よりみち未来派(第30回):「トリコローレ」と未来派絵画

太田岳人

未来派に関わる、あるいはそれにかこつけた話のみで続けてきた本連載も、はや30回目に到達した。改めて、読者の皆様に感謝申し上げたい。そしてそろそろ、この芸術運動に関する一筋縄ではいかない話題、特に「未来派とファシズム」のそれなども本格的に取り上げていきたいと考えているのだが、今回からはその準備として、同時代に存在した他の前衛芸術運動と比較した際に見て取れる、いくつかの興味深い部分について書いていきたい。本連載の第2回において、強力なリーダーを持ったという点で未来派とシュルレアリスムには共通点があるものの、彼らの「肖像画」の在り方には違いがあると私は論じたが、この二つの芸術運動の相違点に限っても、さらに掘り下げる価値はある。

日本におけるシュルレアリスム研究の裾野は未来派のそれよりも広く、その中では様々な見地があるだろう。しかし、パリのシュルレアリストが唱えた「芸術の絶対的自由」の中には、ダダ時代から引き続く固陋な自国のブルジョワ層に対する反感、ひいてはその支配下にある大文字の「フランス」に価値を認める発想の拒絶が、終始続いていたように私には思われる。シュルレアリスム発足100周年の大回顧展が、かの国の「美の殿堂」としてのポンビドゥー・センターで行われるようになったにしても、この出発点が揺らぐわけではない。

これに対して未来派も、特にその初期において、現実の社会における各種制度、さらには国家機構に対して、破壊的かつ一種の「無政府主義的」姿勢で臨んでいるという点では同じである。しかし、未来派にとって攻撃対象となったのは「制度」や「機構」でありつつ、大文字の「イタリア」そのものではなかったことに注意する必要がある。その視覚的表出として取り上げたいのが――制作例としては少数ながらも――強いインパクトを持つ、緑・白・赤のイタリア国旗の「三色」の配色、いわゆる「トリコローレtricolore」を活用した未来派の絵画作品である【注1】。

現在のフランス国旗とイタリア国旗の類似は、ナポレオン率いる革命フランス軍が18世紀末にイタリア半島に侵入し、その結果成立した衛星諸国において、青・白・赤の「トリコロール」を模した旗が使われ出したことに端を発する。未来派が活動した当時のイタリア国旗には、その中央にサヴォイア家の紋章が掲げられていたが、未来派はこの紋章を脇に置き「イタリア」を表す色彩のみを重視した。ただしその傾向は、1909年の運動発足当初からではなく、1914年の第一次世界大戦勃発に際して中立を保ったイタリア政府に対し、途中参戦を訴える直接行動を開始して以降に、より本格化したものである。未来派が通信ハガキをトリコローレに彩り、そこに「枯死でなく行進をMarciare non marcire」という地口のスローガンを強調したような傾向は【図1】、同時代のイタリアの一般的な印刷物にも見られる。

図1 トリコローレを使った未来派の絵ハガキ
図1:未来派で使われた絵ハガキ《未来派の旗:枯死でなく行進をLa bandiera futurista: Marciare non marcire》、(1914年12月に発送記録、8.8×13.8cm、個人蔵)
※ Luigi Sansone (a cura di), F. T. Marinetti = Futurismo, Milano: Motta, 2009より。

一方、未来派に参加した初期メンバーのうち、自身の芸術表現へ最も積極的にトリコローレを取り込んだのはジャコモ・バッラである。年長者で実際には戦地に参加しなかったバッラは、これまで未来派の内部で探求してきた抽象表現を、《戦争の誘惑》【図2】のような形で自身の《愛国的デモンストレーション》(ティッセン=ボルネミッサ美術館所蔵)を果たすことになる。彼は1913-14年の時点で、《抽象的速度+騒音》(グッゲンハイム・コレクション、ヴェネツィア)のような、青色+トリコローレの組み合わせによる作品を実現しているが、1915年の彼の作品を支配するのは繊細さではない。トリコローレは確固とした形態として、より太く豪胆に展開し、他の色調と結合・対立・相互浸透することにより、戦争を眼前にする心的不安や高揚、あるいは混沌としたイタリア社会の雰囲気を示唆するものとなる。1920年代においても未来派にとどまったバッラは、タペストリー《未来派の天分Genio futurista》(1925年)、あるいは3つのパネルを複合した《イタリア人民の手Le mani del popolo italiano》(1925年)のような応用的作品にも、トリコローレを存分に生かしている。

