オディロン・ルドン作《ベアトリーチェ》(1897年、カラー・リトグラフ)について [その1]
山上紀子
オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)の芸術は、1890年代に劇的に変化したことが知られている。カラー・リトグラフ版《ベアトリーチェ》(1897)は、黒から色彩への転換期に作られた作品ということになる。じつは《ベアトリーチェ》には、同じ構図で、木炭、パステル、カラー・リトグラフと三種のバージョンが存在するため、変化を楽しむ見方ができるだろう。本稿では、木炭、パステル、カラー・リトグラフの順に描かれたことに留意し、技法を変えることでルドンがこの作品の解釈の幅をどのように拡張したか考えてみたい。
まず、ルドンがダンテを愛読したことはまちがいない。1875年頃、ルドンは次のように書いていた。「私はダンテ老師の本を開いた。彼はもう私から離れることはない。私たちは深い友情を育むだろう [1] 。」
13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの初恋の女性だったベアトリーチェは、別の男性のもとに嫁ぎ、早逝したが、彼女を崇拝し続けたダンテの著作を通じて、カミーユ・コロー、ギュスターヴ・ドレ、ウジェーヌ・ドラクロワ、ウィリアム・ブレイクら多くの画家に霊感を与えた。しかし、亡き妻をベアトリーチェに重ね、永遠に手の届かない存在となってしまった女性への思慕を表現したダンテ・ガブリエル・ロセッティの《至福のベアトリーチェ》(1864-1870年)と比較すると、ルドンのベアトリーチェには情熱や強い感情を示唆する表現がなく、画家の内面は直接的に反映されていないように思われる。また、ロセッティは、芥子の花を咥えた赤い鳩、死の時刻を示す日時計、橋、ダンテと愛の使者など、この世を去った状況を説明するモティーフに取り囲まれて恍惚の表情で天を仰ぐ、豊かな赤毛のヒロインを描いたのに対して、ルドンが描いたベアトリーチェの髪は短く、視線を落とすアップショットの横顔は凛々しい。背景にはベアトリーチェであることを示す要素は描かれておらず、題名がなければベアトリーチェだとわからないだろう。三種の技法でルドンが描いたベアトリーチェの像は、さまざまな見方を排除しない抽象性を特徴としており、そこにルドンの初恋の女性の記憶や、1876年に出会い1880年に結婚したカミーユ・ファルトの面影を読み取ることも不可能ではない。
(1)木炭画版《ベアトリーチェ》

Alec Wildenstein, Odilon Redon. Catalogue raisonné de l’œuvre peint et dessiné, volume 1, Paris, Wildenstein Intstitute ; la Bibliothèque des Arts, 1992.
最初の《ベアトリーチェ》(W. 144)は木炭画で、1877年に制作され、1882年にパリのル・ゴーロワ社で行われた第2回個展で公開された [2] 。現在は所在不明となっている [3] 。
憂いを帯びたまなざしを左下方に向けた横顔に、繊細な陰影が施されている。その面立ちにはギリシャ彫刻のような気品が漂う。個展では、会場の最後に展示されていたらしく、やや硬さのある線描を、エミール・エヌカンは次のように批評した。「最後に、静謐な作品、ベアトリーチェにたどり着いた。簡潔な女性の胸像であり、亡霊と思えるほどかすかな影で描かれている。厳粛な美を備えた、意志的な亡霊であるが、発達した頭蓋骨と顎の決然としたラインによって、楽園の聖なる女神学者というより、少女時代のマクベス夫人のように見える [4] 。」
「少女時代のマクベス夫人」というエヌカンの解釈は、その人相の内に秘められた狂気を読み取ったことを意味するであろう。「発達した頭蓋骨と顎の決然としたライン」にエヌカンが見出したのは、やがて夫マクベスに国王殺害をそそのかし、罪悪感から精神を乱し自死するはずの人物だった。この解釈は、ヨーロッパで流行していた骨相学(頭蓋の輪郭から人の性格や能力を判断できると主張した科学的思想)とルドンとの接触が、1870年代以降のルドン作品に曖昧なかたちで現れ出ることを示唆している。また、1862年にサルペトリエール病院に着任し、催眠術のヒステリー治療への応用術を精神分析学へと発展させ、ジークムント・フロイトら臨床神経学者を育てた神経学者・精神科医ジャン=マルタン・シャルコー(1825-1893)は、1870年から1890年にかけて臨床講義を一般公開し、『神経系疾患の講義』(1872-1887、全3巻)を刊行していた。ルドンは1873年以降にパリ大学医学部の講義を聴講したようだが、神経系疾患の講義にも足を運んだ可能性がある。とくに石版画集「夢のなかで」(1879年刊行)6葉から10葉に描かれた顔のイメージには、宗教的な恍惚を思わせる表現が認められ、シャルコーの著作に掲載されたヒステリー患者の写真が使用された可能性が指摘されている [5] 。《狂気》(「エドガー・ポーに」1882年)など複数の作品に描かれた、虚ろなまなざしの左向きの女性像と《ベアトリーチェ》は類似する特徴をもっている。
