丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」
その17 ガウディのスペインでの研究史
丹下敏明
最初のガウディ研究書
この連載のエッセイで最初に書いたように、私のガウディとの出逢いは69年だった。当時の我が校は卒業設計か、卒業論文のどちらかを提出することになっていた。学園紛争の真っただ中だったので、最終年は単位さえ取れていればそのどちらも免除可能という事になってしまったが、テーマをガウディの研究という事に決めていたので、350頁ほどの卒論を71年に出して、しばらくスペイン渡航のための資金を作るためにアルバイトをした後、初夏に横浜を出た。
当時は日本で手に入る文献はごく限られていたし、ましてやインターネットなどもなかったので情報、資料入手は困難で、見つかっても古いものだった。ガウディの弟子でサグラダ・ファミリア教会に通ってアーカイブを担当していた、ラフォイス(Josep Francesc Rafols Fontanals,1889-1965年)の28年の本は結局読まずに卒論を書いている。ラフォイスの本は一次資料としての絶対的な資料価値があったが、それを手に入れたのはバルセロナに着いてからで、当時1000ペセタ(約5千円)で売られていたが、これはアパートの家賃が2500ペセタだった時代なので、高価だったが買わなければならない貴重なものだった。

ラフォイスによって書かれたガウディの最初の研究書
現在ではアーカイブを担当し、ガウディ没後早々に出版されたラフォイスの本にミスや欠落がある事が分かっている。
細かな事は色々あるとしても、大きな2点だけを挙げると、ラフォイスがガウディではなく弟子のベレンゲールが設計したことにしているボデーガ・デ・ガラーフがそのひとつ。この小さな作品は生涯のパトロンとなったグエルがバルセロナ市内から南へ30㎞ほどのガラーフという小さな村に建てた。ここ一帯の山はグエルが所有しセメントの原料の石灰を掘ったり、パラウ・グエルに使った大理石も切り出していた他、グエルはワインを作っていた。このワイナリーに付随した小さな家をラフォイスは弟子のベレンゲールの作品としている。ベレンゲールはガウディの一番弟子であり、しかも自分でも素晴らしい作品を残しているとはいえ、ボデーガ・デ・グエルは素晴らしすぎる。実はこの小さな建築に最初に注目したのはル・コルビュジエであった。

街道から見るガラーフのワイナリー

ガラーフのワイナリー、その奥にはガラーフの村が見える
彼が28年にセルトの車で曲がりくねった海岸線の街道を走った時、これが眼に留まり、『街道でひとつのモダンな家が私の注意を引いた。ガウディである。』と書き残している。ル・コルビュジエですら絶賛しているのだ。ベレンゲールの作品とはちょと考えられない。しかし、ラフォイスは本文ではこれに触れず、しかも267頁から始まる年表にも記載はないどころか、ベレンゲールの大半の作品はガウディが指導したというフレーズがこの年表の最後の行に書かれていたりする。私はこの疑問について事実関係を調べ、76年の3月に『a+u』誌に発表した。

レ・コルビュジェがこの時の思い出をスケッチと共に書き残している。

ワイナリーの話を聞くために、グエル伯爵の孫と現地でインタビューする
調査中、管轄の市役所のアーカイブも探してみたが、インタヴューした市の建築家に戦前のアーカイブは何も残っていないと言われて、発見できなかったが、その後ガウディ研究に生涯をささげたバセゴダ教授はガウディのサインの入ったサイト・プランを見つけている。現在ではガウディが作者であることが一般的に認められている。
そして、ラフォイスの作品リストには入っていないニューヨークの摩天楼計画がある。こちらの方はガウディの弟子の一人ジョアン・マタマラ(Joan Matamala i Flotats, 1893-1977年)が相当の数のスケッチを描いている。しかし、これはジョアン・マタマラが記憶を頼りにガウディ没後描いたものだ。マタマラによるとメキシコ人の投資家がニューヨークに超高層のホテルの設計を依頼したとしている。マタマラはこの他に本『Antoni Gaudi. Mi itinerario con el arquitecto(建築家との道すがら)』という本も出していて、私も読破を2度チャレンジしたが、未だ読み切れないというしろものだ。マタマラの父ジョレンス(Llorenc Matamala i Pinol, 1856-1927年)は従順なガウディの弟子だったが、父を習い晩年のガウディに弟子入りし、ガウディそして父の没後はサグラダ・ファミリア教会の誕生のファサードの彫刻の責任者として戦争勃発まで働いている。この出所すら分からない作品が注目を集めたのはあの9.11事件で崩壊したワールド・トレード・センターの跡地、グランド・ゼロにこれを建てようという話が複数の人たちから提案され、一躍知られるようになった。この時にはジョアン・マタマラも他界していたが、3Dのイメージ製作が一般化していたので、さらにこの計画に現実味を添えてしまった。果たしてこんな計画が本当にあったのだろうか。疑問が残るところだ。

