梅津元「瑛九-フォト・デッサンの射程」

第10回「Broken Promise-第33回瑛九展・湯浅コレクション(その6)」

梅津 元


 Broken Promise、前回の最後にやってきた「Way of Life」と同じく、ニュー・オーダーの4枚目のアルバム『Brotherhood』に収録されている、曲順は「Way of Life」のひとつ前、前回はこの曲を無意識にスルーしていた気がしてならない、なぜなら、そのタイトル、「Broken Promise」とは、締め切りを守れない私に突きつけられた言葉であるとしか思われないからだ、そして、ここに至っては、もはや、無意識のスルーは許されない、それほどまでに、遅れに遅れている、約束した締め切りに。
 4年前に頓挫したある試みを、責任を果たすために、なんとか実現することができた、そう、この連載の最初に、10年前に果たせなかったトークの採録に取り組んだように。しかし、過去に残して来た、やらなければならなかったことに向き合うと、現実に進行している出来事に遅れを取ってしまう。時間にもエネルギーにも限界がある以上、それは仕方がないのかもしれない、しかし、どこで間違えたのだろう。前回から「新しい順番=ニュー・オーダー」による記述が始まったにも関わらず、やはり、押し寄せてくるのは、「Broken Promise」がもたらす後悔の念、振り出しに戻る、「Regret」からやり直す。

疾走/失速

 最初から飛ばすしかない、締め切りという約束を果たせないまま、時間だけが過ぎてゆくのだから。ならば、「Broken Promise」がやってきたのも悪くない、なぜなら、「Broken Promise」は、前回の冒頭で紹介した「Sunrise」を彷彿とさせる、疾走感のあるアグレッシヴな曲調-「疾走系」とも呼ばれる-だからである。だが、無謀な「疾走」には、やがて必ず「失速」が訪れる、前回の執筆も、今回の執筆も、そうであったように。
 そして、もし、人の生き方にも、このような「疾走/失速」が適用されるのならば、「瑛九(という装置)」が宿った「杉田秀夫(という人間)」の生き方、生き様こそ、まさに、「疾走」と「失速」の繰り返しであったように思われてならない。いま、「生き方」と、さらに、「生き様」と書いている、そこで、ふと、思い出す。そうだったのか、前回の最後にやってきた曲、そのタイトルが「Way of Life」だったのは。都合のよいこじつけかもしれないけれど、そんな思いにすがりついてしまうのは、そう思うことでしか、失速から疾走へと向かうエネルギーを絞り出すことができないからだ。
 選択の余地はない、何度も失速する、けれど、失速するたびに、再び疾走を始める、もはや、そのような書き方でしか、この窮地から脱出することができないのだから。そのような「書き方」を、失速しても、失速しても、力の限り疾走し続けた杉田秀夫の「生き方=Way of Life」が、教えてくれている。

写真との遭遇

「これは瑛九の中にひそんでいた絵画的な郷愁でないかとも考えられるが、そして再び写真から離れて、絵画の創作へと回帰してゆく軌跡をえがいてゆくのである。この間のことをもう少し大きな視野からみて、この写真との遭遇は、私はもっと重大な意味があるのではないかと感じていた。すなわちいいかえてみると、「描く」ものではなく「写す」もので、技術的な操作が前提とならなくてはならない。瑛九は機械化時代の求める芸術として写真を評価し、技術的自覚を強調して、絵画の世界の求めている「芸術」の誘惑に、のってはいけないことをのべている。すなわち芸術を全く非芸術的な作業で見てゆこうとする矛盾の論理から、一本でゆこうとしない瑛九のマルチな性格が胚胎してくるのではないか、ということである。」
本間正義「瑛九の「雲」」より引用(出典:本間正義監修『瑛九作品集』有限会社ワタヌキ編集・制作、日本経済新聞社、1997年、6~9頁。)

 前回の最後に、本間正義さんによる「瑛九の「雲」」からの引用を試みた。上記は、その引用箇所に続く記述である。僭越ながら、いつ読んでも、何度読んでも、はっとさせられる言葉が散りばめられていると感じるのだが、中でも特筆すべきは、「写真との遭遇」、という表現ではないだろうか。本間さんの意図は知る由もないが、この表現から、「未知との遭遇」を想起する人は多いのではないかと思われるのだが、どうだろうか。
 「未知との遭遇」という映画のタイトルは邦題であり、原題は「Close Encounters of the Third Kind(第三種接近遭遇)」である。邦題の方が平易ながら含蓄の深い表現になっていると思うのだが、原題にせよ、邦題にせよ、その意味するところは、人類と宇宙人(地球外生命体)との出会い(遭遇)である。そのことをふまえると、「写真との遭遇」という表現から、杉田秀夫にとって「写真」とは「未知」なる何かであった、という感覚が生じてくる。そして、人類における「未知」、すなわち「宇宙人」が「地球外生命体」であることをふまえると、杉田秀夫における「未知」、すなわち「写真」は、「芸術外装置」を意味していると捉えることができるだろう。

