梅津元「瑛九-フォト・デッサンの射程」

第13回「Get Ready-第33回瑛九展・湯浅コレクション(スピンオフその3)」

梅津 元


 Crystal - この曲がやってくるとは思わなかった。1993年にアルバム『Republic』を発表後、活動休止状態にあったニュー・オーダーは、1998年にライブ活動を再開し、2001年には、アルバム『Get Ready』を発表する。「Crystal」は、その『Get Ready』の冒頭を飾る、まさに結晶的な名曲であるが、ギターの比重が増しているところは、今から振り返ると、その後のニュー・オーダーのサウンドを予言しているようでもある。
 だが、この曲がやってきた理由は、わかるような気がする。諸々の不調が覆い被さり、第11回と第12回を続けて書き上げた後、長く執筆休止状態に陥ってしまい、ようやく執筆再開に辿り着いた心境が、『Get Ready』とリンクしているような気がするからだ。休止状態の期間も、再開までの時間も、全く違っているのだけれど、心情的に。

人形

 早速本題に入る。まず、2点の作品を見てみよう。

fig1
fig.1:《作品(42)》 1936年 埼玉県立近代美術館蔵

fig2
fig.2:《作品(7)》 1937年 埼玉県立近代美術館蔵

 fig.1 とfig.2 は、どちらも、制作のモチーフに人形が用いられている。fig.1 は、人形を逆さまにして、木にくくりつけて撮影したのだろう。カメラを用いて撮影された写真という意味ではストレート・フォトといえるが、自然なスナップ・ショットではなく、演出的な工夫が施されているため、現在ならば、コンストラクテッド・フォトの範疇で捉えられるかもしれない。人形を使って何かを試そうとしているように感じられるが、人形を使うというアイデアは、シュルレアリスムからの影響に由来すると思われる。

 fig.2 では、植物の葉のイメージの背後に、人形らしきイメージが見える。この人形のイメージは、フォトグラムの原理によってではなく、カメラを用いた撮影によって得られたものである。ここで、補足するならば、植物の葉のイメージは、フォトグラムの原理によって定着されたものではない可能性が高い。植物の葉が印画紙の上に密着するように置かれて光によって転写された場合、原寸大でそのイメージが定着される。この作品の寸法は29.0×24.3cm であり、葉の下が印画紙からはみ出しているため、葉の長さは印画紙とほぼ同じ30cm 程あることになり、かなりの大きさになるからである。
 もちろん、その大きさの葉が使われた可能性もあるが、定着されたイメージから、葉脈以外は光が透過する厚みであったことがわかり、葉の大きさから推定される厚みを考えると、その大きさの葉が印画紙の上に置かれたとは考えにくい。この画像は、カメラによって人形を撮影して得られたガラス原板(乾板)の像を印画紙に拡大焼付する際、ガラス原板(乾板)に葉を重ねて得られたものと考える方が妥当だろう。この場合、葉のイメージは、拡大焼付によって明暗が反転し、大きく引き伸ばされる。葉の大きさは、印画紙のサイズではなく、ガラス原板(乾板)のサイズと近いことになり、現実的である。

人の形

 前回、第12回では、『フォトタイムス』1930年8月号に掲載された「フォトグラムの自由な制作のために」において、杉田秀夫による試作として掲載された「第1図」から「第5図」に見られる人の形や人体のパーツのイメージが、以下のいずれかを用いて得られたものではないかという仮説を提示した。

1:物体(立体的、平面的)を用いる
2:写真(原板、印画紙、印刷物)を用いる
3:既存のイメージを切り抜いた型紙を用いる

 この仮説の重要なポイントは、この時点では、「杉田秀夫が描いたイメージを切り抜いた型紙」が、まだ制作に用いられていなかったのではないか、という点である。前回も指摘したように、上記の3種類の方法を駆使した制作を模索する中で、上記の「3:既存のイメージを切り抜いた型紙を用いる」という方法を発展させ、自分で描いた形を切り抜いて型紙を作る方法に到達した、と考えることができる。この仮説と、前回までの記述をふまえた上で、今回は、スピンオフの最後の回として、瑛九(杉田秀夫)のフォト・デッサンにおける「人の形」と「型紙の由来」について、より広い視野から論じてみたい。