マタマラによって描かれたガウディの作とするN.Y.の超高層ホテル計画

しかし、これに酷似したスケッチが1917年にイグナシ・ブルゲーラという、ガウディに関係のない建築家が描いている

マタマラによって書かれた著作
第一世代の研究者
前置きが長くなってしまったが、ガウディの研究はラフォイスの一次資料を駆使し、アーカイブを担当していたという事もあり、信頼のおける資料なのには変わりがないが、その後、マルティネイ(Cesar Martinell i Brunet, 1888-1973年)、プーチ・イ・ボアダ(Isidre Puig i Boada, 1891–1987年)、ベルゴス(Joan Bergós i Masso, 1894-1974年)といったガウディを知っていた建築家たちがそれぞれ研究書を出している。先に挙げたバセゴダ(Joan Bassegoda i Nonell, 1930-2012年)教授は、ガウディに面識はない世代だが、研究所(Reial Catedra Gaudi)を立ち上げ、生涯をガウディの研究に捧げている。彼にはアカデミストとしての批判もあったが、土曜日も日曜日も来訪者に対応し、こちらの調べ物は何でも提供してくれた。

マルティネイ著『ガウディとサグラダ・ファミリア教会』1951年刊

プーチ・イボアダ著『サグラダ・ファミリア寺院―ガウディの芸術の総括』、1952年

ベルゴス著『天才建築家アントニ・ガウディ』初版1954年、写真はスペイン語版で1974年刊

ジョアン・バセゴダ教授
第二世代の研究者
その後、現れたのが鳥居徳敏(1947年生まれ)さんだった。彼はマドリッドの建築史の大家、チュエカ(Fernando Chueca Goitia, 1911-2004年)に師従し、スペイン建築史、特にガウディの研究をスペイン滞在中の73年から84年まで続け、『El mundo enigmatico de Gaudi』という全2巻の大作を残している。この本のタイトルを直訳すると『謎に満ちたガウディの世界』という事になり、ガウディの世界のルーツをたどりガウディの建築を探るという事だろうか。彼の研究のスタート地点が、ガウディがモロッコのタンジェで計画していたが、実現しなかったカトリックの布教館計画という事も特異だ。いずれにしろ、かつてのアメリカの研究者、コリンズ(George R. Collins, 1917–1993年)のように研究者としての業績を残し、帰国してからもガウディの研究を続け、現在も業績を積み上げている。

鳥居徳敏教授

鳥居徳敏著『謎に満ちたガウディの世界』、1983年

鳥居教授の研究のスタートとなったタンジェのカトリック布教館計画の唯一残っているスケッチの写真(1893年制作)

アメリカの研究者コリンズ。1977年バルセロナのポリテクニックから名誉博士に命名されている
鳥居さんより若干早くガウディを国外から組織的に研究した人がいる。デルフト工科大学のヤン・モレマ(Jan Molema, 1935年生まれ)で、毎年夏には学生を連れて実地調査・実測をし、ガウディ・グループ(Gaudi Groep)を作り、研究を続け、グループの中にはヨス・トムロー(Jos Tomlow, 1951年生まれ)などを輩出している。トムローはシュトゥットガルトのフライ・オットー(Frei Otto, 1925-2015年)の研究室で博士論文をコロニア・グエルの地下聖堂のために製作されたフニクラ模型について書き上げている。もっともコロニア・グエルのフニクラ模型研究をさらに発展させたのはインスブルック大学のライナー・グラエフ(Rainer Graefe, 1941年生まれ)だ。彼らは未完のこの教会の模型を3Dデータ化し、3Dプリンターで打ち出すことまで発展させている。

