ガウディの街バルセロナより

その12 カタルーニャの民族意識


丹下敏明

3回にわたって西ゴート、アストゥリアス、モサラベとプレ・ロマネスクの事を話しましたが、その後イスラーム勢力を追い出す長いレコンキスタの過程に平行して半島全域で展開されたロマネスクにも興味を持っていて、現地取材をたびたび重ねましたが、それについては別の機会に話したいと思います。
さて、プレ・ロマネスクの遺構が残っている2つの修道院、カニゴとクシャについてはこれまでに書きました。この修道院はかつてナポレオンがピレネーを越えればアフリカだと言ったとかいうピレネー山脈の北側にあり、現在ではフランスとなっているのですが、創建の時代にはイスパニア辺境領内にありました。イスパニア辺境領は795年にカール大帝の擁護のもとに作られた独立国ですが、これはピレネー山脈を跨いでいました。イスパニア辺境領の成立は711年にイスラーム勢力がジブラルタル海峡を渡りイベリア半島に侵入した後、北上を続けてピレネーをも越えてもその勢いは止まず、さらに進軍して721年にトゥルーズの戦いでフランク王国を破り、北上を続け732年にはポワティエまでたどり着きました。ポアティエまでということは現在の国境から700㎞近くフランク王国内に侵入したという事になります。パリまで340km です。この脅威にフランク王国はピレネーを跨ぐ一帯に地元の豪族に特権を与え、国を作らせるわけですが、これはいわばイスラム勢力の脅威に対し緩衝地帯を作ったわけです。しかし、これが現代までもカタルーニャの自意識に綿々と繋がっています。

1. Santa Maria de Taull 1974.04
サンタ・マリア・デ・タウイ教会・全景 (1974年4月撮影。現在ではこのこの渓谷のロマネスク教会は世界遺産していされている)

2. Santa Maria de Taull
サンタ・マリア・デ・タウイ教会の移転された壁画 (現在国立カタルーニャ美術館の至宝となっている)

3. Sant Clement de Tahull 1976.05
サン・クレメント・デ・タウイ教会・全景 (1976年5月撮影)

話がカタルーニャから外れてしまいますが、サンチアゴ(聖ヤコブ)の巡礼道も、これはピレネー山脈の西側ロンスヴォー(スペイン語ではロンチェスバージェス)の戦いで778年にカール大帝自らが進軍したにも関わらず撤退させられています。聖ヤコブの遺体が、殉教したエルサレムの地からこの地に流れ着いて813年に天使のお告げに隠者がその墓を発見されたとされています。こちらもイスラーム勢力の脅威を恐れ、サンチャゴ・デ・コンポステーラに発見されたということにして、この地の果てのようなところに巡礼道を作った。このためにこの西端の地までの交通網が整備され、巡礼者のための無料宿や病院などの施設が整備されますが、実はこれもピレネー山脈の西端からカンタブリア海一帯の防御対策であったかもしれません。このために巡礼道は各地から開かれたのですが、そのうちフランスから4つの巡礼のルートが知られていますが、このうちでもパリからの巡礼道が古くからよく知られています。

4. Sant Clement de Tahull A
サン・クレメント・デ・タウイ教会の移転された壁画 (現在国立カタルーニャ美術館の至宝となっている)

5. Sant Clment de Taull
サン・クレメント・デ・タウイ教会のアプスから移転された壁画の全能者ハリストス (現在国立カタルーニャ美術館の至宝となっている)

6. Santa Maria de Durro
サンタ・マリア・デ・ドゥーロ教会の祭壇 (現在国立カタルーニャ美術館の至宝となっている)

現代のカタルーニャの独立運動は、遥かイスパニア辺境領当たりの歴史的な背景があるのかもしれない。狭い範囲のヨーロッパの中での国境の何世紀にもわたる争いから繰り返された変動の中でも、ひとつの文化圏を成してイスパニア辺境領という古い民族集団を建国する歴史にまつわっているのではないだろうか。ピレネーを跨いだプレ・ロマネスク、そしてその後に続くロマネスクも一つの文化圏として形成されカタルーニャは育まれた。そしてカタルーニャ・ロマネスクはロンバルディアに影響されながらも13世紀に入るまで建立され、フレスコ画は描かれ、聖像は作られこのスタイルは温存された。

