ときの忘れもの 今月のお勧め
■2018年11月02日(金)  光嶋裕介 《幻想都市風景2018-03》
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光嶋裕介
《幻想都市風景2018-03》
2018年
和紙にインク、箔画
45.0×90.0cm
サインあり

光嶋裕介 Yusuke KOSHIMA
建築家、一級建築士。1979年米国ニュージャージー州生。87年に日本に帰国。
以降、カナダ(トロント)、イギリス(マンチェスター)、東京で育ち、最終的に早稲田大学大学院修士課程建築学を2004年に卒業。同年にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)に就職。 2008年にドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。2010年に桑沢デザイン研究所、2011年に日本大学短期大学部にて非常勤講師に就任。


■2018年10月02日(火)  倉俣史朗 《無極 I》
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倉俣史朗
《無極 I》
1979年
平版
イメージサイズ:74.0x103.4cm
シートサイズ: 79.6x109.3cm

倉俣史朗 Shiro KURAMATA
1960年代後半から最新の科学技術に可能性を見出し、革新的な作品を発表した世界的デザイナー。アクリル、グラス、アルミニウム、スチールメッシュを多用した作品が多い。 1934年、東京都生まれ。東京都立工芸高等学校木材科で学び、1953年から帝国器材に勤める。1953年から56年まで桑沢デザイン研究所リビングデザイン科で学び、1957年に三愛の宣伝課に就職、ウィンドウディスプレイなどのデザインを手掛ける。1965年クラマタデザイン事務所を設立。1967年、横尾忠則らとコラボレーションしたインテリアデザインなどで脚光を浴びる。

このころから、彼が生涯にわたって好んだアクリル素材を用いて、日常の空間に無重力を作り出したような、透明で浮遊感のある作品を生み出していく。 1970年「Furniture in Irregular Forms」シリーズで世界に広く認知される。1972年毎日デザイン賞を受賞。1981年エットレ・ソットサス Jr.らによるイタリアンデザインの新しいムーブメントであるメンフィス(Menphis)の展示会に磯崎新、マイケル・グレイブスらと共に参加。1990年フランス文化省芸術文化勲章を受勲。 1991年、急性心不全のため死去。享年56。


■2018年09月21日(金)  野口琢郎 《azure》
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野口琢郎
《azure》
2017年
箔画/紙、漆、金・銀箔、石炭、樹脂、アクリル絵具
79.0×108.0cm
Signed

野口琢郎 Takuro NOGUCHI
1975年京都府生まれ。1997年京都造形芸術 大学洋画科卒業。2000年長崎市にて写真家・東松 照明の助手に就く。2001年京都西陣の生家に戻 り、家業である箔屋野口の五代目を継ぐため修行に入 る。その後も精力的に創作活動を続け、2004年の 初個展以来毎年個展を開催している。


■2018年06月01日(火)  松本竣介 《作品》
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松本竣介
《作品》
1946年2月
紙にペン、墨、水彩、コラージュ
イメージサイズ:15.5x29.5cm
シートサイズ:23.5x32.3cm
サインあり
※『松本竣介素描』(1977年 株式会社綜合工房)口絵

松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
松本竣介(旧名佐藤俊介)は1912年東京に生まれ、2歳のときに岩手に移り少年時代を盛岡で過ごす。松本姓となるのは1936年に松本禎子と結婚してからである。 盛岡中学の入学後に聴力を失い、画家を志す。同級生には舟越保武がいる。1929年中学を中退し、上京、太平洋画会研究所に通う。1935年前衛グループNOVAの同人となり、二科展に初入選。翌年松本禎子と結婚し、二人で月刊の随筆雑誌『雑記帳』を創刊する(綜合工房刊、14号で廃刊)。同誌には林芙美子、難波田龍起、高村光太郎、萩原朔太郎らが文章を、藤田嗣治、鶴岡政男、麻生三郎らがデッサンや口絵を寄せた。1940年銀座の日動画廊で初個展を開催。1941年美術雑誌『みづゑ』1月号に掲載された座談会記事「国防国家と美術」に反論し、「生きてゐる画家」を投稿、同誌4月号に掲載された。同年盛岡・川徳画廊で「舟越保武・松本俊介二人展」を開催。

戦時中は1943年靉光や麻生三郎、寺田政明ら同志8名で新人画会を結成し、第3回展まで開催した。戦後1946年美術家組合を提唱、戦争に疲れ沈退した全日本美術家の提携再起を促した。1947年自由美術家協会に新人画会のメンバーと共に参加し、翌1948年毎日新聞主催の連合展に「彫刻と女」「建物」を出品、これが絶筆となり、僅か36歳の短い生涯を終えた。


■2018年04月03日(火)  ボブ・ウィロビー "Audrey Hepburn on the phone. Paramount Studios - 1953 (BWP040)" (A004)
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ボブ・ウィロビー
"Audrey Hepburn on the phone. Paramount Studios - 1953 (BWP040)"
1953年(2017年プリント)
アーカイバルデジタルピグメントプリント
シートサイズ:20×16インチ
Ed.25
クリストファー・ウィロビー(息子)によるサインとスタンプあり

