ときの忘れものでは今日から「倉俣史朗展」を開催します。
先日、静岡のバー「COMBLE」に行き、連続トークイベントに参加しましたのでご報告します。
第一回「バーCOMBLEができるまで」
ゲスト:五十嵐久枝(イガラシデザインスタジオ、元クラマタデザイン事務所勤務)、
勝俣震一(勝俣銘木工業)、
中山昌彦(COMBLEオーナー)
※1月14日(日)、2月4日(日)にもトークショーがあります(事前の申込必須)。


今回のトークショーは、「COMBLE」(1988年)の現場監督をされ、1986年から5年半クラマタデザイン事務所に勤務された五十嵐久枝さんと、建築や内装の工事を手掛けクラマタデザイン事務所の仕事を多く任された勝俣震一さん、当時COMBLEのバーテンダーを任され現在オーナーをしている中山昌彦さん、そして司会進行は静岡市美術館・学芸員主査の伊藤鮎さんでした。

左:五十嵐久枝さん、右:勝俣震一さん
まず、倉俣先生の印象について、桑沢デザイン卒業後にアルバイトでクラマタデザイン事務所に入った五十嵐久枝さんは、「大きな声は出さずボソボソと話す人で怒るときは静かな怒りだった」と語りました。倉俣先生は「ちゃん」付けで名前を呼ぶらしく、五十嵐さんは「イガちゃん」と呼ばれていた。
「シンちゃん」と呼ばれた職人の勝俣震一さんはまた印象が違ったようで、大工になりたてで初めて会った時はすごく怒られた経験があり、夜10時頃、自宅からよく電話がかかってきた。倉俣先生がデザインした家具などの出来を自宅で見ながら、あれこれダメ出しされることが多かった。15年ほど倉俣先生と仕事をしていくと「シンちゃん上手くなったな」と言われて嬉しかったと。絶大な信頼を得ていた職人の勝俣震一さんは、木工だけでなくアルミの仕事などほとんどの現場を倉俣先生から任されていたそうです。
そして当時の倉俣先生は30分置きに打合せが入っているほど多忙を極めていたそうです。
静岡にはとんかつ屋、アパレルの店舗など、いくつも倉俣デザインの店舗が存在していたそうですが、ほとんど現存しません。
バー「COMBLE」は、クラマタデザイン事務所が静岡でいくつか手掛けた店舗の工務店「フォルム」の社長・小林さんが、自身で出資してバーを開きたいということで、倉俣史朗先生に店舗の内装を依頼し1989年3月にオープンしました。当時小林さんが通っていたバーのバーテンダーとして勤めていた中山昌彦さんに、バー「COMBLE」を任せたそうです。
「COMBLE」の様子は以前のブログをご覧ください。
小林さんが倉俣先生に提示した条件は以下の3つ。
-20~30席必要
-ボトルキープのお店
-あまり高くないお店
倉俣先生は通常、スタッフに大体のイメージを伝えて、スタッフが図面を描くことが多かったそうですが、「COMBLE」は倉俣先生が図面を全て描き上げて、担当の五十嵐さんに渡したそうです。
依頼主の小林さんは、設計を気にして六本木のクラマタデザイン事務所に来たり、電話を掛けてきたりしたようですが、倉俣さんはいつも「大丈夫!僕に任せて!」と言うだけで、小林さんにプレゼンを全くしなかった。倉俣先生と小林さんは親しい間柄だったからこそ、好きなようにやることを許されていたんだと思うとのこと。そして、自由に「COMBLE」をデザインさせてもらっている倉俣先生はとても楽しそうにしていたと話されました。ということで、実際クリアした条件は「20~30席必要」だけとのこと。
店舗名や家具名などは、フランス語を勉強していた倉俣美恵子夫人に相談して名付けることが多かったらしく、「COMBLE」という名前はプルーストの小説に出て来る地名で、パリとコンブレの距離と、静岡と東京の距離がほとんど同じくらいであり、またフランス語で「これ以上ない」「十分な」という意味があるそうで、お二人で相談して付けた名前です。
倉俣先生が「このお店を東京に持って帰りたい」と言わしめたほど、自分のデザインを十分出し切り、満足のいく店舗だったのだと思います。


赤いアルミスパンドレルの壁は、倉俣先生オリジナルの型枠で作られたものだそうです。扉はS字に曲がっています。このカーブのおかげで取っ手を付ける必要がない、ということでしょうか。う~む(唸り声)。

