梅津元「瑛九-フォト・デッサンの射程」
第19回「Paradise-第33回瑛九展・湯浅コレクション(その12)」
There’s no limit I can show -ニュー・オーダーのアルバム『Brotherhood』は、「Paradise」で幕を開ける、その「Paradise」のフレーズ「There’s no limit I can show」が私をとらえる、なぜだかわからないが、この「I」が、つまり、「見せることに限界はない」というフレーズを発する主体が、杉田秀夫/瑛九であるように響いてくる。確かに、気がつけば、連載開始からかなりの回を重ねてきたものの、書けば書くほど、分析や解析が遠のき、杉田秀夫/瑛九の表現へのあくなき欲求にひきこまれてゆく。
だから、杉田秀夫/瑛九が、我々の目の前で、「私があなたに見せることができる表現には、限界がない。」、そう力強く宣言しているような感覚にとらわれる。いや、そのように宣言しているのは、「人」としての「杉田秀夫/瑛九」なのではなく、「装置としての瑛九」であるだろう。「装置としての瑛九」、それは、限界を知らない「永久機関」。ならば私もまた、永久機関のように、時間の許す限り、体力の許す限り、「書けることに限界はない」と宣言し、書くことへのあくなき欲求に、この身を任せることにしよう。
型紙:有機物? 無機物?
前回、第18回の最後では、「絵画性-フォト・デッサンから絵画へ」を論点に、フォト・デッサンと絵画の双方を視野に入れて考察してみた。今回取り上げるフォト・デッサンも、フォト・デッサンと絵画を往還しながら論じることになる。それこそが、瑛九における領域横断性の重要な特徴なのであり、そのような俯瞰的な視座を獲得することによって、「フォト・デッサンの射程」をとらえることが可能になる。そして、そのような俯瞰的な視座を獲得する上で重要な意味を持つのは、モチーフと背景に用いられる型紙である。
だがしかし、この連載において、度々、「見ること」の重要性を訴えてきたように、そのような俯瞰的な視座を得るためには、作品と向き合い、細部まで丁寧に見ることによって、表現の特質や用いられている技法について考えることから始めなければならない。全ては、「見ること」から始まる、私が作品と向き合う時の感覚や思考を、誰かが書いてくれているはずなどない、そのことを肝に銘じて、今回取り上げる作品を見てみよう。

fig.1:《第不詳》 制作年不詳
では、作品と向き合ってみよう。まず、基調となるのは、画面全体に広がる白の形態である。印画紙が感光して白くなったエリアがこの形状をもたらしているため、このような形に切り抜かれた型紙を用いて製作されたと推測することができる。中央に見える、真ん中がくり抜かれたドーナツのような形は、上側の白が穴の部分に迫り出しているため、穴の部分が唇のように見えなくもない。
このような感覚が生じるのは、この白の形が、どこか生き物のようなユーモラスな印象を見る者に与えるからである。先ほど唇のようだと書いたことに続けるならば、その白から上に突き出している形は、目のようにも、触覚のようにも見える。だが、このような見方は、続かない。人や動物や未知の生物を想像したとしても、下の方では白の形は直線的な印象であり、生物よりは構築物や機械など人工的なものに見えるからである。
平易に言えば、有機物でもあり無機物でもあるような、このような不思議な形状、形態は、瑛九の作品においては、表現方法の違いを超えて共通する特徴となっている。形状が類似しているとまでは言えないが、このような有機物でもあり無機物でもあるような印象が共通する作品を、フォト・デッサンと絵画を例に、見てみよう。

