今村創平のエッセイ「建築家の版画」
第5回 倉俣史朗〈ミス・ブランチ〉
静岡の街の中心部に、倉俣史朗が手掛けたバー〈コンブレ〉(1988年)が残されている。途中オーナーが変わったものの、今でも、内装、家具とも、当初のままの姿が保たれている。倉俣史朗は、1934年に生まれ1965年に独立、1991年に急逝したため、活動期間は26年と短いが、手掛けた作品の数は膨大である。特に独立時から手掛け、日本におけるその分野の質を一変させた、インテリアデザインの仕事は重要な作品群といえる。とはいえ、それらの多くは、ファッションブランドや飲食店だったため、今日ほとんどが失われてしまっている。〈コンブレ〉は、今でも現役で使用されている貴重な場所だ。

倉俣への評価は今でも衰えることはなく、定期的に展覧会も開催され、若い世代の新たなファン層も獲得している。とはいえ、どうしても展覧会の出品は、家具やドローイングが主となり、倉俣の仕事の全貌とはいいがたい。倉俣が手掛けたインテリアデザインの数々は、例えば、〈クラブジャッド〉(1969年)、〈ISSEY MIYAKE MEN 渋谷西武百貨店〉(1987年)、〈バー オブローモフ〉(1989年)をはじめ、今では伝説となっているが、それらを体験することはかなわない。
〈コンブレ〉には、倉俣特有の、透明感と浮遊感と鮮やかな彩りがある。子細に観察すると、大きな面を構成する内装材や家具が、一体の、継ぎ目(目地)がない仕上げによって作られている。そのことが、空間に連続感と、滑らかな空気をもたらしている。そのような独自の作り方には、当然優れた製作の技量と、それをデザイナーが周知している必要がある。
倉俣の評価として、その優れた感性が挙げられるのは当然であるが、倉俣の作品を支えていたのは、模倣できない製作方法のオリジナリティにある。例えば、今回取り上げるドローイングは、傑作の誉れの高い〈ミス・ブランチ〉のものであるが、この椅子の評価は圧倒的なものであり、それゆえ多くの人が所有したいと願っているが、今日再生産することはかなわない。どのような構成かは明白であり、透明アクリルの中に、いくつもの造花の薔薇が埋め込まれている。倉俣の作品は、毎度驚きをもって迎えられたが、そこでなされていることは、はっきりとわかる。しかし、それを再現することは甚だ困難であるか、もしくは不可能である。*2

こうした作品の特性には、倉俣の経歴が関与している。倉俣が桑沢デザイン研究所に学んだことはよく知られているが、その前に東京都立工芸高等学校木材科を卒業している。倉俣は木材科で学ぶことにより、「図面を引き、自分で家具などをつくるために技術指導も受けていることが重要で、それによって、実際につくるときの工程も含め、完成型を頭の中に描くことができた」。*3 倉俣のデザインが模倣を許さないのは、表現と製作とが強く結ばれており、表層的な意匠のコピーができないためである。
世の中にある商業デザインを含む、いわゆるデザインというものは、多くの人に受け入れられると、数限りなく模倣され、やがて陳腐となる。倉俣の作品はそうしたことへの抵抗力を持つ。一方で、それゆえ、家具類は継承されるものの、インテリアデザインは失われる運命にあり、二度と体験できないことは甚だ残念である。*4
〈ミス・ブランチ〉のスケッチのシルクスクリーンは、倉俣の作品を多くの人に届けようという意図から、没後に製作されたる。薔薇の花が浮遊するかのように描かれたこのスケッチからは、倉俣の息遣いを伺うことができる。