透明と乳白の2色のポリカーボネットでアーチを使ったのはコンブレがはじめて。
以降、香港のM+に移築された「きよ友」などにも用いられています。このアーチがあることで、雑居ビルを感じさせない効果があるように感じました。
そして、アーチがない奥の空間は、床・壁・天井・扉すべてにOSBが使用されています。
1988年新宿マルイのイッセイミヤケで初めてOSBを使い、それにパールピンクで塗装をしたそうです。その仕上がりが綺麗にできたことから、倉俣先生は「曇天の空に桜が満開」と仰ったそうです。
コンブレもOSBを使用し、パールピンクに塗装され、よく見ると薄っすらキラキラした桜色になっていました。なぜOSBを使いたいと思ったかは不明だそうですが、ある日突然、倉俣先生が事務所に90cm角のOSBを2枚持ってきて、これを店舗に使いたいと言ったそうです。テラゾーやスターピースなどは床や壁に使用できても、天井に使うとガラスが落ちて来る可能性があるため天井には使えなかったそうですが、OSBなら床、壁だけでなく、天井も使用できると。そして、「扉はOSBでS字にしたい。シンちゃんできる?」という倉俣先生の要望に応えるべく、アルミをS字に曲げて、2mmのOSBを貼って実現したそうです。
五十嵐さんも勝俣さんも口をそろえて「一生懸命やれば、なんでもできる。」とおっしゃっていたのが印象的でした。そして、オーナーの中山さんは「この空間は飽きない。それはデザインの力。そして壊れない。それは勝俣さんのような職人の力。」とおっしゃっていました。「NO」と言わない、言いたくない職人魂にあっぱれです。


カーブした大きなガラスに支えられた黄色いカウンターは、サンプルを20~30個作ったそうでゼリーのような質感になっています。

天井には穴をあけたくない、ダウンライトではダメという倉俣先生の思いから、照明はインゴ・マウラーの照明を使っています。

空調も天井にはつけず、壁の裏に設置しています。ブルーの3つの筒は空気孔です。

入口側の床は、現場で研いだテラゾー、その名も「現場研ぎテラゾー(ゲントギ)」。その床には赤く光LEDが仕込まれてガラスで封じられ、 小さな遊び心が散りばめられています。
「COMBLE」は、実は1998年に一度閉店しています。小林さんの会社が倒産したことにより、コンブレが借金の形に取られ、一度店を閉めることになったのです。オーナーが変わりイタリアンレストランになり、アルミスパンドレルが半分取っ払われるなど内装が変更されてしまいました。その間、中山さんは「コンブレ」という名前だけもらって別のバーを開きます。イタリアレストランは一年ちょっとしか持たなかったと知った中山さんがお店の様子を見に行くと、ひどい汚れようだったと言います。中山さんが買い戻し、仕事帰りの夜中に掃除に通い、3ヶ月かかって綺麗にしたそうです。そして、できるだけ元通りに戻そうと、当時「COMBLE」に携わった五十嵐さんや勝俣さんはじめチームクラマタに声をかけて、すでに半分無くなっていた赤のアルミスパンドレルは、足りない部分を三保谷ガラスに依頼してグラス棚を作ってもらい、2000年7月に営業を再開されたという経緯があります。別の仕事で大忙しだった中山さんは時々お店を開けていたそうですが、本格的に今年4月からお店を再開しました。
倉俣先生、オーナーの中山さんをはじめ「COMBLE」に携わった皆さんの情熱が詰まった「これ以上ない」店舗内装を味わえて、幸せな一日でした。
東京から静岡は新幹線だとあっという間に着きますので、関東から日帰りで行くことも可能。倉俣史朗の空間を体験するため、そしてより知るため行かれることを強くお勧めします。
(おだち れいこ)
◆「倉俣史朗展」
会期=2023年12月8日(金)~23日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休み
会場:ときの忘れもの

ときの忘れものは2017年に青山から駒込に移転しましたが、偶然にも倉俣史朗はこの街で生まれ、近くの昭和小学校を卒業されました。来年生誕90年を迎える倉俣史朗のゆかりの地で「倉俣史朗展」を開催します。
出品作品と価格については11月25日ブログに掲載しました。
現在エディション進行中のシルクスクリーン作品集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集2集3集、1979年東京国際版画ビエンナーレ出品の貴重なオリジナル版画《無極Ⅱ》、1983年磯崎新設計の筑波第一ホテルの客室用鏡、1989年パリの個展のために制作した"Cabinet de Curiosite"はじめ、椅子《How High the Moon》、ソファ《Sofa With Arms Black Edition》、香水瓶やフラワーベース、オブジェ《薔薇の封印》などを展示します。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

