瑛九の自刷り銅版画、それもサイン入りの作品をまとまって入手できるなんて(もちろん初めて)思いがけない幸運でした。
瑛九(1911~1960)はときの忘れものの開廊以来、最も多く取り扱ってきた作家です。
1995年6月の開廊記念展「銅版画セレクション1/長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎」で銅版画を展示し、
続いて1996年3月に第1回となる「瑛九展」を開催しました。
今回の展示「第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫」まで、34回にわたり継続して瑛九を紹介できた理由の第一は、48歳の短い生涯ながら油彩、水彩、フォトデッサン、版画(銅版画、リトグラフ、木版画)とあらゆる技法に挑戦し、膨大な作品を遺してくれたからです。
第二にそれらを購入してくださるお客様に恵まれたことです。
いくら作品があっても、それを買って下さるお客様がいなければ画廊(の企画展)は成り立ちません。
ご存じの方も多いと思いますが瑛九は生前から福井、愛知をはじめ各地に多くの支持者が存在しました。決して経済的に豊かではなかった瑛九がそれでも膨大な作品を制作できたのはそれを買ってくれる人が作者生存中に存在したからです。
代表作「田園」(油彩)を当時購入したのはまだ20代の青年でした。
瑛九没後に美術界に入った私たちの「第1回瑛九展」のDMに使った作品を買ってくださったのはまだ若い男性でした。
瑛九を生前支えた人たちから、直接は知らない次の世代のコレクターに見事なバトンタッチがされたわけです。
第三に(これが重要ですが)瑛九を扱う画廊、ディーラーがたくさん存在し、さらに作品を収蔵する美術館が出てくることです。
一画廊が孤軍奮闘したところで、市場が成立しなければ美術品の評価は定まりません。
先日開催された世界最高峰のアートフェア、アートバーゼルに大阪の画商さんが瑛九の個展(フォトデッサン)で参加されたことは驚きであり、瑛九を長年扱ってきた身としてはたいへん嬉しいニュースでした。
今回、出品する下記の瑛九の銅版画は、池田満寿夫さんが所蔵していたものですので、二人の交流の記念碑ともいえる作品群です。
瑛九《公園》

1951年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:7.0×9.5cm シートサイズ:31.5×23.5cm
限定1部乃至数部 自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.143(自刷りなしと記載)
瑛九《春》

1951年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:12.0×8.8cm シートサイズ:22.0×14.5cm
限定15部(4/15)
自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.122(自刷りなしと記載)
瑛九《海辺の朝》
1951年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:9.0×12.5cm シートサイズ:17.0×23.5cm
限定1部乃至数部 自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.133(自刷りなしと記載)
瑛九《鳥の精》

1952 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:12.0×9.0cm
シートサイズ:27.5×16.5cm
限定8部 自筆サインあり
*都夫人による私家版目録No.31
*林グラフィックプレス・カタログNo.171
瑛九《人形》

1956 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:18.0×12.0cm
シートサイズ:37.5×28.0cm
限定3部 自筆サインあり
*都夫人による私家版目録No.177
*林グラフィックプレス・カタログNo.98
瑛九《ささやき》

1958 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:11.5×8.5cm
シートサイズ:28.0×18.5cm
E.P.(限定は1部乃至数部か)
自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.238(自刷りなしと記載)
瑛九《風景・C》

1958年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:11.5×9.0cm
シートサイズ:27.5×16.5cm
E.P.(限定は数部か)
自筆サインあり
*1972年に刊行された『瑛九画集』限定特装版(久保貞次郎刊・限定200部)に本作の後刷りが挿入された。ときの忘れものでは本作自刷りを今まで2点扱っており、生前の瑛九自刷りは少なくとも数部はあったと思われる。
画廊亭主が「瑛九 について」と題して掲示板にあれこれ書いたのは24年前の2000年でした。
当時は展覧会のカタログ等はたくさんあったのですが、作品に即しての研究は進んでおらず、亭主は手元の資料と画廊に入ってくる作品にあたりながら書き進めたのですが、いま読み直すと誤記や勘違いなど多々ありお恥ずかしい限り。
あれから24年、宮崎や埼玉の美術館を中心に幾度も大規模な回顧展が開催されてきました。
それぞれの美術館の研究も進んでいることでしょう。
瑛九の銅版画の決定版レゾネが刊行されることを祈るばかりです。
●「第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫」展示風景


































