栗田秀法「現代版画の散歩道」

第3回 靉嘔


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靉嘔《I love you》1974 レゾネNo.267

 画面中央には、花束を胸に抱き、横向きに立つ正装の男の姿が大きく描かれ、手書きの文字が画面一杯に重ねて摺られている。よく見ると手紙の本文はすべてが“I love you.”の繰り返しで、数えてみると95ある。青、赤、黄の三色のインクで文字をわずかにずらして刷っているので、実際には285回もの「愛している」が木霊よろしく連呼されているのである。

 この作品の着想源は、作者の言葉によれば、メキシコのオハカで買った「コンチネンタル風に着かざった男が花束を持って今にも女心をかき立てに行かんとしている絵葉書」である。発足間もない現代版画センターで本作品が制作されることになった顛末については、作家が詳しく次のように語っている。

‘74年の或る日、岡部[徳三]君と一緒に綿貫不二夫さんと若い人々5,6人が清瀬にやって来た。若者の層を対象として若い作家の版画を出版販売したいと(現代版画センター)。大賛成の私は更に若者向に沢山のエディションナンバーを作り安く売るこころみをすすめた。そのためには作家の名前で作品を売るのでなく、作品の内容で買う人々を引きつけねばならぬと説いた。そして話はどんどん拡がりついに2,3週間後には一万一千百拾一のエディションナンバーにしようということになった。値段は千円か2千円を目ざした。私はノーバスコーシア[カナダ]で作ったリトグラフのNo.247「Love letter」を示し話を進めた。皆賛成してくれて岡部君の刷りでNo.267「Love letter(s)」[Ilove you]のシルクスクリーンが生まれた。(注1)

 こうして生れ出た《Ilove you》は、記念すべき現代版画センターのエディション第一号であった。センターの活動初期の告知に、「絵を愛するということ、それは先ずあなたに1枚の画を手渡すことから始まる……このナイーヴともいえる発想から、私たちは出発し、いまあらゆる街の壁という壁を、最も新しい表現でうずめつくそうとしています。」というメッセージが発せられていたことを考えれば、I love you の告白の対象は、来るべき顧客であり版画ファンに他ならない。現代版画センターの生みの親が1950年代より小コレクター運動を鼓舞し、靉嘔を支援してきた久保貞次郎であればこそ、この上なく無謀な試みに賛同したのであろう。ただ、それがいかに労苦の多いものであったかは次の作家の言葉からも伺える。

11111の数を誰が云いだしたか今ではミステリーになってしまった。私は世界中まだ誰も1万以上の版画を作っていないと思うので、1万をちょっとこえた数にしたいと提案したのをおぼえている。そしてそれを伝え聞いた久保さんが、このゴロのいい数を云い出したと誰かが云ったような気もするがたしかではない。しかしこの数は瞬間に私をキャッチした。ロマンティックなウィットかもしれないが人々に生きる力をあたえてくれるファンタジーでもある。私は考えた。出来ればぶっつづけにサインをしてこのナンバーを1日で完成できないものだろうかと。ニューヨークへ行く2,3日前、女性1人と男性2人の協力をえて指にバンソーコーをはり、この行動は開始された。約16時間後、私たち4人はその完成を喜び合って握手をし、だきあっていた。