 今回は、瑛九(杉田秀夫)のフォト・デッサンにおける「人の形」と「型紙の由来」について考えるために、上述の3つの手法のうち、フォトグラムの原理に準じた方法である、「1:物体(立体的、平面的)を用いる」について考えてみたい。『フォトタイムス』1930年8月号に掲載された「フォトグラムの自由な制作のために」(第12回を参照)と、『フォトタイムス』1931年2月号に掲載された「フォトグラムはいかに前進すべきか-フォトグラム試作報告-」(第10回を参照)に明らかなように、杉田秀夫は、1930年にはフォトグラムの原理を学んでおり、自ら試作を手がけている。
 フォトグラムの原理を学び、自らその制作を試みようと考えたならば、身近にあるあらゆるものが素材として見えてきたことだろう。そうして選ばれた素材の中に、人形や人の形の玩具や装身具、あるいは雑貨などが含まれていたであろうことも、容易に想像がつく。しかも、杉田秀夫には姉や妹がいるのだから、宮崎での生活においても、一時期住んでいた、姉の十三が東京(品川)に借りていた家での生活においても、女性の身の回りにあるものが選択肢に含まれていたとしても不思議ではない(コラージュの素材に女性向けのファッション雑誌からの切り抜きが多く用いられているのと同様である)。

 冒頭で紹介した2点の作品は、このような推測を裏付けてくれる。fig.1 もfig.2 も、フォトグラムの原理に依拠する作品ではないが、カメラを用いる撮影の際に、モチーフとして、人形が用いられている。fig.1 は1936年の制作、fig.2 は1937年の制作であることからも、瑛九(杉田秀夫)の初期のフォト・デッサンに見られる「人の形」に、人形や玩具、もしくはそれに類するものが用いられていた可能性が示されている。
 瑛九のフォト・デッサンに出現する「人の形」は、その全てが「型紙」に由来するわけではないこと、「人の形の型紙」の全てが、「瑛九(杉田秀夫)が描いたイメージを切り抜いたもの」ではないこと。3回にわたるスピンオフでは、最初期のフォト・デッサンから『眠りの理由』の頃までのフォト・デッサンに改めて向き合うことで、そのことの重要さについて考えてみたかったのである。このような意図をふまえて、以下では、『カメラアート』1936年6月号に掲載されたフォト・デッサンを見てみよう。

「感光材料への再認識」『カメラアート』1936年6月号

 以下、瑛九の名前で発表された上記の記事に掲載された7点の作品を紹介する。記事の最初のページに「フォト・デッサン 瑛九」という記載はあるが、個別のキャプションは記載されていないため、それぞれのタイトル、制作年などは確認できていない。

fig.3
fig.3

fig.4
fig.4

fig.5
fig.5

fig.6
fig.6

fig.7
fig.7

fig.8
fig.8

fig.9
fig.9

 まず、人の形に限らず、制作に用いられている物体を比較的容易に推定することができる作品を見てみよう。fig.6 では、画面中央やや右上に、虫眼鏡と思われるイメージが見えている。fig.7 では、画面右下に瓶のようなイメージ、画面左上に小鳥の玩具か置物のようなイメージが、それぞれ、確認できる。なお、この作品と同じイメージの作品が、福岡市美術館に収蔵されている。天地は、左が上になっており、タイトルは《無題》、制作年は不詳、寸法は27.3×22.9cm、である。(また、この作品と同じイメージの作品が第2回のfig.7 として掲載されている。)fig.8 では、画面中央やや右下に、ピンセットらしきイメージと、ハサミらしきイメージが、重なるように見えている。
 このように、この記事に掲載されている作品には、当時、瑛九の身近にあったと推測される日用品や小物が、モチーフとして用いられている。そのことをふまえた上で、fig.4 とfig.9 を、より詳しく見てみよう。なお、fig.4 と同じイメージの作品が、埼玉県立近代美術館と福岡市美術館に収蔵されている。埼玉の方は天地が逆であり、タイトルは《作品(26)》、制作年は不詳、寸法は22.5×27.8cm、である。福岡の方は、天地は同じであり、作品名は《コンストラクション》、制作年は1936年、寸法は22.4×27.6cm、である。

