杣木浩一のエッセイ「宮脇愛子さんとの出会い」第9回

2024ときの忘れもの
〈 杣木浩一×宮脇愛子 〉 展示をふりかえって


1. さまざまな成果
LAS CASAS空間において、1980年代にお蔵入りしていた傍系の展示法が開けたこと
ブログを書き綴ることで、過去の自作をふり返ったこと
そのことが、宮脇愛子<うつろひ>前史へ分け入るきっかけにもなった
梅津元さんとのトーク(2024.11.16)で、あらたな領域が見通せたこと

2. 2024年1月、6人のABSTが終わった
2024年1月16日~27日〈人形町ヴィジョンズ〉において〈第10回ABST展〉を催した。療養中の高木修(1944 - 2025)から展示前日になって急に「旧作は出品したくない」との意思表示があり、1998年の結成から26年目にして〈ABST〉最終の展覧会となった。

『ABST text 9』最終号には杣木の抽象8つの自己原因を挙げた。そのうちの一つが1986年に磯崎邸で見た『GA ARCHITECT 5 』誌 Zaha Hadid特集のことだった。シュプレマティスムの飛翔体絵画を継承したザハ・ハディドの香港ヴィクトリア・ピークコンペ一等案である。山脈に沿い飛翔する建築体から触発された。この動態図から大いに感化されたものの、1980年代をつうじてモンドリアンばりの垂直水平の厳密静謐な配列を崩せなかった。しかし、工房の足元に散在する端切れの山に目をやると、スケッチでは描いたことのない奇妙な形の切り落としが気になる。それを基底材にして厚みを加え傍系パーツを制作していたのである。
 今回〈ABST〉最終展では傍系赤矩形パネル群を斜傾配列したことによって『GA ARCHITECT5 1986.Zaha M Hadid』誌、初見以来わが身に沈潜しつづけていたMalevich飛翔絵画へのオマージュが、ようやく実現叶ったのである。
折しも島田画廊の島田さんが『ロシア・アヴァンギャルド』水野忠夫著PARCO出版1985を私にお持ちくださったのだ。本書末尾のロシア・アヴァンギャルド年譜1893-1940はロシア国内外の芸術と政治情勢が照応できるのが嬉しい。

ちょうどこのころ “ときの忘れもの” 綿貫ご夫妻が来訪されたのだった。

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杣木浩一Untitled 2024年1月16日~27日ABST人形町ヴィジョンズ


3. 宮脇愛子とABST
 思い返せば、愛子さんには第1回〈ABST空間の理性〉展2001.横浜portside galleryからたびたびABST展にはおいでいただいた。
また、2004年京橋ヒノギャラリーにおける第4回〈ABST抽象再考展〉では12月25日、銀座のクリニックに居られた磯崎さんを誘って来廊された。

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2004.ヒノギャラリー 第4回ABST抽象再考
宮脇愛子(1929~2014)を中心にABSTメンバー、左から杣木浩一(1952~)、牛膓達夫(1958~)、前田一澄(1947~)、高木修(1944~2025)、大塚信太郎(1953~)、市川和英(1953~) c櫻井美智子


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香りの専門誌 PARFUM


 その後2011年8月1日~14日第8回ABST Abstract Minimalism展はトキ・アートスペースからのお誘いで、愛子さんには1970年代厚板ガラス積層彫刻<MEGU>をゲスト出品していただいた。
 真夏の暑い盛りだったが、高木修夫人で季刊『香りの専門誌 パルファム』主宰の平田幸子さんもいらした。『パルファム』は魅惑的な新作をふくむ多くの香水を紹介していて、とくに透き通った香水の色とガラスのボトルラインの画像にはいつも魅せられている。単なる情報紙ではなく毎号、平田幸子さんの取材と多彩なエッセイ(アラン・ドロンとの対話もあった!) 新刊、映画、現代アート欄を織り交ぜて作家の作品紹介がある。また吉本隆明、谷川渥など各界人がリレー式に執筆する「匂いの随筆」があり、「アート」欄にはABSTや杣木も、くり返し採りあげていただいた。
 そこへ写真家の安斎重男さん(1939 – 2020)が七分ズボンのいでたちでみえ、幸子さんと歓談。アメリカの美術館警備員の粋な計らいで「撮影禁止なのに、いい作品写真を撮らせてもらった」エピソードなど話は尽きない。
 いつものフットワークで、「杣木君、作品の横にちょっと立って!」でパシャリ!1枚のポートレートを後日画廊あてに送ってくれた。
 写真を見ると、白と黒の反り返った壁付けパーツ2点の脇に立つ。前回2010.第7回ABST展(人形町ヴィジョンズ)では床置きだったのだが観客が誤って蹴飛ばすのに懲りて壁にとりつけることにした。                 

