平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき

その32 イノシシ—野菜畑の歓迎されない訪問客

文・写真 平嶋彰彦


 野菜畑の鳥獣被害については、3年前になるが、連載その13「南房総の野菜畑」で書いたことがある(註1)。
 私のブラックリストに載る野菜畑の迷惑な訪問客の代表格は、それまではタヌキ、ハクビシン、カラスだった。ところが、そのころから実家の集落にもイノシシが出没するという噂が飛び交うようになった。被害にあったのは水稲田とサツマイモ畑だという。隣の集落にはキョンの被害が酷いらしい(註2)。集落の境になっている川は幅が狭く水量も少ない。私の集落にやってくるのは時間の問題である。

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ph1 実家の裏山。イノシシの好物とされるどんぐりができるマテバシイが繁茂する。近年はいわゆるナラ枯れの枯れ木が目立つ。館山市小沼。2022.05.28

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ph2 実家近くの田園風景。2019年の台風15号のあと、耕作放棄地が急速にふえ、イノシシの住処になる。館山市小沼。2021.10.11

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ph3 実家の野菜畑。北アメリカ原産のユウゲショウ(夕化粧)。明治時代に観賞用に導入されたものが野生化した。2024.05.25

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ph4 実家の野菜畑。ジャガイモ。植えつけてから2カ月目。5月末に収穫予定だった。2024.03.31

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ph5 実家の野菜畑。イノシシに穿り返されたジャガイモ。収穫3週間前でまだ実も小さい。2024.05.04

 5月の連休に妻と二人でソラマメの収穫をした。
 館山のあたりではことしは不作だったらしいが、私の畑も出来がよくなかった。花の咲く春先のころ雨の日が多かったことや台風なみの強風が2度も吹いたことが原因である。午後から妻と二人で2時間あまりかけて収穫したあと、納屋で4キロ入りの段ボール箱に詰めた。妻と私の兄弟や親戚などに送るのだが、梱包作業を終えると日が暮れていた。
 そとへ出ると、薄暗がりのあぜ道をこちらにやって来る黒い影がある。ネコやイヌではない。紛れもなくイノシシである。それほど大きくはない。とはいっても体長は1メートル以上ありそうだ。私をじっと見つめている。襲われたらろくなことにならない。どうしたものか迷っていると、不意に目を逸らし、荒れ放題になっている耕作放棄地のなかに行方をくらました。
 イノシシはなんの用事があったのか。こちらには私の家の野菜畑がある。イノシシは夜行性である。人影がなくなるのを見はからってやって来たに違いない。もしかしてと思って、畑に行ってみると、不安は的中していた。3週間ほどたてば収穫できる予定のジャガイモが滅茶苦茶に穿り返されて、見るも無慚な姿を晒していた(ph5)。
 ジャガイモが植えていたのは、ソラマメのすぐ隣である。ソラマメはタヌキ対策で電気柵を張り回らせてあった。私の畑にイノシシが出没したことはこれまでない。それに去年まではイノシシがジャガイモ畑を襲ったという噂も聞いたことがない。