つまり、《ベアトリーチェ》はダンテの叙事詩にもとづいた作品ではあるものの、ルドンはしばしば科学、文学、宗教、同時代の出来事等、複数の源泉から得た着想を融合したため、唯一の主題に対応させる見方は通用しない。それでも、1882年に木炭画を公開した時点でルドンが与えた「ベアトリーチェ」というタイトルには、いざというときにこの作品を誤解や不当な評価から守る盾の意味があった。
同作品は1883年にボルドーの展覧会、1886年の第8回印象派展、1904年のサロン・ドートンヌにも出品されたが、1886年にこの絵を手に入れたモーリス・ファーブル以上に的確にその特徴を述べた者はいないだろう。「彼[ルドン]のもっとも純粋な啓示のひとつ、諦観に満ちた詩をもとに描かれた総合的なヴィジョンだ [6] 。」ファーブルはルドンのこの木炭画が、ダンテの叙事詩の一場面を叙述した挿絵ではなく、ダンテの壮大な一連の作品の総合的な理解にもとづき、そこに表現されたものを抽象化したルドン独自のイメージであることをよく理解していた。
※「その2」につづく
[1] Odilon Redon, À soi-même. Journal(1867-1915). Notes sur la vie, l'art et les artistes, Paris, José Corti, 1961, p. 48.
[2] 制作年は画家の制作記録にもとづく(Ms 42 821, Ms 42 820)。
[3] Odilon Redon. Prince of Dreams, 1840-1916, Chicago, The Art Institute of Chicago, 1994-1995, p. 108.
[4] Émile Hennequin, ≪ Beaux-Arts. Odilon Redon ≫, Revue littéraire et artistique, no 9, 4 mars 1882, p. 137
[5] G・ディディ=ユベルマン『ヒステリーの発明 シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(上・下2冊)、谷川多佳子、和田ゆりえ訳、みすず書房、2014年;中島恵「オディロン・ルドン作《夢のなかで》についての一考察 ─顔の形象にみる両義性─」『美術史』第171号、2011年、16-31 頁。
[6] Maurice Fabre, ≪ Odilon Redon ≫, Le Passant: Revue littéraire et atistique du midi, 5 février 1886, p. 64
(やまじょう のりこ)
■山上紀子
専門はフランス近代美術史。大阪公立大学都市文化研究センター研究員。大阪大学、大阪芸術大学短期大学部で美術史講義を担当。
論文に「文学と美術の境界において、ポーに刺激されたルドンの物語」(2024)、「オディロン・ルドンの蜘蛛-自然と想像のあいだ-」(2022)、訳書にダリオ・ガンボーニ『アモンティラードの酒樽』(長屋光枝と共訳、三元社、2013)など。
●本日のお勧め作品はオディロン・ルドンです。
《ベアトリーチェ》
1897年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:33.0×29.5cm
シートサイズ:51.6×38.4cm
Ed.100
※レゾネNo.168
《子供の顔と花》
1897年
リトグラフ
イメージサイズ:25.1×21.3cm
シートサイズ:57.0×39.8cm
Ed.35
(ギュスターヴ・ペレ出版のEd.50のうちのチャイナ・ペーパーによる墨刷り35部)
※レゾネ No. 169
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
ルドンの版画レゾネの表紙に使われているカラー・リトグラフ『ベアトリーチェ』は版画史に遺る名作と思います。
フランス近代美術史がご専門の山上紀子先生には以前にもルドンの連作リトグラフ『聖アントワーヌの誘惑』 第三集第二版についてご寄稿いただきました。
今回は<黒から色彩への転換期に作られた>『ベアトリーチェ』について三回連載で詳細に論じていただきます。本日掲載の「その1」に続き、明日9月2日に「その2」、一日空けて9月4日に「その3」を掲載予定です。どうぞご愛読ください。
各地で記録的な大雨が続いています。お正月の能登半島の大地震以来、地震、津波や集中豪雨など自然災害で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
被災地の復興に私たちも少しでも協力できたらと思案しています。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