 この「芸術外装置」としての「写真」との「遭遇」が、本間さんの上記の引用箇所の最後の一文に見られる、「すなわち芸術を全く非芸術的な作業で見てゆこうとする矛盾の論理」
という記述と、深く結びついていると感じるのである。この記述における「非芸術的な作業」は、瑛九が、写真という「未知の芸術外装置」と出会うことから見出された営為である。そして、そこから、「一本でゆこうとしない瑛九のマルチな性格が胚胎してくる」局面を、本間さんは鮮やかに描き出しているのである。
 この連載では、「装置としての瑛九」という発想が基軸となっているが、その「装置としての瑛九」は、写真という「芸術外装置」によって胚胎したとみなすことができるのであり、さらに重要なことは、この本間さんの記述には、「瑛九という装置」を稼働させる論理が「矛盾」に根ざしていることが、すでに示されていることである。

 ここで、意図的に「失速」しよう。そんなことを言っても、ここまでの記述が、果たして「疾走」と呼べるものであったかどうかは、はなはだ心許ないのであるが。というより、そもそも、意図的に「失速」しよう、という表現は、日本語として、妥当ではない。「失速」とは、意図せざる事態を示しているはずであり、もし、意図して速度を落としているのであれば、それは「減速」という言葉によって示されなければならないはずである。
 それはともかく、ここでそのような記述の「減速」が要請されているのは、書くことへの慎重さが、しかも、相当な慎重さが、この先の記述に求められていることを、すでに予感しつつあるからである。では、なぜ、ここで、意図的な失速、すなわち、減速が、要請されるのか。それは、ここで、今回、取り上げる作品を、示すから、であり、そのことの、意味の、重さが、このような、記述の、減速を、引き起こす、のである。

最初期のフォト・デッサン(推測)

 今回取り上げる、「第33回瑛九展・湯浅コレクション」に出品されたフォト・デッサンは、《題不詳》(出品番号33、カタログ45頁)である。制作年代も不詳であるため、「第33回瑛九展・湯浅コレクション」の出品番号によって作品を特定している。

fig1
fig.1:《題不詳》 制作年不詳

 記述を、意図的に、失速させている、その、理由を、瑛九の、言葉に、託してみる。

「原稿を書く樂しみ、樂しみすら忘れてしまつて放射する文字、一つの言葉がリズムによつて一つの言葉を呼出す。」

「一つの決定をするまでに苦しみぬくことがある。それで決定が遅れる。
 一つの決定をするために樂しくてつぎへつぎへとおくらすことがある、決定までの樂しみ。一方は決定までの苦しみ。」


瑛九「一本のタバコ」より引用(出典:和田博文監修『コレクション・日本のシュールレアリスム14 瑛九、下郷羊雄・レンズのアヴァンギャルド 』山田諭編集、本の友社、2001年、125~127頁。初出:『美之国』第16巻第4号、1940年4月、38~40頁。)

 今回の執筆は、Broken Promise にも程があるほどに、締め切りに大幅に遅れているのだが、そのような苦境に立たされている私の心情は、ここで引用した瑛九の言葉に、十全に示されている。今回取り上げる《題不詳》(fig.1)について、書こうとしていること、書かねばならないこと、そして、この作品について考えるために、いくつかの作品を、参照しようとしていること、参照しなければならないこと。そうしたことの「決定の苦しみ」が失速をもたらすと同時に、一方では、そうしたことの「決定の楽しさ」が意図的な失速を招いているのだが、そのような事態が、瑛九の言葉によって、明るみに出てしまう。
 しかし、疾走する前から失速しているような今回の記述は、瑛九の切実な心境の吐露によって、その「意図的な失速」の理由が明らかになったことにより、ようやく次へと進むことができる。それは、瑛九の切迫した言葉に滲み出ているように、原稿を書く楽しみを忘れてもなお、言葉は「放射」されるのであり、「一つの言葉」が、(次の)「一つの言葉」を、呼び出すからである。そして、失速も極まり、執筆の停滞、停止から抜け出せなくなった私を救ってくれたのは、「一つの言葉がリズムによって一つの言葉を呼出す」という記述に出現している、「リズム」である。そう、「リズム」こそが、文章を書く時の「速度」を維持してくれるのであり、つまりは、リズムの乱れが、リズムを失ったことが、今回の執筆の遅延、失速、停滞、停止の、本当の原因なのであった。

