ポンピドゥー・センター 「シュルレアリスム展」レポート 最終回 10章~13章
中原千里
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レポートがずいぶん長くなってしまった。先を続けよう。
第10章:賢者の石(Pierre philosophale)
ヴィクトル・ブローネル(Victor Brauner, 1903-1966)、「賢者の石(La Pierre philosophale, 1934, 65.5x81.5cm)」

絵の前にいると自分がこんな夢を見ているような気がしてくる。この部屋でぼおおっと長い髪の幽霊を眺めていたい。
マックス・エルンスト、「花嫁の化粧(La toilette de la mariée, 1940, 126.5x96.3cm)」

澁澤龍彦が絵の謎解きをしていなかっただろうか。右下に泣いているような異型の人物に目を留めている文章を読んだ記憶があるが、出典を示せない。
第11章:夜への讃歌(Hymnes à la nuit)
会場風景:再び暗い通路になった。両側にはブラッサイによる「夜のパリ」シリーズ(1930-1934)。

ブラッサイはダリ、ピカソ、ジャコメッティなどと交流があり、シュルレアリストたちが愛した夜のパリをよく捉えている。ブルトン著「狂気の愛(Amour Fou, 1937)」にはブラッサイの「サン・ジャック塔(La tour Saint Jacques, 1932-33)」が掲載されている。
奥には言わずと知れた映画「アンダルシアの犬」(レポートその3、注1参照)、眼球にカミソリの歯を当てるシーンの数秒間がループする。
ジョアン・ミロ(Joan Miro, 1893-1983 )「月に吠える犬(Chien aboyant à la lune, 1926, 73x92cm)」

暗闇の中にポツンと展示されているが、それがよく似合っている。
トワイヤン、「真夜中、紋章の時(Minuit, l’heure blasonnée, 1961, 89x146cm)」

トワイヤンのモノグラフィーにはまず掲載される作品。パリでは2022年の大回顧展で久しぶりに注目を集めた。
ルネ・マグリット(René Magritte, 1998-1967)、「光の帝国(L’Empire des lumières, 1954, 146x114cm)」

いよいよマグリットの大作。 彼の絵は自身がグラフィックの仕事をしたせいか、「とても分かりやすい超現実的絵画」を描いてくれる。
が、マグリットはそう一筋縄では捉えられない作家で、一見素直な写実的画面を少しいじるだけで観る者の心に捉え難い焦燥を呼びさますことができる。作品によって度合いが違うだけだ。
下の画像は第3章「傘とミシン」の部屋にあった:
「刺し貫かれた進行する時間(La Durée poignardée, 1938, 147x98.7cm )」

ユーモラスでもあるが、ちょっと怖い。この暖炉の上のある鏡はアリスの鏡とは違い、なんとなく禍々しい口をポッカリと開けている。こういう部屋には一人で居たくないと思う。
もう一点は第12章「エロスの涙」で展示されている:
「巨大な日々(Les Jours gigantesques, 1928, 116x81cm)」

会場では撮り損ねているのでカタログの図版から。
マグリットは描かれた対象とタイトルの乖離によって人々の認識に亀裂を起こす仕掛けもする。ここでの「巨大な日々」という題は描かれた対象の謎解きには完全に無効で、しかも見せているイメージはただならない様子を伝えながら三次元と二次元を混ぜているため、画面を彷徨う視線は結局見ることを諦め、知覚は観念の方に押しやられることになる。
イメージが示唆するのは「レイプ」だが、それは一体どこにあるのだろう?ここに表れているものは肉体ではない。そしていつのまにか身に覚えのない—-いや、実は身に覚えがあるのかも知れない—-「不安」に引き込まれてしまう。
筆者にはベルメールよりマグリットの方がよっぽど怖い。
第12章:エロスの涙(Les larmes d'Éros)
この題は1961年発刊ジョルジュ・バタイユの著作から取っている。
サルバドール・ダリ「偉大なるオナニストの顔(Visage du Grand Masturbateur, 1929, 110x150cm)」

ハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975)、人形(La Poupée, 1935-36, 61x170x51cm )

