王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥第36回」

早稲田大学演劇博物館「築地小劇場100年―新劇の20世紀―」を訪れて


 早稲田大学演劇博物館で、企画展「築地小劇場100年―新劇の20世紀―」が館内2フロアの3室で開催されている。同館コレクションを活用した近代演劇の歴史を辿る内容になっている。

 筆者が大学の頃に若林雅哉先生の「舞台芸術論」を受講できたことは幸運だった。状況劇場の紅テントの生の体験を聴講し、クラシックの舞台芸術とは異なる小劇場運動という世界があることを知り、安藤忠雄氏設計の「唐座」(1988年)の背景を知った。その頃(今もそうなのかもしれないが)、大学は自由が守られた場所で、松ヶ崎祭(学園祭)ではドラァグクイーンが神出鬼没で練り歩いたり、セルフビルトのカフェやスタンド(屋台)が建ったり、屋外でライブペインティングが行われていた。お陰で、演劇的なものと「移動」や「野外」との相性は感じていたが、まだ、野外の「公共の場」に「仮設」の演劇空間を生み出す、演劇の原点にはまだ辿りつけていなかった。移動、野外、公共、仮設といったキーワードを念頭に書き進めてみたい。

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 展覧会の第1章は「築地小劇場まで」と題され、明治20年代に興った川上音二郎の新派、1906年に発足した坪内逍遥と島村抱月による文芸協会(後の芸術座1913-1918)、1909年に発足した小山内薫と市川左團次の自由劇場(-1919)を中心に、新劇の始まりと広がる新劇運動が取り上げられている。
 翻訳劇の出発点として紹介された川上音二郎は、1887年に明治政府が制定した保安条例により関西に追いやられた自由党の壮士の一人だ。彼らは政府に反対する政治活動を行うにあたり、街頭で演説を盛り込んだ芝居(現代で言う街頭劇の一種)を行うようになった。テレビやラジオがない時代、路上でのパフォーマンスは、市井で速報性をもって時事を伝える表現活動だった。川上は、時事風談を含む歌入りの芝居として「オッペケぺ節」を通じて自由民権運動を伝えた(*1)。展示室では、1898年、衆議院議員に落選し、ボートで日本を脱出しようとした漫画『役者 ポンチ』弐(自省堂、1899年)が展示されている。
 1899年、女優で妻の貞奴と劇団員を率いて海外に進出する。アメリカ、イギリスを巡り、1900年の第5回パリ万博で川上音二郎一座として公演を行った。川上は「正劇」と自ら呼んだ対話中心のせりふ劇を提唱し、この形式は、近世からある町民文化の歌舞伎に対して「新派劇」と呼ばれた。帰国後は欧州の近代戯曲を日本人に分かりやすく翻訳し、新派劇の大衆化に成功した。展示室では、帰国後1903年に明治座で上演された「オセロ」舞台写真、台本(1903年)が展示されている。
 川上音二郎の演劇が「野外のパブリックスペース」から始まり「移動」を伴って確立されていったことは興味深い。ちなみに、土取利行の演奏する「オッペケぺ節」を聴くと、一定のビートに韻のある詩をのせたストリートのラップのようだった。


 第2章は「築地小劇場とその時代」と題され、前半は小山内薫、後半は吉田謙吉が主役になっている。
築地小劇場は、関東大震災後のバラック令を機に建てられた表現主義の仮設の劇場(*2)と、同名の劇場専属の劇団を指し、小山内薫と土方与志が率いた。1924年6月14日に『海戦』で開幕、1928年12月に小山内が急逝して1929年3月に分裂するまで5年間、劇場内での昼公演と夜公演のほか、日比谷公園野外音楽堂で野外公演『狼』(1925年8月15~16日)が開かれた。『海戦』と『狼』の舞台模型(吉田謙吉資料編纂室蔵)が展示されている。
 同時代、『みづゑ』や『アトリヱ』が扱う美術の系譜では、1924年12月に未来派美術協会(1920-1922、1922年-三科インディペンデントに改称)、アクション(1922-1924)、マヴォ(1923-1925)、第一作家同盟(1922-1922)等に属した美術家たちが「三科」に合流した(*3)。三科メンバーは、1925年5月20日~25日に銀座松坂屋6階で第1回の「三科会員作品展覧会」の後、5月30日に築地小劇場で「劇場の三科」を催した。「劇場の三科」は、関東大震災前に村山知義がドイツから帰国した頃から、従来の絵画や彫刻がインスタレーションやパフォーマンスに向かっていく実験の流れの、ひとつの到達点のような出来事だった。五十殿利治先生は『大正期新興美術運動の研究』(*3)の中で、「劇場の三科」の意図を代弁する言葉として、吉田謙吉による「日に日に画室生活から遠のいてゆく(・・・)画布に換へるにクツペル・ホリツオントを以てし、額縁に換へるにプロセニアム・アーチを以て(・・・)動的な記録を劇場によつて伝へる」 (吉田謙吉「上演をひかへて」、『東京朝日新聞』5月26日朝刊)を引用している。展示室では、その「クッペル・ホリゾント」と「プロセニアム・アーチ」がわかる模型(制作:株式会社芸宣)が、当時の写真のスライドとともに展示されている。
 展示室壁面には、築地小劇場の公演ポスターが25点、2~3段で展示されている。築地小劇場4周年記念展覧会では、劇場に創立以来の公演ポスターが展示されたこともある。これらのポスターは「常に新鮮に、自由に的確に」と意識しながら真摯な姿勢で描かれた。


