王聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥第37回」
「ル・コルビュジエー諸芸術の綜合 1930-1965」展を訪れて
パナソニック汐留美術館で開催されている「ル・コルビュジエー諸芸術の綜合 1930-1965」を訪問した。松下賢太さん(ときの忘れもの)が、展覧会と講演会について既にレポートされている。
本展は、「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」(国立西洋美術館、2019年)に続き、コルビュジエのアートの再評価が主題となっている。展示室は、幾何学的な曲線と直角で間仕切られ、第1章「浜辺の建築家」から第4章「やがてすべては海へと至る」というメインテーマ軸があり、その間に複数の小テーマが含まれている構成であった。文中では、アルファベット+節で小テーマを示した。ル・コルビュジエの美術作品約50点と交流のあったジャン・ハンス・アルプ、フェルナン・レジェ、ワシリー・カンディンスキーによる作品が関連して紹介された。

写真提供:パナソニック汐留美術館
以前、この連載の第1回で、「ラ・ロッシュ–ジャンヌレ邸」(1923-25年)のラ・ロッシュ邸の多くの壁面に、レジェ、ブラック、ピカソ、ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、オザンファンらキュビズムやピュリスムの絵画が配置され、そこは、白い空間ではなかったことを書いた。そして、1925年パリ国際装飾芸術博覧会のパヴィリオンであった「エスプリ・ヌーヴォー館」(1925年)で、コルビュジエは、絵画・彫刻という純粋芸術と、来たる時代の住宅の共存を提案したことを書いた。今回は、それに続く、室内の壁画とタペストリーについて少し取り上げたい。
第1章の後半で紹介されたのは、アイリーン・グレイ設計の「E.1027」(1924-29年)である。アイリーン・グレイ(1878-1976)が当時のパートナーであり建築雑誌編集者でル・コルビュジエの友人でもあったジャン・バドヴィッチの助言を得て1929年に完成し、近代建築の5原則を体現していることが注目されてきた。ル・コルビュジエにより1926年に提唱された5原則は、ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園のことで、順に、地面からの解放、構造に捉われない平面、構造に捉われない立面、大きな開口部(窓)、陸屋根(平屋根)と言い換えられる。ル・コルビュジエが鉄筋コンクリート造の可能性を検討する中、1914年に構造エンジニアと共に、柱と水平スラブ(床・天井)で構成される構造技術「ドミノ・システム」を考え出し、その新しい方法で実現できる5つの表象をいう。サヴォア邸(1928-31年)以前の1920年代前半から継続して試みられ、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、エスプリ・ヌーヴォー館、ペサックの集合住宅(1925年)、クック邸(1926年)、ヴァイセンホーフ・ジードルンクのメゾン・シトロエン(1927年)と二世帯住宅(1927年、現・ヴァイセンホーフミュージアム)などで実現している。1920年代は、日本でも都市への人口集中、工業化が進み、結核などの疾病が流行し、採光、換気等の住環境改善のため大きな窓をもつ「明るい家」が推奨された。ヨーロッパでも同様の課題があり、近代建築5原則のうち、従来の傾斜屋根に対する屋上庭園は、運動、日光浴、植栽を可能にし、壁が構造を兼ねていた従来の小さな窓に対する大きな開口部は、採光による明るい室内を可能にした、ということが社会背景にある。
訪れたことはないが図面から得られる情報では、「E.1027」は、南フランスに位置するロクブリュヌ=カップ・マルタンの海岸を見下ろす傾斜地に位置し、1階のピロティ、2階のベランダと水平横長窓が南の海側にひらいている。短手(南北軸)が1スパンの無柱空間で、屋上に螺旋階段で上ることができる。今回の展覧会で焦点があてられたのは、1938年にル・コルビュジエがピロティの壁、2階のダイニング脇などに、7点の壁画を描いたことである。キャンバスよりも大きな垂直面に絵を描ける技能は、後のタペストリー(タピスリー)の制作にも大いに関係した。
第1章のF節「掌中から壁画へ」では、作品4点、手紙1点、写真8点が展示された。《水着を着た三人》(1932年)は鉛筆で描かれた写実的な素描、それが展開してインクで輪郭の描かれた《三つの人物像》(1934年)、更に抽象化され面が強調された《赤と青の人物》(1935年)、更にデフォルメされた《二人のダンサーと旗》(1932-40年)へと進行したであろうことが、視覚的に読み取れる。3人の水着姿は裸体を経て2人に、身体の輪郭の曲線は、なぞられ交わり抽出されて面へ。