fig.2:《子供》 1953年 宮崎県立美術館蔵

fig.3:《槇》 1954年 うらわ美術館蔵
まず、フォト・デッサンの《子供》(fig.2)は、基調となる形態が黒であり、その部分は印画紙が感光していないため、この形の型紙が用いられたと推測できる。その点では、fig.1 とは、白と黒の関係が逆転しているものの、基調となる形態がユーモラスな感覚を湛えている点は共通している。不思議な生物のような印象は fig.1 より強いものの、中央を縦に貫く柱のような形は直線的であり、生命体のような印象の背後に、人工的な構造物の感覚が潜んでいる。(この《子供》は、第9回でも fig.6 で取り上げている。)
次に、油彩画の《槇》(fig.3)は、より複雑な印象である。油彩画であるため、色彩という要素が加わり、また、空間的な描写により、画面に三次元的な奥行きも生じているため、描かれている形態やモチーフをとらえる知覚の働きは、より複雑なものとなる。画面に多数描かれている突起のような形は、触覚のようでもあり、ホースのようでもあるが、その断面まで描かれているところが特徴的である。気体や液体が、あるいはもしかしたら、固体も含めて、このチューブ状の形の中を通っているような感覚が生じる。
型紙:幾何学的パターン
この2点と見比べながら、fig.1 に改めて向き合うと、モチーフとなる形の背景へと意識が向かう。《子供》は細かい目のメッシュ状のパターンが見られる。一方、《槇》では、画面の全体を覆っているわけではないが、黄色や赤の、縦方向の柵状の形が、背景のパターンを成している。そして、fig.1 では、諧調の差があまりないため見えにくくはなっているが、背景には幾何学的なパターンが見え隠れしている。この幾何学的なパターンは、型紙を用いることによって出現している。
この幾何学的なパターンをよく見ると、矩形を対角線で区切り、矩形を成す、上、下、右、左のそれぞれの辺の両端と、対角線の交点を結ぶことでできる、4つの三角形が、基本な構造であることがわかる。そして、それぞれの三角形の内側では、上、下、右、左の各辺と並行の関係を成す柵状の構造が見える。従って、その柵状の構造は、上と下では水平方向=横に、右と左では垂直方向=縦に、出現する。
fig.1 の背景に見られるこの幾何学的パターンには、型紙が用いられているが、その型紙を用いた油彩画と、その型紙を、見てみよう。

左から
fig.4:《題不明》 1957年 宮崎県立美術館蔵
fig.5:《フォト・デッサン型紙》 制作年不明 埼玉県立近代美術館蔵
fig.4 は、fig.5 の型紙を、向きを変えて何回も吹き付けを行い、型紙の幾何学的なパターンを重ねることで出来ている。fig.5 を見ると、黒と黄色の吹き付けがなされたことがわかり、fig.4 の色彩とも一致するため、fig.5 の型紙が fig.4 の制作に用いられたと判断して間違いないと思われる。
そして、この fig.5 の型紙は、今回取り上げている湯浅コレクションのフォト・デッサン、fig.1 にも用いられている。fig.1 の画面では、背景のパターンが隠れて見えにくい部分もあるが、画面の中央から上方向と、中央から右方向は、比較的背景のパターンが見えやすい。特に、画面の右上の角から画面の中央へ向かう対角線に注目すると、白い丸い形と、中央のドーナツのような形の間では、対角線を成している帯状の形の中央がさらにくり抜かれ、二本線のような形となっている。
この特徴をふまえて、fig.5 の型紙を見てみると、4つの角から中央へ向かう対角線は、4本のうち3本が、上述した二本線のような形となっている。fig.1 において、fig.5 の型紙は、縦長の方向に置かれているため、fig .5 の向きか、fig.5 と天地が逆転した向きのどちらかで使われているはずであるが、どちらにしても、右上から中央へ向かう対角線は二本線の構造となる。(吹き付けの色彩の定着から裏返した状態での使用は想定しない。)
このように見てくると、fig.1 のフォト・デッサンと、fig.4 の油彩画には、同じ fig.5 の型紙が使われていることがわかる。ここで、制作年に注目すると、モチーフにゆるやかな類似性が感じられるフォト・デッサンの《子供》と油彩画の《槇》は、1953年と1954年、そして、背景の幾何学的パターンに同じ型紙が用いられている油彩画の fig.4 は、1957年となっている。このことから、fig.1 のフォト・デッサンは、1953年から1957年に近い時期の制作ではないかと推測される。
fig.1 を、さらによく見てみよう。fig.5 の型紙に由来する幾何学的パターンと重なるように、横方向の柵状のパターンが、うっすらと見え隠れしている。このパターンには、おそらく別な型紙が用いられていると推測される。上の辺から中央にかけては、fig.5 の型紙の構造が横方向であるため、二つの型紙の方向が同じになる。そのため、二つの型紙に由来する形が重なっており、二つの型紙が用いられていることの確認は難しい。
一方、画面の右の辺から中央にかけては、fig.5 の型紙の構造が縦方向であるため、二つの型紙の方向は、直交することになる。そのため、二つの型紙が重ねられていることが、はっきりと確認できる。この部分では、縦方向と横方向の柵状の形が交わるため、諧調の異なる小さな矩形が生じ、格子状のパターンが生まれている。この格子状のパターンは、目が細かくなれば網目状になってゆくだろう。
瑛九のフォト・デッサンにおいては、多くの場合、型紙が重ねて用いられる。具体的には、今回の fig.1 もそうであるように、人の形や何らかのイメージを想起させる「形としての型紙」と、画面全体や背景に用いられることが多い「パターンとしての型紙」の併用である。ここで、「形としての型紙」は、複数を同時に用いると、画面に登場するモチーフの数が増えたり、その関係を複雑にしたりする効果をもたらす。
一方、「パターンとしての型紙」は、複数を同時に用いると、新たな「パターン」が生成してくることがある。上述した、fig.1 における縦方向と横方向の交差による矩形や格子状のパターンの生成は、まさに、このような効果の典型的な作例となっている。このような効果がより明確に表れているフォト・デッサンを見てみよう。