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©安斎重男


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杣木浩一 2010.ABST Untitled. 41x360cm Urethan on PDF


 この第8回〈ABST 2011 Abstract Minimalism2011〉にあわせて『ABST text 6』を刊行している。4人の方に寄稿をおねがいした。
 ミニマルアート再考  谷川渥
 モダニズムのハード・エッヂ 梅津元
 スピノザ肯定の哲学  楠本正明
 うつろひ  宮脇愛子

アーチスト楠本正明は、神即自然のスピノザ「エチカ」の自由世界に言及する。トーマス・ヘスによるバーネット・ニューマンのモノグラムからの直感知が契機だったという。奇しくも梅津元さんと宮脇愛子さんのお2人にも寄稿していただいている。この回の執筆陣は「抽象」と「ミニマルアート」を俎上に4人が各々の観点を史的に開陳した。とりわけ梅津元さんのエッセイ前半では戦前の西欧「コンクリート・アート」と戦後アメリカ美術の論点「アート・オヴ・ザ・リアル展1968」を照応し、アメリカの「ミニマルアート」スリリングな登壇を詳述してくださった。近年閲覧可能なロサンゼルス・ルックの彫刻家ジョン・マクラッケン(1934~2011)の談話において”real”そして”appear and disappear” という語彙が頻出することに気づく。
 1960年代を終え70年代になると、マクラッケンは鏡面研磨作品と併行しつつ鮮やかな彩色の「曼荼羅絵」を多く描いていることは、このころのマクラッケンのアートにおける精神的次元(Melinda Wortz)を示唆していて興味尽きない。

 愛子さんもまた1970年代というのは、1966年から手がけた真鍮角パイプ積層による光の透過万華を超えて、さらに物質を変え豊かな相へつぎつぎ挑んだ時期であった。
1970~<MEGU>シリーズ。内部に丸い細穴をずらした方形「割り」ガラスを積みあげ、透ける断層に結晶と流体のはざまを開けた。

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ジョン・マクラッケン
Untitled.1972 Acrylic on canvas 30x30 in.


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宮脇愛子 MEGU 割る


1975~<Listen to your portrait>自分自身への墓碑のつもりで制作したという、磨いた黒御影石の斜傾二等辺三角形面に「ことば」を刻んだ。

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宮脇愛子Listen to your portrait 1972, H 23×W 47×D 53cm


今、熱海に眠る愛子さんの墓標は、生前 <Listen to your portrait>の形そのままに造られた。

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宮脇愛子が眠る墓 熱海


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宮脇愛子 Study of Homology 21×18×18 cm. 1975


 1966年からリテラルな光の万華、真鍮パイプ積層キューブは数多く作られて来たが、1970年代には、ついに開光を閉ざしてキューブそのものと化した。
 キューブに矩形透明体が右上辺コーナーから斜傾に貫くコンセプトで斜めに切断された。するりと滑り抜けた虚ろなボイドと、3角+4角+7角の奇妙な結晶体が生成し、虚実に分かたれた。

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宮脇愛子 スクロール・ペインティング1975, 26cm×10m