デルフト工科大学のモレマ教授

トムロー博士

現在サグラダ・ファミリアに展示されているフニクラ模型

ライナー教授

ライナー教授らによって作られた模型コロニア・グエルの教会の3D 模型
第三世代の研究者
現在の科学的な分析を通じてガウディを知ろうという研究者はスペインにも現れた。それはエンジニアで考古学者でもあるマヌエル・メダルデ(Manuel Medarde Sagrera, 1936年生まれ)で、1986年に県庁の保存委員会で仕事をしていた時期に、県庁がコロニア・グエルの地下聖堂の修復工事を始めることになり、そのための準備の基礎調査を彼が担当した。メダルデはそこで5942枚という膨大なインヴォイスが現存していることを見つけ、これを整理した。これは職人や納品した製造業者などが工事責任者に出して受理の承認を受けるというもので、もちろん全てに承認したとするガウディのサインが入っている。また、実証調査では地下に5本のトンネルもこの時期に発見されたりしている。重要な事はこのインヴォイスによりガウディの設計プロセスが手に取るように分かる事だ。ガウディは材料実験を依頼したり、気象庁へのデータ入手をしている事が分かったりする。トンネルは地盤沈下を目視でチェックでき、湿気が基礎に悪影響を与えないように通気を確保したり、オルガンの下には音響効果を引き出すための空洞が作られている。ガウディは単なる職人でも芸術家でもなく、科学の人であった。
これはガウディ研究に新局面を開くことになった。

現在ガウディ研究機関を運営するメダルデ博士

工事中に業者などから出された5942枚のインヴォイスの一枚

コロニア・グエル地下聖堂にある5本のトンネルの一つ内部
※写真撮影は著者
■丹下敏明 (たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作 (カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984年以降 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blanes計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画 (現在進行中) などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画 (全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展 (バルセロナ・アパレハドール協会展示場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展 (サン・ジョアン・デスピCan Negreにて)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加
主な著書
『スペインの旅』実業之日本社 (1976年)、『ガウディの生涯』彰国社 (1978年)、『スペイン建築史』相模書房 (1979年)、『ポルトガル』実業之日本社 (1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社 (1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会 (1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版 (1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社 (1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社 (2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社 (2022年)、『バルセロナのモデルニスモ建築・アート案内』Kindle版 (2024 年)、Walking with Gaudi Kindle版 (2024 年)、ガウディの最大の傑作と言われるサグラダ・ファミリア教会はどのようにして作られたか:本当に傑作なのかKindle版 (2024 年)など
・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は2025年1月16日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。
《開いた手》
1963年
リトグラフ
シートサイズ:65.0x50.0cm
版上サイン
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆本日は「一日だけの特集展示/杣木浩一」を開催します。
会期=11月16日(土)11:00~19:00

15時からは杣木浩一さんと梅津元さん(芸術学)をお迎えしてギャラリートークを開催します(要予約)。
ギャラリートーク開催中、予約者以外はご入場いただけませんので、予めご了承ください。
参加費:1,000円(お支払いは現金のみでお願いします)
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

その17 ガウディのスペインでの研究史
丹下敏明
最初のガウディ研究書
この連載のエッセイで最初に書いたように、私のガウディとの出逢いは69年だった。当時の我が校は卒業設計か、卒業論文のどちらかを提出することになっていた。学園紛争の真っただ中だったので、最終年は単位さえ取れていればそのどちらも免除可能という事になってしまったが、テーマをガウディの研究という事に決めていたので、350頁ほどの卒論を71年に出して、しばらくスペイン渡航のための資金を作るためにアルバイトをした後、初夏に横浜を出た。
当時は日本で手に入る文献はごく限られていたし、ましてやインターネットなどもなかったので情報、資料入手は困難で、見つかっても古いものだった。ガウディの弟子でサグラダ・ファミリア教会に通ってアーカイブを担当していた、ラフォイス(Josep Francesc Rafols Fontanals,1889-1965年)の28年の本は結局読まずに卒論を書いている。ラフォイスの本は一次資料としての絶対的な資料価値があったが、それを手に入れたのはバルセロナに着いてからで、当時1000ペセタ(約5千円)で売られていたが、これはアパートの家賃が2500ペセタだった時代なので、高価だったが買わなければならない貴重なものだった。