fig.6:《窓》 1951年 宮崎県立美術館蔵
fig.6 のフォト・デッサンにおいては、矩形がくり抜かれた型紙に由来する白い形と、縦方向の黒い柵状の形が重なっている。矩形も柵状の形もさほど細かくはなく、一定の大きさであるため、構造がわかりやすくなっている。二つのパターンの重なりから、白と黒に由来する明暗のコントラストも含めて、複雑な効果が生まれている。さらに、人か、あるいは、何かの生物が横たわっているようなモチーフが、こちらも、型紙によって定着されている。今回論じてきたフォト・デッサンの手法を、わかりやすく示す作例である。
矩形、格子から点描へ
視覚的、感覚的に把握できていると感じていることでも、このように文章として示すとなると、困難を感じ、壁にぶつかり、執筆が滞る。見て、感じていることを、テレパシーで伝えられたら良いのに、そんな風に感じることもある。だが、そうではない。文章として示すことができないのならば、「視覚的、感覚的に把握できている」とは言えないのであり、そう思い込んでいるだけなのだ。
だから、どんなにまわりくどい記述になろうとも、書いてみることでしか、その「視覚的、感覚的に把握できている」と思い込んでいることを確かめる方法はない。そして、書いてみることで自らの感覚を確認しようとする時に、最も有効な方法は、論じている作品と別な作品を見ることである。そのことにより、作品に向き合う自らの視覚的、感覚的な把握が相対化、客観化され、思い込みが打破され、新たな視野が開けるのである。
本題に戻ろう。fig.1 のフォト・デッサンの背景に見られる「パターンとしての型紙」の重なりから生まれる矩形や格子のパターンの生成は、フォト・デッサンと油彩画の関係を考えるときに、極めて重要な論点を提供してくれる。それは、瑛九の油彩画における点描が、どのように導かれたのか、という問題に関わっている。
一般的には、瑛九の点描は、丸い形、卵のような形、斑点状の形などをへて、徐々にその単位が小さく微細になることによって導かれたとされている。もちろん、印象派からやり直すと決意したこともある瑛九が、いわゆる点描に近い技法で具象的なモチーフの絵画に取り組んでいたことも見逃せない。
だが、ここで示したいのは、矩形や格子、つまり、水平と垂直によって規定される幾何学的な側面の強いパターンもまた、瑛九の油彩画における点描の進化と深化に、何がしかの作用をもたらしていたのではないか、ということである。そこで、以下では、そのような観点から興味深いと思われるフォト・デッサンと版画を取り上げてみたい。

fig.7:《題不明》 制作年不明 宮崎県立美術館蔵

fig.8:《拡声器》 1957年 宮崎県立美術館蔵
fig.7 のフォト・デッサンと、版画《拡声器》(fig.8)は、作品全体の印象が似通っている。色彩を伴う版画の《拡声器》が複雑で再現的な空間を示している点は異なるが、旋回するプロペラのような形には共通性が感じられる。さらに、ここで注目したいのは、fig.7 の背景には、細かな格子状の形が見られる点である。この格子状の形は、fig.1 や fig.6 のように型紙が重なることで生まれる効果ではなく、最初から、小さな窓を多数くり抜いたような型紙を用いることで生まれている。
この感覚をふまえて、版画である《拡声器》を見ると、画面の上の方の3分の2程度のエリアでは、色彩をまとった縦長の小さな矩形が画面を覆っていることに意識が向かう。全体的に、矩形がはっきりと描かれているとは言えず、色彩の重なりやグラデーションの効果が空間的な奥行きをもたらしている。だが、色彩をまとった小さな縦長の矩形は、この画面を再現的な空間としてだけとらえることを許容しない。
色彩をまとった小さな縦長の矩形は、見る者の視覚においてゆるやかに連携し、筆触の分散性と画面の自律性をもたらしている。つまり、この画面に見られる色彩をまとった小さな縦長の矩形は、色彩と形態による自律的な絵画空間の生成を示唆している。最後に、色彩と形態による自律的な絵画空間の生成を示す瑛九の油彩画を見てみよう。

fig.9:《地表》 1959年 筑波大学蔵(石井コレクション)