 1975年ころからは細幅のロールキャンバスに、アクリル絵の具と面相筆で、日々写経の境地で画書いたという編み目紋画《スクロール・ペインティング》を実践している。巻物の始まりから極微の四辺形が結晶化を開始して延々と増殖していく。杣木がはじめて訪れた1981年当時の駒込アトリエの机上には紫の絵の具チューブや貂の面相筆、溶く小皿のセットが、白地、黒地、オレンジの巻物サイズのキャンバスがまだたくさん在った。愛子さんはこの緻密な編み目=結晶紋を銅版にも針で直彫りした。そして版画家藤江民さんによってエッチング転写された。
 1980年代はじめ愛子さんから、たった一度だけ「私が一番尊敬するアメリカのアーチストはロバート・スミッソン(1938~1973)よ!」と聞いたことがある。そう言われても当時は湖に土砂と塩で渦巻く土手を築いた《スパイラル・ジェッティ》くらいしか知らなかった。R.スミッソンが駆け抜けた35年、流体フロー、サイトへのまなざし、言語、光、結晶、エントロピーからアースワークの多く概念と実践を手がけていた。
 宮脇愛子さんといえば、1950年代に流動ざわめく絵画にはじまり、それは滴りとなり無限に列をなし、そして絵でありながらリテラルな光を捉える純白微細な凹凸編み目紋の画へいたった。
 愛子さんの光への希求はやまず、ついに光が透過するブラスパイプへと結晶化した。1970年代、その結晶を、叩き割り再構築される。この流体と結晶のはざまにある積層ガラス<MEGU>の存在は、結晶が流体と化す1980年代流線ワーク<うつろひ>への予兆だった。<うつろひ>シリーズはフランス・リヨンを皮切りにヒューストン、ロサンゼルス、パリ、バルセロナ、カタール、台湾花蓮、フランクフルト・・・ほか世界各地へ2000年代まで天翔けたのだった。
 宮脇愛子さんにはR.スミッソンの鋭い批評と実践に共有共感するものが多々あったのだろうと思う。

4. そして「ときの忘れもの」〈杣木浩一×宮脇愛子展〉 2024.8/20~8/31
 ABST展においでいただいた綿貫さんからのお話で、2024年8月20日で宮脇愛子(1929 – 2014)没後10年目だと知らされた。また〈現代版画センター〉の1974年発足から〈ときの忘れもの〉へ至る50年の節目でもあるとのこと。そうか、愛子さんが亡くなられて早くも10年過ぎた感慨に浸る。

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宮脇愛子<うつろひ>1984 シルクスクリーン


 〈現代版画センター〉といえば愛子さんがはじめて<うつろひ>ドローイングをシルク印刷してタトウに納めた。ふつう愛子さんが画く<うつろひ>ドローイングの多くは、右上がりの撓んだ輪が一気に往還する禅的「抽象」であったが、このシリーズのシルク作品においては、大気イリュージョンの青みを地色にして黒線によって、大地から立ちあがるワイヤーラインとして、跳ね延び膨らみ捻れるテンションを「実景」として画いた数少ないタイプである。
 1983年『宮脇愛子×磯崎新展』が奈良の西田画廊で開催された。このとき宮脇愛子アトリエのスタッフも西田邸に泊まり、<うつろひ>ワイヤーを西田画廊の庭に設置した。そのオープニングレセプション会場において、ひときわ上背ある綿貫さんが飲み物をサービスして立ち回るお姿が印象に残っている。
 というのは当時、宮脇・磯崎邸への国内外からの来客が絶えず、そのあまりの多さに辟易して極力避けていたのだったが、あの綿貫さんの軽快なお姿に少しは学び、自省した記憶がある。
それで綿貫さんのお話の趣旨は、〈現代版画センター〉以来、愛子さん磯崎さんをはじめ、これまでに取り扱った敬愛する今は亡き作家たちと、現存作家を組み合わせる二人展を企画していて、まず2月28日からは〈北川太郎×ル・コルビュジエ展〉が始まるとのこと。
 愛子さん命日の8月20日から〈杣木浩一×宮脇愛子展〉を予定したいとのこと。不意なお話に思いが錯綜した。自分が長年制作アシスタントを務めた愛子さんといえば、世界的アーチストである。いわばアーチストの中のアーチスト!別格であるとつねづね思っていたし、それにしても愛子さんと自分との作品の接点など考えたこともなかった。そのうえにブログの連載というおまけが付いた。このことによって、自らの作品原因については、上記、ABSTテキスト2024年1月最終号の回顧において概ね済んだつもりだったので、何を書いたらいいのか途方にくれた。しかし、ありがたいことにブログ担当の井戸沼さんがテーマを具体的に第1回から第6回に分けて示してくれたので、ABSTテキスト最終号から引き継ぐ内容となり救われた。

