ときの忘れもの 今週のお勧め
■2012年01月30日(月)  駒井哲郎「大きな樹」
komai_bigtree.jpg 445×600 77K駒井哲郎
「大きな樹」
1971年
銅版
44.5×32.1cm
Ed.210
サインあり

文字通り「大きな樹」を描いた、それも駒井作品の中では最も大きなサイズの作品です。
駒井哲郎は初期から晩年に至るまで「樹」あるいは「木」を繰り返し描きました。
「束の間の幻影」に代表される1950年代の<夢>シリーズから、試行錯誤を経て「からんどりえ」や「人それを呼んで反歌という」の硬質な秀作を生み出したことは良く知られていますが、そのきっかけとなったのがルドンの木でした。
そのものずばり、「樹木 ルドンの素描による」(1956年)という作品があります。小山正孝との詩画集『愛しあふ男女』に挿入された作品ですが、その制作の経緯について駒井自身が次のように述懐しています(<>が引用)。

<巴里から帰って来て仕事もなく、もちろん絵も売れなくて困っている時期がずいぶん永く続いたように思う。そんなある時、小山正孝の詩集に銅版画で挿絵をやらないかといって来てくれた…(中略)。早速、とびついて仕事をした。これが日本に帰ってからの最初の詩画集だった。>(ユリイカ1971年12月号)

駒井哲郎と親しかった大岡信も『詩人の眼・大岡信コレクション』展図録の中で次のように言っています(2006年 三鷹市美術ギャラリー他、<>が引用)。

<南画廊が最初に開いたのが1956年の駒井さんの展覧会でした。その頃まだ僕は南画廊を知りませんでした。駒井さんとは58年から親しくなりましたが、そのころの彼はフランスから帰国した後で、創作に悩んで試行錯誤を繰り返していました。僕にとっては人ごととは思えない切実さがありました。
フランスに行くまでの作品は幻想的なものが多かったのですが、フランスで幻想的作品の弱さ、つまらなさを痛感して、自然界をちゃんと見つめようとした。その苦しみの中、抽象の世界を出てリアルさを見直す試みが一連の「樹木」シリーズにつながったのでしょう。>(同図録34ページ)

フランス留学(1954〜55年)から帰国した後のスランプを脱出し、作家が新たな成熟期に向かう転機となったのが樹木シリーズであり、今回出品のNo.41)「大きな樹」 はその集大成ともいえる大作です。


駒井哲郎 Tetsuro KOMAI(1920-1976)
1920年東京生まれ。35年西田武雄に銅版画を学び始める。42年東京美術学校卒。50年春陽会賞、翌年第1回サンパウロ・ビエンナ−レで受賞。木版の棟方志功とともにいち早く世界の舞台で高い評価を獲得し、戦後の美術界に鮮烈なデビューを飾る。53年資生堂画廊で初個展。54年渡仏。56年南画廊の開廊展は駒井哲郎展だった。72年東京芸術大学教授。銅版画のパイオニアとして大きな足跡を残す。1976年永逝(享年56)。

●銅版画の詩人と謳われた駒井先生は15歳の少年時代から56歳で亡くなるまで銅版画一筋の生涯でした。名作『束の間の幻影』はじめ、心にしみるエッチング作品を多数残し、長谷川潔、池田満寿夫とともに銅版画の魅力を人々に知らしめた功績は大きなものがあります。晩年の駒井先生にお目にかかれたことは私の宝物の一つですが、2006年は没後30年です。久しぶりに遺作を集めた展覧会を企画したいと考えています。

■2012年01月20日(金)  ジョナス・メカス「this side of paradise」より02
「this side of paradise」より02ジョナス・メカス
「this side of paradise」より02
2000年
Type-Cプリント
30.0×20.0cm
Ed.10 サインあり

1983年、亭主が依頼した版画作品がきっかけで、メカスさんは自ら撮影した16mmフィルムから、3コマ程度の部分を抜粋し、写真として焼きつけるシリーズを「静止した映画フィルム」と名づけ、次々と写真の連作を発表します。

中でも「this side of paradise」シリーズの元になった映像は、1960年代末から70年代始め、ジョン・F・ケネディの未亡人であったジャッキー・ケネディに請われ、子息のジョン・ジュニアやキャロラインといとこたちに映画を教えていた時期に撮影されたフィルムです。
悲劇的な父親の死から程ない頃、父親のいない暮らしに慣れるまでの、心の準備が少しでも楽にできるよう、子供たちが何かすることをみつけてやりたいと考えたジャッキーが、子供たちに美術史を教えていたピーター・ビアードを通じて、メカスに頼みました。アンディ・ウォーホルから借り受けたモントークの古い家で、ジャッキーとその妹家族、子供達、メカス、週末にはウォーホルやビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々の、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。

