大竹昭子のエッセイ「迷走写真館~一枚の写真に目を凝らす」第131回

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松の木の下に四人の男女がいる。
彼らがくずおれたような格好で地面に膝をついているのが不可解である。
腰が抜けて動けなくなったのか。
どうしてこんな事態になったのだろう。

むかって右側の男は片手を地面について起き上がろうとしており、
見方によってはこの場から逃げ出そうとしているようだが、
口元は笑っており、嫌がっている様子はない。

彼の左にいるもんぺの女は頭に被り物を載せている。
あごひもで結わえられており、そのひもからは御幣を細かくしたようなものが長く垂れ下がっている。
片手にその破片が握られていて、手で引きちぎったような荒々しさだ。

この女も足をX型に交叉させた不自然な格好で、
一瞬のうちに態勢が崩れて倒れ込んだように見える。
口元に浮かんだ笑みは、こんな姿になった自分を笑っているかのようだ。

彼らの背後には別のふたりの男女がいる。
その人たちの仕種はさらに不可解である。

女のほうは完全に身を倒して地面に寝転がっている。
表情は見えないが、宙に浮いている片手が饒舌で、
何かを訴えかけているようだ。

女の足下には、ハンチングをかぶった眼鏡の男がいる。
片膝を立て、地面に手をついて女のほうに前のめりになっている。
目尻に笑いしわが寄り、歯すら見せてにやけている。
女に言い寄っているとしか思えない。

どうだ、おれと一緒にならないか?

その言葉にびっくりした女が腰を抜かして地面に倒れたのか?
ならば男のほうに差し出された右腕は、近寄らないで!と制止しているのか?

もしそうならば、ほかのふたりの態度がちぐはぐである。
ふつうは嫌がらせをされていたら止めに入るだろうに、ふたりとも笑いこけている。
はしゃいでいると言ってもいい。

倒れている女の頭の辺りに、皿や器やワンカップ酒のようなものがあるのに気がついた。
何かの行事があって酒盛りをしていたのかもしれない。
手前の女が頭に被っている物はきっとそれに関係するのだ。

酒が入って芝居じみた気分が蔓延し、
ハンチングの男がふだんなら言わないようなことをひょいと口にする。
それとも、イヤらしいことを言って女に詰め寄るのは彼のいつもの癖で、
また出た!という感じなのかもしれない。

松が植わっているこの場所はやや斜面になっている。
向こう側には田んぼのようなものが見え、
そちらは明るく、松の木の下のこちら側は日陰で暗い。
この差が写真のなかのドラマを一層もりあげている。
小枝や下草で地面がふかふかしていることも情事の連想にふわさしい。

右の男の横には短い木の幹のようなものが転がっている。
先端が紐で結わえられ、脚のようなものが付いており、
元々ここにあったというより、運んできたかのような印象だ。

この幹を手で隠して見直してみると、全体の雰囲気がいやにすっきりし、
そもそもこの物体が芝居の発端だったのではないか、と思えてきた。
どさっと倒れた格好に出来事性が漂うし、朽ちた様子に生きものじみた表情があるのも気になる。
何やら心をざわつかせる気配を放っているのだ。

大竹昭子(おおたけ あきこ)

作品情報
「俗神」より 愛知・一色黒沢 1969年 ©土田ヒロミ

●作家情報
土田 ヒロミ (つちだ ひろみ)
1939年福井県南条郡堺村(現・南越前町)生まれ。1963年、福井大学工学部卒業後、ポーラ化粧品本舗に入社。1964年、東京勤務を機に東京綜合写真専門学校研究科で学ぶ。1966年、同校卒業。1971年、独立し写真家の道を選ぶ。同年、「自閉空間」で第8回太陽賞受賞。1976年ごろから開始した「ヒロシマ三部作」は『ヒロシマ1945-1979』(朝日ソノラマ、1979年)、『ヒロシマ・モニュメント』(冬青社、1995年)、『ヒロシマ・コレクション』(NHK出版、1995年)として刊行され、現在に至るまで広島の撮影を続けている。1984年、第40回日本写真協会年度賞、1987年、第3回伊奈信男賞を受賞。2008年、「土田ヒロミのニッポン」(東京都写真美術館)により第27回土門拳賞受賞。1992年から96年まで東京綜合写真専門学校校長を務める。2000年から13年まで大阪芸術大学写真学科教授。上記のほか、主な写真集に『俗神』(オットーズ・ブックス、1976年)、『砂を数える』(冬青社、1990年)、『新・砂を数える』(冬青社、2005年)、『BERLIN』(平凡社、2011年)、『フクシマ』(みすず書房、2018年)、『Aging』(ふげん社、2022年)など。東京都写真美術館、東京国立近代美術館、ボストン美術館、テート・モダン、カナダ国立美術館、ニューヨーク近代美術館、サンフランシスコ近代美術館、ポンピドゥー・センターなどに作品が収蔵されている。
フジフイルム スクエア ウェブサイトより)