第1回、(no.1,no.2)これまでの経歴に触れて(掲載了)
第2回、(no.3,no.4)宮脇愛子アトリエでの経験、造形大学聴講期の成田克彦との応答、篠山紀信邸壁着彩作品など磯崎新との応答(掲載了)
第3回、(no.5,no.6)、杣木の作品制作の話(掲載了)
第4回、(no.7,no.8)作品が完成するまでの時間を想像できるような話(掲載了)
第5回、展示を振り返って〈杣木浩一×宮脇愛子展〉(今回)
第6回、今後の展望(次回)と、あらかじめ道筋をつけていただいた。

 『ABSTテキスト最終号』および「ときの忘れものブログ」に自作の原因を記す機会を得たことで、さまざまな記憶の断片が集積され整序された。
 1980年代はモンドリアンばりに水平垂直配列へこだわったのだが、この思考が止まる空白期がたびたび訪れていた。それでも手元だけは止まらない。憑かれたように自動する。ベニヤ合板と色相塗料のやみくもな作業で時間を埋めていた。「空間」への展望がすっぽり脱けていたのだ。頓挫したあげくに途中放棄したパネル群がけっこう残された 。今思えば「空間」は一つなどではなかった。
 ちなみに2024年1月「ABST」最終展示と、2024年8月20日「ときの忘れもの」エントランス壁展示の《Untitled―赤い斜傾》変形パネル7点組みも1980年代に埋没した傍系だったのである。さしずめ「LAS CASAS」の空間で蘇ったといえよう。

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お蔵入りしていた傍系のパーツ1987.  2024年LAS CASASで設置できた。
     

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LAS CASAS天井吊るし候補だった黒い羽根型パーツ1984.


5. 画廊空間LAS CASAS駒込 
 駒込のラス・カサス正面の高いコンクリート壁右高窓にむけて45°傾斜で、《七つのred四辺形》を取り付けた。綿貫さんの提案である。カシミール・マレーヴィチの《ゼロ度の絵画》のような飛翔系を、一度は試みてみたかった。
 尾立さんからの説明で天井にも釣り用フックがある旨提案された。オットー・ボル(1952~)の浮遊する黒い針に触発された「黒い羽型パーツ」1984もあったのでエントランス天井からの吊るし展示も夢想したのだが、コンクリート壁の「赤い斜傾体」とエントランス空間内で2者相殺してしまうと思い、今回控えることにした。

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杣木浩一 “Untitled” 2024


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 [no.4](2024)
複数あるパーツを比較する見方。ひとつひとつを見る、全体を見る。
方向性。赤という強い色彩。形状の把握との関係、壁面との関係。空間を活性化する。
     
梅津元

    
じつはLAS CASAS和庭を拝見したとき、我が身に染まったというべきか愛子さんイコール<うつろひ>が真っ先によぎり、ステンレスワイヤー設置をイメージしていたのだった。
しかもそのとき・・、

6. 「駒場東大数理科学棟」<うつろひ>+内壁のメンテナンス中だった

 「ときの忘れもの」準備と平行して「駒場東大数理科学棟」の<うつろひ>+中庭壁メンテナンスが佳境をむかえていたのだ。1995年11月の彫刻<うつろひ>設置から30年を経て、中庭に毎日吹き溜る井ノ頭線飛来の鉄粉サビを浴びてひどく煤けてしまった。彫刻<うつろひ>のステンレスワイヤー研磨と鋳鉄基板塗り直し依頼である。しかも難関は中庭を囲うエントランスガラス面とモルタル内壁3面にサビが沈着していた。
 今回<うつろひ>本体をいくら磨き上げたとしても、容器としての空間がサビで汚れていては見栄えがしない。そこで東大事務方の賛意を得て、知人の高圧洗浄業者に染みこんだサビをきれいに洗い流してもらったのだった。
 こんなわけで久しぶりに<うつろひ>ワイヤーに付き合わざるをえず、<うつろひ>の手元感覚が蘇っていた。そして現状設置してある7台の基板位置と、9本のステンレスワイヤーの長さ、そしてワイヤー弧線の高さを計測した。差し込み部にかかる自重にもっとも適正な8mm直径だったので30年の風雨に耐え、うつくしいフォームに歪みは無かった。

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<うつろひ>基板の錆を落とす 2024.5月 


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内壁の錆を高圧洗浄する


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2024.9月「駒場東大数理科学棟」<うつろひ>と内壁洗浄後