 妻と私はそこで2時間あまりソラマメを捥いていた。それにも拘わらず、ジャガイモ畑の異変に気づかなかった。夫婦そろって間抜けなことで、なんとも情けない。こちらに見ようとする意識がなければ、物は見えてこないし、そうなると記憶にも残らないのである。
 イノシシによる農作物被害の現状と対策はどうなっているのか。翌日、ジャガイモの残骸を片づけたあと、近くに住む従兄を訪ねた。彼は私より5つ年上で。花卉栽培を専業にしている。野菜は自家消費用だが、なにを作らせても上手で、野菜作りで困ったことがあれば、知恵を貸してもらう。
 従兄の家では屋敷の一画を野菜畑にしている。目をやると、電気柵を張っている。囲っているのはジャガイモで、花が咲いている。ダンシャクだろう。
 私がイノシシの被害にあったと話を切り出すと、従兄が言うには、4、5日前に両隣の家でジャガイモ畑がイノシシに襲われた。その日のうちに知らせてきたので、あわてて電気柵を取りつけたのだという。
 彼の家の周りにイノシシが出没するようになったのは3年前からで、猟師を頼み撃ち殺してもらったことがあった。ジャガイモの被害は今年になってからだが、対策をしていなかったので、たいていの家が被害にあっているらしい。
 イノシシ除けの対策について聞くと、動物除けの網で畑を囲い、さらにその外側を電気柵で囲えばたぶん大丈夫だろう。しかし、どちらか片一方だけですませている家も多い、とのことである。
 私はイノシシのような大型獣に弱電仕様の電気柵は役に立たないのでないかと思っていた。従兄の話によると、そういう情報もあるが、この近辺ではイノシシに電気柵を倒されたという事例はない。学習能力があるみたいだから、将来のことは分からない。しかし、いまのところは、弱電仕様でも電気柵は有効だと考えているという。
 私はソラマメを収穫した跡地にサツマイモを植えることにしていた。イノシシはジャガイモ以上にサツマイモが好物だというから、なにもしなかったら、どうなるかは考えるまでもない。とはいっても、私の野菜作りは営利目的でないから、設備投資の回収はありえない。年金が頼りの家計だから出費のかさむ設備投資の余裕はない。10年余り続けた畑仕事も、これが辞める潮時だという勧告なのかもしれない。
 いったんはそう思い、妻にも胸の内を打ち明けてみたのだが、このまま畑を荒れるに任せるのは忍びがたい。あれこれ思案してみたが、けっきょく踏ん切りがつかず、ことしもやはりサツマイモは植えることにした。
 イノシシ対策はどうするのかというと、苗を植つける最初の段階から動物除けの網で周りを囲うことにした。そしてサツマイモが実をつけ始める7月中旬までに、その外側に電気柵を取りつける。電気柵は畑の反対側に植えているスイカやカボチャなどに使っているのだが、それを延長させるのである。イノシシの生態について乏しい知識しかないから、思った通りになるとはかぎらない。ワイヤーと支柱を補強する必要があるのだが、基本的にはいま持っている機材でやるだけやってみて、さきのことは、ようすを見ながら、考え直すことにした。
 私は1965(昭和40)年に大学進学のため郷里を離れるのだが。それまでイノシシによる農作物被害の噂は耳にしたことがない。イノシシの被害は中途半端でないから、傾向と対策は文献史料に残らなくとも、なんらかの形で伝承されるはずである。それが見当たらない。確証があるわけではないが、館山のあたりには昔からイノシシは生息していなかったのではないだろうか。

