佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」第93回
「先について」-個展に向けた構想-
先日、日本大学の佐藤慎也先生にお誘いいただき、レクチャーをさせていただく機会をいただいた。そこに参加いただいたある編集の方からの当方への教育的なご指摘をいただき、改めて自分自身が取り組んでいる設計活動と、制作活動との結びつきについて考えなければいけないと痛感した。
あの、カメラが相互に撮影して生成された写真に写っていた像は、一体なんなのか。それは作る建築とどう関係し得るのか。
モノへの執着は分かるが、一方でどうやって(あるいは一体いつから)そこから都市へアプローチ、外部への回路を取り得るのか。簡単には要約はできない示唆に溢れた指摘だったが、自分の中で咀嚼するとそんな感じの問いである。とても重い。
その問いに対して、自分はたしか「幻」という言葉を捻り出した。ギリギリの言葉である。幻、あるいは仮設性、とも言った。手作りのカメラで撮影したボヤボヤのモノクロ写真に写り込んでいるのは、おそらく何かの像ではなく、何かの不在なのだと。その不在の感触を作る建築においても描くことはできないだろうか。そんな苦し紛れの回答であった。不在というのは、ここでは実はポジティブな意味あいで、「誰かがいたかもしれない」あるいは「これから誰かが来るかもしれない」。そんな過去と未来を同時に合わせ持とうというのが、ここでの不在なのかもしれない。
一方、今回の展示は「先」という言葉が主題として浮上しつつある。指先や足先といった何かの輪郭の際としての「先」。先に行っているね、というような前もって=過去のことを意味する「先」。そして向こう側を指し示すときの遠い距離としての「先」。これらの「先」の意味合いは、いま3つに分類してはみたが、それぞれ全く異なる意味というわけではなくおそらくは表現として互いに連関している。そんな複奏的な「先」という言葉がなんとなく今回の制作物で考えたいことに近い気がしている。制作物として鏡を持ち出しているのは、鏡の文化的な魅惑の蓄積とその機能が、その「先」の意味合いに触れているのではないかと直感するから。
最近まで、個展のタイトルとして「何かが先に見えているはず」という言葉にしようと思っていたのだが、もう少し、方向性めいた何かを示す必要があるな、とやっぱり考えて直そうともしている。




今回は制作に先んじて、会場構成を考えるための模型を作ってみた。ときの忘れもののギャラリー空間の模型を1/30で作り、そこに制作予定のモノを入れ込んでいく。やっぱり模型で物事を考えるのはとても良い。なんだか健康に良い。最近あらためてそう思うようになった。3Dモデルを作ったりしての検討やプレゼンテーションも毎回試みてはいるが、結局のところ自分自身の理解のために有効に役立っていない気がしていた。模型のほうが時間はかかるし細かいところまでは作り込めないけれども、やっぱりとても理解がしやすくて、何かを思いつく。
ときの忘れもののギャラリー空間は、去年亡くなった阿部勤さんによる設計である。ここはかつて住居として使われていた。その堅牢な躯体と空間性はもちろん未だ健在で、むしろ硬すぎるくらいに、強い。最近は自分も住宅の設計をすることが増えてきて、あらためて住むということ、あるいは住むための場所について色々悩んでいる。自分の新たな拠点整備を始めているからでもある。それで、このかつて住居であったRCの堅牢な空間に対して、どんな制作物をどのように配置するかを考える。制作物の自律性と、空間への協調の狭間。。過去2回の個展では実はその辺りをしっかりと考えることができていなかった(立体としての制作物の在り方に頭がいっぱいだった)が、今回はわずかながらに「会場を構成する」視野を含めていることができているかもしれない。
カメラは2体、鏡を備えた立体は7体を作ることとした。早速、鏡の制作図を作図している。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。今秋11月には三回目の個展をときの忘れもので開催します。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
●本日のお勧め作品は佐藤研吾です。
《窓はないわけではない 01》
2024年
ゼラチンシルバープリント
18.0×18.0cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

