新連載・今村創平のエッセイ「建築家の版画」
第1回 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《牢獄》

〈牢獄〉シリーズより《牢獄XIII.井戸》
なぜピラネージは牢獄を描いたのか、という問いは、これまでに数限りなくされてきた。描かれている光景も謎であり、牢獄というタイトルもまた謎である。
建築家による版画の先駆けとしては、アンドレア・パラーディオ(1508~1580)が挙げられる。パラーディオは、本の複製メディアとしての役割に意識的であった最初の建築家であり、彼の『建築四書』(1570)は広く普及し、のちにパラーディオ主義という流れを生み出す。同書においては、版画は本文に対する図版という位置づけであった。
その約2世紀後、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720~78)は、版画そのものを独立した作品として扱った。エッチングの技量を磨き続け、「ピラネージは正確な描写と劇的な感覚を共存させているが、それは、かつてエッチングでは行われたことにないほどの多様な腐食の程度―最も深い線から最も浅く繊細な線まで―を駆使した結果である」と評されるほどに至っている。*2 エッチングという版画技法は、16世紀初頭に絵画表現に採用され、同世紀中ごろには建築の描写にも使われ始めているが、その表現をピラネージは飛躍的に高め、それが彼の成功を導いた。

〈牢獄〉シリーズより《牢獄III.円形の塔》
ピラネージは、建築家、版画家、考古学者などいくつもの顔を持つ。版画家としての仕事としては、ローマの建造物や景観、ローマの遺跡、そして〈牢獄〉の3つが主である。ピラネージは、ヴェネチアに生まれ、その時期この水の都には、景観画(ヴェドゥータ)を得意とするカナレット(1697~1768)がいた。カナレットの描いたヴェネチアの風景画は、グランドツアーで訪れるヨーロッパ各地の人々の土産物として好評を博していた。ピラネージは、20歳の若さでローマに滞在する機会を得、ローマに魅了される。何度かヴェネチアに戻るものの、生涯の多くをローマで過ごし、そこで没する。ローマには建築家としての仕事がほとんどなかったため、カナレットのヴェネチアの景観画や奇想画(カプリッチョ)のように、ローマの名所を描いて版画で売り出すことを始める。これが大当たりし、図版によっては4000枚も刷られたという。
そのうち、ピラネージはローマの遺跡群に関心を抱くようになり、それらの精密な調査をし、遺跡を描くことを始める。晩年には、ようやく建築の実作の機会も訪れるが、実現した建築は1点のみにとどまっている。
ローマの景観と遺跡のそれぞれのシリーズは、多くの複製を作り販売することを目的としていたが、それらと並行して作られたのが〈牢獄〉のシリーズである。〈牢獄〉はまず1750年に作られ、その後改訂版が1761年に作られている、この改訂版では新たに2点が足され計16点となったが、初版から大きく変わっているものも多い。当時は、いわば脇役的な存在であった〈牢獄〉であるが、今となっては、ピラネージといえば〈牢獄〉とされるほど、注目され、実の多くのことが論じられ、また多くの芸術家・作家を刺激し続けてきた。これからもまたそうであろう。