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ph6 実家の納屋。毎年4月になるとツバメがやってくる。窓の隅間から出入し、産卵と子育てをする。2022.06.04

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ph7 実家の野菜畑。トリの巣の跡。種類は不明。妻が梅干しにするウメを採っているときに見つけた。2022.06.04

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ph8 実家の野菜畑。草刈りをしていて見つけたスズメバチの巣。ph7と同じウメの木で、巣はやはり前年につくられたものとみられる。2023.02.05

 2012(平成24)の年8月下旬、習志野の自宅から館山の実家へ車で向かう途中、ソーラー式の電気柵で周りを囲った水田が目に入った(ph19)。電気柵はこの田んぼだけだが、周りの田んぼを見渡すと、どこもかしこも動物除けと思われる金属製の防護柵を張り回らせていた。場所は君津市大坂(おさか)といって、鴨川市に近い山間部で、国道410号の沿線にある。この国道は房総半島の中央部を南北に縦断し、木更津と館山を結んでいる。
 翌日の午後、帰りがけに大坂を通ると、あちこちの田んぼから煙があがっている。稲刈りを終えた田んぼを焼いているのである(ph20)。車を止めて話を聞くと、刈り取ったままにしておくと、イノシシが山から下りてきて落穂を食べる。田んぼを焼いてしまい、イノシシを里に近づけさせないようにするのだという。一般的には野焼きするのは害虫や微生物を駆除して、稲の育成に重要な窒素分の多い土壌環境を保全するためであるとされる(註3)。そうではなく、このあたりではイノシシ除けの防御対策になっているのである。
 むかしはイノシシをこの辺りで見かけることはなかった。イノシシが出るようになったのは近年になってからのことだという。戦後の一時期に狩猟が流行ったことがあるが、市内の猟師が射撃の訓練用にイノブタを飼っていた。そのイノブタが、不注意で逃げ出すか、故意に放逐されるかした。野生化したイノブタは繁殖を重ねるとイノシシに先祖返りする。このあたりのイノシシは野生化したイノブタの子孫だというのである。
 『千葉県イノシシ対策マニュアル』という千葉県野生鳥獣対策本部が2012年に制作した小冊子がある。それによれば、県下には在来種のイノシシが生息していたが、1970年代中頃になると絶滅した。
 絶滅したとする根拠になっているのは、1973年から1985年までの捕獲記録がまったくないことである。その当時は現在と較べて耕作放棄地が少ないうえに、1970年代には県内に猟銃の所持者が約2万人もいた。つまり自然開発による野生動物の生息環境の狭域化と、戦後の過熱した狩猟ブームがイノシシに絶滅をもたらした、とみているのである。またそれとは別に、絶滅した要因の一つとして、1952年から1968年にかけて県内では豚コレラが蔓延したことを挙げている。
 ところが1990年代になると、絶滅したはずのイノシシの出没が房総丘陵の広い地域から報告されるようになり、分布地域も拡大傾向にある。聞き取り調査では、1980年代中頃にイノシシを野外に放逐されることがあった。このイノシシは在来種ではなく、外来生物(県外種のイノシシ)の可能性が高いと考えられる。同書には鴨川市東部から君津市南部(大坂を含む)でもイノシシ放逐の報告が4例あったと書いているが、イノブタについての言及はない(註4)。

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ph9 実家の野菜畑。アカジソの葉のうえで仲睦まじくするオンブバッタのカップル。2021.09.17

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ph10 実家の野菜畑。冬枯れのアカジソの群落。シソの葉は梅干しに使う。なかば野生化していて、毎年5月になると勝手に生えてくる。2021.10.29

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ph11  実家の庭。クンシュランの花。花びらのなかで名前も知らないクモが遊んでいた。2024.04.14

 私の実家があるのは、館山市の平砂浦と呼ばれる太平洋に面した海岸線で、大坂から直線距離で南西におよそ40キロ離れている(註5)。北側は標高の低い山々で、南側は1キロ足らずで浜辺にいたる。その間の起伏の多い傾斜地を拓いて集落と耕地が形成されている。
 山のほとんどを占める樹木はマテバシイというブナ科の常緑高木で、地元ではトウジィと呼んでいる。ph1をご覧いただきたい。実家の近くから撮ったものである。マテバシイは秋になるとドングリの実をつける。子どものころ試したことがあるが、火を通せば食べられないこともない。むかしは食用にすることがあったかも知れない。これをイノシシが好んで食べるのだという(註6)。
 写真をよく見れば、マテバシイの群落に枯れ木があることが分かるはずである。これは害虫(カシノナガキクイムシ)による被害で、ナラ枯れと呼ばれる(註7)。
 2019年9月10日、台風19号が房総半島を直撃し甚大な被害を及ぼした。この時期にマテバシイはドングリを実らせる。風速50メートルを超える強風である。ドングリは充分に成熟しないまま落下してしまったのではないだろうか。
 台風19号のあと、マテバシイのナラ枯れが広がった。理由は不明だが、イノシシは山にエサがなくなれば、否も応もなく、人里に下りてくる。人里は人里で、この台風を契機に耕作放棄の荒蕪地が急増していた。
 実家の傍から海側を写したのがph2である。あたり一帯にわがもの顔で繁茂するのはセイタカアワダチソウである。奥に花卉栽培の農業ハウスが見える。台風15号に見舞われるまでは、ここにも農業ハウスが立ちならんでいた。耕作を放棄したのは、高齢であるうえに、後継ぎがいないのが理由である。建て直す経費を返済する年月よりも自分の寿命の方が短いから、骨折り損の草臥れ儲けにしかならない。
 セイタカアワダチソウは北アメリカ原産の雑草である。いまは日本中いたるところに繁殖していて、実家の畑もその例に漏れないのだが、もともとは明治時代(1868~1912)に観賞用やミツバチの訪花する蜜源植物として移入されたといわれている。(註8)。
 イノシシの侵入からしばらくして、畑の草刈りをしていると、これまで見かけたことのない雑草がきれいな花を咲かせていた(ph3)。WEBサイトで調べると、ユウゲショウ(夕化粧)という植物名がついている。これも北アメリカが原産で、やはり明治時代に観賞用として移入されたものがやがて野生化したとされている(註9)。