fig.10:《黄色のかげ》 1959年 宮崎県立美術館蔵
《地表》(fig.9)は、瑛九の油彩画としては、珍しい部類に属している。点描の単位が微細になってゆく1959年に制作されている点も、注目に値する。厳密な意味での矩形の反復とは言えないが、大まかな構造として、筆触が水平方向と垂直方向によって規定されているととらえることは可能である。そのため、瑛九の点描作品にみられる流動するようなヴォリュームや空間的な効果は抑制され、画面は平坦な印象を強めている。
ここで指摘したいのは、この《地表》という油彩画は、瑛九における油彩画の展開を追うだけでは、とらえることができない、ということである。今回、指摘してきた、フォト・デッサンにおける幾何学的なパターンの型紙がもたらす効果(fig.1、fig.6、fig.7)や、そうした効果を取り入れたと推測される版画(fig.8)などを通して体得された感覚が、油彩画に反映されることにより、《地表》のような作品が出現するのではないだろうか。
そして、最後に示す《黄色のかげ》(fig.10)においては、《地表》において概ね水平方向と垂直方向に規定されていた筆触が、より自由な方向性を示している。そのことにより画面全体に、流動的な感覚、ヴォリュームの感覚、そして、浅いとはいえ、空間的な奥行きの感覚が、生まれている。この方向は、丸い形、卵の形、斑点状の形が小さくなり、微細な点描へと到る流れと、最後には合流することになる。この局面において、フォト・デッサンの射程が、瑛九における点描の展開にまで及んでいることが判明するだろう。
Fine Time
The past doesn't matter -ニュー・オーダーのアルバム『Technique』は、「Fine Time」で幕を開ける、その「Fine Time」のフレーズ「The past doesn't matter」が私をとらえる、なぜだかよくわかる、もう、過去は関係ない、そう思っているからだ。
「見せることに限界はない」、永久機関である「装置としての瑛九」が、そう力強く迫ってくるのならば、「書くことに限界はない」、そう示すために、過去に拘っている暇はない。そして気づく、この曲のタイトルが「Fine Time」であることに。明日は、きっと、「Fine time」が待っている、ニュー・オーダーが、そう告げている。
(うめづ げん)
図版出典
fig.1:「第33回瑛九展・湯浅コレクション」より
fig.2~fig.5, fig.9:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年
fig.6~fig.8, fig.10:『魂の叙事詩 瑛九展』宮崎県立美術館、1996年
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日更新、次回は4月24日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は瑛九です。
《題不詳》
フォト・デッサン
25.5×20.2cm
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●『奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展カタログ(2010年)

『奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展カタログ
発行日:2010年9月11日
発行:ときの忘れもの
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:三上豊
図版:15点+参考図版:27点
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙』ポスター(2011年)
※ポスターは限定200部のため、残部僅少です。

(表面)
2011年
発行:ときの忘れもの
デザイン:北澤敏彦+DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
*全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター

(裏面)
価格:2,200円(税込)、送料:1,000円
●『第23回 瑛九展』図録(2013年)

『第23回 瑛九展』図録
発行日:2013年5月17日
発行:ときの忘れもの
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
図版:約30点掲載
カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第28回 瑛九展』図録(2019年)

執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
図版:約44点掲載
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:880円(税込)、送料:250円
●『生誕110年 第30回瑛九展 フォトデッサンと型紙』図録(2021年)

執筆:ワーグナー浅野智子(美術博士)、飯沢耕太郎(写真評論家)
図版:約26点掲載
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第32回 瑛九展』図録(2022年)

執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館美術副館長)
図版:20点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:880円(税込)、送料:250円
●「第33回瑛九展/湯浅コレクション」カタログ(2023年)