先日、静岡のバー「COMBLE」に行き、連続トークイベントに参加しましたのでご報告します。
第一回「バーCOMBLEができるまで」
ゲスト:五十嵐久枝(イガラシデザインスタジオ、元クラマタデザイン事務所勤務)、
勝俣震一(勝俣銘木工業)、
中山昌彦(COMBLEオーナー)
※1月14日(日)、2月4日(日)にもトークショーがあります(事前の申込必須)。


今回のトークショーは、「COMBLE」(1988年)の現場監督をされ、1986年から5年半クラマタデザイン事務所に勤務された五十嵐久枝さんと、建築や内装の工事を手掛けクラマタデザイン事務所の仕事を多く任された勝俣震一さん、当時COMBLEのバーテンダーを任され現在オーナーをしている中山昌彦さん、そして司会進行は静岡市美術館・学芸員主査の伊藤鮎さんでした。

左:五十嵐久枝さん、右:勝俣震一さん
まず、倉俣先生の印象について、桑沢デザイン卒業後にアルバイトでクラマタデザイン事務所に入った五十嵐久枝さんは、「大きな声は出さずボソボソと話す人で怒るときは静かな怒りだった」と語りました。倉俣先生は「ちゃん」付けで名前を呼ぶらしく、五十嵐さんは「イガちゃん」と呼ばれていた。
「シンちゃん」と呼ばれた職人の勝俣震一さんはまた印象が違ったようで、大工になりたてで初めて会った時はすごく怒られた経験があり、夜10時頃、自宅からよく電話がかかってきた。倉俣先生がデザインした家具などの出来を自宅で見ながら、あれこれダメ出しされることが多かった。15年ほど倉俣先生と仕事をしていくと「シンちゃん上手くなったな」と言われて嬉しかったと。絶大な信頼を得ていた職人の勝俣震一さんは、木工だけでなくアルミの仕事などほとんどの現場を倉俣先生から任されていたそうです。
そして当時の倉俣先生は30分置きに打合せが入っているほど多忙を極めていたそうです。
静岡にはとんかつ屋、アパレルの店舗など、いくつも倉俣デザインの店舗が存在していたそうですが、ほとんど現存しません。
バー「COMBLE」は、クラマタデザイン事務所が静岡でいくつか手掛けた店舗の工務店「フォルム」の社長・小林さんが、自身で出資してバーを開きたいということで、倉俣史朗先生に店舗の内装を依頼し1989年3月にオープンしました。当時小林さんが通っていたバーのバーテンダーとして勤めていた中山昌彦さんに、バー「COMBLE」を任せたそうです。
「COMBLE」の様子は以前のブログをご覧ください。
小林さんが倉俣先生に提示した条件は以下の3つ。
-20~30席必要
-ボトルキープのお店
-あまり高くないお店
倉俣先生は通常、スタッフに大体のイメージを伝えて、スタッフが図面を描くことが多かったそうですが、「COMBLE」は倉俣先生が図面を全て描き上げて、担当の五十嵐さんに渡したそうです。
依頼主の小林さんは、設計を気にして六本木のクラマタデザイン事務所に来たり、電話を掛けてきたりしたようですが、倉俣さんはいつも「大丈夫!僕に任せて!」と言うだけで、小林さんにプレゼンを全くしなかった。倉俣先生と小林さんは親しい間柄だったからこそ、好きなようにやることを許されていたんだと思うとのこと。そして、自由に「COMBLE」をデザインさせてもらっている倉俣先生はとても楽しそうにしていたと話されました。ということで、実際クリアした条件は「20~30席必要」だけとのこと。
店舗名や家具名などは、フランス語を勉強していた倉俣美恵子夫人に相談して名付けることが多かったらしく、「COMBLE」という名前はプルーストの小説に出て来る地名で、パリとコンブレの距離と、静岡と東京の距離がほとんど同じくらいであり、またフランス語で「これ以上ない」「十分な」という意味があるそうで、お二人で相談して付けた名前です。
倉俣先生が「このお店を東京に持って帰りたい」と言わしめたほど、自分のデザインを十分出し切り、満足のいく店舗だったのだと思います。


赤いアルミスパンドレルの壁は、倉俣先生オリジナルの型枠で作られたものだそうです。扉はS字に曲がっています。このカーブのおかげで取っ手を付ける必要がない、ということでしょうか。う~む(唸り声)。