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ph12 実家の野菜畑。スイカの花。雌花で花の下に実をつけている。近ごろはミツバチが少ないので、人工授粉をしてやる。2024.06.26

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ph13 実家の野菜畑。スイカの実。盛り土をして苗を植え、トンネル状の屋根をつける。乾燥地帯が原産なので、水分不足の生育環境にする。梅雨明け後の猛暑と干ばつに耐える丈夫な根をつくるのが目的。2024.06.26

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ph14 実家の野菜畑。カラス除けのアミに足をからませ犠牲になったスズメ。2015.07.26。

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ph15 実家の野菜畑。ソラマメの芽に集るアブラムシ。芽を摘んでやるとアブラムシはどういうわけかいなくなる。2022.03.19

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ph16 実家の野菜畑。強風に煽られるソラマメ。春の風は不作の要因の一つ。2022..02.27

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ph17 実家の納屋。収穫したソラマメ。近ごろは鳥獣被害や異常気象のせいで、栽培するのがむつかしくなった。2022.05.05

 野菜畑にはさまざまな動植物がやってくる。
 イノシシとかセイタカアワダチソウ、ユウゲショウなどは歓迎できない訪問客だが、なかにはツバメやミツバチのように心待ちにしている訪問客もいる。
 4月になるとツバメがやってくる。納屋の天井に10年来の古巣があり、それを利用して産卵と子育てをする。私たちは毎週1泊2日しか滞在しない。ツバメの姿を見かけたら、窓を半分開けたままにしておく。そうすると、そのわずかなすき間から出入りして産卵と子育てをするのである。
 ヒナがかえったのは、床に糞が落ちていることで分かる。ことしは3羽だったが、オヤドリは私たちが納屋で作業をしていても、目まぐるしく出入してヒナにエサを与える(ph4)。3週間ほどでヒナは巣立ちするのだが、その後もしばらくは親子連れで納屋の周りを飛びまわっている。
 畑にあるウメの木にトリの巣を見つけたこともあった。妻がウメを収穫していると、ウメの実が枝に引っかかっていた。よくみればトリの巣だというのである(ph5)。何という種類か分からないが、巣の荒れたようすや6月上旬という時期からすると、産卵と子育てをしたのはその前の年だったとみられる。
 このウメの木にはスズメバチも巣をつくったことがある。これは私が草刈りをしていて見つけたのだが、冬だったから巣はもぬけの殻状態になっていた(ph6)。夏になると畑にアシナガハチがよく巣をつくる。枝落としや草刈りをしていると、うっかり巣に触ってしまう。すると刺される。巣があるのが分かれば、焼き払うか叩き落す。スズメバチに刺されたことはないが、アシナガバチよりも毒性がずっと強い。館山市では去年の10月、スズメバチの駆除を市役所から依頼された専門業者が、防護服の上から刺され死亡している(註10)。
 ハチといえば、近ごろはミツバチの姿を見ることが少なくなった。そのため、スイカは花が咲くと人工授粉する。露地栽培だから雨が降ると授粉できない。田舎に住んでいるわけでないから、なかなか思ったようにならない。
 畑にはさまざまな昆虫の類がどこからともなくやってくる(ph9、ph11、ph15)。どんな作物でも苗のうちに昆虫に集られるとまっとうな収穫は望めない。仕方なく消毒をするのだが、あくまでも食べ物だから、実を結ぶ時期になると、それも出来なくなる。
 野菜作りといっても大半の時間は草取りや草刈りに費やされる。諺にあるように、雑草はたくましく成長も驚くほど早い。とくに夏の間は1カ月もすればもとの草ぼうぼうの状態に戻ってしまう。
 雑草の特徴はもう一つある。さきにセイタカアワダチソウとユウゲショウのことを書いたが、草取りや草刈りをしていると、見覚えのない雑草がいつの間にかはびこっている。植物には足も羽根もついていないが、鳥獣類や昆虫と同じように、植物もやはり畑の外側から遠慮会釈なく侵入して来るのである。
 このところ手こずっている雑草がある。秋になると花が咲いて種でも増えるのだが、糸のような地下茎の先端に根茎(塊茎)がついていて、この根茎で増える。根絶やしにしたつもりでも、しばらくするとあちこちからも芽が生えてくる。
 この雑草は私にとってイノシシとならぶ悪玉の二大横綱の印象があるのだが、そもそも名前すら知らない。従兄に聞くと、このあたりではクグと呼んでいて、根絶するのは難しいが、ていねいに取り除くことを続ければ、作物栽培に支障はないとそっけない言葉が返ってきた。
 インターネットで調べてみると、クグは学名をハマスゲという。生命力と繁殖力が猛烈に強く、雑草界のゾンビともいわれている。しかしその一方では、ハマスゲの根茎は芳香のあることから香附子(こうぶし)とも呼ばれていて、漢方の医術では頭痛、腹痛のほか、月経不順など婦人病に用いられているという。つまり、この農耕地における嫌われ者は薬用として重要な植物の一つなのである(註11)。