関連イベント
土田ヒロミ写真展「俗神」
2025年3月27日(木)~6月30日(月)
10:00-19:00(最終日は16:00まで)
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア) 写真歴史博物館
東京都港区赤坂9丁目7番地3号 東京ミッドタウン ミッドタウン・ウエスト1F

●大竹昭子のエッセイ「迷走写真館~一枚の写真に目を凝らす」は隔月・偶数月1日の更新です。

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H188mm×128mm 168P
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*画廊亭主敬白
今日から新学期、ときの忘れものも気持ちを新たに展示の充実に取り組みたいと思います。
全社員に近美のコレクション展に行くことを命じています。もちろん内容が充実しているからですが、「企画展」を観ることのみに偏っている日本の美術館の在り方に疑問を持っているからです。
どんな地方の弱小美術館でも無い知恵をしぼり少ない予算と格闘して必死に「企画展」を年に何回も開こうとする、そんなの日本だけだよ。
美術館は本来コレクションの充実と丁寧な展示に集中すべきです。いつ行っても同じ作品(名品)が観られる、それがいい美術館です。ルーブルでもポンピドォーでもそうでしょ。
倉敷の大原美術館、いつ行っても定位置にセガンティーニがある、だからいい。
日本有数のコレクション充実の美術館だったDIC川村記念美術館が遂に終焉を迎えました。

<池田尚志社長は知っているだろうか。2013年10月4日にバーネット・ニューマンの《アンナの光》を売却した数日後に、美術館にかかってきた1本の電話のことを。それは収蔵品の中でも人気の高い作品群を購入した画廊からだった。「売るんだったら、うちから納めた作品は返してもらいたい」。画廊主の怒りと非難の言葉を聞いて、私たち学芸員は恥じ入り、申し訳なく思うと同時に、救われた思いがした。川村記念美術館のコレクションの評価額が数千億にもなると取り沙汰されているが、購入時より遙かに値上がりした作品があるのは、大日本インキ創業家三代の社長が目利きだったからでもバブル景気の下で金に飽かせて買いあさったからでもない。二代目社長の川村勝巳の下、彫刻家の飯田善國らの勧めによって日本に「現代美術館」をつくるという構想が立ち上がり、それに賛同したギャラリーなどがふさわしい作品を提供してくれたからではなかったか。それを「なんだか分からない絵を持っていたらゼロが増えた」と喜々として売り払うだけでなく、その後も購入と売却を繰り返している今のDICはただの転売屋ではないのか。>

怒りのコメントは川村の元学芸員のヨコヤマユキコさんの「恐れ知らずの愚か者」からです、ぜひお読みください。

2025コレクション展1/関根伸夫旧蔵作品他
会期:2025年4月2日(水)~4月5日(土)11:00-19:00
78_collection_0319+ときの忘れものはおかげさまで6月に開廊30周年を迎えます。この間、親しい作家や評論家、コレクターの皆さんから多くの作品を譲っていただきました。
「2025コレクション展1」では、もの派の関根伸夫先生の旧蔵作品などを中心に4日間のみの特別価格にてご案内します。
出品作品については4月2日ブログ<「2025コレクション展1/関根伸夫旧蔵作品他」始まりました~5日まで>をご覧ください。
出品作家:関根伸夫、平野遼、田窪恭治、高瀬昭男、靉嘔島州一、仙波均平、大宮政郎、山高登、川原田徹、野中ユリ、多賀新、二村裕子、グラシェラ・ロド・ブーランジェ、アンドレーE・マルティ、今井祝雄、前川直、ジョルジュ・ブラック、前田常作、P.A.ルノアール、萩原英雄木村光佑、モーリス・ドニ、トニ・メネグッツオ、金守世士夫、吉田勝彦、畦地梅太郎オノサト・トシノブほか

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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