本日11月18日はマン・レイ(1890年8月27日~ 1976年11月18日)の命日です。
ときの忘れものは開廊以来、幾度もマン・レイ展を開催し多くの作品を扱ってきました。
1995年7月「色彩と形象の交響 銅版画セレクション2/S.ドロ-ネ-、マン・レイ、ミロ、アレシンスキ-、他」
2008年12月「再発見! プリントの美」
2009年4月「マン・レイ展」
2010年9月「マン・レイと宮脇愛子展」
2011年12月「デュシャン、エルンスト、マン・レイ展」
2021年2月「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」
画家、彫刻家、写真家であり、ダダイストまたシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られるマン・レイですが、親交した宮脇愛子先生は著書の中で、本人の人柄を下記のように綴っています。
「マン・レイ自身は、ウィットに富んだ少年が、ただ大きくなったといった感じで、どこまでも偉大な芸術家風ではありませんでした。日常的な何でもない毎日の生活が、すべて創造であるような、そんな毎日を送っていた人でした。」
(『はじめもなく終わりもない-ある彫刻家の軌跡』〈岩波書店刊〉より)
マン・レイといえばこの人、半世紀にわたりマン・レイを追い続けてきた石原輝雄さんをあげないわけにはいかないでしょう。
ブログでは石原さんのエッセイを多数ご紹介してきました。
2024年06月17日|石原輝雄のエッセイ『幸せのアコーディオン』
2023年09月08日|石原輝雄『マン・レイと日本』刊行記
2022年05月18日|石原輝雄「美術館でブラパチ」第14回「マン・レイと女性たち」展
2020年11月09日|石原輝雄「美術館でブラパチ」第5回 『マン・レイ2冊 年の差10年』
2019年02月11日|石原輝雄『マン・レイの油彩が巡る旅』刊行
2018年06月06日|石原輝雄のエッセイ「ウィーンでのマン・レイ展報告」
●石原輝雄の連載「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回、2回、3回、4回、5回、6回、7回、8回、9回
●石原輝雄の連載「マン・レイへの写真日記」
第1回、1回bis、2回、3回、4回、5回、6回、7回、8回、9回、10回、11回、12回、13回、14回、15回、16回、17回、18回、19回、20回、21回、22回、23回、24回、外編、番外編─2、番外編─2-2

《鍵穴》
1970年 銅版
イメージサイズ:21.5×19.3cm
額装サイズ:57.0×46.8cm
Ed.50 他に E.A.70
サインあり
レゾネNo.17 (Studio Marconi)

《ジャン・コクトー》
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:28.5×21.5cm
シートサイズ:29.5×22.7cm

《時間の外にいる貴婦人たちのバラード》~ソニア
1970年頃
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:49.8×39.5cm
シートサイズ:66.0×50.3cm
Ed.75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
縁というのは不思議ですね。
亭主がマン・レイを扱うことができたのはそれを買ってくださるお客様がいたからです。
本日はマン・レイの命日であるともに、マン・レイを買ってくださった私たちの最初のパトロン、秋田の町医者、詩人の
船木仁先生の命日でもあります(1930年5月10日~1986年11月18日)。
2016年11月18日ブログ|船木仁『風景を撫でている男の後姿がみえる』
<瀬木慎一著の新潮選書『名画の値段 もう一つの日本美術史』の最後にでて来る山口長男の絵のコレクター、秋田の町医者Fさんは北園克衛の『VOU』に夫人の森原智子さんと参加した詩人だった。一行詩を書いたのは、瑛九の父と同門で自由律俳句『層雲』の同人だった父君の影響だろう。
Fさんが病に倒れたとき、枕元には私がさしあげた川上澄生の南蛮船の蔵書票(坂本一敏さんからいただいた)とイブ・クラインの青のトルソーが飾られていた。現代美術をつい理屈で考え勝ちな私たちにはなし得ないセレクションである。私の画商人生の最初の十年を支えてくれた大恩人だった。
月末が迫ると診察の合間をみはからって電話をかける。「F先生、デュシャンの珍しい版画が入りました」とモノも見せずに押し売りした挙句、「できれば今日の三時までに振り込んでいただきたいのですが」とたたみかける。Fさんの町には銀行はなく、今と違ってコンビニもATMもない。今思うと冷や汗ものだが看護婦さんがタクシーで隣町の農協まで走り、そこから秋田銀行経由で送金という騒ぎを毎月のようにお願いしていた。慶応病院で最後を迎えられた日、駆けつけた私の呼びかけに苦しそうにうなずくだけだった。お葬式の後、夫人から「私には何があるのか全くわからないから」と本と絵の整理を依頼され、泊りがけで秋田のお宅に伺った。書庫の押入れを開けて呆然とした。私たちが売った作品が梱包されたまま封も解かずにそのまましまってあった・・・。
(綿貫不二夫 『彷書月刊』2008年10月号より)>
1975年11月2日秋田県大曲にて、
関根伸夫先生と船木仁先生(右)
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