しかし、残念なことにステンレスワイヤーをストックしてある熱海の宮脇愛子アトリエ松田昭一氏が長期療養中であり、<うつろひ>の設置実現は叶わなかった。
 だが「ときの忘れもの」では宮脇愛子コレクションをたくさんお持ちなので、熱海の宮脇愛子アトリエ所蔵品に依らずとも展示ヴォリュームは十分だった。

(そまき こういち)

杣木浩一
1952年新潟県に生まれる。1979年東京造形大学絵画専攻卒業。1981年に東京造形大学聴講生として成田克彦に学び、1981~2014年に宮脇愛子アトリエ。2002~2005年東京造形大学非常勤講師。
1979年真和画廊(東京)での初個展から、1993年ギャラリーaM(東京)、2000年川崎IBM市民文化ギャラリー(神奈川)、2015年ベイスギャラリー(東京)など、現在までに20以上の個展を開催。
主なグループ展に2001年より現在まで定期開催中の「ABST」展、1980年「第13回日本国際美術展」(東京)、1985年「第3回釜山ビエンナーレ」(韓国)、1991年川崎市市民ミュージアム「色相の詩学」展(神奈川)、2003年カスヤの森現代美術館「宮脇愛子と若手アーチストたち」展(神奈川)、2018年池田記念美術館「八色の森の美術」展(新潟)など。制作依頼、収蔵は1984年 グラスアート赤坂、1986年 韓国々立現代美術館、2002 年グランボア千葉ウィングアリーナ、2013年B-tech Japan Bosendorfer他多数。

・杣木浩一のエッセイ「宮脇愛子さんとの出会い」次回は6月8日の更新を予定しています。どうぞお楽しみに。

●本日のお勧め作品は、宮脇愛子です。
miyawaki_utsurohi_c「UTSUROHI c」
1984年 シルクスクリーン
31.5x44.5cm
限定20部
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください


*画廊亭主敬白
〈現代版画センター〉以来、愛子さん磯崎さんをはじめ、これまでに取り扱った敬愛する今は亡き作家たちと、現存作家を組み合わせる二人展を企画
と、杣木先生が書いている通り、昨2024年は現代版画センターからちょうど50年。そして今年2025年はときの忘れもの開廊30周年です。
北川太郎×ル・コルビュジエ展  2024年2月28日―3月9日 終了
杣木浩一×宮脇愛子展  2024年8月20日(火)~8月31日(土) 終了
柳澤紀子×北川民次展  2024年10月30日(水)~11月9日(土) 終了
今年も縁の深かった作家と現在ご活躍中の作家との二人展をいくつか計画しています。
どうぞご期待ください。

◆「2025コレクション展2/瀬木愼一旧蔵作品他
会期:2025年5月7日(水)~5月10日(土) 11:00-19:00
collection2_表面瀬木愼一先生(1931~2011)は、1950年代から岡本太郎、花田清輝らの「夜の会」に参加、海外美術の紹介やテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」に出演するなど、幅広い批評活動を展開し、美術市場の調査・研究にも積極的に携わり、他の批評家にはない独自の存在感を発揮されました。瀬木先生のもとには必然的に多くの作品が集まり、貴重な資料群は没後に国立新美術館に収蔵されています。
今回、瀬木先生とU氏の旧蔵コレクションを4日間のみの特別価格にて頒布します。
瀬木先生自身が制作された珍しい陶芸作品などもあり、是非この機会に皆様のコレクションに加えていただければ幸いです。詳しい出品内容は5月4日ブログに掲載しました。
出品作品:宮脇愛子、岡本一平、望月菊磨、草間彌生谷川晃一、吹田文明、吉仲太造、吉田勝彦、利根山光人、脇田愛二郎、松崎真一、針生鎮郎、橋場信夫、筆塚稔尚、井上公雄、鶴岡義雄、篠原有司男、山高登、大沢昌助吉原英雄、岩渕俊彦、藤森静雄、元永定正磯辺行久、永井勝、村瀬雅夫、中村義孝、平塚運一、オノサト・トシノブ、瀬木愼一、 ナイマン、サミュエル・マーティン、J.F.ケーニング、Julius Bissier、Jean Deyrolle、他

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。