ラフォイスによって書かれたガウディの最初の研究書
現在ではアーカイブを担当し、ガウディ没後早々に出版されたラフォイスの本にミスや欠落がある事が分かっている。
細かな事は色々あるとしても、大きな2点だけを挙げると、ラフォイスがガウディではなく弟子のベレンゲールが設計したことにしているボデーガ・デ・ガラーフがそのひとつ。この小さな作品は生涯のパトロンとなったグエルがバルセロナ市内から南へ30㎞ほどのガラーフという小さな村に建てた。ここ一帯の山はグエルが所有しセメントの原料の石灰を掘ったり、パラウ・グエルに使った大理石も切り出していた他、グエルはワインを作っていた。このワイナリーに付随した小さな家をラフォイスは弟子のベレンゲールの作品としている。ベレンゲールはガウディの一番弟子であり、しかも自分でも素晴らしい作品を残しているとはいえ、ボデーガ・デ・グエルは素晴らしすぎる。実はこの小さな建築に最初に注目したのはル・コルビュジエであった。

街道から見るガラーフのワイナリー

ガラーフのワイナリー、その奥にはガラーフの村が見える
彼が28年にセルトの車で曲がりくねった海岸線の街道を走った時、これが眼に留まり、『街道でひとつのモダンな家が私の注意を引いた。ガウディである。』と書き残している。ル・コルビュジエですら絶賛しているのだ。ベレンゲールの作品とはちょと考えられない。しかし、ラフォイスは本文ではこれに触れず、しかも267頁から始まる年表にも記載はないどころか、ベレンゲールの大半の作品はガウディが指導したというフレーズがこの年表の最後の行に書かれていたりする。私はこの疑問について事実関係を調べ、76年の3月に『a+u』誌に発表した。

レ・コルビュジェがこの時の思い出をスケッチと共に書き残している。

ワイナリーの話を聞くために、グエル伯爵の孫と現地でインタビューする
調査中、管轄の市役所のアーカイブも探してみたが、インタヴューした市の建築家に戦前のアーカイブは何も残っていないと言われて、発見できなかったが、その後ガウディ研究に生涯をささげたバセゴダ教授はガウディのサインの入ったサイト・プランを見つけている。現在ではガウディが作者であることが一般的に認められている。
そして、ラフォイスの作品リストには入っていないニューヨークの摩天楼計画がある。こちらの方はガウディの弟子の一人ジョアン・マタマラ(Joan Matamala i Flotats, 1893-1977年)が相当の数のスケッチを描いている。しかし、これはジョアン・マタマラが記憶を頼りにガウディ没後描いたものだ。マタマラによるとメキシコ人の投資家がニューヨークに超高層のホテルの設計を依頼したとしている。マタマラはこの他に本『Antoni Gaudi. Mi itinerario con el arquitecto(建築家との道すがら)』という本も出していて、私も読破を2度チャレンジしたが、未だ読み切れないというしろものだ。マタマラの父ジョレンス(Llorenc Matamala i Pinol, 1856-1927年)は従順なガウディの弟子だったが、父を習い晩年のガウディに弟子入りし、ガウディそして父の没後はサグラダ・ファミリア教会の誕生のファサードの彫刻の責任者として戦争勃発まで働いている。この出所すら分からない作品が注目を集めたのはあの9.11事件で崩壊したワールド・トレード・センターの跡地、グランド・ゼロにこれを建てようという話が複数の人たちから提案され、一躍知られるようになった。この時にはジョアン・マタマラも他界していたが、3Dのイメージ製作が一般化していたので、さらにこの計画に現実味を添えてしまった。果たしてこんな計画が本当にあったのだろうか。疑問が残るところだ。