図2 バッラ《戦争の誘惑》
図2:バッラ《戦争の誘惑Insidie di guerra》、1915年(キャンバスに油彩、115×175cm、国立ローマ近現代美術館)
※ 東京都現代美術館・日本経済新聞社(編)『20世紀イタリア美術展』(東京都現代美術館・日本経済新聞社、2001年)より。ただし同カタログ中では「戦争の罠」のタイトルで紹介。

バッラに影響を受けた、1920年代に台頭する世代からも、トリコローレが印象的な作品は登場する。ジェラルド・ドットーリによる、カーレースをテーマにした連作「速度の三幅対」の《到着》【図3】におけるそれは、ゴールで観衆が振り回し建物から吊り下げている実際の「国旗」でありつつ、走る自動車のスピードの中で風景=色彩の一部と変貌しているものとしても現れる。また、バッラと共同で「宇宙の未来派的再構築」(1915年)を発した、フォルトゥナート・デペロによる《雷鳴的・愛国的マリネッティ:心理学的肖像》【図4】は、前述した肖像画の回ではあえて取り上げていなかったものの、未来派のリーダーに最もふさわしい肖像画の一つである。背景の青色の中で、全身黒色のマリネッティは、右胸のポケットには小さい三色旗をアクセサリーとして身につけ、左胸の心臓と右足からは、虹のように弧を描くトリコローレが放出される。詩人は赤色の矢で頭にインスピレーションを受けることで、やはり赤色の言葉を吐き出し、その先には緑と白の稲妻が輝いている【注2】。未来派芸術家は、イタリアの空気を吸い、イタリアに稲妻を轟かせるゆえに優れて「愛国者patriota」であることになる。

図3 ドットーリ《到着》(「速度の三幅対」より)
図3:ドットーリ《到着L’arrivo》(「速度の三幅対Trittico della verocità」より)、1925-1927年(キャンバスに油彩、128.5×139cm、パラッツォ・デッラ・ペンナ市立美術館、ペルージャ)
※ Vivien Greene (ed.), Italian futurism 1909-1944: Reconstructing the universe, New York: Guggenheim Museum, 2014より。

図4 デペロ《雷鳴・愛国的マリネッティ:心理学的肖像》
図4:デペロ《雷鳴・愛国的マリネッティ:心理学的肖像Marinetti temporale patriottico: Ritratto psicologico》、1924年(芸術家による額縁、キャンバスに油彩、220×150cm、個人蔵、ミラノ)
※ Vivien Greene (ed.), Italian futurism 1909-1944: Reconstructing the universe, New York: Guggenheim Museum, 2014より。

バッラやデペロよりさらに年少世代では、ヴェローナで1930年代以降に活躍したアルフレード・アンブロージ(Alfredo Ambrosi, 1901-1945)の《ウィーン上空の飛行》【図5】に独創性がある。この作品が題材にしているのは、第一次世界大戦末期の1918年8月に、イタリア空軍の飛行機に同乗しオーストリアの首都上空へ飛び、敵がイタリアに下るよう促すビラだけを投下して帰還した、詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオ(1863-1938)による挑発的パフォーマンスである【注3】。画面中央に、上空からかつ多視点でウィーンの中心部が描かれ、その周囲には国籍を表すトリコローレを帯びた飛行機が配されている。しかし(画面を拡大して)より注目してほしいのは、画面の四ヶ所に描き込まれた、ダンヌンツィオが投下したビラを表す、極小サイズのトリコローレの長方形群である。このトリコローレ=ビラは、周囲の飛行機たちと直接関係を持たず、さらには風の影響もないかのように、いずれも地上へ逆三角形の形に降り注いでおり、特に白色が目立つことによって、投下地点には光が降り注いでいるようにすら見える。こうした演出によって画家は、戦争のただ中にも関わらず被害も加害も出さなかった、ナショナリスト詩人の奇跡のような瞬間を寿いでいる。イタリア国旗の色を背負った飛行機は、ルネサンス絵画の天使のようにも見えてくる。