発行:ときの忘れもの
図版:40点
写真:15点
執筆:大谷省吾、小林美紀、工藤香澄
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)
編集:Curio Editors Studio
デザイン:柴田卓
体裁:B5判、84頁、日本語・英語併記
価格:2,750円(税込)、送料:250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第19回「Paradise-第33回瑛九展・湯浅コレクション(その12)」
梅津 元
There’s no limit I can show -ニュー・オーダーのアルバム『Brotherhood』は、「Paradise」で幕を開ける、その「Paradise」のフレーズ「There’s no limit I can show」が私をとらえる、なぜだかわからないが、この「I」が、つまり、「見せることに限界はない」というフレーズを発する主体が、杉田秀夫/瑛九であるように響いてくる。確かに、気がつけば、連載開始からかなりの回を重ねてきたものの、書けば書くほど、分析や解析が遠のき、杉田秀夫/瑛九の表現へのあくなき欲求にひきこまれてゆく。
だから、杉田秀夫/瑛九が、我々の目の前で、「私があなたに見せることができる表現には、限界がない。」、そう力強く宣言しているような感覚にとらわれる。いや、そのように宣言しているのは、「人」としての「杉田秀夫/瑛九」なのではなく、「装置としての瑛九」であるだろう。「装置としての瑛九」、それは、限界を知らない「永久機関」。ならば私もまた、永久機関のように、時間の許す限り、体力の許す限り、「書けることに限界はない」と宣言し、書くことへのあくなき欲求に、この身を任せることにしよう。
型紙:有機物? 無機物?
前回、第18回の最後では、「絵画性-フォト・デッサンから絵画へ」を論点に、フォト・デッサンと絵画の双方を視野に入れて考察してみた。今回取り上げるフォト・デッサンも、フォト・デッサンと絵画を往還しながら論じることになる。それこそが、瑛九における領域横断性の重要な特徴なのであり、そのような俯瞰的な視座を獲得することによって、「フォト・デッサンの射程」をとらえることが可能になる。そして、そのような俯瞰的な視座を獲得する上で重要な意味を持つのは、モチーフと背景に用いられる型紙である。
だがしかし、この連載において、度々、「見ること」の重要性を訴えてきたように、そのような俯瞰的な視座を得るためには、作品と向き合い、細部まで丁寧に見ることによって、表現の特質や用いられている技法について考えることから始めなければならない。全ては、「見ること」から始まる、私が作品と向き合う時の感覚や思考を、誰かが書いてくれているはずなどない、そのことを肝に銘じて、今回取り上げる作品を見てみよう。

fig.1:《第不詳》 制作年不詳
では、作品と向き合ってみよう。まず、基調となるのは、画面全体に広がる白の形態である。印画紙が感光して白くなったエリアがこの形状をもたらしているため、このような形に切り抜かれた型紙を用いて製作されたと推測することができる。中央に見える、真ん中がくり抜かれたドーナツのような形は、上側の白が穴の部分に迫り出しているため、穴の部分が唇のように見えなくもない。
このような感覚が生じるのは、この白の形が、どこか生き物のようなユーモラスな印象を見る者に与えるからである。先ほど唇のようだと書いたことに続けるならば、その白から上に突き出している形は、目のようにも、触覚のようにも見える。だが、このような見方は、続かない。人や動物や未知の生物を想像したとしても、下の方では白の形は直線的な印象であり、生物よりは構築物や機械など人工的なものに見えるからである。
平易に言えば、有機物でもあり無機物でもあるような、このような不思議な形状、形態は、瑛九の作品においては、表現方法の違いを超えて共通する特徴となっている。形状が類似しているとまでは言えないが、このような有機物でもあり無機物でもあるような印象が共通する作品を、フォト・デッサンと絵画を例に、見てみよう。

fig.2:《子供》 1953年 宮崎県立美術館蔵

fig.3:《槇》 1954年 うらわ美術館蔵
まず、フォト・デッサンの《子供》(fig.2)は、基調となる形態が黒であり、その部分は印画紙が感光していないため、この形の型紙が用いられたと推測できる。その点では、fig.1 とは、白と黒の関係が逆転しているものの、基調となる形態がユーモラスな感覚を湛えている点は共通している。不思議な生物のような印象は fig.1 より強いものの、中央を縦に貫く柱のような形は直線的であり、生命体のような印象の背後に、人工的な構造物の感覚が潜んでいる。(この《子供》は、第9回でも fig.6 で取り上げている。)
次に、油彩画の《槇》(fig.3)は、より複雑な印象である。油彩画であるため、色彩という要素が加わり、また、空間的な描写により、画面に三次元的な奥行きも生じているため、描かれている形態やモチーフをとらえる知覚の働きは、より複雑なものとなる。画面に多数描かれている突起のような形は、触覚のようでもあり、ホースのようでもあるが、その断面まで描かれているところが特徴的である。気体や液体が、あるいはもしかしたら、固体も含めて、このチューブ状の形の中を通っているような感覚が生じる。
型紙:幾何学的パターン
この2点と見比べながら、fig.1 に改めて向き合うと、モチーフとなる形の背景へと意識が向かう。《子供》は細かい目のメッシュ状のパターンが見られる。一方、《槇》では、画面の全体を覆っているわけではないが、黄色や赤の、縦方向の柵状の形が、背景のパターンを成している。そして、fig.1 では、諧調の差があまりないため見えにくくはなっているが、背景には幾何学的なパターンが見え隠れしている。この幾何学的なパターンは、型紙を用いることによって出現している。
この幾何学的なパターンをよく見ると、矩形を対角線で区切り、矩形を成す、上、下、右、左のそれぞれの辺の両端と、対角線の交点を結ぶことでできる、4つの三角形が、基本な構造であることがわかる。そして、それぞれの三角形の内側では、上、下、右、左の各辺と並行の関係を成す柵状の構造が見える。従って、その柵状の構造は、上と下では水平方向=横に、右と左では垂直方向=縦に、出現する。
fig.1 の背景に見られるこの幾何学的パターンには、型紙が用いられているが、その型紙を用いた油彩画と、その型紙を、見てみよう。