マタマラによって描かれたガウディの作とするN.Y.の超高層ホテル計画

しかし、これに酷似したスケッチが1917年にイグナシ・ブルゲーラという、ガウディに関係のない建築家が描いている

マタマラによって書かれた著作
第一世代の研究者
前置きが長くなってしまったが、ガウディの研究はラフォイスの一次資料を駆使し、アーカイブを担当していたという事もあり、信頼のおける資料なのには変わりがないが、その後、マルティネイ(Cesar Martinell i Brunet, 1888-1973年)、プーチ・イ・ボアダ(Isidre Puig i Boada, 1891–1987年)、ベルゴス(Joan Bergós i Masso, 1894-1974年)といったガウディを知っていた建築家たちがそれぞれ研究書を出している。先に挙げたバセゴダ(Joan Bassegoda i Nonell, 1930-2012年)教授は、ガウディに面識はない世代だが、研究所(Reial Catedra Gaudi)を立ち上げ、生涯をガウディの研究に捧げている。彼にはアカデミストとしての批判もあったが、土曜日も日曜日も来訪者に対応し、こちらの調べ物は何でも提供してくれた。

マルティネイ著『ガウディとサグラダ・ファミリア教会』1951年刊

プーチ・イボアダ著『サグラダ・ファミリア寺院―ガウディの芸術の総括』、1952年

ベルゴス著『天才建築家アントニ・ガウディ』初版1954年、写真はスペイン語版で1974年刊

ジョアン・バセゴダ教授
第二世代の研究者
その後、現れたのが鳥居徳敏(1947年生まれ)さんだった。彼はマドリッドの建築史の大家、チュエカ(Fernando Chueca Goitia, 1911-2004年)に師従し、スペイン建築史、特にガウディの研究をスペイン滞在中の73年から84年まで続け、『El mundo enigmatico de Gaudi』という全2巻の大作を残している。この本のタイトルを直訳すると『謎に満ちたガウディの世界』という事になり、ガウディの世界のルーツをたどりガウディの建築を探るという事だろうか。彼の研究のスタート地点が、ガウディがモロッコのタンジェで計画していたが、実現しなかったカトリックの布教館計画という事も特異だ。いずれにしろ、かつてのアメリカの研究者、コリンズ(George R. Collins, 1917–1993年)のように研究者としての業績を残し、帰国してからもガウディの研究を続け、現在も業績を積み上げている。

鳥居徳敏教授

鳥居徳敏著『謎に満ちたガウディの世界』、1983年

鳥居教授の研究のスタートとなったタンジェのカトリック布教館計画の唯一残っているスケッチの写真(1893年制作)

アメリカの研究者コリンズ。1977年バルセロナのポリテクニックから名誉博士に命名されている
鳥居さんより若干早くガウディを国外から組織的に研究した人がいる。デルフト工科大学のヤン・モレマ(Jan Molema, 1935年生まれ)で、毎年夏には学生を連れて実地調査・実測をし、ガウディ・グループ(Gaudi Groep)を作り、研究を続け、グループの中にはヨス・トムロー(Jos Tomlow, 1951年生まれ)などを輩出している。トムローはシュトゥットガルトのフライ・オットー(Frei Otto, 1925-2015年)の研究室で博士論文をコロニア・グエルの地下聖堂のために製作されたフニクラ模型について書き上げている。もっともコロニア・グエルのフニクラ模型研究をさらに発展させたのはインスブルック大学のライナー・グラエフ(Rainer Graefe, 1941年生まれ)だ。彼らは未完のこの教会の模型を3Dデータ化し、3Dプリンターで打ち出すことまで発展させている。