 初心に帰り、《題不詳》(fig.1)について、書きたいこと、書かねばならないことを、書いてみる。

 少しセピア調の、マットな印象の印画紙である。さらに特筆すべきは、今回の「第33回瑛九展・湯浅コレクション」に出品された他の作品と比較して、印画紙が少し厚いように感じられる点である。今回の展示に出品された作品の制作年代は、作品への書き込みを根拠にするならば、判明しているものは、1947年から1954年となっており、第二次大戦後の制作である。だが、この《題不詳》(fig.1)のように、使われている印画紙の特徴ならびに経年変化に由来する銀化の様子から、第二次対戦前、すなわち、1930年代の制作と推測される作品も、少なからず、含まれている。
 この《題不詳》(fig.1)という作品において、特に注目すべきは、他の出品作品と比較して、はるかに銀化が進んでいることである。保存環境が影響することはいうまでもなく、この作品の銀化が他より進んでいる特別な事情があったかもしれない可能性は、もちろん、排除できない。しかしながら、銀化の主たる要因が、時間の経過、すなわち、経年変化であるという事実をふまえるならば、この作品の制作年代が、他の作品よりも前であるという推測は、それなりの説得力を持つだろう。

 ここで、私は、ある仮説を提示したい。これは、もちろん、明確な根拠に基づく論証ではなく、このような考え方もできるのではないか、という推測を前提にした、可能性の話である。それは、この作品が、『眠りの理由』(1936年)に収録された作品よりも前に制作されたのではないか、という仮説である。他の作品よりも印画紙が少し厚いように感じられる点、そして、他の作品よりも銀化がはるかに進行している点、これらの特徴は、そのような仮説の前提となる事実である。
 そして、この事実こそが、この作品の制作年代が1930年代なのではないかという推測を導き出してくれる。その前提をふまえて、さらに踏み込んで、この作品が、杉田秀夫が「写真との遭遇」を果たした時期に制作された、「最初期のフォト・デッサン」のうちの1点なのではないか、という仮説を提唱したい。前回に続き、本間正義さんの「瑛九の「雲」」からの引用を試みたのは、このような、極めて重要な仮説を示すためであった。

型紙と構図

 今回取り上げる《題不詳》(fig.1)が、杉田秀夫による「最初期のフォト・デッサン」のうちの1点なのではないかという仮説について、具体的に記述してみよう。そのために、まず、『眠りの理由』に収録されている作品を参照する。

fig2
fig.2:『瑛九氏フォート・デッサン作品集 眠りの理由』(1936年)より(『生誕100年記念 瑛九展』32-33頁)
※画面中央の縦線と白みはデータスキャン時に発生したものです


 見ればわかるとおり、左中、左下、右の3点の作品には、同じ型紙が用いられている。左中の作品で用いられた型紙が、左下の作品と右の作品では、裏返して使われている。さらに、右の作品では、同じ型紙に由来するイメージがひしゃげた形となっているため、型紙が印画紙から斜めに浮いた状態で露光され、変形した形として印画紙に定着されたと思われる。ここで、さらにもう1点、同じ型紙が用いられている作品を見てみよう。

『みづゑ』373号_p199
fig.3:『みづゑ』1936年3月号掲載「瑛九氏のフォト・デッサン」199頁

 この連載の第1回において、最初に紹介した作品である。少しわかりにくいかもしれないが、画面の左側に、上述したfig.2 の3点の作品に用いられているものと同じ型紙に由来する人の形を認めることができる。このように、ここで、同じ型紙を用いた作品を4点見ることができる。この型紙は人の形を示しているが、両腕を上に伸ばし、寝そべっているような印象を受ける。そのような形が、印画紙の上に配置され、光によって定着されている構図であるため、どこか、画面の中の空間を浮遊しているような感覚が生じている。
 では、《題不詳》(fig.1)は、どうであろうか。まず、型紙の形であるが、こなれていない印象がある。体の形になるよう、輪郭に沿って切り抜かれた体の形が、全体的に、直線的な印象を受けるのである。また、構図についても、型紙によって定着されている人の姿が、立っているような画面構成となっている(型紙の足先は画面からはみだしている)。これらの特徴は、この型紙が、型紙を用いた制作を始めてから、まだ日が浅い時期に手がけられたものであることを示しているといえるのではないだろうか。

 そのことを示すために、杉田秀夫による「最初期のフォト・デッサン」の作例を見てみよう。この5点は、雑誌『フォトタイムス』の1931年2月号に杉田秀夫の名前で発表された「フォトグラムはいかに前進すべきか-フォトグラム試作報告-」に掲載された、杉田秀夫によるフォトグラムの試作である。

fig4
fig.4:杉田秀夫によるフォトグラムの試作5点
杉田秀夫「フォトグラムはいかに前進すべきか-フォトグラム試作報告-」『フォトタイムス』1931年2月号(107~113頁)より(掲載は113頁)。