 補足すれば、fig.4 とfig.7 について、同じイメージの作品が複数存在するのは、制作されたフォトグラムの印画紙を密着焼き付けしてネガのように用いることで、ポジ像(白ベース)のフォトグラムを作ることができるからである。この点については、第2回において説明しているので、そちらを参照いただきたい(第2回第4回において公開した2013年の「第23回・瑛九展」の際に行われたギャラリー・トークでの説明)。

玩具(はずみ車)

 本題に戻ろう。『カメラアート』1936年6月号に掲載されている7点のうち、fig.4 とfig.9 には、「人の形」が見られる。この「人の形」が何に由来するのかについて、ここまでの議論をふまえて、掘り下げて探ってみたい。しかし、fig.4 を見ただけでは、この画面のどこに「人の形」があるのか、おそらく、わからないだろう。だが、fig.9 を見てから、fig.4 とfig.9 をよく見比べることで、あることがわかるのである。前回、第12回において、杉田秀夫の言葉を変奏して力説したように、「見なければ見ることは上手になれない」、そのことの実践として、この2点をよく見比べてほしい。

 まず、fig.9 の方は、比較的シンプルな構図であるため、画面を把握することは難しくない。瑛九(杉田秀夫)の初期のフォト・デッサンによく見られる、渦巻きのモチーフが目をひく。渦巻きのモチーフは、フォトグラムの先駆者であるモホリ=ナジの作品に登場することが多いため、フォトグラムの原理と先駆者の作例を知った杉田秀夫が、渦巻きのモチーフを使ってみようと発想したとしても不思議ではない。そして、もうひとつ、目をひく重要なモチーフが、左方向に伸びている渦巻きに接している、車輪のようなイメージと、その車輪を押している人を横から見たようなイメージである。
 少し調べて見ると、この車輪と人のイメージは、おそらく、「はずみ車」という古い玩具がモチーフであることがわかる。車輪に紐を巻きつけて回すことができるようで、駄菓子屋などで売られていたおもちゃらしい。従って、この作品に見られる「人の形」は、車輪のイメージと一体で、身近にあったと推測される玩具をモチーフとしており、型紙を用いて得られたイメージでなないことがわかる。fig.6 では虫眼鏡、fig.7 では瓶と小鳥の玩具か置物、fig.8 ではピンセットとハサミなど、身近なモチーフが使われているのだから、同様に、玩具が用いられたとしても、不思議はないだろう。

 では、ここで、再び、fig.4 を見てみよう。そう、おわかりになると思うが、画面の上の方、中央よりやや左に、車輪のようなイメージが見えている。fig.9 と見比べてみると、おそらく、fig.4 の車輪のようなイメージは、fig.9 に見られる車輪のイメージと同じモチーフに由来するのではないかと思われる。つまり、fig.4 にも、fig.9 の制作に使われたものと同じ「はずみ車」が使われていると推測できるのである。埼玉県立近代美術館に収蔵されている、同じイメージで、天地が逆の作品を見てみよう。

fig10
fig.10:《作品(26)》 制作年不詳 埼玉県立近代美術館蔵

 どうだろうか、わかりやすくなっただろうか。画面の右下、車輪の右側に見える黒い塊を、fig.9 の「はずみ車」に由来するイメージと、よく見比べてほしい。fig.10 の車輪の右側に見える黒い塊の輪郭が、fig.9 に見える車輪の右側の人の形と同じであることが、おぼろげに、わかってくることだろう。つまり、fig.4/fig.10 の制作と、fig.9 の制作には、同じ「はずみ車」が用いられているのである。このように、fig.4 だけを見ていては見えてこない「人の形」が、同じイメージで天地が逆転しているfig.10 の助けを借りて、fig.9 と見比べながら見ることによって、見えてくるのである。