煌々と照らされた展示空間では、この人形の恐ろしさは伝わらない。
もう一度andrebreton.frから1965年のE.R.O.S.展会場風景を転載する。

どこか途方もない、あり得ない犯行現場に居合わせたような気がするのは筆者だけだろうか。
この下に紹介する別室の暗い小部屋に入れた方がこの人形本来の力が発揮されそうだが、観客のショックを避けたのかも知れない。
~ ~ ~ ~
ここから小ぶりの暗い部屋になる。入り口に ≪ この部屋には、一部の人々の感性を害する作品が含まれている可能性があります ≫ と注意書き。
なにしろ国立美術館だから仕方がないのだろうが、シュルレアリストたちの非難囂々が聞こえそうである—-1959年E.R.O.S.展の意図はまさに「一部の人々の感性を害」し、そこに強いノイズを入れるのが目的だったからだ。
マン・レイ(Man Ray, 1890-1976)、「アングルのバイオリン(Le violon d’Ingres, 1924, 31x24,7cm)」

ここも大分暗いのだが、長時間露光が助けてくれた。マン・レイの伝説的な写真作品、モデルはモンパルナスのキキである。
ジンドリッヒ・シュティルスキー(Jindrich Styrsky, 1899-1942)、「エミリーは夢で僕のとこへ(Émilie vient a moi en reve, 1933, 24x18cm)」

同タイトルの本に挿入されたコラージュ写真のガラス版オリジナルネガから展示用に大きく伸ばしたもの。ネガは1998年に匿名でポンピドゥセンターに寄贈されている。
シュティルスキー独特の鋭い切り口と甘い憧憬を併せた映像は一度見ると忘れられない。発禁物の本「エミリー」は隠し持つためにサイズが小さく、挿入された写真もさらに小さいのでここでは初版本より画像の「可視性」を重視したのだろう。正直なところ助かった。
ここは“エロティック”とされる作品を押し込めていて、そのグシャグシャした感じが当時のシュルレアリストたち自身が構成した展示を彷彿とさせて、居心地が良い。・・・彼ら自製の展示はこんなものでは済まないのだが、それでも。
会場風景

会場風景

会場風景

右手中央は1959年の「エロス(Exposition inteRnatiOnale du Surrealisme/E.R.O.S.)」展カタログ。

画像下中央、アニー・ル・ブラン(Annie Le Brun, 1942-2024)の第一詩集「即座に(Sur le champ, Editions Surrealistes, 1967)」にトワイヤンが挿画している。

アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901-1966)、「吊るされた球体(Boule suspendu, 1930-1931, 60,4x36,5x34cm)」

この角度では何故エロティックなのか判然としないが、カタログの図版でははっきりわかる。それは別として、ジャコメッティの作品は周囲の空間が大きければ大きいほどその造形が生きてくるので、このように壁に埋め込んでしまっては残念だ。
ジャン・ブノワ(Jean Benoit, 1922-2010)、「鷲、マドモワゼル(L’Aigle, Mademoiselle, 1987, 41x36x34cm)」

第13章:コスモス
最後の部屋。コスモス~宇宙、というだけではこの部屋の謎解きにはならないのでカタログのテキストを紐解いた。この部屋を観る助けになる内容として;「宇宙」、「天体」についての考察は西洋でも中世紀、近代で変わること、ブルトン始めシュルレアリストたちが40年代に南アメリカ、オセアニア、南アフリカなどを訪問し、西洋文明圏外の民族が独自に持っているコスモスの捉え方に興味を持ったこと、その研究の中で新たな人間と自然、天体の調和を探求したこと、などがある。尤もカタログのテキストはかなり複雑である。
ジョアン・ミロ、「鳥の飛翔に包囲された女たち(Femmes encerclées par le vol d’un oiseau, 1941, 46x38cm)」

左端はブルトンのメモ、ホピー族のカチーナ3点、高さ25~30cm、年代不詳。

ホピー族の人形は筆者にも馴染み深い。精霊の像であるから神妙になるべきだろうが、親みが沸く。手に取ってちょうど良いサイズで、様々な像があり、朴訥としてユーモラスな佇まいと色味や形のバランスが魅力だ。1950頃までは昔ながらの作り方だったようだが、その後観光客用に量産された。
会場風景