山上紀子
オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)の芸術は、1890年代に劇的に変化したことが知られている。カラー・リトグラフ版《ベアトリーチェ》(1897)は、黒から色彩への転換期に作られた作品ということになる。じつは《ベアトリーチェ》には、同じ構図で、木炭、パステル、カラー・リトグラフと三種のバージョンが存在するため、変化を楽しむ見方ができるだろう。本稿では、木炭、パステル、カラー・リトグラフの順に描かれたことに留意し、技法を変えることでルドンがこの作品の解釈の幅をどのように拡張したか考えてみたい。
まず、ルドンがダンテを愛読したことはまちがいない。1875年頃、ルドンは次のように書いていた。「私はダンテ老師の本を開いた。彼はもう私から離れることはない。私たちは深い友情を育むだろう [1] 。」
13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの初恋の女性だったベアトリーチェは、別の男性のもとに嫁ぎ、早逝したが、彼女を崇拝し続けたダンテの著作を通じて、カミーユ・コロー、ギュスターヴ・ドレ、ウジェーヌ・ドラクロワ、ウィリアム・ブレイクら多くの画家に霊感を与えた。しかし、亡き妻をベアトリーチェに重ね、永遠に手の届かない存在となってしまった女性への思慕を表現したダンテ・ガブリエル・ロセッティの《至福のベアトリーチェ》(1864-1870年)と比較すると、ルドンのベアトリーチェには情熱や強い感情を示唆する表現がなく、画家の内面は直接的に反映されていないように思われる。また、ロセッティは、芥子の花を咥えた赤い鳩、死の時刻を示す日時計、橋、ダンテと愛の使者など、この世を去った状況を説明するモティーフに取り囲まれて恍惚の表情で天を仰ぐ、豊かな赤毛のヒロインを描いたのに対して、ルドンが描いたベアトリーチェの髪は短く、視線を落とすアップショットの横顔は凛々しい。背景にはベアトリーチェであることを示す要素は描かれておらず、題名がなければベアトリーチェだとわからないだろう。三種の技法でルドンが描いたベアトリーチェの像は、さまざまな見方を排除しない抽象性を特徴としており、そこにルドンの初恋の女性の記憶や、1876年に出会い1880年に結婚したカミーユ・ファルトの面影を読み取ることも不可能ではない。
(1)木炭画版《ベアトリーチェ》

Alec Wildenstein, Odilon Redon. Catalogue raisonné de l’œuvre peint et dessiné, volume 1, Paris, Wildenstein Intstitute ; la Bibliothèque des Arts, 1992.
最初の《ベアトリーチェ》(W. 144)は木炭画で、1877年に制作され、1882年にパリのル・ゴーロワ社で行われた第2回個展で公開された [2] 。現在は所在不明となっている [3] 。
憂いを帯びたまなざしを左下方に向けた横顔に、繊細な陰影が施されている。その面立ちにはギリシャ彫刻のような気品が漂う。個展では、会場の最後に展示されていたらしく、やや硬さのある線描を、エミール・エヌカンは次のように批評した。「最後に、静謐な作品、ベアトリーチェにたどり着いた。簡潔な女性の胸像であり、亡霊と思えるほどかすかな影で描かれている。厳粛な美を備えた、意志的な亡霊であるが、発達した頭蓋骨と顎の決然としたラインによって、楽園の聖なる女神学者というより、少女時代のマクベス夫人のように見える [4] 。」
「少女時代のマクベス夫人」というエヌカンの解釈は、その人相の内に秘められた狂気を読み取ったことを意味するであろう。「発達した頭蓋骨と顎の決然としたライン」にエヌカンが見出したのは、やがて夫マクベスに国王殺害をそそのかし、罪悪感から精神を乱し自死するはずの人物だった。この解釈は、ヨーロッパで流行していた骨相学(頭蓋の輪郭から人の性格や能力を判断できると主張した科学的思想)とルドンとの接触が、1870年代以降のルドン作品に曖昧なかたちで現れ出ることを示唆している。また、1862年にサルペトリエール病院に着任し、催眠術のヒステリー治療への応用術を精神分析学へと発展させ、ジークムント・フロイトら臨床神経学者を育てた神経学者・精神科医ジャン=マルタン・シャルコー(1825-1893)は、1870年から1890年にかけて臨床講義を一般公開し、『神経系疾患の講義』(1872-1887、全3巻)を刊行していた。ルドンは1873年以降にパリ大学医学部の講義を聴講したようだが、神経系疾患の講義にも足を運んだ可能性がある。とくに石版画集「夢のなかで」(1879年刊行)6葉から10葉に描かれた顔のイメージには、宗教的な恍惚を思わせる表現が認められ、シャルコーの著作に掲載されたヒステリー患者の写真が使用された可能性が指摘されている [5] 。《狂気》(「エドガー・ポーに」1882年)など複数の作品に描かれた、虚ろなまなざしの左向きの女性像と《ベアトリーチェ》は類似する特徴をもっている。