1930年代、フランスでは多くのモダンの美術家が壁画に取り組んでいた。同展覧会の解説と図録の年譜によるとル・コルビュジエは1936年に初めて壁画を描いたとある。フランスのヴェズレーにあったバドヴィッチが所有する民家の壁であった。その2年後に描いたのが「E.1027」の7点の壁画ということになる。ピロティの半屋外の壁に単色で描かれた壁画《三人の人物像》(1938年)に対応する絵画が《三つの人物像》(1934年)である。一方、室内では、鮮やかな色彩が床から天井までの壁一面を覆った。南フランスの明るい陽光に恵まれて描かれ鑑賞されたことが想像できる。その後、「スイス学生会館」(1930-1933年)の談話室に壁画を制作したのは1948年のことであった。
なお、「E.1027」と壁画について近年話題になった映画に、『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』と、『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』があり、前者については、尾立麗子さん(ときの忘れもの)のレビューがある。

写真提供:パナソニック汐留美術館
2章前半では、ル・コルビュジエが「ミュラルノマド」と表したタペストリーが展示された。図録の年譜によると1936-37年にル・コルビュジエが初めてタペストリーを制作した。タペストリー再興の活動をしていたマリー・キュトリから依頼を受けて制作したもので、この時のサイズは147×175cmでそれほど大きなものではなかった(*1)。その後、1948年に産業再興の活動をしていたピエール・ボードゥアンとの協業で制作を再開し、室内壁画のような大きなタペストリーが生まれていった。展示解説と、ロビーで上映された映像「ル・コルビュジエの宇宙:ハイディ・ウェバー インタビュー」(1987年)によると、絵画を拡大複製してタペストリーを制作するのではなく、タペストリー用の原画を現寸で描くことがル・コルビュジエの特徴であったという。つまり、壁画のように原画が描かれ、大型のタペストリーに壁画の効果を重ねた。
2章A節「遊動する壁画:タペストリー」で展示された《静物》(1965年)は、ピュリスムの頃に描いていた静物のモチーフがみられる黒地と高彩色のコントラストの高いタペストリー、《奇妙な鳥と牡牛》(1957年)は、晩年まで描き続けた「牡牛」(*2)が表現され、ピュリスムの頃のような淡い色彩も多く使われたタペストリーである。それぞれ、開いた手、組まれた手のシンボルも描かれていて、他の章の作品とも関連し溶け合うような関係がある(*3)。
展覧会は言わずと知れた視覚的なメディアである。前述の壁画とタペストリー、2つのコーナーだけでなく、1章D節「人体の変容」、同E節「人体の変容Ⅱ」、2章C節「モチーフ三態」も同様に、ル・コルビュジエにとって、モノや感触が輪郭や形になり、そこからインスピレーションを受けて更に、曲線、面、図形に変化していく様子、媒体がキャンバスから彫刻、あるいはスケッチから壁、タペストリー、緞帳へと変化していく過程や飛躍、そういったビジュアル的で感覚的なものを複数のレイヤーで示してくれた展覧会であった。
(おうせいび)
◆展示概要
「ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965」
会期:2025年1月11日(土) - 3月23日(日)
※時間・休館日は公式HPをご確認ください。
土曜日・日曜日・祝日は日時指定予約(平日は予約不要)
会場:パナソニック汐留美術館
註
*1:
《マリ・クットーリ》(114.0 x 146.0cm)(ル・コルビュジエ財団所蔵)と同名のタペストリー《マリ・クットーリ》(147.0 x 175.0cm)(ル・コルビュジエ財団所蔵)の図版が、大成建設 ギャルリータイセイのARCHIVESの頁(https://galerie-taisei.jp/archives/tapestry_index.html)で確認できる。関連する論考に、林美佐「ル・コルビュジエのタピスリー」(2001年)、林美沙「ル・コルビュジエの壁」(2018年)
*2:
牡牛に関する論文に、加藤道夫「火のないところ煙は立たず-ル・コルビュジエの原画に基づいて制作された東急文化会館の緞帳について-」(『国立近現代建築資料館紀要』、2022年)があり、「連作〈牡牛〉および関連作品全リスト」が報告されている。
*3:この展覧会に展示されている作品は、冒頭1章A節《人物》(1931年)以降、20点もの大きな「手」が、デフォルメされて、あるいは、シンボルとして描かれている。
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2025年4月18日更新の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●本日のお勧め作品はル・コルビュジエです。
《開いた手》
1963年
リトグラフ
シートサイズ:65.0x50.0cm
版上サイン
作品の見積り請求、在庫確認はメール(info@tokinowasuremono.com)またはお電話(03-6902-9530)で承ります。「件名」「お名前」「連絡先(住所)」とご用件を記入してご連絡ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
「ル・コルビュジエー諸芸術の綜合 1930-1965」展を訪れて