図5 アンブロージ《ウィーン上空の飛行》
図5:アンブロージ《ウィーン上空の飛行Volo su Vienna》、1933年(キャンバスに油彩、151×192cm、クイリナーレ宮殿〔イタリア共和国大統領府〕、ローマ)
※ Massimo Duranti (a cura di), Aeropittura e aeroscultura futuriste, (2nd. ed.), Perugia: Fabbri, 2005より。

確かに数こそ少ないものの、抽象主義的な表現を通じ、祖国の国旗の色の活用によってその称揚を図るという発想は、シュルレアリスム運動の絵画には存在していなかったのではないだろうか(心当たりのある方にはご教示いただきたい)【注4】。そして未来派における大文字の「イタリア」崇拝は、1920年代以降においては「ファシズム」に対するそれにもたびたび乗り入れようとすることで、後世の我々をさらなる「よりみち」に導くのである。

―――――

【注】
注1:未来派の歴史全体を概観した上で、最も活用の頻度が高い色は「青azzurro」であると思われる。「青の歴史」「青の美術史」にならった、「青の未来派」の研究が待たれるところである。

注2:バッラが同時期の1927年に描いた《自画像autoritratto》にも、トリコローレを基調色にしつつ、自身の顔を目から発する稲妻とセットにして描くという、類似する発想が見られる。

注3:初期未来派のテキストの中では、ダンヌンツィオの耽美主義はたびたびやり玉に挙げられていたものの、1930年代には彼とマリネッティは、ムッソリーニの肝煎りで設立されたイタリア学士院(アッカデミーア・ディターリア)で席を並べる間柄となっていた。

注4:おそらくロシアの構成主義者における赤色の活用の一部は、こうした発想に比較的近いものと考えられるが、そこで強調されていたのは「祖国」の枠を超えるものとしての「共産主義」であり、厳密にパラレルであるとまでは言えない。

おおた たけと

・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2025年4月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学ほかで非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

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*画廊亭主敬白
イタリア未来派の数少ない研究者である太田岳人さんの連載が遂に30回を迎えました。
連載のきっかけは2009年9月に開催した「生誕100年・未来派―ドメニコ・ベッリ展」でした。
太田さんとの出会いを当時のブログから再録しましょう。
<そして会期の半ば、見覚えのある若い方が来廊され、作品をじっとご覧になっている・・・・・、私の画廊は「お客はほっておく」主義なので、普段はあまり話しかけないのですが、思い切って尋ねると「千葉大学の上村清雄先生の研究室にいる太田です、イタリア未来派を研究しています」というではありませんか。以前、久保貞次郎先生の旧蔵書セールにいらっしゃった方で、上村先生の名を聞いて、あっ!と思い出しました。
イタリア未来派関係の研究者を網羅したつもりが、灯台許暗し、かつてシエナ大学大学院に学び、群馬県立近代美術館学芸員を経て、千葉大学に迎えられた上村清雄先生はイタリア彫刻の専門家でした。随分前になりますが「シャガール生誕100年展」や「エッフェル塔100年記念展」(いずれも群馬県立近代美術館開催)で仕事を一緒にさせていただいたこともあります。その上村先生にお送りしたDMを見て、太田さんが来廊されたわけです。
2009年10月21日ブログより)>
太田さんの師・上村清雄先生(1952~2017)はシエナ大学に学び、帰国後初めて勤めたのが群馬県立近代美術館でした。亭主はちょうどその頃、館長の中山公男先生に「生誕100年記念 シャガール版画展」の監修をしていただき巡回展を企画していました。中山先生は新進の学芸員の上村先生にその担当を命じられ、おかげで亭主は大助かり、上村先生はとんだ迷惑でしたでしょう。中山先生から→上村先生へ、そして太田先生へと縁というのは繋がっていくのですね。
太田さんの連載がやがて本にまとめられることを期待しましょう。

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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