デルフト工科大学のモレマ教授

トムロー博士

現在サグラダ・ファミリアに展示されているフニクラ模型

ライナー教授

ライナー教授らによって作られた模型コロニア・グエルの教会の3D 模型
第三世代の研究者
現在の科学的な分析を通じてガウディを知ろうという研究者はスペインにも現れた。それはエンジニアで考古学者でもあるマヌエル・メダルデ(Manuel Medarde Sagrera, 1936年生まれ)で、1986年に県庁の保存委員会で仕事をしていた時期に、県庁がコロニア・グエルの地下聖堂の修復工事を始めることになり、そのための準備の基礎調査を彼が担当した。メダルデはそこで5942枚という膨大なインヴォイスが現存していることを見つけ、これを整理した。これは職人や納品した製造業者などが工事責任者に出して受理の承認を受けるというもので、もちろん全てに承認したとするガウディのサインが入っている。また、実証調査では地下に5本のトンネルもこの時期に発見されたりしている。重要な事はこのインヴォイスによりガウディの設計プロセスが手に取るように分かる事だ。ガウディは材料実験を依頼したり、気象庁へのデータ入手をしている事が分かったりする。トンネルは地盤沈下を目視でチェックでき、湿気が基礎に悪影響を与えないように通気を確保したり、オルガンの下には音響効果を引き出すための空洞が作られている。ガウディは単なる職人でも芸術家でもなく、科学の人であった。
これはガウディ研究に新局面を開くことになった。

現在ガウディ研究機関を運営するメダルデ博士

工事中に業者などから出された5942枚のインヴォイスの一枚

コロニア・グエル地下聖堂にある5本のトンネルの一つ内部
※写真撮影は著者
■丹下敏明 (たんげとしあき)
1971年 名城大学建築学部卒業、6月スペインに渡る
1974年 コロニア・グエルの地下聖堂実測図面製作 (カタルーニャ建築家協会・歴史アーカイヴ局の依頼)
1974~82年 Salvador Tarrago建築事務所勤務
1984年以降 磯崎新のパラウ・サン・ジョルディの設計チームに参加。以降パラフォイスの体育館, ラ・コルーニャ人体博物館, ビルバオのIsozaki Atea , バルセロナのCaixaForum, ブラーネスのIlla de Blanes計画, バルセロナのビジネス・パークD38、マドリッドのHotel Puerta America, カイロのエジプト国立文明博物館計画 (現在進行中) などに参加
1989年 名古屋デザイン博「ガウディの城」コミッショナー
1990年 大丸「ガウディ展」企画 (全国4店で開催)
1994年~2002年 ガウディ・研究センター理事
2002年 「ガウディとセラミック」展 (バルセロナ・アパレハドール協会展示場)
2014年以降 World Gaudi Congress常任委員
2018年 モデルニスモの生理学展 (サン・ジョアン・デスピCan Negreにて)
2019年 ジョセップ・マリア・ジュジョール生誕140周年国際会議参加
主な著書
『スペインの旅』実業之日本社 (1976年)、『ガウディの生涯』彰国社 (1978年)、『スペイン建築史』相模書房 (1979年)、『ポルトガル』実業之日本社 (1982年)、『モダニズム幻想の建築』講談社 (1983年、共著)、『現代建築を担う海外の建築家101人』鹿島出版会 (1984年、共著)、『我が街バルセローナ』TOTO出版(1991年)、『世界の建築家581人』TOTO出版 (1995年、共著)、『建築家人名事典』三交社 (1997年)、『美術館の再生』鹿島出版会(2001年、共著)、『ガウディとはだれか』王国社 (2004年、共著)、『ガウディ建築案内』平凡社(2014年)、『新版 建築家人名辞典 西欧歴史建築編』三交社 (2022年)、『バルセロナのモデルニスモ建築・アート案内』Kindle版 (2024 年)、Walking with Gaudi Kindle版 (2024 年)、ガウディの最大の傑作と言われるサグラダ・ファミリア教会はどのようにして作られたか:本当に傑作なのかKindle版 (2024 年)など
・丹下敏明のエッセイ「ガウディの街バルセロナより」は隔月・奇数月16日の更新です。次回は2025年1月16日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は、ル・コルビュジエです。

1963年
リトグラフ
シートサイズ:65.0x50.0cm
版上サイン
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆本日は「一日だけの特集展示/杣木浩一」を開催します。
会期=11月16日(土)11:00~19:00

15時からは杣木浩一さんと梅津元さん(芸術学)をお迎えしてギャラリートークを開催します(要予約)。
ギャラリートーク開催中、予約者以外はご入場いただけませんので、予めご了承ください。
参加費:1,000円(お支払いは現金のみでお願いします)
●12月7日(土)は臨時休廊いたします。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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