型紙

 ここで注目すべきは、今回取り上げている作品が掲載されている『カメラアート』1936年6月号の記事が、「瑛九」の名前で発表されていることである。「瑛九」の名前は、『みづゑ』1936年3月号に掲載された「瑛九氏のフォト・デッサン」、同年4月の『眠りの理由』の刊行、それと連動する同年4月~6月の展覧会(東京、大阪、宮崎)において、用いられるようになったのであるから、この『カメラアート』の記事は、「瑛九」という名前で発表された論考の最初期のものとして、極めて重要である。
 『みづゑ』1936年3月号の「瑛九氏のフォト・デッサン」には、ガラス原板(乾板)に加工を施す作風の作品5点と、型紙を用いた作風の作品1点が掲載されている(第1回を参照)。一方、『カメラアート』1936年6月号の「感光材料への再認識」には、フォトグラムの原理を用いる作風の作品7点が掲載されている。『眠りの理由』に収録されている作品、すなわち、瑛九自身が描いたイメージを切り抜いて作られた型紙を用いる作品は、ガラス原板(乾板)に加工を施す作品ならびにフォトグラムの原理を用いる作品を経て、制作されるようになったのではないかと推測される。そのことを示す作例を見てみよう。

fig11
fig.11:《フォト・デッサン(その8)》 1937年 東京国立近代美術館蔵

 fig.11 は、今回詳しく見てきた、『カメラアート』1936年6月号の最後に掲載されているfig.9、すなわち、「はずみ車」という玩具を用いたと推測される作品と近い構図のフォト・デッサンである。「近い構図」と書いたのは、一目見て、感覚的にそのような印象を受けるからであるが、「近い構図」にとどまらない共通点があることが、この2点をよく見比べると判明する。渦巻きのモチーフが、おそらく、同じものと思われるのである。どちらも、渦巻きは6重であり、一番外側が大きく開いており、確かに似ている。
 そして、その大きく開いた帯状の形の先端は、二股に分かれているように見える。fig.9 では、先端の様子は、かろうじて判別できる程度であるが、fig.11 では、帯状の形の先端部分の影が印画紙の上に定着されているため、先端が二股に分かれていることがはっきりとわかる。おそらく、斜め方向から光があてられたのだろう。そして、先端の様子が明確であるfig.11 と見比べることによって、fig.9 の渦巻きの先端も二股にわかれていることがよりよく見えてくるため、この2点に用いられている渦巻きのモチーフが同じものであると判断することが可能となるのである。

 ここで、注目してほしいのは、その渦巻きのモチーフと組み合わされている、もうひとつのモチーフの違いである。すでに見たように、fig.9 においては、渦巻きのモチーフの左側に見える車輪と人の形には、「はずみ車」という玩具が用いられていると思われる。一方、fig.11 において、渦巻きのモチーフの右側に見える人の形は、足の先端の形態が省略されて簡略化されていることなどから、瑛九(杉田秀夫)が自ら描いた形を切り抜いた型紙に由来すると思われる(前回、第12回の記述を参照)。
 このことから導き出されるのは、同じ渦巻きのモチーフを用いたこの2点が制作された経緯ならびにその前後関係である。おそらく、fig.9 が先に作られ、その後にfig.11 が制作されたと想像できる。なぜなら、fig.9 では、はずみ車という玩具が用いられ、fig.11 では、瑛九(杉田秀夫)が自ら描いた形を切り抜いた型紙が用いられているからである。手近にあった物体を用いてfig.9 を制作した後、その物体にかえて、自ら描いた形を切り抜いた型紙を組み合わせることを思いつき、そのアイデアを実現したのがfig.11 である、そのように推測することができるのである。

『眠りの理由』

 最後に、『眠りの理由』に収録されている作品を1点、見ておこう。『眠りの理由』に収録されている作品を何度も見て、そのイメージに親しんでいる方ならば、fig.11 を見て、何か感じるところがあるのではないだろうか。そう、このfig.11 に見える人のイメージと、とても良く似ている人のイメージが見られる作品が、『眠りの理由』に収録されているのである。その作品を見てみよう。

fig12
fig.12:『瑛九氏 フォート・デッサン作品集 眠りの理由』(1936年)より

 この2点に見える人のイメージも、fig.9 とfig.11 と同様に、感覚的に似ている、近い、という関係にとどまらない共通点がある。fig.9 とfig.11 用いられている渦巻きのモチーフが同じものであることと同様に、fig.11 とfig.12 に用いられている人の形の型紙が、同じものであると思われるのである。ただし、fig.11 の人のイメージは、fig.12 の人のイメージを斜めに引き伸ばしたような形態である。この点については、以下のように考えることによって、説明することができる。
 fig.11 について、渦巻きのモチーフの定着の様子から、斜め方向から光があてられたのではないかと推測した。fig.12 に見える人のイメージと比較すると、fig.11 の人のイメージは、斜めにひしゃげている。fig.12 は、定着されているイメージの輪郭にブレがないことから、おそらく、真上に近い位置から光があてられている。従って、画面に見えている人のイメージが、制作に用いられた型紙の形と一致していると考えられる。型紙の形が、fig.12 の画面に見えるイメージと一致しているのならば、同じ型紙を用いるfig.11 の制作においては、斜めの角度から光があてられていたことが、より確かになる。

