「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」によせて
1974年に磯崎新(1931-2022)の設計で開館した北九州市立美術館は、昨年開館50周年を迎えた。1月4日から開催している「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」では、磯崎が九州でたずさわった初期の仕事に焦点をあてている。


北九州市立美術館 1974年
本展を開催することになったきっかけは2020年に遡る。長らく博多駅前のシンボルであった福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)本店が、博多駅周辺の再開発事業「博多コネクティッド」の一環として建て替えられることとなった。それにともない、行内に展示されている美術作品を当館で預かってもらえないかという相談があった。1971年に竣工した福岡相互銀行本店も当館と同じ磯崎が設計している。1階のエントランスホールには、アンゼルム・キーファー、ヘンリー・ムーアなどの作品が展示されていた。こうした収集を指揮したのが、福岡シティ銀行(現・西日本シティ銀行)で長く頭取をつとめた四島司(1925-2015)である。父 一二三が創業した福岡相互銀行(のちの福岡シティ銀行)の2代目となる四島は、福岡相互銀行大分支店を皮切りに同行の支店、本店の設計を磯崎に依頼した。本店の設計に際して磯崎は、行内に展示する作品を現役の美術家に依頼することを四島に提案し、野見山暁治、斎藤義重らによって装飾された4つの応接室が誕生している。その後、四島は行内を飾る美術作品の収集に力を入れ、四島コレクションを形成していった。磯崎の初期を考える上で欠かせない存在である四島と磯崎の交流を軸にすることで、建築というジャンルにとどまらず、美術など様々な分野を越境して活躍した磯崎の幅広い活動を紹介する展覧会ができるのではないかと調査を進め、当館の開館50周年、四島の生誕100年という節目に本展を開催する運びとなった。

福岡相互銀行大分支店 1967年 Courtesy of Arata Isozaki & Associates
大分市に生まれた磯崎の初期建築は、大分をはじめ九州で実現している。展覧会の前半では、「第1章 大分」「第2章 福岡相互銀行の仕事」「第3章 北九州」と、磯崎の初期を支えた人々の存在に着目しながら、大分県医師会館、大分県立大分図書館などの代表作を紹介している。特に本展では磯崎がたずさわった福岡相互銀行の建築群の全貌を概観することにつとめた。大分県立大分図書館での建築に色彩を持ちこむ試みは、福岡相互銀行大分支店でさらに深められる。1辺1.2mの正方形が床、壁、天井とあらゆるところに割り付けられた福岡相互銀行長住支店(1971年)の意匠は、1974年に竣工する群馬県立近代美術館、北九州市立美術館に継承されてゆく。手がけた支店としては最後になる福岡相互銀行新宿支店(1974年)の内装デザインには、同年に竣工した北九州市立中央図書館、富士見カントリークラブハウスの半円ヴォールトが見いだせる。福岡相互銀行の建築群をつぶさに見ていくことで、前後に存在する大分と北九州の建築群との連続性がきわだってこよう。
後半では、磯崎の美術との接点に着目している。磯崎は自身が設計した建築を版画という媒体に数多く残しており、第4章では、磯崎の初期の仕事がモチーフとなった版画を紹介している。続く第5章では1971年の開店当時、福岡相互銀行本店内を彩った美術作品に着目し、それらの一部を紹介している。磯崎の提案から、野見山暁治、西島伊三雄、斎藤義重、そして磯崎によって、壁面に展示する作品の制作のみならず、照明、壁の色など室内のすべてがそれぞれの作家に任せられた4つの応接室が誕生した。そのほか、サム・フランシス、宮脇愛子、高松次郎らの作品も行内を彩っていたが、応接室などに関する磯崎の文章を読むと、作品とそれらが展示される場を密接に意識しているのがわかる。こうした磯崎の本店での試みは、のちに「第3世代の美術館」を提唱し、宮脇愛子、岡崎和郎、荒川修作+マドリン・ギンズと協同し、奈義町現代美術館で具現化する磯崎の起点と捉えることもできるだろう。