つまり、《ベアトリーチェ》はダンテの叙事詩にもとづいた作品ではあるものの、ルドンはしばしば科学、文学、宗教、同時代の出来事等、複数の源泉から得た着想を融合したため、唯一の主題に対応させる見方は通用しない。それでも、1882年に木炭画を公開した時点でルドンが与えた「ベアトリーチェ」というタイトルには、いざというときにこの作品を誤解や不当な評価から守る盾の意味があった。
同作品は1883年にボルドーの展覧会、1886年の第8回印象派展、1904年のサロン・ドートンヌにも出品されたが、1886年にこの絵を手に入れたモーリス・ファーブル以上に的確にその特徴を述べた者はいないだろう。「彼[ルドン]のもっとも純粋な啓示のひとつ、諦観に満ちた詩をもとに描かれた総合的なヴィジョンだ [6] 。」ファーブルはルドンのこの木炭画が、ダンテの叙事詩の一場面を叙述した挿絵ではなく、ダンテの壮大な一連の作品の総合的な理解にもとづき、そこに表現されたものを抽象化したルドン独自のイメージであることをよく理解していた。
※「その2」につづく
[1] Odilon Redon, À soi-même. Journal(1867-1915). Notes sur la vie, l'art et les artistes, Paris, José Corti, 1961, p. 48.
[2] 制作年は画家の制作記録にもとづく(Ms 42 821, Ms 42 820)。
[3] Odilon Redon. Prince of Dreams, 1840-1916, Chicago, The Art Institute of Chicago, 1994-1995, p. 108.
[4] Émile Hennequin, ≪ Beaux-Arts. Odilon Redon ≫, Revue littéraire et artistique, no 9, 4 mars 1882, p. 137
[5] G・ディディ=ユベルマン『ヒステリーの発明 シャルコーとサルペトリエール写真図像集』(上・下2冊)、谷川多佳子、和田ゆりえ訳、みすず書房、2014年;中島恵「オディロン・ルドン作《夢のなかで》についての一考察 ─顔の形象にみる両義性─」『美術史』第171号、2011年、16-31 頁。
[6] Maurice Fabre, ≪ Odilon Redon ≫, Le Passant: Revue littéraire et atistique du midi, 5 février 1886, p. 64
(やまじょう のりこ)
■山上紀子
専門はフランス近代美術史。大阪公立大学都市文化研究センター研究員。大阪大学、大阪芸術大学短期大学部で美術史講義を担当。
論文に「文学と美術の境界において、ポーに刺激されたルドンの物語」(2024)、「オディロン・ルドンの蜘蛛-自然と想像のあいだ-」(2022)、訳書にダリオ・ガンボーニ『アモンティラードの酒樽』(長屋光枝と共訳、三元社、2013)など。
●本日のお勧め作品はオディロン・ルドンです。

1897年
カラーリトグラフ
イメージサイズ:33.0×29.5cm
シートサイズ:51.6×38.4cm
Ed.100
※レゾネNo.168

1897年
リトグラフ
イメージサイズ:25.1×21.3cm
シートサイズ:57.0×39.8cm
Ed.35
(ギュスターヴ・ペレ出版のEd.50のうちのチャイナ・ペーパーによる墨刷り35部)
※レゾネ No. 169
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
ルドンの版画レゾネの表紙に使われているカラー・リトグラフ『ベアトリーチェ』は版画史に遺る名作と思います。
フランス近代美術史がご専門の山上紀子先生には以前にもルドンの連作リトグラフ『聖アントワーヌの誘惑』 第三集第二版についてご寄稿いただきました。
今回は<黒から色彩への転換期に作られた>『ベアトリーチェ』について三回連載で詳細に論じていただきます。本日掲載の「その1」に続き、明日9月2日に「その2」、一日空けて9月4日に「その3」を掲載予定です。どうぞご愛読ください。
各地で記録的な大雨が続いています。お正月の能登半島の大地震以来、地震、津波や集中豪雨など自然災害で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
被災地の復興に私たちも少しでも協力できたらと思案しています。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

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