 この文章において、杉田秀夫は、フォトグラムの制作がマン・レイやモホリ=ナジらの模倣から脱却できていないことを批判し、フォトグラムを「エマルションによる絵画」ととらえる自らの立場を打ち出している。さらに、抽象的で偶然に頼る一般的なフォトグラムを否定的にとらえ、自分にとっては絵画的な能力が必要であり、そのことを、絵画との握手を行なった、という言葉で示している。特に、「5」の作品についての短い説明においては、絵画的コンストラクションを狙ったことを表明している。
 このような「絵画的コンストラクション」への意識は、前述したとおり、今回取り上げている《題不詳》(fig.1)からも感じられるのである。具体的に言えば、《題不詳》(fig.1)における型紙に由来する人の形と構図-立っている姿-は、fig.4 の「4」(右中)と「5」(右下)における型紙に由来する人の形と構図と、近いように感じられるのである。(なお、記事中、「5」は踊りの雰囲気と感覚とリズムを表現しようとしたと説明されている。)

 以上のことから、《題不詳》(fig.1)は、fig.2 とfig.3 で示した『眠りの理由』(1936年)を制作した時期のフォト・デッサンよりも、fig.4 で示した『フォトタイムス』(1931年2月号)に掲載されているフォトグラムの試作の方に、より近いと思われる。この判断は、すでに指摘している、《題不詳》(fig.1)の印画紙の状態、すなわち、印画紙が少し厚いように感じられる点と、印画紙の銀化がかなり進んでいる点から、制作年代がかなり古いことが推測される、という印象とも、矛盾なく一致している。これらのことから、この《題不詳》(fig.1)の制作年代を、1930年頃と推測する仮説を立てることができる。この仮説が正しければ、この作品は杉田秀夫が「写真との遭遇」を果たした頃に制作した「最初期のフォト・デッサン」のうちの1点であることになる。

 最後に、本間正義さんによる「瑛九の「雲」」からの引用を、再び示したい。それは、今回の引用箇所の最初に登場する、「瑛九の中にひそんでいた絵画的な郷愁」、という表現である。瑛九が、自分の中にひそんでいる「絵画的な郷愁」を、終生抱き続けたことは、間違いない。今回の記述において、その「絵画的な郷愁」が、「写真との遭遇」を果たした頃の杉田秀夫に、すでに胚胎していたことを示したかったのであるが、果たして、その試みは、叶えられたであろうか。

Run

 『Brotherhood』に続く、ニュー・オーダーの5枚目のアルバム『Technique』のB面1曲目、「Run」。前回の最後では、「Way of Life」の曲の終わりに、ジョイ・ディヴィジョンの「Love Will Tear Us Apart」のメロディーが奏でられることについて書いた。ニュー・オーダーが、自らの前身であるジョイ・ディヴィジョンの曲を取り込んでも、驚きこそあれ、問題にはならない。だが、「Run」は、間奏のギターがPPM(ピーター・ポール&マリー)の曲と似ているという、あってはならない驚きを巻き起こしてしまった。
 別にゴシップを紹介したいわけではない、「Run」という曲でニュー・オーダーが躓いてしまった、実際に訴えられてニュー・オーダー側が負けている、その事実が、今回の記述における「疾走/失速」を、いつのまにか呼び起こしている、だからこそ、「失速」の呪縛をなんとかして振り払い、その切なる心情を、「Run」に託して「疾走」したい、長く続く「Broken Promise」からの脱却を願って。

図版出典
fig.1:「第33回瑛九展・湯浅コレクション」より
fig.2:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年
fig.3:『みづゑ』1936年3月号
fig.4:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年

(うめづ げん)

■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。

・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日更新、次回は2024年7月24日です。どうぞお楽しみに。

『第33回瑛九展/湯浅コレクション』カタログ
瑛九展_表紙
発行:ときの忘れもの
図版:40点
写真:15点
執筆:大谷省吾、小林美紀、工藤香澄
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)
編集:Curio Editors Studio
デザイン:柴田卓
体裁:B5判、84頁、日本語・英語併記
価格:2,750円(税込)、送料:250円



●本日のお勧め作品は、瑛九ル・コルビュジエです。
qei-195瑛九《題不詳》
フォト・デッサン
45.2×55.7cm


corbusier-38ル・コルビュジエ《トーテム》
1963年
リトグラフ
シートサイズ:73x80.5cm
版上サイン
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