 第3章は「築地小劇場から」と題され、築地小劇場の分裂から戦後に至るまでの多様な新劇の演劇運動が取り上げられている。この章の主役は村山知義だろう。1920年代後半、1930年をピークに社会主義の理想を持ったプロレタリア演劇が盛んになり、プロレタリアに接近する者と距離を置く者がそれぞれ様々な劇団を立ち上げた。村山知義は、心座(1925-1929)(*5)、前衛劇場(1927-28)、左翼劇場(1928-34)(*6)、新協劇団(1934-40)(*7)に次々と参加した。心座「落伍者の群/孤児の処置」ポスター(1926年)、左翼劇場幕、新協劇団関連資料が展示されている。
 その後、プロレタリア演劇運動の中で、トランク劇場(1926-27)、メザマシ隊(1931-33)らが移動演劇の形式を発明し、各地の工場などに巡業した。共産主義思想は隆盛する一方で弾圧されていった。興味深かったのは、太平洋戦争が激化する中、文学座(1937-)を率い、大政翼賛会の文化部長だった岸田國士は、日本移動演劇連盟(1941-45)の長となり、プロレタリア演劇運動が培った持ち運び可能な舞台装置を活用して移動演芸/演劇を地方に派遣したり、戦地へ慰問することを指揮したことだ。日本プロレタリア演劇同盟資料、移動演劇舞台装置図などが展示されている。
 吉田謙吉は戦中に海軍従軍部隊装置家として戦地慰問を体験した(*8)。一方、村山知義は終戦を待って新協劇団を再興(1946-55)させた。

(おうせいび)

◆築地小劇場100年―新劇の20世紀― 展
会期:2024年10月3日(木)~2025年1月19日(日)
会場:早稲田大学演劇博物館 1階 六世中村歌右衛門記念特別展示室・2階 企画展示室I・II
入館無料
主催:早稲田大学演劇博物館・演劇映像学連携研究拠点

*1:西堂行人『日本演劇思想史講義』(諭創社、2020)
*2:1928年に曳家、1933年に改修
*3:五十殿利治『大正期新興美術運動の研究』スカイドア、1995年
*4:1925年10月8~10日に行なわれた「本所深川貧民窟附近風俗採集」の報告(今和次郎・吉田謙吉編著『モデルノロヂオ(考現学)』、春陽堂、1930年)でも言及している。
*5:心座には吉田謙吉と岸田國士がいた。
*6:展示解説によると、1934年に治安維持法によって、日本プロレタリア演劇同盟に解散命令が下った。
*7:展示解説によると、1940年に治安維持法によって団員が検挙され、事実上解散に追い込まれた。
*8:吉田謙吉『築地小劇場の時代 その苦闘と抵抗と』八重岳書房、1971年


●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2025年2月18日更新の予定です。

王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。

●本日のお勧め作品は細江英公です。
003 (1)「薔薇刑 作品32」
1961年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
Ver. A:シートサイズ:50.4×60.7cm
Ver. B:シートサイズ:27.7×35.5cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はメール(info@tokinowasuremono.com)またはお電話(03-6902-9530)で承ります。「件名」「お名前」「連絡先(住所)」とご用件を記入してご連絡ください。

◆「生誕90年 倉俣史朗展 Cahier
会期=2024年12月13日(金)~12月28日(土) ※日・月・祝日休廊
ギャラリートーク:12月20日(金)17:00~18:30
講師:関康子NPO法人建築思考プラットフォーム理事)、大澤勝彦(元ヤマギワ勤務、㈱唯アソシエイツ代表取締役)
こちらからお申し込みください。
※参加費おひとり1,000円
出品全作品の詳細は12月9日ブログに掲載しました。
75_Kuramata Shiro_案内状 表面
(映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也)
※クリックすると再生します。
※右下の「全画面」ボタンをクリックすると動画が大きくなります。


●12月11日のブログで「中村哲医師とペシャワール会支援12月頒布会」を開催しています。
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今月の支援頒布作品は鈴木良治、野口真弓、佐藤妙子、北川民次、菅井汲、 元永定正、靉嘔、オノサト・トシノブです。
皆様のご参加とご支援をお願いします。
申し込み締め切りは12月20日19時です。

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
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〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。