磯崎新《内部風景Ⅲ 増幅性の空間-アラタ・イソザキ》1979年 北九州市立美術館蔵 ©Estate of Arata Isozaki
第6章では四島が収集した美術作品を紹介している。もともと美術が好きだった四島は、具象画を好んでいたが、斎藤義重の応接室から抽象が日常になじむのに驚かされ、磯崎の空間の切り方や色の使い方に共感し、抽象画を好むようになり、ヴァシリー・カンディンスキーなど抽象画を中心とした四島コレクションを形成してゆく。1992年に四島は四島美術館の建設構想を発表し、基本設計を磯崎に依頼したが、結局実現することがなかった。磯崎の影響を大きく受けて形成された四島コレクションを展示する四島美術館が実現していたらどんな美術館になっていたのか。磯崎のアンビルト建築に思いをはせながら、磯崎が設計した当館展示室で四島コレクションを堪能していただきたい。

ヴァシリー・カンディンスキー《合意》1939年 Walkアセットマネジメント蔵
本展の構想の核となったのが、「太陽と神話の国・九州 原風景の中から」という磯崎が1977年に書いた文章である。磯崎は岐阜県神岡町(現・飛騨市)の新庁舎の設計者に選ばれる。神岡町は飛騨の山奥に位置する豪雪で有名な谷間の町であり、磯崎が雪国で設計するのは神岡町役場が初めてであった。雪の問題と格闘する過程で、磯崎は自分の原風景は九州の夏の中にあり、無意識のうちに、その原風景の中に建築をおいて設計していたことにあらためて気づいたという。本展が取り上げたのは91歳まで活躍した磯崎の仕事のほんの一部にすぎない。しかし18才までを過ごした大分の風土、九州の光、初期を支えた人々の存在、初期建築の中で生み出された理論や実践など、磯崎にとって九州という土地は、生涯かけがえのない自身の原点として存在していたのは間違いない。展覧会では、磯崎の初期建築に関する模型、写真、図面といった資料、磯崎が制作した版画、四島が収集した作品など174点を展示している。当館をはじめ市内に現存する4つの磯崎建築とともに、展覧会に足を運んでいただき、国内外で活躍した巨匠の原点をたどっていただければ幸いだ。

磯崎新《モンローチェア》1974年 北九州市立美術館蔵
■落合朋子(おちあい・ともこ)
広島県生まれ。2008年より、北九州市立美術館学芸員として勤務。専門は日本の近現代美術。主な展覧会企画に「柳瀬正夢 1900-1945」(2013年)、「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」(2025年)など。
■「磯崎新の原点 九州における1960ー70年代の仕事」
会期:2025年1月4日(土)~3月16日(日)
会場:北九州市立美術館 本館
〒804-0024 北九州市戸畑区西鞘ヶ谷町21-1
TEL 093-882-7777
FAX 093-861-0959
●本日のお勧め作品は、磯崎新です。
"MUSEUM-II"
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
2023年に開催した群馬の磯崎建築ツアーにも参加された落合朋子先生に北九州で始まった磯崎展についてご寄稿いただきました。
磯崎建築が次々に壊されていく中で(京都コンサートホールもどうやら危機らしい、改修なのか、そのまま閉館なのか)、北九州の磯崎建築はいずれも大事にされているようですね。
今回の磯崎展には私たちがエディションした作品が多数展示されています(いずれも同館所蔵)。こりゃあ見にいかずばなるまいと磯崎ファンに声をかけたらあっという間に遠路にもかかわらず大ツアーになっちゃいました。
●ときの忘れものでは松本莞 著『父、松本竣介』を販売しています。
今年は年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートークを開催してゆく予定です。
『父、松本竣介』の詳細は1月18日ブログをお読みください。
著者・松本莞 サイン入りカード付
『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
ときの忘れものが今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
画家の堀江栞さんが、かたばみ書房の連載エッセイ「不手際のエスキース」第3回で「下塗りの夢」と題して卓抜な竣介論を執筆されています。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

落合朋子(北九州市立美術館学芸員)
1974年に磯崎新(1931-2022)の設計で開館した北九州市立美術館は、昨年開館50周年を迎えた。1月4日から開催している「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」では、磯崎が九州でたずさわった初期の仕事に焦点をあてている。