左から
fig.4:《題不明》 1957年 宮崎県立美術館蔵
fig.5:《フォト・デッサン型紙》 制作年不明 埼玉県立近代美術館蔵
fig.4 は、fig.5 の型紙を、向きを変えて何回も吹き付けを行い、型紙の幾何学的なパターンを重ねることで出来ている。fig.5 を見ると、黒と黄色の吹き付けがなされたことがわかり、fig.4 の色彩とも一致するため、fig.5 の型紙が fig.4 の制作に用いられたと判断して間違いないと思われる。
そして、この fig.5 の型紙は、今回取り上げている湯浅コレクションのフォト・デッサン、fig.1 にも用いられている。fig.1 の画面では、背景のパターンが隠れて見えにくい部分もあるが、画面の中央から上方向と、中央から右方向は、比較的背景のパターンが見えやすい。特に、画面の右上の角から画面の中央へ向かう対角線に注目すると、白い丸い形と、中央のドーナツのような形の間では、対角線を成している帯状の形の中央がさらにくり抜かれ、二本線のような形となっている。
この特徴をふまえて、fig.5 の型紙を見てみると、4つの角から中央へ向かう対角線は、4本のうち3本が、上述した二本線のような形となっている。fig.1 において、fig.5 の型紙は、縦長の方向に置かれているため、fig .5 の向きか、fig.5 と天地が逆転した向きのどちらかで使われているはずであるが、どちらにしても、右上から中央へ向かう対角線は二本線の構造となる。(吹き付けの色彩の定着から裏返した状態での使用は想定しない。)
このように見てくると、fig.1 のフォト・デッサンと、fig.4 の油彩画には、同じ fig.5 の型紙が使われていることがわかる。ここで、制作年に注目すると、モチーフにゆるやかな類似性が感じられるフォト・デッサンの《子供》と油彩画の《槇》は、1953年と1954年、そして、背景の幾何学的パターンに同じ型紙が用いられている油彩画の fig.4 は、1957年となっている。このことから、fig.1 のフォト・デッサンは、1953年から1957年に近い時期の制作ではないかと推測される。
fig.1 を、さらによく見てみよう。fig.5 の型紙に由来する幾何学的パターンと重なるように、横方向の柵状のパターンが、うっすらと見え隠れしている。このパターンには、おそらく別な型紙が用いられていると推測される。上の辺から中央にかけては、fig.5 の型紙の構造が横方向であるため、二つの型紙の方向が同じになる。そのため、二つの型紙に由来する形が重なっており、二つの型紙が用いられていることの確認は難しい。
一方、画面の右の辺から中央にかけては、fig.5 の型紙の構造が縦方向であるため、二つの型紙の方向は、直交することになる。そのため、二つの型紙が重ねられていることが、はっきりと確認できる。この部分では、縦方向と横方向の柵状の形が交わるため、諧調の異なる小さな矩形が生じ、格子状のパターンが生まれている。この格子状のパターンは、目が細かくなれば網目状になってゆくだろう。
瑛九のフォト・デッサンにおいては、多くの場合、型紙が重ねて用いられる。具体的には、今回の fig.1 もそうであるように、人の形や何らかのイメージを想起させる「形としての型紙」と、画面全体や背景に用いられることが多い「パターンとしての型紙」の併用である。ここで、「形としての型紙」は、複数を同時に用いると、画面に登場するモチーフの数が増えたり、その関係を複雑にしたりする効果をもたらす。
一方、「パターンとしての型紙」は、複数を同時に用いると、新たな「パターン」が生成してくることがある。上述した、fig.1 における縦方向と横方向の交差による矩形や格子状のパターンの生成は、まさに、このような効果の典型的な作例となっている。このような効果がより明確に表れているフォト・デッサンを見てみよう。