7. Domenech
ドメネク・イ・モンタネール次いでプーチ・イ・カダファルクはカタルーニャのルーツを探してロマネスクを探索する

8. Catedral de Tortosa
ドメネク・イ・モンタネールの調査旅行先のひとつトルトーサのカテドラル

実はヨーロッパが一つの共同体EUとしてまとまろうという話が持ち上がった時、まず一番にヨーロッパの複雑に重層した、あるいは侵略と侵入で入り込んだ出来上がった各文化圏が育んできたそれぞれのアイデンティーを保持しながら、経済上では統合しようという、相反するかもしれない両者の問題をどう嚙合わせることが出来るのか、という議論が当然の事沸き上がった。というか沸き上がっていたが、今ではとっくに忘れられているかのようだ。
19世紀末前後の産業革命を引き金としたカタルーニャの繁栄はイスパニア辺境領以来の精神的な活気をもたらせたともいえる。財力にものを言わせた豪華絢爛さでアイデンティティーを確固たるものとした。いわゆるモデルニスモの時代というのはヨーロッパに広がったアール・ヌヴォーのデカデンスは微塵もない、それどころか、豊穣で、活気に溢れ、楽天的で、彩色されて、曲線が張り付き、何よりも過去の栄光への回帰主義であった。カタルーニャ主義がこの時代唱えられ、カタルーニャ語がプロヴァンス語の方言の一つであるという言語学上の理解もこの時、国際言語学会を開いて一つの言語であると認めさせた。
スペイン戦争で一番過酷だったとされる、1938年の7月から11月にかけてのエブロの戦いというのがあった。これは今のガサでのイスラエルの戦略と似ていて、最後まで抵抗していた共和制政府の戦線を真ん中で分断することでフランコ軍は共和制政府軍を破っている。その後はフランコの独裁政権が、スペイン全土を統一した。それ以降カタルーニャ語は国営テレビからも、新聞からも消え、学校でもそのカタルーニャ語での教育が禁止された。そしてフランコの独裁政権は1975年のフランコの死まで続き、その後政治・社会は徐々に民主化が進んだが、フランコによって受け継がれていたフェリペ2世が確立した、イベリア半島中央部に位置するマドリッドに首都を置いた強固な中央集権政府というスタイルは中々解体されない。
過去の栄光を返り咲かせて、経済成長に全盛を極めたモデルニスモ期から一世紀、カタルーニャはスペインから独立しようとしている。

9. 2012.29M
独立運動のデモ (旗は独立運動左派のもの)

10. 2012.12M
街中が身動きできなかった2012年5月の独立運動のデモ

11.2012.03 A
2012年5月の独立運動中の夜間の騒動


交差点ではゴミのコンテナーが焼かれ、道路がブロックされる

13.IMG_7525
スペインの王政から離れて共和制政府をカタルーニャに立ち上げようという独立運動の街頭に張られた膨大な数のステッカー

14.IMG_7515
黙ればあいつら (マドリッド) が勝つぞとの独立運動の街頭に張られたステッカー

15.IMG_7521
デモクラシーが脅かされている (国民投票で独立を決めようという・・)という独立運動の街頭に張られたステッカー

写真は全て筆者撮影

(たんげとしあき)

■丹下敏明
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作 (カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984~2022年 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blanes計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画(現在進行中)などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画 (全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展 (バルセロナ・アパレハドール協会展示会場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展(サン・ジョアン・デスピ)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加

主な著書
『スペインの旅』実業之日本社(1976年)、『ガウディの生涯』彰国社(1978年)、『スペイン建築史』相模書房(1979年)、『ポルトガル』実業之日本社(1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社(1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会(1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版(1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社(1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社(2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社(2022年)など

・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は2024年3月16日です。どうぞお楽しみに。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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