ボブ・ウィロビー Bob WILLOUGHBY
1927年アメリカ・ロサンゼルスで生まれる。12歳のときに父からもらったカメラで写真を撮り始める。高校卒業後、ハリウッドのカメラマンたちの助手として修業し、かたわらジャズを対象に写真修業をした。南カリフォルニア大学の夜間部で写真を学び、専門学校でデザインを学習。やがて演劇や文化イベントを手がけるようになり、雑誌のために映画関連の撮影が増えた。

オードリー・ヘプバーン出演作のほか、「地上より永遠に」「スタア誕生」「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」など30年あまりの間に120本ほどの映画でスチル写真を撮り、『ライフ』『ヴォーグ』など世界的な雑誌に提供している。写真集として、『プラチナの時代』(1974)、『ロサンゼルスのジャズ』(1990)、『ハリウッド・スペシャル』(1993)などがある。彼の写真は、数多くの国の美術館に展示されている。2009年12月フランス・ヴァンスに永逝(享年82)。


■2018年03月01日(木)  植田正治 《無題》
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植田正治
《無題》
1977
Type-Cプリント, 木製パネル
40.0×27.0cm
『植田正治作品集』(2016年、河出書房新社) P132参照

植田正治 Shoji UEDA
1913年、鳥取県生まれ。15歳頃から写真に夢中になる。1932年上京、オリエンタル写真学校に学ぶ。第8期生として卒業後、郷里に帰り19歳で営業写真館を開業。この頃より、写真雑誌や展覧会に次々と入選、特に群像演出写真が注目される。1937年石津良介の呼びかけで「中国写真家集団」の創立に参加。1949年山陰の空・地平線・砂浜などを背景に、被写体をオブジェのように配置した演出写真は、植田調(Ueda-cho)と呼ばれ世界中で高い評価を得る。1950年写真家集団エタン派を結成。

1954年第2回二科賞受賞。1958年ニューヨーク近代美術館出展。1975年第25回日本写真協会賞年度賞受賞。1978年文化庁創設10周年記念功労者表彰を受ける。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞。1996年鳥取県岸本町に植田正治写真美術館開館。1996年フランス共和国の芸術文化勲章を授与される。2000年歿(享年88)。2005〜2008年ヨーロッパで大規模な回顧展が巡回、近年さらに評価が高まっている。


■2018年02月01日(木)  ハ・ミョンウン 《Gradation brush-vermillion (1)》
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ハ・ミョンウン
《Gradation brush-vermillion (1)》
2012年
ミクストメディア
42.0x136.0cm
サインあり

ハ・ミョンウン (河明殷)HA Myoung-eun
韓国の若い世代を代表する女性アーティスト。20世紀のポップアートを用いて、さまざまな素材のオブジェへと再解釈して、独自の作品を作る。2011年ソンシン女子大学一般大学院西洋画科卒業。

主な個展:2009年「A master piece of painting Preznt展」ギャラリーS101(ソンシン女子大学)、2011年「A master piece BRUSH」Gana Art Wilギャラリー(ソウル)。その他グループ展、団体展多数。受賞歴:2010年マノフィン新進作家公募優秀賞、2011年ギャラリードール 選定作家。


■2018年01月11日(木)  磯崎新 《TSUKUBA III》
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磯崎新
《TSUKUBA III》
1985年
シルクスクリーン
イメージサイズ:56.0×56.0cm
シートサイズ:76.0×61.5cm
Ed.75
サインあり

磯崎新 Arata ISOZAKI
建築家。1931年大分市生まれ。54年東京大学卒業。61年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。63年磯崎新アトリエを設立。代表作に[大分県立中央図書館][岩田学園][福岡相互銀行本店][つくばセンタービル][MOCA―ロサンゼルス現代美術館][バルセロナ市オリンピック・スポーツホール][ティーム・ディズニー・ビルディング][山口県秋吉台国際芸術村][トリノ冬季五輪アイスホッケーメーン会場]他。近年は頻繁にアジアに出向き、多数のプロジェクトに参加している。日本建築学会賞、RIBA賞、朝日賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、他受賞。著書『空間へ』『建築の解体』『手法が』『栖十二』『建築家捜し』など多数。

早くから建築のみならず、思想、美術、デザイン、映画などの国際的な舞台で活躍、評論や設計競技の審査を通じて、世界のラディカルな建築家たちの発想を実現に導くうえでのはかり知れない支援を果たしてきた。日本を代表するとともに、世界の建築界で最も信頼されている建築家である。自らの建築観(コンセプト)を紙の上に表現することに強い意欲を示し、77年から既に200点もの版画を制作している。現在、ときの忘れものを版元に、版画とエッセイによる連刊画文集《百二十の見えない都市》に取り組んでいる。




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