 このように、今回は、『カメラアート』1936年6月号に掲載された作品を中心に論じてきたが、後半では、関連の深い作品を2点ずつ比較することを通じて、用いられているモチーフが同じであることを明らかにすることができた。その後半の記述を総合すると、fig.9 とfig.11 では同じ渦巻きのモチーフが用いられており、fig.11 とfig.12 では同じ型紙が用いられていることが、判明する。そのことをふまえると、fig.9、fig.11、fig.12 の3点は、おそらく、近い時期に制作されたのではないかと思われる。
 fig.9 については、既述のとおり、『カメラアート』1936年6月号には個別のキャプションが記載されていないため制作年を特定することができないが、おそらく、1935~36年と推測することは可能だろう。fig.12 は『眠りの理由』に収録されているため、1936年の制作とみなすことができる。fig.11 は1937年の制作とされているが、fig.12 と同じ頃に制作されたと思われるため、1936年の制作である可能性も高いといえる。

スピンオフ

 はからずも、3回にわたってスピンオフが展開されたのは、この連載のテーマである「フォト・デッサンの射程」について、これまで考えたことがなかった問題に直面してしまったからである。それは、自らが描いたイメージに従って紙を切り抜いて型紙を作るという瑛九(杉田秀夫)のフォト・デッサンのユニークな技法が、何に由来するのか、という問題である。その答えを、山田光春の著作をはじめとする、瑛九(杉田秀夫)の伝記的な記述に求めることも可能であり、そのような作業にも一定の意味はある。
 しかし、この連載においては、「見ること」から始まる思考と論述を、何よりも重視している(もちろん瑛九(杉田秀夫)の伝記的な記述も適宜参照しているが)。そのため、3回にわたるスピンオフの記述においては、最初期のフォト・デッサンから『眠りの理由』の頃のフォト・デッサンに改めて向き合い、具体的な作品を示し、用いられているモチーフを見直し、関連の深い複数の作品の関係を探ってみた。もちろん、完成した作品を見ることから展開される技法やモチーフについての記述は、推測の域を出ず、間違っていることもあるだろう。だが、杉田秀夫は、「フォトグラムの自由な制作のために」の中で、次のように書いているのだから、思い切った視点と記述が要請されているはずである(『フォトタイムス』1930年8月号、95頁)。

「私の提唱する此種のフオトグラムがフオトグラムでないといふ人があるならばフオトグラム的制作といつてもいゝ。」

 この時点では、まだ「フォト・デッサン」という言葉も概念も生まれていないが、杉田秀夫は、フォトグラムの試作に取り組んだ最初の時期から、すでにして、自らの制作が、いわゆるフォトグラムの範疇にとどまるものではないことを自覚しており、そのことを、明言している。これは、理論上の問題にとどまるものではなく、この時期の杉田秀夫の実践において明確に示さていることであり、そのことは、驚くべきことである。
 だからこそ、私は、この連載において、『眠りの理由』よりも前の時期の作品に対しても、「最初期のフォト・デッサン」という表現を用いている。そして、まだ試作と呼ぶべき段階を含めて、この時期の杉田秀夫の理論と実践に、すでに「フォト・デッサン」の原理が胚胎していることを指摘し、そのことの重要性を示そうとしているのである。

「鑑賞は見なければ上手になりません」
「見なければ見ることは上手になれない」


 杉田秀夫の言葉を変奏したフレーズを、何度でも繰り返そう。杉田秀夫が書いた文章を、瑛九が書いた文章を、山田光春が書いた文章を、誰かが瑛九について書いた文章を、読んでいるだけでは、フォト・デッサンをとらえることはできない。「見ること」を深めなければ、「フォト・デッサンの射程」をめぐる思考を深めることはできない。だが、見れば見るほど、書けば書くほど、わからなくなる、けれど、それでいい、誰かが書いた文章を読んで、何かをわかったつもりになるよりは、見ることによって、書くことによって、わからなさが深まることのほうが、よほどいいのだから。