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ph18 君津市俵田。灌漑の配水施設。俵田は小櫃川中流の穀倉地帯。川から水をくみ上げ、水田に暗渠配水している。2012.09.01

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ph19 君津市大坂。野生動物除けのため、ソーラー式の電気柵を張りめぐらせた水田。現在は耕作放棄され、荒地のなかに電気柵が取り残されている。2012.08.28

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ph20 君津市大坂。稲刈りをすませたあと、イノシシやシカを集らせないため、落穂を焼いている。2012.08.29

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ph21 鴨川市平塚の大山千枚田。稲刈りの季節。人間と野生動物との棲み分けが出来ていないと、このような美しい風景は形成されない。2012.08.29

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ph22 鴨川市平塚の大山千枚田。雪化粧の棚田。南房総ではサクラが散ると田植えが始まり、8月のお盆のころに稲刈りを迎える。2013.01.14

 イノシシに話を戻そう。
 館山市のWebサイトを見ると、昨年度(2023年度)の市内全体でのイノシシの捕獲数は2092頭。実家のある西岬地区では285頭が報告されている。西岬地区で最初に捕獲された年次は記されていないが、2017年度の捕獲数は5頭である。それが年を追うごとに増えていった。転換点となっているのは2020年で、2019年の31頭から147頭と一挙に5倍近くに急増している(註12)。
 市内には有害鳥獣対策で捕獲されたイノシシなどを食肉に加工販売するジビエセンターが2021年に設立された。収支の分岐点は年間受け入れ500頭。2024年度に黒字転換する計画だったが、予測を超えてイノシシの捕獲数が増え、1年前倒しで2023年度には黒字経営が実現可能になったという(註13)。
 イノシシといえば、『古事記』に倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰路、伊吹山の神に祟りを受けたとする神話がある。
 倭建命は三種の神器の一つ草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を尾張国造の祖である美夜受比売(みやずひめ)の許に置いたまま、徒手空拳で伊吹山の神を退治(殺し)に出かけるのだが、山に上る途中で牛のように大きな白いイノシシに遭遇する。そのときに「この白猪(しろい)は、伊吹山の神の使者(つかい)にすぎない。いま殺さなくとも、山を下りるときに殺せばいい」と口に出して高言した。ところが白猪は山の神の使者ではなく、実は山の神自身の化身だった。そこで伊吹山の神はどうしたかというと、大氷雨(おおひさめ)を降らせて、倭建命を打ち惑わし、正気を奪った、というのである(註14)。
 この神話は「敬して遠ざける」という諺を連想させずにはおかない。野球で投手が意図的に打者に四球を与えるあの敬遠のことである。原典は『論語』「雍也(ようや)」。孔子は弟子の樊遅(はんち)にたいし「人のなすべきことを務め、鬼神を敬してなれなれしく近づきけがさぬ。それでこそ知るといえる」と諭したという(註15)。
 「鬼神」は中国では死者の霊魂を指し、超自然的な仕業で生者に禍福をもたらす存在とされたらしい(註16)。野菜畑を荒らしまわるイノシシはいまや「鬼神」にほかならない。罠で捕獲しても銃で射殺しても、駆除という好戦的な方法では繁殖に歯止めが掛からない。
 私たちの、というよりも、私が個人的に出来ることは、動物除けの網で畑を囲うとか、電気柵をつけるといった専守防衛の対抗策しかない。孔子の言葉を借りれば、「敬して遠ざける」ということになるが、私なりに解釈すれば、人間が利害の相反する生き物と棲み分けて共存することを示唆しているように思われる。イノシシばかりではないだろう。昆虫とか雑草といった訪問客にたいする姿勢も基本的には変わらない気がする。