この多木浩二の文章は、1971年に書かれたものであるから、念頭にあったのは倉俣のごく初期の作品に限定されている。しかし、ここで指摘されていることは、1988年という倉俣の最晩年に作られた名作椅子「ミス・ブランチ」の説明としても、何ら違和感はない。
*1:多木浩二『視線とテキスト 多木浩二遺稿集』(青土社、2013年)P442
*2:倉俣の椅子の代表作である、《How High the Moon》(1986年)は、2019年に復刻された。エキスパンドメタルを使用したこの椅子は、製作に高い技術が必要とされる。
*3:鈴木紀慶の指摘。鈴木紀慶・今村創平『日本インテリアデザイン史』(オーム社、2013年)P186
*4:倉俣が設計した寿司店「きよ友」が、閉店に伴い解体・運搬され、今では香港の美術館「M+」で公開されたことは、朗報であった。The Kiyotomo Sushi Bar by Shiro Kuramata 倉俁史朗《Kiyotomo壽司吧》| M+ Collection
*5:多木同書、p441
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の新連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日のお勧め作品は、倉俣史朗です。
《倉俣史朗 Shiro Kuramata Cahier 1》
各集(1~6集) シルクスクリーン10点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 1集、2集 2020年、3集 2022年、 4集 2024年
5~6集 2025年~2026年予定
技法 シルクスクリーン
用紙 ベランアルシュ紙
サイズ 37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
限定 35部(1/35~35/35)、
《68.ミス ブランチ(1988)》のみ75部
(1集に35部、 3~6集に各10部ずつ挿入予定)
発行 ときの忘れもの
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「2025コレクション展3/駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫」
会期=2025年5月21日(水)~5月24日(土)11:00-19:00
※前回展DMで予告していた日程から会期が変更となりました
詳しい出品内容は5月20日のブログに掲載しました。
●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
第5回 倉俣史朗〈ミス・ブランチ〉
この仮象性や意味を指して倉俣の家具はときにオブジェ家具だといわれる。、、この場合のオブジェとは用を離れたという程度であり、用を否定するものではない。それどころか家具が道具である以上、それは「物と作品の中間に」(ハイデガー)あって、たとえばすべてを官能に帰し、あるいは作品としてのみ成立させようとしたところで、この道具を含んで成立する生活をたえず新たな構造として発見することになるかどうかは疑わしい。
多木浩二「合理的制度へのアイロニー 倉俣史朗の仕事」*1
多木浩二「合理的制度へのアイロニー 倉俣史朗の仕事」*1
静岡の街の中心部に、倉俣史朗が手掛けたバー〈コンブレ〉(1988年)が残されている。途中オーナーが変わったものの、今でも、内装、家具とも、当初のままの姿が保たれている。倉俣史朗は、1934年に生まれ1965年に独立、1991年に急逝したため、活動期間は26年と短いが、手掛けた作品の数は膨大である。特に独立時から手掛け、日本におけるその分野の質を一変させた、インテリアデザインの仕事は重要な作品群といえる。とはいえ、それらの多くは、ファッションブランドや飲食店だったため、今日ほとんどが失われてしまっている。〈コンブレ〉は、今でも現役で使用されている貴重な場所だ。

倉俣への評価は今でも衰えることはなく、定期的に展覧会も開催され、若い世代の新たなファン層も獲得している。とはいえ、どうしても展覧会の出品は、家具やドローイングが主となり、倉俣の仕事の全貌とはいいがたい。倉俣が手掛けたインテリアデザインの数々は、例えば、〈クラブジャッド〉(1969年)、〈ISSEY MIYAKE MEN 渋谷西武百貨店〉(1987年)、〈バー オブローモフ〉(1989年)をはじめ、今では伝説となっているが、それらを体験することはかなわない。
〈コンブレ〉には、倉俣特有の、透明感と浮遊感と鮮やかな彩りがある。子細に観察すると、大きな面を構成する内装材や家具が、一体の、継ぎ目(目地)がない仕上げによって作られている。そのことが、空間に連続感と、滑らかな空気をもたらしている。そのような独自の作り方には、当然優れた製作の技量と、それをデザイナーが周知している必要がある。
倉俣の評価として、その優れた感性が挙げられるのは当然であるが、倉俣の作品を支えていたのは、模倣できない製作方法のオリジナリティにある。例えば、今回取り上げるドローイングは、傑作の誉れの高い〈ミス・ブランチ〉のものであるが、この椅子の評価は圧倒的なものであり、それゆえ多くの人が所有したいと願っているが、今日再生産することはかなわない。どのような構成かは明白であり、透明アクリルの中に、いくつもの造花の薔薇が埋め込まれている。倉俣の作品は、毎度驚きをもって迎えられたが、そこでなされていることは、はっきりとわかる。しかし、それを再現することは甚だ困難であるか、もしくは不可能である。*2