(撮影:塩野哲也)
*画廊亭主敬白
このところ訃報記事を書いてばかりいる(ような気がする)。
私たちが生きた時代が過ぎ去り、それを担った人々が去っていくということなのかも知れません。
6月19日に三島喜美代先生が亡くなられました。昭和7年生まれでしたから91歳。
1970年代、上京されるたびに渋谷の現代版画センターにあの陶器のオブジェをお土産によくいらしてくださいました。あの頃は大阪のご自宅に小さな窯を構えて制作しておられました。
7月7日まで練馬区立美術館で「三島喜美代ー未来への記憶」展が開催されています。
まだまだお元気で活躍されると思っていたのですが、残念です。
2017年10月21日
ときの忘れもの(駒込)にて、三島喜美代先生を囲んで。
右はMEMの石田克哉さん。
ご冥福をお祈りいたします。
◆第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫
2024年7月3日(水)~7月13日(土) 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
※クリックすると再生します。
※右下の「全画面」ボタンをクリックすると動画が大きくなります。
1951年故郷宮崎を去り、浦和に移住した瑛九は銅版画の制作に没頭します。浦和のアトリエには靉嘔、磯辺行久、河原温、池田満寿夫たち若い作家が集まり熱い議論を交わします。1956年池田は瑛九の勧めで初めて色彩銅版画に取り組み、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレで大賞を受賞、一躍、世界のスターへの道を辿り、生涯1000点あまりの版画をのこしました。
今年は池田満寿夫の生誕90年の年にあたります。
瑛九の希少な自刷り銅版画「春」「鳥の精」、池田満寿夫の「タエコの朝食」「聖なる手」など代表作をご覧いただきます。
浦和にあった瑛九のアトリエ(没後都夫人が守ってきた。2023年に取壊し)の庭の檀の木と靉嘔や池田満寿夫たちが踏みしめた敷石を、ときの忘れものの庭に移植しましたので、合わせてご覧ください。
出品全作品の画像とデータは6月29日のブログに掲載しました。
瑛九(1911~1960)はときの忘れものの開廊以来、最も多く取り扱ってきた作家です。
1995年6月の開廊記念展「銅版画セレクション1/長谷川潔、難波田龍起、瑛九、駒井哲郎」で銅版画を展示し、
続いて1996年3月に第1回となる「瑛九展」を開催しました。
今回の展示「第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫」まで、34回にわたり継続して瑛九を紹介できた理由の第一は、48歳の短い生涯ながら油彩、水彩、フォトデッサン、版画(銅版画、リトグラフ、木版画)とあらゆる技法に挑戦し、膨大な作品を遺してくれたからです。
第二にそれらを購入してくださるお客様に恵まれたことです。
いくら作品があっても、それを買って下さるお客様がいなければ画廊(の企画展)は成り立ちません。
ご存じの方も多いと思いますが瑛九は生前から福井、愛知をはじめ各地に多くの支持者が存在しました。決して経済的に豊かではなかった瑛九がそれでも膨大な作品を制作できたのはそれを買ってくれる人が作者生存中に存在したからです。
代表作「田園」(油彩)を当時購入したのはまだ20代の青年でした。
瑛九没後に美術界に入った私たちの「第1回瑛九展」のDMに使った作品を買ってくださったのはまだ若い男性でした。
瑛九を生前支えた人たちから、直接は知らない次の世代のコレクターに見事なバトンタッチがされたわけです。
第三に(これが重要ですが)瑛九を扱う画廊、ディーラーがたくさん存在し、さらに作品を収蔵する美術館が出てくることです。
一画廊が孤軍奮闘したところで、市場が成立しなければ美術品の評価は定まりません。
先日開催された世界最高峰のアートフェア、アートバーゼルに大阪の画商さんが瑛九の個展(フォトデッサン)で参加されたことは驚きであり、瑛九を長年扱ってきた身としてはたいへん嬉しいニュースでした。
今回、出品する下記の瑛九の銅版画は、池田満寿夫さんが所蔵していたものですので、二人の交流の記念碑ともいえる作品群です。
瑛九《公園》