fig.6:《窓》 1951年 宮崎県立美術館蔵
fig.6 のフォト・デッサンにおいては、矩形がくり抜かれた型紙に由来する白い形と、縦方向の黒い柵状の形が重なっている。矩形も柵状の形もさほど細かくはなく、一定の大きさであるため、構造がわかりやすくなっている。二つのパターンの重なりから、白と黒に由来する明暗のコントラストも含めて、複雑な効果が生まれている。さらに、人か、あるいは、何かの生物が横たわっているようなモチーフが、こちらも、型紙によって定着されている。今回論じてきたフォト・デッサンの手法を、わかりやすく示す作例である。
矩形、格子から点描へ
視覚的、感覚的に把握できていると感じていることでも、このように文章として示すとなると、困難を感じ、壁にぶつかり、執筆が滞る。見て、感じていることを、テレパシーで伝えられたら良いのに、そんな風に感じることもある。だが、そうではない。文章として示すことができないのならば、「視覚的、感覚的に把握できている」とは言えないのであり、そう思い込んでいるだけなのだ。
だから、どんなにまわりくどい記述になろうとも、書いてみることでしか、その「視覚的、感覚的に把握できている」と思い込んでいることを確かめる方法はない。そして、書いてみることで自らの感覚を確認しようとする時に、最も有効な方法は、論じている作品と別な作品を見ることである。そのことにより、作品に向き合う自らの視覚的、感覚的な把握が相対化、客観化され、思い込みが打破され、新たな視野が開けるのである。
本題に戻ろう。fig.1 のフォト・デッサンの背景に見られる「パターンとしての型紙」の重なりから生まれる矩形や格子のパターンの生成は、フォト・デッサンと油彩画の関係を考えるときに、極めて重要な論点を提供してくれる。それは、瑛九の油彩画における点描が、どのように導かれたのか、という問題に関わっている。
一般的には、瑛九の点描は、丸い形、卵のような形、斑点状の形などをへて、徐々にその単位が小さく微細になることによって導かれたとされている。もちろん、印象派からやり直すと決意したこともある瑛九が、いわゆる点描に近い技法で具象的なモチーフの絵画に取り組んでいたことも見逃せない。
だが、ここで示したいのは、矩形や格子、つまり、水平と垂直によって規定される幾何学的な側面の強いパターンもまた、瑛九の油彩画における点描の進化と深化に、何がしかの作用をもたらしていたのではないか、ということである。そこで、以下では、そのような観点から興味深いと思われるフォト・デッサンと版画を取り上げてみたい。

fig.7:《題不明》 制作年不明 宮崎県立美術館蔵

fig.8:《拡声器》 1957年 宮崎県立美術館蔵
fig.7 のフォト・デッサンと、版画《拡声器》(fig.8)は、作品全体の印象が似通っている。色彩を伴う版画の《拡声器》が複雑で再現的な空間を示している点は異なるが、旋回するプロペラのような形には共通性が感じられる。さらに、ここで注目したいのは、fig.7 の背景には、細かな格子状の形が見られる点である。この格子状の形は、fig.1 や fig.6 のように型紙が重なることで生まれる効果ではなく、最初から、小さな窓を多数くり抜いたような型紙を用いることで生まれている。
この感覚をふまえて、版画である《拡声器》を見ると、画面の上の方の3分の2程度のエリアでは、色彩をまとった縦長の小さな矩形が画面を覆っていることに意識が向かう。全体的に、矩形がはっきりと描かれているとは言えず、色彩の重なりやグラデーションの効果が空間的な奥行きをもたらしている。だが、色彩をまとった小さな縦長の矩形は、この画面を再現的な空間としてだけとらえることを許容しない。
色彩をまとった小さな縦長の矩形は、見る者の視覚においてゆるやかに連携し、筆触の分散性と画面の自律性をもたらしている。つまり、この画面に見られる色彩をまとった小さな縦長の矩形は、色彩と形態による自律的な絵画空間の生成を示唆している。最後に、色彩と形態による自律的な絵画空間の生成を示す瑛九の油彩画を見てみよう。

fig.9:《地表》 1959年 筑波大学蔵(石井コレクション)