 こうした苦難を経て11,111部のエディション番号、署名入りの作品が誕生したのだが、間接表現と並ぶもう一つの版画の特質をなす複数性にわざわざ限定部数を設けることには異論もあった。例えば、『季刊版画』(1968-1971)の編集の中心を担った川合昭三は、「版画がスタグフレイションから脱する起死回生の道の一つは、コマーシャリズムの所産である「サインと限定部数」という制度にきっぱり決別し、真の庶民芸術となることであろう。」と自著『十人の版画家』(河出書房新社、1976年)で述べ、同書には木村光佑のリトグラフ≪Out of Time K≫1976年(10版11度刷、版上サイン、スタンプ印)が添付された。もともと創作版画誌に付された木版に署名は入れられることはなかったが、当然のこと木版の摺り部数にはかなり制約があった。摺り部数の観点では石版印刷は圧倒的に有利であったものの、粗製乱造のきらいも否めず、芸術性に関してはいささか難があった。その欠を補おうとしたのが織田一磨で、1930年前後の『みづゑ』に添付された自画石版画の連作「東京新景」などは、機械刷であるものの摺り部数の多数性と芸術性を両立させようとしたものとして注目される。その意味で1967年の『みづゑ』の試みは興味深く、刷り込みサインであるものの、池田満寿夫北川民次加納光於駒井哲郎のオリジナル石版画が4回に分けて綴じこまれた。とはいえ、作家の署名や限定部数にこだわるという抗いがたいコレクター心理が働くのも事実で、1973年に刊行が始まった『版画芸術』には翌年の第4号から署名入りのオリジナル版画が付録として綴じ込まれた。その劈頭を飾ったのが原健の《Strokes》(ジンク版によるオフセット印刷)で、5,675部に署名が入れられている。ただし、靉嘔の《I love you》は小判の雑誌の付録などではなく、縦寸62cmのれっきとした作品であったことに大きな意味がある。

 当時の靉嘔は、《レインボー北斎》が1970年の東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞するなど、版画界の寵児となっていた。この虹の作家の表現世界が、現代版画センターからのエディション《花の時間》(1977)でもそうであったように、赤から紫までの24のグラデーション(つまり版数24)で構成されるのが基本であることはよく知られている。その意味で版数が少ない《I love you》は簡約版に他ならないのであるが、その実現には、54の小ピースからなり、500の版を要したという《レインボー北斎》を90部刷り上げ、都合5万回以上の刷りをやってのけた摺師・岡部徳三の存在なしには生まれ得なかったことを忘れてはなるまい。3版からなる中型作品の摺り作業が改めて都合3万回以上求められたのであるから、恐れ知らずの岡部の献身ぶりには誰もが舌を巻かざるを得ない。久保貞次郎が創設した小コレクター運動の落とし子と言うべき現代版画センターの夢を現実にするために、想像を絶する量の刷り回数に懲りもせず挑んだ岡部の奮戦に報いるべく1万余の署名の完成に奮闘した靉嘔が発する“I love you”の言葉が今後も一人でも多くの版画愛好家の心に浸透していくことを期待したい。

(注1)久保貞次郎編『靉嘔版画全作品集1954-1982 増補版』(叢文社、1982年)146頁。なお、実際の売価は1,000円であった。

(くりた ひでのり)

●栗田秀法先生による新連載「現代版画の散歩道」は毎月25日の更新です。次回は2024年8月25日を予定しています。どうぞお楽しみに。

栗田秀法
1963年愛知県生まれ。 1986年名古屋大学文学部哲学科(美学美術史専攻)卒業。1989年名古屋大学大学院文学研究科哲学専攻(美学美術史専門)博士後期課程中途退学。 愛知県美術館主任学芸員、名古屋芸術大学美術学部准教授、名古屋大学大学院人文学研究科教授を経て、現在、跡見学園女子大学文学部教授、名古屋大学名誉教授。博士(文学)。専門はフランス近代美術史、日本近現代美術史、美術館学。
著書、論文:『プッサンにおける語りと寓意』(三元社、2014)、編著『現代博物館学入門』(ミネルヴァ書房、2019)、「戦後の国際版画展黎明期の二つの版画展と日本の版画家たち」『名古屋芸術大学研究紀要』37(2016)など。
展覧会:「没後50年 ボナール展」(1997年、愛知県美術館、Bunkamura ザ・ミュージアム)、「フランス国立図書館特別協力 プッサンとラファエッロ 借用と創造の秘密」(1999年、愛知県美術館、足利市立美術館)、「大英博物館所蔵フランス素描展」(2002年、国立西洋美術館、愛知県美術館)など

●本日のお勧め作品は靉嘔です。
ayo-109 (1)《鳳凰I》(淡色)
1983年
シルクスクリーン
イメージサイズ:31.0×30.0cm
Ed.200
サインあり
レゾネNo.489
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●ときの忘れものでは8月7日(水)「一日だけの特集展示/靉嘔を開催します。
魔法陣1200


取り扱い作家たちの展覧会情報(7月ー8月)は7月1日ブログに掲載しました。
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ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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