1951年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:7.0×9.5cm シートサイズ:31.5×23.5cm
限定1部乃至数部 自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.143(自刷りなしと記載)
瑛九《春》

1951年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:12.0×8.8cm シートサイズ:22.0×14.5cm
限定15部(4/15)
自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.122(自刷りなしと記載)
瑛九《海辺の朝》

イメージサイズ:9.0×12.5cm シートサイズ:17.0×23.5cm
限定1部乃至数部 自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.133(自刷りなしと記載)
瑛九《鳥の精》

1952 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:12.0×9.0cm
シートサイズ:27.5×16.5cm
限定8部 自筆サインあり
*都夫人による私家版目録No.31
*林グラフィックプレス・カタログNo.171
瑛九《人形》

1956 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:18.0×12.0cm
シートサイズ:37.5×28.0cm
限定3部 自筆サインあり
*都夫人による私家版目録No.177
*林グラフィックプレス・カタログNo.98
瑛九《ささやき》

1958 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:11.5×8.5cm
シートサイズ:28.0×18.5cm
E.P.(限定は1部乃至数部か)
自筆サインあり
*林グラフィックプレス・カタログNo.238(自刷りなしと記載)
瑛九《風景・C》

1958年 エッチング(作家自刷り)
イメージサイズ:11.5×9.0cm
シートサイズ:27.5×16.5cm
E.P.(限定は数部か)
自筆サインあり
*1972年に刊行された『瑛九画集』限定特装版(久保貞次郎刊・限定200部)に本作の後刷りが挿入された。ときの忘れものでは本作自刷りを今まで2点扱っており、生前の瑛九自刷りは少なくとも数部はあったと思われる。
画廊亭主が「瑛九 について」と題して掲示板にあれこれ書いたのは24年前の2000年でした。
当時は展覧会のカタログ等はたくさんあったのですが、作品に即しての研究は進んでおらず、亭主は手元の資料と画廊に入ってくる作品にあたりながら書き進めたのですが、いま読み直すと誤記や勘違いなど多々ありお恥ずかしい限り。
あれから24年、宮崎や埼玉の美術館を中心に幾度も大規模な回顧展が開催されてきました。
それぞれの美術館の研究も進んでいることでしょう。
瑛九の銅版画の決定版レゾネが刊行されることを祈るばかりです。
●「第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫」展示風景


































(撮影:塩野哲也)
*画廊亭主敬白
このところ訃報記事を書いてばかりいる(ような気がする)。
私たちが生きた時代が過ぎ去り、それを担った人々が去っていくということなのかも知れません。
6月19日に三島喜美代先生が亡くなられました。昭和7年生まれでしたから91歳。
1970年代、上京されるたびに渋谷の現代版画センターにあの陶器のオブジェをお土産によくいらしてくださいました。あの頃は大阪のご自宅に小さな窯を構えて制作しておられました。
7月7日まで練馬区立美術館で「三島喜美代ー未来への記憶」展が開催されています。
まだまだお元気で活躍されると思っていたのですが、残念です。

ときの忘れもの(駒込)にて、三島喜美代先生を囲んで。
右はMEMの石田克哉さん。
ご冥福をお祈りいたします。
◆第34回瑛九展/瑛九と池田満寿夫
2024年7月3日(水)~7月13日(土) 11:00-19:00 ※日・月・祝日休廊
※クリックすると再生します。
※右下の「全画面」ボタンをクリックすると動画が大きくなります。

今年は池田満寿夫の生誕90年の年にあたります。
瑛九の希少な自刷り銅版画「春」「鳥の精」、池田満寿夫の「タエコの朝食」「聖なる手」など代表作をご覧いただきます。
浦和にあった瑛九のアトリエ(没後都夫人が守ってきた。2023年に取壊し)の庭の檀の木と靉嘔や池田満寿夫たちが踏みしめた敷石を、ときの忘れものの庭に移植しましたので、合わせてご覧ください。
出品全作品の画像とデータは6月29日のブログに掲載しました。
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