橋本啓子のエッセイ「倉俣史朗の宇宙」(全9回)

倉俣史朗を専門とする唯一といっていい研究者・橋本啓子先生に「倉俣史朗の宇宙」と題してご執筆いただいたのは、2018年10月から2020年3月にかけてでした。
その連載は橋本先生のご多忙なこともあり、残念ながら全9回で終了しましたが、倉俣ファン必読のエッセイです。ぜひお読みいただきたく、全9回の目次を再録します。

橋本啓子
近畿大学建築学部准教授。東京都現代美術館、兵庫県立美術館学芸員を経て博士論文「倉俣史朗の主要デザインに関する研究」(神戸大学)を執筆。以来、倉俣を中心に日本の商環境デザインの歴史研究を行う。倉俣に関する共著に『21_21 DESIGN SIGHT 展覧会ブック 倉俣史朗とエットレ・ソットサス』(株式会社ADP、2010)、Deyan Sudjic, Shiro Kuramata, London: Phaidon Press, 2013(Book 2: Catalogue of Works全執筆)、埼玉県立美術館・平野到、大越久子、前山祐司編著『企画展図録 浮遊するデザイン―倉俣史朗とともに』(アートプラニング レイ、2013年)、Atlas of Furniture Design, Vitra Design Museum, 2019(倉俣に関する全項目執筆)など。

2018年10月04日 第1回~三木富雄展ポスター(1972)
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2018年10月9日(火)から倉俣史朗(1934-1991)の展覧会が駒込のギャラリー「ときの忘れもの」で始まる。ご縁があって、不相応ながら今回の出品作を中心に倉俣史朗について書かせていただくことになった。学生時代にみた倉俣の、まるで生きているような引出し《変型の家具 SIDE1》(1970)(注1)が忘れられず、その魅力の謎を解き明かしたくて研究らしきものを開始したのが十数年前。今に至るまで、多くの方々にお世話になった。


2018年10月24日 第2回~Cabinet de Curiosite(1989)
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「ときの忘れもの」の綿貫氏から、《Cabinet de Curiosite カビネ・ド・キュリオジテ、図1》の出品が急遽決まったと聞いたとき、あのどこまでも透明な、色の光だけで出来たかのような飾り棚が秋の日差しを受けて瀟洒な回廊を照らし出す光景が頭の中に広がった。それはまるで、ずっと夢の世界の中にいた飾り棚が現実世界への扉を開けて家の内部に赴き、鎮座したかのようだった。


2018年12月12日 第3回~Just in Time (1986)
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《Just in Time ジャスト・イン・タイム》に衝撃を受けた人は多い。筆者もそのひとりだ。衝撃の理由は人によってさまざまだろう。この時計が、時刻がはっきり分からない時計であることに驚く人もいれば、デザイナーの柳原照弘の次の言葉のように感じる人もいる。

「これを見た時、目の前にあるのは美しい時計ではなく、美しい時間なんだと思った。」


2019年03月12日 第4回~Glass Chair (硝子の椅子)(1976)
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画像:「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」展覧会図録(朝日新聞社)P101より
《Glass Chair 硝子の椅子》(図1、1976)は世界中の美術館が所蔵する倉俣の傑作デザインである。ガラス職人の三保谷友彦(1945-2016)が金物とガラスの接着剤「フォトボンド100」に出会ったことでこの驚異的な椅子が生まれた話はよく知られている。


2019年04月12日 第5回~アバンギャルドショップ「カプセル」 (1968)
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画像:「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」展覧会図録(朝日新聞社)P62より
倉俣史朗のアイディアは「こんなの、到底出来っこない」というものばかりだったというが、それを実現できたのは、本人の努力のみならず、アシスタントや友人、職人たちの協力あってのことだった。なかでも施工会社「イシマル」代表の石丸隆夫はガラス職人の三保谷友彦と同様、倉俣が「無理を言える」存在だった。


2019年05月12日 第6回~マーケットワン エドワーズ (1970)
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画像:「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」展覧会図録(朝日新聞社)P84より
店舗のインテリアデザインの寿命は大体3年と言われている。だから、当然、倉俣史朗の手がけたインテリアで現存するものはほとんどなく、彼の多くのインテリアは残された図面や写真から推測するしかない。


2019年11月12日 第7回~ランプ オバQ (1972)
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画像:「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」展覧会図録(朝日新聞社)P75より
前回のエッセイで「倉俣はいつもインテリアと家具のあいだを自由に行き来する」と書いたが、今回紹介する《ランプ オバQ》(1972)の照明器具デザインと1985年の福岡・小倉フォロンの「ISSEY MIYAKE」のためのインテリア・デザインとの関係は実に意外なものだ。


2020年01月12日 第8回~ハウ・ハイ・ザ・ムーン (1986)
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 《ミス・ブランチ》(1988)とともに倉俣の代表作として知られる肘掛椅子《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》 (1986)は、エキスパンドメタルと呼ばれる金網を溶接しただけのミニマルな椅子だ。ジャズのスタンダードナンバーに因んだ作品名は、メッキを施した金網のきらきらとした輝きがスイングのリズムを想起させるからだろうか。ジャズファンだった倉俣は多くの家具作品にジャズナンバーのタイトルを付けているが、そういえば、エキスパンドメタルを初めて素材とした椅子も《Sing Sing Sing》(1985)の名を付けられている。


2020年03月12日 第9回(最終回)~NARA (1983)
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角テーブル《NARA、注1》(1983)のテラゾー(人造石)は倉俣自身がデザインしたテラゾーである。テラゾーとは大理石と花崗岩の粉、顔料、セメント等を練り合わせて硬化させたもので、1980年代にはおもに駅のプラットフォームや地下道の床に用いられていた。実際、倉俣がテラゾーに注目したのも、都営浅草線で行われていた工事現場でテラゾーを見たのがきっかけらしい。彫刻家・田中信太郎によると、彼と倉俣がその工事現場を通りかかった際、きらきらと光る現場テラゾーを見て倉俣が感嘆の声を上げたそうだ。


◆「倉俣史朗展」
会期=2023年12月8日(金)~23日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休み
会場:ときの忘れもの
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ときの忘れものは2017年に青山から駒込に移転しましたが、偶然にも倉俣史朗はこの街で生まれ、近くの昭和小学校を卒業されました。来年生誕90年を迎える倉俣史朗のゆかりの地で「倉俣史朗展」を開催します。
出品作品と価格については11月25日ブログに掲載しました。
現在エディション進行中のシルクスクリーン作品集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集2集3集、1979年東京国際版画ビエンナーレ出品の貴重なオリジナル版画《無極Ⅱ》、1983年磯崎新設計の筑波第一ホテルの客室用鏡、1989年パリの個展のために制作した"Cabinet de Curiosite"はじめ、椅子《How High the Moon》、ソファ《Sofa With Arms Black Edition》、香水瓶フラワーベース、オブジェ《薔薇の封印》などを展示します。

倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。


限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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