北九州市立美術館 1974年
本展を開催することになったきっかけは2020年に遡る。長らく博多駅前のシンボルであった福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)本店が、博多駅周辺の再開発事業「博多コネクティッド」の一環として建て替えられることとなった。それにともない、行内に展示されている美術作品を当館で預かってもらえないかという相談があった。1971年に竣工した福岡相互銀行本店も当館と同じ磯崎が設計している。1階のエントランスホールには、アンゼルム・キーファー、ヘンリー・ムーアなどの作品が展示されていた。こうした収集を指揮したのが、福岡シティ銀行(現・西日本シティ銀行)で長く頭取をつとめた四島司(1925-2015)である。父 一二三が創業した福岡相互銀行(のちの福岡シティ銀行)の2代目となる四島は、福岡相互銀行大分支店を皮切りに同行の支店、本店の設計を磯崎に依頼した。本店の設計に際して磯崎は、行内に展示する作品を現役の美術家に依頼することを四島に提案し、野見山暁治、斎藤義重らによって装飾された4つの応接室が誕生している。その後、四島は行内を飾る美術作品の収集に力を入れ、四島コレクションを形成していった。磯崎の初期を考える上で欠かせない存在である四島と磯崎の交流を軸にすることで、建築というジャンルにとどまらず、美術など様々な分野を越境して活躍した磯崎の幅広い活動を紹介する展覧会ができるのではないかと調査を進め、当館の開館50周年、四島の生誕100年という節目に本展を開催する運びとなった。

福岡相互銀行大分支店 1967年 Courtesy of Arata Isozaki & Associates
大分市に生まれた磯崎の初期建築は、大分をはじめ九州で実現している。展覧会の前半では、「第1章 大分」「第2章 福岡相互銀行の仕事」「第3章 北九州」と、磯崎の初期を支えた人々の存在に着目しながら、大分県医師会館、大分県立大分図書館などの代表作を紹介している。特に本展では磯崎がたずさわった福岡相互銀行の建築群の全貌を概観することにつとめた。大分県立大分図書館での建築に色彩を持ちこむ試みは、福岡相互銀行大分支店でさらに深められる。1辺1.2mの正方形が床、壁、天井とあらゆるところに割り付けられた福岡相互銀行長住支店(1971年)の意匠は、1974年に竣工する群馬県立近代美術館、北九州市立美術館に継承されてゆく。手がけた支店としては最後になる福岡相互銀行新宿支店(1974年)の内装デザインには、同年に竣工した北九州市立中央図書館、富士見カントリークラブハウスの半円ヴォールトが見いだせる。福岡相互銀行の建築群をつぶさに見ていくことで、前後に存在する大分と北九州の建築群との連続性がきわだってこよう。
後半では、磯崎の美術との接点に着目している。磯崎は自身が設計した建築を版画という媒体に数多く残しており、第4章では、磯崎の初期の仕事がモチーフとなった版画を紹介している。続く第5章では1971年の開店当時、福岡相互銀行本店内を彩った美術作品に着目し、それらの一部を紹介している。磯崎の提案から、野見山暁治、西島伊三雄、斎藤義重、そして磯崎によって、壁面に展示する作品の制作のみならず、照明、壁の色など室内のすべてがそれぞれの作家に任せられた4つの応接室が誕生した。そのほか、サム・フランシス、宮脇愛子、高松次郎らの作品も行内を彩っていたが、応接室などに関する磯崎の文章を読むと、作品とそれらが展示される場を密接に意識しているのがわかる。こうした磯崎の本店での試みは、のちに「第3世代の美術館」を提唱し、宮脇愛子、岡崎和郎、荒川修作+マドリン・ギンズと協同し、奈義町現代美術館で具現化する磯崎の起点と捉えることもできるだろう。