〈牢獄〉シリーズより《牢獄IX.巨大な車輪》
ピラネージの版画全般の特徴として、2点透視法がよく用いられている。ルネサンス期に発明された透視図法は、当時は例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの〈受胎告知〉や〈最後の晩餐〉に見られるように、一点透視図法が採用されている。そのことによって、対象と鑑賞者が対面する関係にあることが強調される。一方では、2点透視図法においては、焦点が複数あることから、画面はより動的となり、ピラネージの描くローマの名所や景観は、ダイナミックな臨場感を獲得している。それが〈牢獄〉になると、2点透視図の基本的な構成をベースとしながらも、視線はより拡散され、錯綜する空間を生み出している。
また他の作品が、創作を含む個所もあるとはいえ、何か具体的な対象の再現であるのに対し、〈牢獄〉は全くの創作である。いくぶんプライベートな性格もあったらしく、この建築家の本質が追求されたものとして興味深い。
ピラネージは、実際の建築を描いた際にも、建物という物質を機械的に再現(記録)したのではない。ローマ時代の建築、ローマという都市に折り重ねられてきた記憶の層を描いた。〈牢獄〉の特徴である錯綜する空間は、我々の記憶の集積であり、そのことが多くの人の想像力に働きかける魅力となっている。
*1:須賀敦子『ユルスナールの靴』(河出文庫、1998年)、p193
*2:アンソニー・グリフィス著『西洋版画の歴史と技法』(越川倫明ほか訳、中央公論美術出版、2013年)、p68。グリフィスは元大英博物館版画素描部長
*3:長尾重武『ピラネージ 幻想の建築家』(中央公論美術出版、2024年)、p101。ピラネージに関する書籍は多いが、昨年出版された本書は、ピラネージの作品群、生涯について、また需要・評価について記しており、この建築家の全貌をよくまとめた書籍である。
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の新連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日のお勧め作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージです。
〈牢獄〉シリーズより《牢獄XV.燈火のある迫持台》
1761年ピラネージの原作
1961年Bracons-Duplessisによる復刻
エッチング
イメージサイズ:41.5×55.8cm
シートサイズ :54.0×74.5cm
※レゾネNo.124
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
予告もなしにいきなり今村創平先生の新連載エッセイ「建築家の版画」を本日から開始します。
(昨年末から体調を崩し、もろもろの作業が疎かになっています、お詫びする次第です)
ときの忘れものは開廊以来、磯崎新先生、安藤忠雄先生はじめ建築家の版画をエディションしてきました。
亭主にとっては美術界に入る前から<建築家のドローイング、版画>は夢でもありました。
下記は今から42年前、若かった彦坂裕さんと八束はじめさんに「建築家のドローイング」を連載していただくにあたり書いた文章です。
<最近、建築家のドローイングが興味をもって眺められることが多くなりました。勿論、建築家のドローイングといっても実際の設計図面のことではなくして、それ以前、あるいはそれ以後の図像としてのドローイングです。建築には例えズブの素人であっても、それをひとつの図像、一人の建築家の抱く宇宙図として眺めれば、建築というものの人間的側面、美術や絵画と同じ営々とした人間の行為の内部表現としての建築の一側面が、理解されてくるように思われます。今号より彦坂裕、八束はじめ両氏のリレー執筆でスタートするコーナーは、古くから絵画とは密接な関係を持ちながら展開して来たそんな建築におけるドローイングの意味とその周辺をみつめ直そうというものです。
*現代版画センター 機関誌『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日)より>
当時、お二人の心づもりでは16回以降も続けるはずだったのですが、現代版画センターの倒産で15回で中断となりました。
あれから随分経ってしまいました。彦坂さんと八束さんを推薦してくださった磯崎新先生も2022年12月に亡くなられてしまいましたが、次の時代を担う今村創平先生に新たに「建築家の版画」連載をお願いすることになりました。
ぜひご愛読ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第1回 ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《牢獄》

〈牢獄〉シリーズより《牢獄XIII.井戸》
美術史的な鑑賞よりも、むしろ、私はあの石の量感を内に秘め、同時に惜しげもなくそれを四方に向けて発散する暗い大きさに、いいようのない親近感をおぼえたし、また、断片であることに固執するような切れ切れの線の流れとそれらの交錯が、まるでずっとむかしから、じぶんのなかのなにかが求めていたものに思えて、そのことに驚いたのだった。
須賀敦子「黒い廃墟」*1
須賀敦子「黒い廃墟」*1
なぜピラネージは牢獄を描いたのか、という問いは、これまでに数限りなくされてきた。描かれている光景も謎であり、牢獄というタイトルもまた謎である。
建築家による版画の先駆けとしては、アンドレア・パラーディオ(1508~1580)が挙げられる。パラーディオは、本の複製メディアとしての役割に意識的であった最初の建築家であり、彼の『建築四書』(1570)は広く普及し、のちにパラーディオ主義という流れを生み出す。同書においては、版画は本文に対する図版という位置づけであった。
その約2世紀後、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ(1720~78)は、版画そのものを独立した作品として扱った。エッチングの技量を磨き続け、「ピラネージは正確な描写と劇的な感覚を共存させているが、それは、かつてエッチングでは行われたことにないほどの多様な腐食の程度―最も深い線から最も浅く繊細な線まで―を駆使した結果である」と評されるほどに至っている。*2 エッチングという版画技法は、16世紀初頭に絵画表現に採用され、同世紀中ごろには建築の描写にも使われ始めているが、その表現をピラネージは飛躍的に高め、それが彼の成功を導いた。

〈牢獄〉シリーズより《牢獄III.円形の塔》
ピラネージは、建築家、版画家、考古学者などいくつもの顔を持つ。版画家としての仕事としては、ローマの建造物や景観、ローマの遺跡、そして〈牢獄〉の3つが主である。ピラネージは、ヴェネチアに生まれ、その時期この水の都には、景観画(ヴェドゥータ)を得意とするカナレット(1697~1768)がいた。カナレットの描いたヴェネチアの風景画は、グランドツアーで訪れるヨーロッパ各地の人々の土産物として好評を博していた。ピラネージは、20歳の若さでローマに滞在する機会を得、ローマに魅了される。何度かヴェネチアに戻るものの、生涯の多くをローマで過ごし、そこで没する。ローマには建築家としての仕事がほとんどなかったため、カナレットのヴェネチアの景観画や奇想画(カプリッチョ)のように、ローマの名所を描いて版画で売り出すことを始める。これが大当たりし、図版によっては4000枚も刷られたという。
そのうち、ピラネージはローマの遺跡群に関心を抱くようになり、それらの精密な調査をし、遺跡を描くことを始める。晩年には、ようやく建築の実作の機会も訪れるが、実現した建築は1点のみにとどまっている。
ピラネージの作品の中で《牢獄》ほど注目されてきた作品はないかもしれない。しかし、彼の作品系列のなかではきわめて特殊であり、ピラネージ自身、それをどう扱えばいいか困惑していた時期があったように見受けられる。
長尾重武『ピラネージ 幻想の建築家』*3
長尾重武『ピラネージ 幻想の建築家』*3
ローマの景観と遺跡のそれぞれのシリーズは、多くの複製を作り販売することを目的としていたが、それらと並行して作られたのが〈牢獄〉のシリーズである。〈牢獄〉はまず1750年に作られ、その後改訂版が1761年に作られている、この改訂版では新たに2点が足され計16点となったが、初版から大きく変わっているものも多い。当時は、いわば脇役的な存在であった〈牢獄〉であるが、今となっては、ピラネージといえば〈牢獄〉とされるほど、注目され、実の多くのことが論じられ、また多くの芸術家・作家を刺激し続けてきた。これからもまたそうであろう。