ときの忘れものは開廊以来、幾度もマン・レイ展を開催し多くの作品を扱ってきました。
1995年7月「色彩と形象の交響 銅版画セレクション2/S.ドロ-ネ-、マン・レイ、ミロ、アレシンスキ-、他」
2008年12月「再発見! プリントの美」
2009年4月「マン・レイ展」
2010年9月「マン・レイと宮脇愛子展」
2011年12月「デュシャン、エルンスト、マン・レイ展」
2021年2月「銀塩写真の魅力Ⅶ 20世紀の肖像」
画家、彫刻家、写真家であり、ダダイストまたシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られるマン・レイですが、親交した宮脇愛子先生は著書の中で、本人の人柄を下記のように綴っています。
「マン・レイ自身は、ウィットに富んだ少年が、ただ大きくなったといった感じで、どこまでも偉大な芸術家風ではありませんでした。日常的な何でもない毎日の生活が、すべて創造であるような、そんな毎日を送っていた人でした。」
(『はじめもなく終わりもない-ある彫刻家の軌跡』〈岩波書店刊〉より)
マン・レイといえばこの人、半世紀にわたりマン・レイを追い続けてきた石原輝雄さんをあげないわけにはいかないでしょう。
ブログでは石原さんのエッセイを多数ご紹介してきました。
2024年06月17日|石原輝雄のエッセイ『幸せのアコーディオン』
2023年09月08日|石原輝雄『マン・レイと日本』刊行記
2022年05月18日|石原輝雄「美術館でブラパチ」第14回「マン・レイと女性たち」展
2020年11月09日|石原輝雄「美術館でブラパチ」第5回 『マン・レイ2冊 年の差10年』
2019年02月11日|石原輝雄『マン・レイの油彩が巡る旅』刊行
2018年06月06日|石原輝雄のエッセイ「ウィーンでのマン・レイ展報告」
●石原輝雄の連載「マルセル、きみは寂しそうだ。」
第1回、2回、3回、4回、5回、6回、7回、8回、9回
●石原輝雄の連載「マン・レイへの写真日記」
第1回、1回bis、2回、3回、4回、5回、6回、7回、8回、9回、10回、11回、12回、13回、14回、15回、16回、17回、18回、19回、20回、21回、22回、23回、24回、外編、番外編─2、番外編─2-2

《鍵穴》
1970年 銅版
イメージサイズ:21.5×19.3cm
額装サイズ:57.0×46.8cm
Ed.50 他に E.A.70
サインあり
レゾネNo.17 (Studio Marconi)

《ジャン・コクトー》
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:28.5×21.5cm
シートサイズ:29.5×22.7cm

《時間の外にいる貴婦人たちのバラード》~ソニア
1970年頃
エッチング、アクアチント
イメージサイズ:49.8×39.5cm
シートサイズ:66.0×50.3cm
Ed.75
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
縁というのは不思議ですね。
亭主がマン・レイを扱うことができたのはそれを買ってくださるお客様がいたからです。
本日はマン・レイの命日であるともに、マン・レイを買ってくださった私たちの最初のパトロン、秋田の町医者、詩人の
船木仁先生の命日でもあります(1930年5月10日~1986年11月18日)。
2016年11月18日ブログ|船木仁『風景を撫でている男の後姿がみえる』
<瀬木慎一著の新潮選書『名画の値段 もう一つの日本美術史』の最後にでて来る山口長男の絵のコレクター、秋田の町医者Fさんは北園克衛の『VOU』に夫人の森原智子さんと参加した詩人だった。一行詩を書いたのは、瑛九の父と同門で自由律俳句『層雲』の同人だった父君の影響だろう。
Fさんが病に倒れたとき、枕元には私がさしあげた川上澄生の南蛮船の蔵書票(坂本一敏さんからいただいた)とイブ・クラインの青のトルソーが飾られていた。現代美術をつい理屈で考え勝ちな私たちにはなし得ないセレクションである。私の画商人生の最初の十年を支えてくれた大恩人だった。
月末が迫ると診察の合間をみはからって電話をかける。「F先生、デュシャンの珍しい版画が入りました」とモノも見せずに押し売りした挙句、「できれば今日の三時までに振り込んでいただきたいのですが」とたたみかける。Fさんの町には銀行はなく、今と違ってコンビニもATMもない。今思うと冷や汗ものだが看護婦さんがタクシーで隣町の農協まで走り、そこから秋田銀行経由で送金という騒ぎを毎月のようにお願いしていた。慶応病院で最後を迎えられた日、駆けつけた私の呼びかけに苦しそうにうなずくだけだった。お葬式の後、夫人から「私には何があるのか全くわからないから」と本と絵の整理を依頼され、泊りがけで秋田のお宅に伺った。書庫の押入れを開けて呆然とした。私たちが売った作品が梱包されたまま封も解かずにそのまましまってあった・・・。
(綿貫不二夫 『彷書月刊』2008年10月号より)>

関根伸夫先生と船木仁先生(右)
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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