磯崎新《内部風景Ⅲ 増幅性の空間-アラタ・イソザキ》1979年 北九州市立美術館蔵 ©Estate of Arata Isozaki
第6章では四島が収集した美術作品を紹介している。もともと美術が好きだった四島は、具象画を好んでいたが、斎藤義重の応接室から抽象が日常になじむのに驚かされ、磯崎の空間の切り方や色の使い方に共感し、抽象画を好むようになり、ヴァシリー・カンディンスキーなど抽象画を中心とした四島コレクションを形成してゆく。1992年に四島は四島美術館の建設構想を発表し、基本設計を磯崎に依頼したが、結局実現することがなかった。磯崎の影響を大きく受けて形成された四島コレクションを展示する四島美術館が実現していたらどんな美術館になっていたのか。磯崎のアンビルト建築に思いをはせながら、磯崎が設計した当館展示室で四島コレクションを堪能していただきたい。

ヴァシリー・カンディンスキー《合意》1939年 Walkアセットマネジメント蔵
本展の構想の核となったのが、「太陽と神話の国・九州 原風景の中から」という磯崎が1977年に書いた文章である。磯崎は岐阜県神岡町(現・飛騨市)の新庁舎の設計者に選ばれる。神岡町は飛騨の山奥に位置する豪雪で有名な谷間の町であり、磯崎が雪国で設計するのは神岡町役場が初めてであった。雪の問題と格闘する過程で、磯崎は自分の原風景は九州の夏の中にあり、無意識のうちに、その原風景の中に建築をおいて設計していたことにあらためて気づいたという。本展が取り上げたのは91歳まで活躍した磯崎の仕事のほんの一部にすぎない。しかし18才までを過ごした大分の風土、九州の光、初期を支えた人々の存在、初期建築の中で生み出された理論や実践など、磯崎にとって九州という土地は、生涯かけがえのない自身の原点として存在していたのは間違いない。展覧会では、磯崎の初期建築に関する模型、写真、図面といった資料、磯崎が制作した版画、四島が収集した作品など174点を展示している。当館をはじめ市内に現存する4つの磯崎建築とともに、展覧会に足を運んでいただき、国内外で活躍した巨匠の原点をたどっていただければ幸いだ。

磯崎新《モンローチェア》1974年 北九州市立美術館蔵
■落合朋子(おちあい・ともこ)
広島県生まれ。2008年より、北九州市立美術館学芸員として勤務。専門は日本の近現代美術。主な展覧会企画に「柳瀬正夢 1900-1945」(2013年)、「磯崎新の原点 九州における1960-70年代の仕事」(2025年)など。
■「磯崎新の原点 九州における1960ー70年代の仕事」
会期:2025年1月4日(土)~3月16日(日)
会場:北九州市立美術館 本館
〒804-0024 北九州市戸畑区西鞘ヶ谷町21-1
TEL 093-882-7777
FAX 093-861-0959
●本日のお勧め作品は、磯崎新です。

1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
イメージサイズ:55.0x55.0cm
シートサイズ:90.0x63.0cm
Ed.75
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
2023年に開催した群馬の磯崎建築ツアーにも参加された落合朋子先生に北九州で始まった磯崎展についてご寄稿いただきました。
磯崎建築が次々に壊されていく中で(京都コンサートホールもどうやら危機らしい、改修なのか、そのまま閉館なのか)、北九州の磯崎建築はいずれも大事にされているようですね。
今回の磯崎展には私たちがエディションした作品が多数展示されています(いずれも同館所蔵)。こりゃあ見にいかずばなるまいと磯崎ファンに声をかけたらあっという間に遠路にもかかわらず大ツアーになっちゃいました。
●ときの忘れものでは松本莞 著『父、松本竣介』を販売しています。
今年は年間を通して竣介関連の展示、ギャラリートークを開催してゆく予定です。
『父、松本竣介』の詳細は1月18日ブログをお読みください。

『父、松本竣介』
発行:みすず書房
判型:A5変判(200×148mm)・上製
頁数:368頁+カラー口絵16頁
定価:4,400円(税込)+梱包送料650円
ときの忘れものが今まで開催してきた「松本竣介展」のカタログ5冊も併せてご購読ください。
画家の堀江栞さんが、かたばみ書房の連載エッセイ「不手際のエスキース」第3回で「下塗りの夢」と題して卓抜な竣介論を執筆されています。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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