大統領夫人がポップアートの作家の別荘を借り、実験映画のアーティストたちを家庭教師に頼み、子供達とひと夏をモントークで過ごす。ある家族の日常に記録ですが、それがそのまま60〜70年代のアメリカを象徴する映像となっている。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった。」   
                                                      ジョナス・メカス


映画と写真の中間領域に位置するような、この興味深い試みは、湧き出る水のように豊かなイメージを語りかけてくれます。

ジョナス・メカス(1922〜)
1922年リトアニア生まれ。ソ連次いでナチス・ドイツがリトアニアを占領。強制収容所に送られるが、45年収容所を脱走、難民キャンプを転々とし、49年アメリカに亡命。16ミリカメラで自分の周りの日常を日記のように撮り始める。65年『営倉』がヴェネツィア映画祭で最優秀賞受賞。83年初来日。89年NYにアンソロジー・フィルム・アーカイヴズを設立。2005年ときの忘れものの個展のために4度目の来日。
『リトアニアへの旅の追憶』『ウォルデン』の作者は映像を志す人にとって神様のような人ですが、前衛映画の蒐集保存のための美術館建設計画を進めていた頃のメカスさんは「フィルムは山ほどあるがお金がない」状態で、少しでも応援しようと83年に日本にお招きし7点の版画をつくって貰いました。それがメカスさん独自の写真作品制作のきっかけです。メカスさんの写真と版画はときの忘れものでいつでもご覧になれます。

■2012年01月10日(火)  セザール「圧縮されたオートバイ」
nicky_20120110.jpg 600×430 48K「圧縮されたオートバイ」
1975年
ミクストメディア
22.0x35.0cm
Ed.60
サインあり

フランス版アカデミー賞ともいうべき映画のセザール賞で知られるセザールとは、本名セザール・バルダッチーニ(César Baldaccini, 1921年〜1998年)、20世紀フランスを代表する彫刻家で自動車をプレス機で圧縮した彫刻作品で知られる。
セザールのファンである亭主は、1989年のエッフェル塔100周年を記念した展覧会を企画した折にパリと東京を往復し、セザールはじめ、ジャン・ティンゲリー、エドゥアルド・アロヨ、ヴァレーリオ・アダミ、フェルナンデス・アルマンの5人の作家にエッフェル塔へのオマージュ版画を制作してもらったことがあり、その名はことさら懐かしい。

今回の《圧縮されたオートバイ》は、クラヴァンヌが映画芸術技術アカデミーを設立した同じ年に制作された魅力的なマルチプル作品です。因みに翌年の第一回授賞式でセザール賞を手にしたのはロベール・アンリコ監督、フィリップ・ノワレ、ロミー・シュナイダー出演の「追想」でした。

セザール Cesar(1921-1998)
1921年フランスに生まれる。本名セザール・バルダッチーニ(Cesar Baldaccini)。20世紀フランスを代表する彫刻家。マルセイユとパリの美術学校で学び、1947年から鉄の彫刻制作を始め、1954年に初個展を開き、廃品を集めた総合彫刻を発表。 1960年友人の工場で目にした、スクラップを四角い金属塊に圧縮する大型プレス機に魅せられる。手作業によらず自らの意のままにならない作品―廃車を押しつぶした「圧縮(コンプレッション)彫刻」はそれまでの自身の彫刻の概念を乗り越えてしまった。この圧縮された自動車は同年のサロン・ド・メに出展され賛否両論の話題をさらい、やがて国際的な評価を獲得、さらにポリウレタンの膨張力を利用したオブジェ「拡張」シリーズの制作へと展開する。世界各地のパブリック・アート設置に招かれ、膨張彫刻や自らの親指を巨大にした型取り彫刻などを設置する。友人のジョルジュ・クラヴァンヌが主催し始まったフランスの映画賞のためにトロフィーとなる彫刻を制作、この賞は「セザール賞」と呼ばれるようになった。1998年、歿。

■2011年12月20日(火)  エルンスト・ハース「三番街での光の反射、ニューヨーク」
nicky_20111220.jpg 591×403 116K「三番街での光の反射、ニューヨーク」
1952年撮影(1993年プリント)
Dye-transfer Print(color)
30.5×45.0cm
Ed.40
作品裏面にEstate Stampあり