画像右側はニューアイルランド島の「ウリ像(17、18世紀)」。奥に見えるのが本展覧会順路で最後の作品、マッタ([Roberto] Matta, 1911-2002)の「エックスペースとエゴ(Xpace and the Ego, 1945, 202x457x5cm)」。チリ出身だが本国の独裁政権を逃れ、終身“亡命者”として生きる。<マッタ>と苗字だけ名乗り、壁画のように大きいタブローを多く残した。
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長い道のりだったが、どうにか辿り着いた。もっと踏み込みたいところは多々あったけれど、これでレポートを終える。
シュルレアリスムはその名こそ多くの人々が聞いたことがあると思うが、なかなか捉え難い。作品を前に個人的な紹介をしたのは、誰にでも、同じように、自由に鑑賞していただければという願いからである。
美術館の中でも、外でも、ふと目を留めたその先に「もう一つの世界」が広がっているかも知れない。
かなり乱暴な言い方を許していただけるなら、そうした可能性を秘めた何かを「詩」、または「詩的なもの」として一生の探求に旅立つ人々が「シュルレアリスト」だったのだ。今、同じ呼び方をする必要はないだろう。しかしその「何か」は私たち一人ひとりの身近に生きて有る。
アンドレ・ブルトンの精霊が出たらこんな風に言うだろうか:
≪ シュルレアリスムは
未だかつて、またこれからに於いても、
記念祝祭催事だの国宝などに
金輪際、縁もゆかりもないのである。 ≫
未だかつて、またこれからに於いても、
記念祝祭催事だの国宝などに
金輪際、縁もゆかりもないのである。 ≫
最後までお付き合いくださった読者の方々に感謝する。
ブログアップに際して友人のH氏とM氏にご協力をいただいた。編集の井戸沼紀美さんにはひとかたならぬお世話になった。記してお礼を申し上げる。
(なかはら ちさと)
●自己紹介
1960年生まれ(東京)
1974年:現代詩手帖で瀧口修造とシュルレアリスムを知る。
1976年:サド公爵・澁澤龍彦訳「悪徳の栄え」を読みこれを哲学書と解釈しフランス語を学ぶことにする。
1983-84年
多摩美大学在学中研究生として渡仏、ソルボンヌの「大学コース」とヘイターの版画工房アトリエ・17に通う。アンドレ・フランソワ・プチギャラリーの店主とサドの話をしたところ後日エリザ・ブルトン、アニー・ル・ブラン、ラドヴァン・イヴジックを招待したディナーに添加される。あまりのことに緊張してほぼ何も覚えていない。
1984年渋谷パルコにて「ベルメール写真展」企画参加。
2023年ジャン・フランソワ・ボリー、ジャック・ドンギー共著「北園克衛評伝」執筆協力。
戦前・戦後のシュルレアリスム研究がライフワークである。
●パリのポンピドゥー・センターで開催中のシュルレアリスム展(2024年9月4日~2025年1月13日)にはときの忘れものも出品協力しています。展覧会についてはパリ在住の中原千里さんに4回にわたってレポートをお願いしました。シュルレアリスム研究をライフワークとする中原さんならではの詳細かつ濃密な観覧記をお読みください。
その1/2024年10月8日
その2/2024年11月12日
その3/2024年12月23日
その4/2025年01月04日
●パリのポンピドゥー・センターで始まったシュルレアリスム展にはときの忘れものも協力し瀧口修造のデカルコマニーを貸し出し出品しています。カタログ『SURREALISME』の仏語版は売り切れ、現在は英語版のみ特別頒布しています。
サイズ:32.8×22.8×3.5cm、344頁 22,000円(税込み)+送料1,500円

●ときの忘れものは12月29日(日)~新年2025年1月6日(月)まで冬季休廊中です。
●新年の営業は1月7日(火)からです。
メール等のお問い合わせには1月7日以降に順次返信いたしますので、少々お時間をいただきます。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
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JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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