パナソニック汐留美術館で開催されている「ル・コルビュジエー諸芸術の綜合 1930-1965」を訪問した。松下賢太さん(ときの忘れもの)が、展覧会と講演会について既にレポートされている。
本展は、「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」(国立西洋美術館、2019年)に続き、コルビュジエのアートの再評価が主題となっている。展示室は、幾何学的な曲線と直角で間仕切られ、第1章「浜辺の建築家」から第4章「やがてすべては海へと至る」というメインテーマ軸があり、その間に複数の小テーマが含まれている構成であった。文中では、アルファベット+節で小テーマを示した。ル・コルビュジエの美術作品約50点と交流のあったジャン・ハンス・アルプ、フェルナン・レジェ、ワシリー・カンディンスキーによる作品が関連して紹介された。

写真提供:パナソニック汐留美術館
以前、この連載の第1回で、「ラ・ロッシュ–ジャンヌレ邸」(1923-25年)のラ・ロッシュ邸の多くの壁面に、レジェ、ブラック、ピカソ、ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)、オザンファンらキュビズムやピュリスムの絵画が配置され、そこは、白い空間ではなかったことを書いた。そして、1925年パリ国際装飾芸術博覧会のパヴィリオンであった「エスプリ・ヌーヴォー館」(1925年)で、コルビュジエは、絵画・彫刻という純粋芸術と、来たる時代の住宅の共存を提案したことを書いた。今回は、それに続く、室内の壁画とタペストリーについて少し取り上げたい。
第1章の後半で紹介されたのは、アイリーン・グレイ設計の「E.1027」(1924-29年)である。アイリーン・グレイ(1878-1976)が当時のパートナーであり建築雑誌編集者でル・コルビュジエの友人でもあったジャン・バドヴィッチの助言を得て1929年に完成し、近代建築の5原則を体現していることが注目されてきた。ル・コルビュジエにより1926年に提唱された5原則は、ピロティ、自由な平面、自由な立面、水平連続窓、屋上庭園のことで、順に、地面からの解放、構造に捉われない平面、構造に捉われない立面、大きな開口部(窓)、陸屋根(平屋根)と言い換えられる。ル・コルビュジエが鉄筋コンクリート造の可能性を検討する中、1914年に構造エンジニアと共に、柱と水平スラブ(床・天井)で構成される構造技術「ドミノ・システム」を考え出し、その新しい方法で実現できる5つの表象をいう。サヴォア邸(1928-31年)以前の1920年代前半から継続して試みられ、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸、エスプリ・ヌーヴォー館、ペサックの集合住宅(1925年)、クック邸(1926年)、ヴァイセンホーフ・ジードルンクのメゾン・シトロエン(1927年)と二世帯住宅(1927年、現・ヴァイセンホーフミュージアム)などで実現している。1920年代は、日本でも都市への人口集中、工業化が進み、結核などの疾病が流行し、採光、換気等の住環境改善のため大きな窓をもつ「明るい家」が推奨された。ヨーロッパでも同様の課題があり、近代建築5原則のうち、従来の傾斜屋根に対する屋上庭園は、運動、日光浴、植栽を可能にし、壁が構造を兼ねていた従来の小さな窓に対する大きな開口部は、採光による明るい室内を可能にした、ということが社会背景にある。
訪れたことはないが図面から得られる情報では、「E.1027」は、南フランスに位置するロクブリュヌ=カップ・マルタンの海岸を見下ろす傾斜地に位置し、1階のピロティ、2階のベランダと水平横長窓が南の海側にひらいている。短手(南北軸)が1スパンの無柱空間で、屋上に螺旋階段で上ることができる。今回の展覧会で焦点があてられたのは、1938年にル・コルビュジエがピロティの壁、2階のダイニング脇などに、7点の壁画を描いたことである。キャンバスよりも大きな垂直面に絵を描ける技能は、後のタペストリー(タピスリー)の制作にも大いに関係した。
第1章のF節「掌中から壁画へ」では、作品4点、手紙1点、写真8点が展示された。《水着を着た三人》(1932年)は鉛筆で描かれた写実的な素描、それが展開してインクで輪郭の描かれた《三つの人物像》(1934年)、更に抽象化され面が強調された《赤と青の人物》(1935年)、更にデフォルメされた《二人のダンサーと旗》(1932-40年)へと進行したであろうことが、視覚的に読み取れる。3人の水着姿は裸体を経て2人に、身体の輪郭の曲線は、なぞられ交わり抽出されて面へ。
1930年代、フランスでは多くのモダンの美術家が壁画に取り組んでいた。同展覧会の解説と図録の年譜によるとル・コルビュジエは1936年に初めて壁画を描いたとある。フランスのヴェズレーにあったバドヴィッチが所有する民家の壁であった。その2年後に描いたのが「E.1027」の7点の壁画ということになる。ピロティの半屋外の壁に単色で描かれた壁画《三人の人物像》(1938年)に対応する絵画が《三つの人物像》(1934年)である。一方、室内では、鮮やかな色彩が床から天井までの壁一面を覆った。南フランスの明るい陽光に恵まれて描かれ鑑賞されたことが想像できる。その後、「スイス学生会館」(1930-1933年)の談話室に壁画を制作したのは1948年のことであった。