画面の中央に、まるで蝶が羽を広げたような形で広がる色の帯。遠景に立ち並ぶ摩天楼をよく見ると、左右対称に反転していて、画面右半分はショーウィンドウの表面に映り込んだ像であることがわかります。ショーウィンドウの上にはためく幕が反射像として増幅され、微妙なグラデーションを帯びた色合いと相まって、幻想的な光景が立ち現れています。
この写真はカラー写真の先駆者として知られるエルンスト・ハース(Ernst Haas, 1921-1986)が、ニューヨークを取材して制作し、グラフ雑誌「ライフ」の1953年9月14日号と9月21日号と2回にわたって掲載された、フォトエッセイ「Images of a Magic City (ある魔法の街のイメージ)」の中の一枚です。「ライフ」は1936年から1972年まで刊行され、フォトジャーナリズムの黄金時代を築いた雑誌として広く知られており、現在はGoogle Booksで、全号を閲覧することができます

「三番街での光の反射」は、フォトエッセイの2回目の終盤に掲載されています。摩天楼の姿を遠景に映し出した写真は、魔法の街を巡る散歩の名残を留め、その締めくくりを飾るのに相応しい一枚ではないでしょうか。

エルンスト・ハース Ernst HAAS(1921-1986)
オーストリア・ウイーン生まれ。大学は医学部に通うが、1947年に雑誌「Heute」誌のカメラマンとなる。第2次大戦のオーストリア捕虜帰還を撮影したフォト・エッセイで名声を上げ、2年間パリで暮らした後、50年にアメリカへ移住。ロバート・キャパの勧めで写真家集団「Magnum Photos」に参加。52年、初めてカラーフイルムを使用し、ライカでニューヨークの街頭風景を撮影。この時の写真は『ライフ』誌に24ページ2部構成で掲載される。ハースはカラー写真でその才能を発揮し、巧みな色彩、ブレ、動きなど多くの手法を用い「エルンスト・ハースの色彩の世界」を確立した。62年、ニューヨーク近代美術館で個展が開催される。64年ジョン・ヒューストンの映画「天地創造」にスタッフとして参加、その後も「ハロー・ドーリー」(1969)「小さな巨人」(1970)などの映画制作に参加した。71年ハースにとって最高傑作となる写真集「THE CREATION」を刊行。75年、アメリカ建国200年の年に写真集「IN AMERICA」を出版。86年Hasselblad(ハッセルブラッド)賞受賞。『ライフ』誌を中心としたフォト・ジャーナリストの他、マールボロ、クライスラー、フォルクスワーゲン等の広告写真家としても活躍した。

■2011年12月10日(土)  ハンス・ベルメール「#VII《ジュリエット 悪徳の栄え》」
nicky_20111210.jpg 466×600 32Kハンス・ベルメール
『道徳小論』より
VII《ジュリエット 悪徳の栄え》

1968年
カラー銅版
27.7x21.2cm
Ed.150
サインあり

若い人たちはベルメールというと先ず球体関節人形、そして写真作品を思い浮かべるようですが、1970年代に美術界に入った世代が出会ったのは先ず版画でした。1961年の銅版画集『サドに』、1965年ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画、1968年の銅版画集『道徳小論』などなど。もちろんまだベルメールが存命中でした。
日本への紹介は例えば高級美術雑誌『gq』が特集を組んだのも確か版画作品でした。
戦前の瀧口修造・山中散生らの先駆的紹介をはじめ、1960年代に澁澤龍彦による紹介があったとはいえ、人形や写真がアートとして認知されるのはずっと後になってからでした。
銅版画連作『道徳小論』は作家の代表作であり、人体を変形させたフォルムとそこから立ち上るエロテックなイメージの強烈さは版画コレクターたちを熱狂させました。