註1  平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき その13 : ギャラリー  ときの忘れもの (livedoor.jp)
註2 シカ科。体長は70cm前後。20年以上前、千葉県内の観光施設から逃げ出したものが繁殖、農作物に被害を与えるようになった。外来種“キョン” 千葉・房総半島で大量出没 対策を一緒に考えてみた | NHK
註3 野焼き。野焼きのメリットと注意すべき事項 | 農機具王のブログ (ameblo.jp)
註4  『千葉県イノシシ対策マニュアル』「第1章 敵を知る(イノシシはこんな動物)」(編集/千葉県生物多様性センター、発行/千葉県野生鳥獣対策本部、2012)千葉県イノシシ対策マニュアル.indd (prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net)
註5 平嶋彰彦のエッセイ「東京ラビリンス」のあとさき その31 : ギャラリー  ときの忘れもの (livedoor.jp)
註6 『千葉県イノシシ対策マニュアル』「第1章 敵を知る(イノシシはこんな動物)」
註7 「ナラ枯れ被害の基礎知識」(新潟県ホームページ)。624446_1802648_misc.pdf (niigata.lg.jp)。「カシノナガキクイムシってどんな虫?」(森林総合研究所)。国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所/自然探訪2015年7月 カシノナガキクイムシってどんな虫? (affrc.go.jp)
註8 セイタカアワダチソウ。セイタカアワダチソウ / 国立環境研究所 侵入生物DB (nies.go.jp) セイタカアワダチソウ - 外来植物図鑑 (affrc.go.jp)
註9 ユウゲショウ。ユウゲショウ / 国立環境研究所 侵入生物DB (nies.go.jp)重井薬用植物園 | おかやまの植物事典 (shigei.or.jp)
註10  千葉 館山 スズメバチの駆除業者 作業中に刺され死亡|NHK 首都圏のニュース
註11 『精選版 日本国語大辞典』「浜管」(小学館)。ハマスゲ Cyperus rotundus Linne (カヤツリグサ科) 今月の薬草 社団法人日本薬学会 (pharm.or.jp)。「ハマスゲは雑草界のゾンビ!何度でも復活する畑の宿敵を倒すには?」https://www.sharing-tech.co.jp/kusakari/hamasuge/
註12 イノシシ等捕獲状況 | 館山市役所 (city.tateyama.chiba.jp)
300383359.pdf (city.tateyama.chiba.jp)
註13 設立3年で初の黒字見通し イノシシの受け入れ大幅増で 館山ジビエセンター(千葉県)(房日新聞) - Yahoo!ニュース
註14 『古事記』「中巻 景行天皇 4小碓命東征」(『日本古典文学大系1』所収、岩波書店、1958)
註15 『新井白石』「鬼神諭」(『日本思想体系35』収拾岩波書店、1975)
註16 『改訂新版 世界大百科事典』「鬼神」(平凡社)

(ひらしま あきひこ)

平嶋彰彦のエッセイ 「東京ラビリンス」のあとさき は隔月・奇数月14日に更新します。
次回は2024年9月14日です。

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月で100回を数える。
2020年11月ときの忘れもので「平嶋彰彦写真展 — 東京ラビリンス」を開催。

●本日のお勧め作品は平嶋彰彦です。
tokyo_labyrinth_1平嶋彰彦ポートフォリオ『東京ラビリンス』
オリジナルプリント15点組
各作品に限定番号と作者自筆サイン入り
作者: 平嶋彰彦
監修: 大竹昭子
撮影: 1985年9月~1986年2月
制作: 2020年
プリント: 銀遊堂・比田井一良
技法: ゼラチンシルバープリント
用紙: バライタ紙
シートサイズ: 25.4×30.2cm
限定: 10部
発行日: 2020年10月30日
発行: ときの忘れもの
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。