fig.10:《黄色のかげ》 1959年 宮崎県立美術館蔵
《地表》(fig.9)は、瑛九の油彩画としては、珍しい部類に属している。点描の単位が微細になってゆく1959年に制作されている点も、注目に値する。厳密な意味での矩形の反復とは言えないが、大まかな構造として、筆触が水平方向と垂直方向によって規定されているととらえることは可能である。そのため、瑛九の点描作品にみられる流動するようなヴォリュームや空間的な効果は抑制され、画面は平坦な印象を強めている。
ここで指摘したいのは、この《地表》という油彩画は、瑛九における油彩画の展開を追うだけでは、とらえることができない、ということである。今回、指摘してきた、フォト・デッサンにおける幾何学的なパターンの型紙がもたらす効果(fig.1、fig.6、fig.7)や、そうした効果を取り入れたと推測される版画(fig.8)などを通して体得された感覚が、油彩画に反映されることにより、《地表》のような作品が出現するのではないだろうか。
そして、最後に示す《黄色のかげ》(fig.10)においては、《地表》において概ね水平方向と垂直方向に規定されていた筆触が、より自由な方向性を示している。そのことにより画面全体に、流動的な感覚、ヴォリュームの感覚、そして、浅いとはいえ、空間的な奥行きの感覚が、生まれている。この方向は、丸い形、卵の形、斑点状の形が小さくなり、微細な点描へと到る流れと、最後には合流することになる。この局面において、フォト・デッサンの射程が、瑛九における点描の展開にまで及んでいることが判明するだろう。
Fine Time
The past doesn't matter -ニュー・オーダーのアルバム『Technique』は、「Fine Time」で幕を開ける、その「Fine Time」のフレーズ「The past doesn't matter」が私をとらえる、なぜだかよくわかる、もう、過去は関係ない、そう思っているからだ。
「見せることに限界はない」、永久機関である「装置としての瑛九」が、そう力強く迫ってくるのならば、「書くことに限界はない」、そう示すために、過去に拘っている暇はない。そして気づく、この曲のタイトルが「Fine Time」であることに。明日は、きっと、「Fine time」が待っている、ニュー・オーダーが、そう告げている。
(うめづ げん)
図版出典
fig.1:「第33回瑛九展・湯浅コレクション」より
fig.2~fig.5, fig.9:『生誕100年記念 瑛九展』宮崎県立美術館ほか、2011年
fig.6~fig.8, fig.10:『魂の叙事詩 瑛九展』宮崎県立美術館、1996年
■梅津 元
1966年神奈川県生まれ。1991年多摩美術大学大学院美術研究科修了。専門は芸術学。美術、写真、映像、音楽に関わる批評やキュレーションを中心に領域横断的な活動を展開。主なキュレーション:「DE/construct: Updating Modernism」NADiff modern & SuperDeluxe(2014)、「トランス/リアル-非実体的美術の可能性」ギャラリーαM(2016-17)など。1991年から2021年まで埼玉県立近代美術館学芸員 。同館における主な企画(共同企画を含む):「1970年-物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(1995)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「プラスチックの時代|美術とデザイン」(2000)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相-大地》が生まれるまで」(2005)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「版画の景色-現代版画センターの軌跡」(2018)、「DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術」(2019)など。
・梅津元のエッセイ「瑛九-フォト・デッサンの射程」は毎月24日更新、次回は4月24日です。どうぞお楽しみに。
●本日のお勧め作品は瑛九です。

フォト・デッサン
25.5×20.2cm
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●『奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展カタログ(2010年)

『奈良美智24歳×瑛九24歳 画家の出発』展カタログ
発行日:2010年9月11日
発行:ときの忘れもの
25.6x18.1cm(B5判)
執筆:三上豊
図版:15点+参考図版:27点
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙』ポスター(2011年)
※ポスターは限定200部のため、残部僅少です。

(表面)
2011年
発行:ときの忘れもの
デザイン:北澤敏彦+DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
*全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター

(裏面)
価格:2,200円(税込)、送料:1,000円
●『第23回 瑛九展』図録(2013年)

『第23回 瑛九展』図録
発行日:2013年5月17日
発行:ときの忘れもの
執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館)
図版:約30点掲載
カラー 24ページ
25.6x18.1cm(B5判)
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第28回 瑛九展』図録(2019年)

執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館美術課長)
図版:約44点掲載
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:Polly Barton、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:880円(税込)、送料:250円
●『生誕110年 第30回瑛九展 フォトデッサンと型紙』図録(2021年)

執筆:ワーグナー浅野智子(美術博士)、飯沢耕太郎(写真評論家)
図版:約26点掲載
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
価格:880円(税込)、送料:250円
●『第32回 瑛九展』図録(2022年)

執筆:大谷省吾(東京国立近代美術館美術副館長)
図版:20点
編集:尾立麗子(ときの忘れもの)
デザイン:岡本一宣デザイン事務所
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)、勝見美生(ときの忘れもの)
価格:880円(税込)、送料:250円
●「第33回瑛九展/湯浅コレクション」カタログ(2023年)

発行:ときの忘れもの
図版:40点
写真:15点
執筆:大谷省吾、小林美紀、工藤香澄
翻訳:小川紀久子、新澤悠(ときの忘れもの)
編集:Curio Editors Studio
デザイン:柴田卓
体裁:B5判、84頁、日本語・英語併記
価格:2,750円(税込)、送料:250円
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●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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