Primitive Notion

 「Crystal」が収録されている2001年のアルバム『Get Ready』の中の1曲。ロックだ。ギターがかきならされている。メロディーは瑞々しく、デビューしたばかりのギターロックのバンドのようだ。タイトルにある「Primitive」が、眩しい、眩しすぎる。ニュー・オーダーとしてのデビューから20年後に発表されたアルバムとは、にわかには信じがたい。この曲を聴くと思い知らされる、初期衝動に根ざした表現の瑞々しさは、年齢や経験とは一切関係がないことを。誰でも、いつでも、初期衝動にかきたてられた、ほとばしるような瑞々しい表現を、生み出すことができる、そのことに、この上なく、励まされる。
 音楽があってよかったと、ニュー・オーダーが活動を続けてくれていてよかったと、心の底から、強く思う。そして、気づく、初期衝動に根ざした、ほとばしるような瑞々しい表現、この言葉は、紛れもなく、杉田秀夫に、瑛九に、ふさわしい、ということに。いま、3回のスピンオフを書き終えて、機は熟した、「湯浅コレクション」へ舞い戻る「準備が整った」ことを悟る、『Get Ready』を聴きながら。

(うめづ げん)

図版出典
fig.1, fig.2:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年
fig.3~fig.9:『カメラアート』1936年6月号
fig.10:『光の化石』埼玉県立近代美術館、1997年
fig.11, fig.12:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年

追記
9月14日、横須賀美術館の「瑛九-まなざしのその先に-」が開幕しました。この展覧会に、fig.4 と同じ構図のフォト・デッサン(福岡市美術館蔵)と、fig.12 (『眠りの理由』収録作品)が出品されています。瑛九の全貌を体験することができる、素晴らしい展示となっています、この機会を逃さず、ぜひ、ご覧いただきたく存じます。

梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。

・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日更新、次回は2024年10月24日です。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は、瑛九です。
qei-195 (1)《題不詳》
フォト・デッサン
45.2×55.7cm
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。


*画廊亭主敬白
アンソロジーというのは個展に比べて人が入らないというのが亭主の固定観念でした。
だから主力スタッフ4人が福岡のアートフェアに行っても何とかなるだろうと甘く見ていたのが間違いのもと、先週末終了した「生誕120年 瀧口修造展V Part 2 シュルレアリスム関連8作家とともに」には連日お客様が絶えませんでした。
普段なら気が付く常連のお客さまはもちろん、地方から初めていらしたお客様や美術館の学芸員の皆様にはご挨拶もろくにできず、たいへん失礼しました。この場を借りてお詫びします。
芳名簿の入力作業はボケ防止策の一環として亭主がやっているのですが、今回は新規のお客様が多くフーフー言いながら作業しています。
それにしても、瀧口修造先生の影響力は凄いですね、亡くなられてからもう45年も経ち、新刊はもちろん、文庫本もない、読むとすれば古本しかない、造形作品を常設している美術館も少ない。なのにどんどん若いファンが増えている。
生存中は大スターとして持て囃された作家でも亡くなって30年たてばだいたい忘れ去られます。厳しいけれど、それが現実です。
死んだ後もファンが増え続けるのはわが瑛九が最たるものですが(エヘン)、どうやら瀧口先生もそれに勝るとも劣らない。土渕信彦さんはじめ、熱心な支持者が瀧口先生の言説、作品を語り伝えることに情熱を傾けているからでしょう。あらためて皆さんに敬意を表します。

横須賀美術館で「瑛九ーまなざしのその先にー」展が始まりました。
招待券が若干ありますので、ご希望の方はお申込みください。
20240921182003_0000120240921180751_00001
会期:2024年9月14日 (土) ~ 2024年11月4日 (月)
   休館日 10月7日(月)
主催・会場:横須賀美術館
特別協力:宮崎県立美術館
出品協力:東京国立近代美術館

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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