こうした作品の特性には、倉俣の経歴が関与している。倉俣が桑沢デザイン研究所に学んだことはよく知られているが、その前に東京都立工芸高等学校木材科を卒業している。倉俣は木材科で学ぶことにより、「図面を引き、自分で家具などをつくるために技術指導も受けていることが重要で、それによって、実際につくるときの工程も含め、完成型を頭の中に描くことができた」。*3 倉俣のデザインが模倣を許さないのは、表現と製作とが強く結ばれており、表層的な意匠のコピーができないためである。
世の中にある商業デザインを含む、いわゆるデザインというものは、多くの人に受け入れられると、数限りなく模倣され、やがて陳腐となる。倉俣の作品はそうしたことへの抵抗力を持つ。一方で、それゆえ、家具類は継承されるものの、インテリアデザインは失われる運命にあり、二度と体験できないことは甚だ残念である。*4
〈ミス・ブランチ〉のスケッチのシルクスクリーンは、倉俣の作品を多くの人に届けようという意図から、没後に製作されたる。薔薇の花が浮遊するかのように描かれたこのスケッチからは、倉俣の息遣いを伺うことができる。

彼のよく知られた作品に、一連のアクリルの家具がある、側板の隅のアールが美しいワゴンや透明な衣装ダンスなどであるが、これらが人を魅きつけるのは一種のエロチシズムである。、、、彼の発想に即していえば、それは彼が生に対して抱く触覚的な空間を無媒体に表出しようという試みである。*5
この多木浩二の文章は、1971年に書かれたものであるから、念頭にあったのは倉俣のごく初期の作品に限定されている。しかし、ここで指摘されていることは、1988年という倉俣の最晩年に作られた名作椅子「ミス・ブランチ」の説明としても、何ら違和感はない。
*1:多木浩二『視線とテキスト 多木浩二遺稿集』(青土社、2013年)P442
*2:倉俣の椅子の代表作である、《How High the Moon》(1986年)は、2019年に復刻された。エキスパンドメタルを使用したこの椅子は、製作に高い技術が必要とされる。
*3:鈴木紀慶の指摘。鈴木紀慶・今村創平『日本インテリアデザイン史』(オーム社、2013年)P186
*4:倉俣が設計した寿司店「きよ友」が、閉店に伴い解体・運搬され、今では香港の美術館「M+」で公開されたことは、朗報であった。The Kiyotomo Sushi Bar by Shiro Kuramata 倉俁史朗《Kiyotomo壽司吧》| M+ Collection
*5:多木同書、p441
(いまむら そうへい)
■今村創平
千葉工業大学 建築学科教授、建築家。
・今村創平の新連載エッセイ「建築家の版画」は毎月22日の更新です。
●本日のお勧め作品は、倉俣史朗です。

各集(1~6集) シルクスクリーン10点組
作者 倉俣史朗
監修 倉俣美恵子
植田実(住まいの図書館出版局編集長)
制作 1集、2集 2020年、3集 2022年、 4集 2024年
5~6集 2025年~2026年予定
技法 シルクスクリーン
用紙 ベランアルシュ紙
サイズ 37.5×48.0cm
シルクスクリーン刷り 石田了一工房・石田了一
限定 35部(1/35~35/35)、
《68.ミス ブランチ(1988)》のみ75部
(1集に35部、 3~6集に各10部ずつ挿入予定)
発行 ときの忘れもの
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆「2025コレクション展3/駒井哲郎、菅井汲、池田満寿夫」
会期=2025年5月21日(水)~5月24日(土)11:00-19:00
※前回展DMで予告していた日程から会期が変更となりました

●ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。

〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は原則として休廊ですが、企画によっては開廊、営業しています。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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