〈牢獄〉シリーズより《牢獄IX.巨大な車輪》
ピラネージの版画全般の特徴として、2点透視法がよく用いられている。ルネサンス期に発明された透視図法は、当時は例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの〈受胎告知〉や〈最後の晩餐〉に見られるように、一点透視図法が採用されている。そのことによって、対象と鑑賞者が対面する関係にあることが強調される。一方では、2点透視図法においては、焦点が複数あることから、画面はより動的となり、ピラネージの描くローマの名所や景観は、ダイナミックな臨場感を獲得している。それが〈牢獄〉になると、2点透視図の基本的な構成をベースとしながらも、視線はより拡散され、錯綜する空間を生み出している。
また他の作品が、創作を含む個所もあるとはいえ、何か具体的な対象の再現であるのに対し、〈牢獄〉は全くの創作である。いくぶんプライベートな性格もあったらしく、この建築家の本質が追求されたものとして興味深い。
ピラネージは、実際の建築を描いた際にも、建物という物質を機械的に再現(記録)したのではない。ローマ時代の建築、ローマという都市に折り重ねられてきた記憶の層を描いた。〈牢獄〉の特徴である錯綜する空間は、我々の記憶の集積であり、そのことが多くの人の想像力に働きかける魅力となっている。
*1:須賀敦子『ユルスナールの靴』(河出文庫、1998年)、p193
*2:アンソニー・グリフィス著『西洋版画の歴史と技法』(越川倫明ほか訳、中央公論美術出版、2013年)、p68。グリフィスは元大英博物館版画素描部長
*3:長尾重武『ピラネージ 幻想の建築家』(中央公論美術出版、2024年)、p101。ピラネージに関する書籍は多いが、昨年出版された本書は、ピラネージの作品群、生涯について、また需要・評価について記しており、この建築家の全貌をよくまとめた書籍である。
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の新連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日のお勧め作品は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージです。

1761年ピラネージの原作
1961年Bracons-Duplessisによる復刻
エッチング
イメージサイズ:41.5×55.8cm
シートサイズ :54.0×74.5cm
※レゾネNo.124
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
予告もなしにいきなり今村創平先生の新連載エッセイ「建築家の版画」を本日から開始します。
(昨年末から体調を崩し、もろもろの作業が疎かになっています、お詫びする次第です)
ときの忘れものは開廊以来、磯崎新先生、安藤忠雄先生はじめ建築家の版画をエディションしてきました。
亭主にとっては美術界に入る前から<建築家のドローイング、版画>は夢でもありました。
下記は今から42年前、若かった彦坂裕さんと八束はじめさんに「建築家のドローイング」を連載していただくにあたり書いた文章です。
<最近、建築家のドローイングが興味をもって眺められることが多くなりました。勿論、建築家のドローイングといっても実際の設計図面のことではなくして、それ以前、あるいはそれ以後の図像としてのドローイングです。建築には例えズブの素人であっても、それをひとつの図像、一人の建築家の抱く宇宙図として眺めれば、建築というものの人間的側面、美術や絵画と同じ営々とした人間の行為の内部表現としての建築の一側面が、理解されてくるように思われます。今号より彦坂裕、八束はじめ両氏のリレー執筆でスタートするコーナーは、古くから絵画とは密接な関係を持ちながら展開して来たそんな建築におけるドローイングの意味とその周辺をみつめ直そうというものです。
*現代版画センター 機関誌『PRINT COMMUNICATION No.90』(1983年3月1日)より>
当時、お二人の心づもりでは16回以降も続けるはずだったのですが、現代版画センターの倒産で15回で中断となりました。
あれから随分経ってしまいました。彦坂さんと八束さんを推薦してくださった磯崎新先生も2022年12月に亡くなられてしまいましたが、次の時代を担う今村創平先生に新たに「建築家の版画」連載をお願いすることになりました。
ぜひご愛読ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
コメント