透明と乳白の2色のポリカーボネットでアーチを使ったのはコンブレがはじめて。
以降、香港のM+に移築された「きよ友」などにも用いられています。このアーチがあることで、雑居ビルを感じさせない効果があるように感じました。
そして、アーチがない奥の空間は、床・壁・天井・扉すべてにOSBが使用されています。
1988年新宿マルイのイッセイミヤケで初めてOSBを使い、それにパールピンクで塗装をしたそうです。その仕上がりが綺麗にできたことから、倉俣先生は「曇天の空に桜が満開」と仰ったそうです。
コンブレもOSBを使用し、パールピンクに塗装され、よく見ると薄っすらキラキラした桜色になっていました。なぜOSBを使いたいと思ったかは不明だそうですが、ある日突然、倉俣先生が事務所に90cm角のOSBを2枚持ってきて、これを店舗に使いたいと言ったそうです。テラゾーやスターピースなどは床や壁に使用できても、天井に使うとガラスが落ちて来る可能性があるため天井には使えなかったそうですが、OSBなら床、壁だけでなく、天井も使用できると。そして、「扉はOSBでS字にしたい。シンちゃんできる?」という倉俣先生の要望に応えるべく、アルミをS字に曲げて、2mmのOSBを貼って実現したそうです。
五十嵐さんも勝俣さんも口をそろえて「一生懸命やれば、なんでもできる。」とおっしゃっていたのが印象的でした。そして、オーナーの中山さんは「この空間は飽きない。それはデザインの力。そして壊れない。それは勝俣さんのような職人の力。」とおっしゃっていました。「NO」と言わない、言いたくない職人魂にあっぱれです。


カーブした大きなガラスに支えられた黄色いカウンターは、サンプルを20~30個作ったそうでゼリーのような質感になっています。

天井には穴をあけたくない、ダウンライトではダメという倉俣先生の思いから、照明はインゴ・マウラーの照明を使っています。

空調も天井にはつけず、壁の裏に設置しています。ブルーの3つの筒は空気孔です。

入口側の床は、現場で研いだテラゾー、その名も「現場研ぎテラゾー(ゲントギ)」。その床には赤く光LEDが仕込まれてガラスで封じられ、 小さな遊び心が散りばめられています。
「COMBLE」は、実は1998年に一度閉店しています。小林さんの会社が倒産したことにより、コンブレが借金の形に取られ、一度店を閉めることになったのです。オーナーが変わりイタリアンレストランになり、アルミスパンドレルが半分取っ払われるなど内装が変更されてしまいました。その間、中山さんは「コンブレ」という名前だけもらって別のバーを開きます。イタリアレストランは一年ちょっとしか持たなかったと知った中山さんがお店の様子を見に行くと、ひどい汚れようだったと言います。中山さんが買い戻し、仕事帰りの夜中に掃除に通い、3ヶ月かかって綺麗にしたそうです。そして、できるだけ元通りに戻そうと、当時「COMBLE」に携わった五十嵐さんや勝俣さんはじめチームクラマタに声をかけて、すでに半分無くなっていた赤のアルミスパンドレルは、足りない部分を三保谷ガラスに依頼してグラス棚を作ってもらい、2000年7月に営業を再開されたという経緯があります。別の仕事で大忙しだった中山さんは時々お店を開けていたそうですが、本格的に今年4月からお店を再開しました。
倉俣先生、オーナーの中山さんをはじめ「COMBLE」に携わった皆さんの情熱が詰まった「これ以上ない」店舗内装を味わえて、幸せな一日でした。
東京から静岡は新幹線だとあっという間に着きますので、関東から日帰りで行くことも可能。倉俣史朗の空間を体験するため、そしてより知るため行かれることを強くお勧めします。
(おだち れいこ)
◆「倉俣史朗展」
会期=2023年12月8日(金)~23日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休み
会場:ときの忘れもの

ときの忘れものは2017年に青山から駒込に移転しましたが、偶然にも倉俣史朗はこの街で生まれ、近くの昭和小学校を卒業されました。来年生誕90年を迎える倉俣史朗のゆかりの地で「倉俣史朗展」を開催します。
出品作品と価格については11月25日ブログに掲載しました。
現在エディション進行中のシルクスクリーン作品集『倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier』1集2集3集、1979年東京国際版画ビエンナーレ出品の貴重なオリジナル版画《無極Ⅱ》、1983年磯崎新設計の筑波第一ホテルの客室用鏡、1989年パリの個展のために制作した"Cabinet de Curiosite"はじめ、椅子《How High the Moon》、ソファ《Sofa With Arms Black Edition》、香水瓶やフラワーベース、オブジェ《薔薇の封印》などを展示します。
●倉俣史朗の限定本『倉俣史朗 カイエ Shiro Kuramata Cahier 1-2 』を刊行しました。
限定部数:365部(各冊番号入り)
監修:倉俣美恵子、植田実
執筆:倉俣史朗、植田実、堀江敏幸
アートディレクション&デザイン:岡本一宣デザイン事務所
体裁:25.7×25.7cm、64頁、和英併記、スケッチブック・ノートブックは日本語のみ
価格:7,700円(税込) 送料1,000円
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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