快諾してくれました。
拝啓、東京もあたたかい季節になりました。
さてこの度、詩人西脇順三郎の没後20年に当たり、その業績を偲び、
急でササヤカな展覧会を開くことに致しました。著作に加えて詩人の
水彩・ドローイング・版画の絵画作品も合わせて展示し、この展覧会を
‘ キリギリスの霊魂 ’へのささげものにしたいと思います。
古書肆の小さなギャラリーではありますが、皆様にぜひご高覧いただ
きたくご案内致します。 敬白
さてこの度、詩人西脇順三郎の没後20年に当たり、その業績を偲び、
急でササヤカな展覧会を開くことに致しました。著作に加えて詩人の
水彩・ドローイング・版画の絵画作品も合わせて展示し、この展覧会を
‘ キリギリスの霊魂 ’へのささげものにしたいと思います。
古書肆の小さなギャラリーではありますが、皆様にぜひご高覧いただ
きたくご案内致します。 敬白
という文面で案内ハガキを作成しました。写真にありますように案内には、長編散文詩「トリトンの噴水」を単行本化した1955年発行(トリトン社)の詩集『ANDROMEDA』の表紙を使いました。勿論この詩集の装丁は詩人本人であります。
狭いギャラリースペースでの展示シーン
この展覧会でもまた、たくさんの人たちとの出会いがありました。準備段階では、ベルギーの画家詩人アンリ・ミショー(1899-1984)のコレクターでもある詩人・美術評論家の鶴岡善久氏(1936年生)から貴重な文献と西脇のポートレートをお借りすることができました。当時、鶴岡氏はご自宅で私設のミショー美術館を公開していました。時折ご自宅に伺ってはミショー以外の絵画作品や稀覯本なども拝見させていただき、近所の飲み屋かなんかでたくさんお話を伺ったのですが、残念ながら今ではもう忘れてしまいました。
2003年に佐谷画廊で開催された 『第24回オマージュ瀧口修造展 西脇順三郎と瀧口修造』の展覧会カタログ巻頭に掲載された鶴岡氏の「西脇順三郎の絵画・私見」の一節に、
(前略) 西脇順三郎の絵画を見直すと、そこに描かれている人物や天使たちが見えるのだが、ぼくには何となくすべての人物のリアリティが希薄であるのに気づくのだ。絵画のなかで人物は影像としてのリアリティをなくして映像と化している。いや光により生ずる映像を通りこして、人物たちは本質的に「不在」なのではないかと思えてくる。西脇順三郎の絵画において、見えている人物はあくまで自然そのものである。自然そのものであることによって、西脇順三郎の絵画は「不在としての存在」というパラドックスを内包しているのではないか、とぼくはしきりに思うのである。(以下略)
とありますが、確かに西脇絵画の人物はどこか浮遊感が漂って、実に自然の背景に揺らめいているように思います。それは現実世界には在り得ない非在性を思わせますが、しかし「存在」というのはなにも構築性のある重量感を感じさせるものばかりではないと思います。漂うものにさえも生命は存在しています。私は、そういう漂う存在を目に見えるように形象したのが西脇順三郎の絵画ではないかと思うのです (ここで、「漂う存在」のことを「霊魂」などとは言わないけれども… )。
西脇絵画のポエジーは自然世界の藪の中に潜み遍在して、自在に変容しているのではないか、などと想像してもいるのです。そしてこれは詩人の理性の表現ではなく感性の稀有なるエクスプレッションなのだと思います。こういう変容する「存在」に何故か知れず、惹かれている自分がいるのです。部屋に掛けておくと、私の日々には何かがそよぐのを感じるのです。これはとてもありがたいことで、この何かというものが「つまらない現実」に喜びと快楽をもたらしてくれるのです。思えば、これが私の西脇順三郎の絵画が好きな理由です。
部屋に掛かる西脇順三郎の水彩画
そして、開催中には当時の資生堂会長の福原義春氏(1931-2023)が来場して下さいました。福原氏が見えてくれたのも料治さんの繋がりからでした。残念ながら氏は今年の八月にお亡くなりになり、「永劫の旅人かへらず」になられました。ご冥福をお祈り致します。
会場でのお話の中で福原氏は「私は西脇先生をとても尊敬しております……」と仰ったことは、20年を経た今でも鮮明に覚えています。現代詩に造詣の深かった福原氏のこの言葉は、西脇の詩集を開くたびにいつも私の念頭にあるのです。今は終了していますが資生堂主催の「現代詩花椿賞」という文学賞の創設とパトロネージュは、福原氏の西脇順三郎への胸中密やかなオマージュだったのではないかと私は思っています。
下記は詩集「旅人かへらず」(昭和22年刊)より165番の一節です。
心の根の互にからまる
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る
種は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭巣の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまはる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る
種は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭巣の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまはる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る
夕暮れの刈谷田川土手
■酒井実通男(さかいみちお)
昭和27年(1952)12月、新潟県長岡市生まれ。中央大学理工学部卒。
エンジニアとしてサラリーマン生活を続ける傍ら、2004年7月東京目黒にて、絵画と本と椅子のギャラリー“gallery artbookchair”を開店(金・土・日のみ)。2008年6月故郷・長岡市にUターンする。現在は、集めた本の整理とフラヌールの日々。長岡市栃堀在住。
・酒井実通男のエッセイ「西脇順三郎をめぐる私のコレクション」(全6回)は毎月23日の更新です。次回は12月23日掲載となります。
●本日のお勧め作品は、駒井哲郎です。

1975年
銅版
23.0×21.0cm
Ed.60
サインあり
※レゾネNo.312(美術出版社)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●臨時休業のお知らせ
誠に勝手ながら、12月2日(土)は臨時休業とさせていただきます。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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