「先について」-個展に向けた構想-
先日、日本大学の佐藤慎也先生にお誘いいただき、レクチャーをさせていただく機会をいただいた。そこに参加いただいたある編集の方からの当方への教育的なご指摘をいただき、改めて自分自身が取り組んでいる設計活動と、制作活動との結びつきについて考えなければいけないと痛感した。
あの、カメラが相互に撮影して生成された写真に写っていた像は、一体なんなのか。それは作る建築とどう関係し得るのか。
モノへの執着は分かるが、一方でどうやって(あるいは一体いつから)そこから都市へアプローチ、外部への回路を取り得るのか。簡単には要約はできない示唆に溢れた指摘だったが、自分の中で咀嚼するとそんな感じの問いである。とても重い。
その問いに対して、自分はたしか「幻」という言葉を捻り出した。ギリギリの言葉である。幻、あるいは仮設性、とも言った。手作りのカメラで撮影したボヤボヤのモノクロ写真に写り込んでいるのは、おそらく何かの像ではなく、何かの不在なのだと。その不在の感触を作る建築においても描くことはできないだろうか。そんな苦し紛れの回答であった。不在というのは、ここでは実はポジティブな意味あいで、「誰かがいたかもしれない」あるいは「これから誰かが来るかもしれない」。そんな過去と未来を同時に合わせ持とうというのが、ここでの不在なのかもしれない。
一方、今回の展示は「先」という言葉が主題として浮上しつつある。指先や足先といった何かの輪郭の際としての「先」。先に行っているね、というような前もって=過去のことを意味する「先」。そして向こう側を指し示すときの遠い距離としての「先」。これらの「先」の意味合いは、いま3つに分類してはみたが、それぞれ全く異なる意味というわけではなくおそらくは表現として互いに連関している。そんな複奏的な「先」という言葉がなんとなく今回の制作物で考えたいことに近い気がしている。制作物として鏡を持ち出しているのは、鏡の文化的な魅惑の蓄積とその機能が、その「先」の意味合いに触れているのではないかと直感するから。
最近まで、個展のタイトルとして「何かが先に見えているはず」という言葉にしようと思っていたのだが、もう少し、方向性めいた何かを示す必要があるな、とやっぱり考えて直そうともしている。




今回は制作に先んじて、会場構成を考えるための模型を作ってみた。ときの忘れもののギャラリー空間の模型を1/30で作り、そこに制作予定のモノを入れ込んでいく。やっぱり模型で物事を考えるのはとても良い。なんだか健康に良い。最近あらためてそう思うようになった。3Dモデルを作ったりしての検討やプレゼンテーションも毎回試みてはいるが、結局のところ自分自身の理解のために有効に役立っていない気がしていた。模型のほうが時間はかかるし細かいところまでは作り込めないけれども、やっぱりとても理解がしやすくて、何かを思いつく。
ときの忘れもののギャラリー空間は、去年亡くなった阿部勤さんによる設計である。ここはかつて住居として使われていた。その堅牢な躯体と空間性はもちろん未だ健在で、むしろ硬すぎるくらいに、強い。最近は自分も住宅の設計をすることが増えてきて、あらためて住むということ、あるいは住むための場所について色々悩んでいる。自分の新たな拠点整備を始めているからでもある。それで、このかつて住居であったRCの堅牢な空間に対して、どんな制作物をどのように配置するかを考える。制作物の自律性と、空間への協調の狭間。。過去2回の個展では実はその辺りをしっかりと考えることができていなかった(立体としての制作物の在り方に頭がいっぱいだった)が、今回はわずかながらに「会場を構成する」視野を含めていることができているかもしれない。
カメラは2体、鏡を備えた立体は7体を作ることとした。早速、鏡の制作図を作図している。
(さとう けんご)
■佐藤研吾(さとう けんご)
1989年神奈川県横浜生まれ。2011年東京大学工学部建築学科卒業。2013年早稲田大学大学院建築学専攻修士課程(石山修武研究室)修了。同専攻嘱託研究員を経て、2014年よりスタジオGAYA。2015年よりインドのVadodara Design AcademyのAssistant Professor、および東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程在籍。福島・大玉村で藍染の活動をする「歓藍社」所属。インドでデザインワークショップ「In-Field Studio」を主宰。「一般社団法人コロガロウ」設立。2022年3月ときの忘れもので二回目となる個展「佐藤研吾展 群空洞と囲い」を開催。今秋11月には三回目の個展をときの忘れもので開催します。
・佐藤研吾のエッセイ「大地について―インドから建築を考える―」は毎月7日の更新です。
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2024年
ゼラチンシルバープリント
18.0×18.0cm
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●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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E-mail:info@tokinowasuremono.com
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