なお、「E.1027」と壁画について近年話題になった映画に、『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』と、『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』があり、前者については、尾立麗子さん(ときの忘れもの)のレビューがある。

写真提供:パナソニック汐留美術館
2章前半では、ル・コルビュジエが「ミュラルノマド」と表したタペストリーが展示された。図録の年譜によると1936-37年にル・コルビュジエが初めてタペストリーを制作した。タペストリー再興の活動をしていたマリー・キュトリから依頼を受けて制作したもので、この時のサイズは147×175cmでそれほど大きなものではなかった(*1)。その後、1948年に産業再興の活動をしていたピエール・ボードゥアンとの協業で制作を再開し、室内壁画のような大きなタペストリーが生まれていった。展示解説と、ロビーで上映された映像「ル・コルビュジエの宇宙:ハイディ・ウェバー インタビュー」(1987年)によると、絵画を拡大複製してタペストリーを制作するのではなく、タペストリー用の原画を現寸で描くことがル・コルビュジエの特徴であったという。つまり、壁画のように原画が描かれ、大型のタペストリーに壁画の効果を重ねた。
2章A節「遊動する壁画:タペストリー」で展示された《静物》(1965年)は、ピュリスムの頃に描いていた静物のモチーフがみられる黒地と高彩色のコントラストの高いタペストリー、《奇妙な鳥と牡牛》(1957年)は、晩年まで描き続けた「牡牛」(*2)が表現され、ピュリスムの頃のような淡い色彩も多く使われたタペストリーである。それぞれ、開いた手、組まれた手のシンボルも描かれていて、他の章の作品とも関連し溶け合うような関係がある(*3)。
展覧会は言わずと知れた視覚的なメディアである。前述の壁画とタペストリー、2つのコーナーだけでなく、1章D節「人体の変容」、同E節「人体の変容Ⅱ」、2章C節「モチーフ三態」も同様に、ル・コルビュジエにとって、モノや感触が輪郭や形になり、そこからインスピレーションを受けて更に、曲線、面、図形に変化していく様子、媒体がキャンバスから彫刻、あるいはスケッチから壁、タペストリー、緞帳へと変化していく過程や飛躍、そういったビジュアル的で感覚的なものを複数のレイヤーで示してくれた展覧会であった。
(おうせいび)
◆展示概要
「ル・コルビュジエ 諸芸術の綜合 1930-1965」
会期:2025年1月11日(土) - 3月23日(日)
※時間・休館日は公式HPをご確認ください。
土曜日・日曜日・祝日は日時指定予約(平日は予約不要)
会場:パナソニック汐留美術館
註
*1:
《マリ・クットーリ》(114.0 x 146.0cm)(ル・コルビュジエ財団所蔵)と同名のタペストリー《マリ・クットーリ》(147.0 x 175.0cm)(ル・コルビュジエ財団所蔵)の図版が、大成建設 ギャルリータイセイのARCHIVESの頁(https://galerie-taisei.jp/archives/tapestry_index.html)で確認できる。関連する論考に、林美佐「ル・コルビュジエのタピスリー」(2001年)、林美沙「ル・コルビュジエの壁」(2018年)
*2:
牡牛に関する論文に、加藤道夫「火のないところ煙は立たず-ル・コルビュジエの原画に基づいて制作された東急文化会館の緞帳について-」(『国立近現代建築資料館紀要』、2022年)があり、「連作〈牡牛〉および関連作品全リスト」が報告されている。
*3:この展覧会に展示されている作品は、冒頭1章A節《人物》(1931年)以降、20点もの大きな「手」が、デフォルメされて、あるいは、シンボルとして描かれている。
●王 聖美のエッセイ「気の向くままに展覧会逍遥」。次回は2025年4月18日更新の予定です。
■王 聖美 Seibi OH
1981年神戸市生まれ、京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科卒業。WHAT MUSEUM 学芸員を経て、国立近現代建築資料館 研究補佐員。
主な企画展に「あまねくひらかれる時代の非パブリック」(2019)、「Nomadic Rhapsody-"超移動社会がもたらす新たな変容"-」(2018)、「UNBUILT:Lost or Suspended」(2018)など。
●本日のお勧め作品はル・コルビュジエです。

1963年
リトグラフ
シートサイズ:65.0x50.0cm
版上サイン
作品の見積り請求、在庫確認はメール(info@tokinowasuremono.com)またはお電話(03-6902-9530)で承ります。「件名」「お名前」「連絡先(住所)」とご用件を記入してご連絡ください。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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