ハンス・ベルメール Hans BELLMER(1902-1975)
1902年ポーランド(当時はドイツ領)のカトヴィツェ生まれ。1923年ベルリン工科大学に入学するが、ダダイストのジョージ・グロスらとの交遊が始まり大学を中退。出版社の植字工見習いとして働き始め、小説の表紙や挿絵を手がける。1926年カールスホルストにデザイン事務所を開く。1932年ベルリンにて.ホフマン原作のオペラ『ホフマン物語』を観劇、その中に登場した自動人形オリンピアが彼に影響を与えたといわれる。翌年、最初の人形を制作し、1934年写真集『人形』を自費出版で刊行。パリのシュルレアリストの賞賛を受け、シュルレアリスム機関誌『ミノトール』の表紙を飾る。1935年パリにてシュルレアリスム・グループ展へデッサンを出品。同年、ベルリンのカイザー・フリードリヒ美術館にて展示されていた16世紀のドイツの球体関節を持った木製の人形からインスピレーションを得て球体関節人形を制作。1936年『人形』フランス語版を刊行。ロンドンやニューヨークなど多くのシュルレアリスム展へ出品。
1938年ナチスを逃れパリへ移住。マルセル・デュシャンやマックス・エルンストらと出会う。1939年第二次世界大戦が勃発し、ドイツ国籍のためマックス・エルンストと共に南仏の収容所に抑留される。翌40年解放され南仏カストルにとどまる。1946年ジョルジュ・バタイユの小説『眼球譚』の銅版画による挿画に取りかかり、翌年刊行。1947年パリにてはじめての個展。1949年 ポール・エリュアールの詩とベルメールの写真から成る『人形の遊び』刊 行。1954年女流作家ウニカ・チュルンとパリで同棲生活に入る。1957年著書『イマージュの解剖学』刊行。1958年 ウニカをモデルとした緊縛写真を撮影。1961年銅版画集『サドに』刊行。1965年 ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画を手がける。1968年銅版画集『道徳小論』刊行。1971年パリの国立現代美術センター(CNAC)で大規模な回顧展。1975年没。パリ・シカゴ・ジュネーヴにてベルメール展開催。1983年ポンピドゥーセンターにて回顧展開催。

■2011年11月30日(水)  池田満寿夫「私をみつめる私」
nicky_20111130.jpg 538×600 39K池田満寿夫
「私をみつめる私」
1964年
銅版カラー
20.0x18.3cm
Ed.20(E.P.)

日本の現代版画のスーパースターだった池田満寿夫は、画家、版画家、挿絵画家、彫刻家、陶芸家、小説家、詩人、映画監督と多彩な活躍をしましたが、その原点は版画であり、生涯に制作した版画は1200点余り、その中でも飛び切りの代表作「私をみつめる私」をご紹介します。
この作品が制作された1963年〜64年は池田満寿夫の絶頂期ともいっていい時期です。
瑛九や久保貞次郎らの物心両面にわたる支援、二人目のパートナー富岡多恵子との出会いと別れ、多くの文学者たちとの交友。あれよあれよという間にシンデレラボーイとなった濃密な12年間に銅版画の傑作群が生まれました(1955年(21歳)〜1966年(33歳)の12年間の年譜はこちらをご参照ください)。
マスオ版画の魅力は、一に色彩、二にコラージュと即興性、三にエロティシズムと言っていいでしょう。
特に、私的、日常的、文学的、洒脱、繊細さという美点が、コレクターたちに支持され、どの系譜にも属さない独自の表現(先行者がいない)を追求し、一つの表現手段にこだわらず、変身を繰り返したところに池田満寿夫の真骨頂がありました。

池田満寿夫 Masuo IKEDA(1934-1997)
1934年旧満州国生まれ。1945年、終戦により母と郷里の長野市に戻る。1952年高校を卒業し上京、版画家デビュー。1960年、62年、64年の東京国際版画ビエンナーレ展での連続受賞につづき、1966年の第33回ヴェネツィア・ビエンナーレでは版画部門の国際大賞を受賞。一躍、世界のスターへの道が開かれる。しかし高い評価に甘んじることなく常に自己変革による自由な変貌をくり返す。
その後も日本を代表する版画家として東京とニューヨークを拠点に制作を続けるかたわら、小説家としても活躍し1977年には芥川賞を受賞。帰国後は、熱海市に居を構え、作陶から立体造形への関心を深めるなど表現の幅を広げる。

■2011年11月20日(日)  五味彬「nude of J 村上麗奈 03」
nicky_20111120.jpg 446×600 64K五味彬
「nude of J 村上麗奈 03」
1991年(2009年プリント)
ゼラチンシルバープリント
39.5x29.3cm
Ed.10
サインあり

1992年、発売直前に出版社の自主規制で発売中止、そして、断裁処分された幻の写真集『YELLOWS』で注目を浴びた五味彬先生ですが、「YELLOWS」シリーズと時を同じくして、1991年イタリアの写真家トニ・メネグッツォとの共作で出版された写真集『nude of J』(朝日出版社刊)のために撮影された村上麗奈をモデルとした作品をご紹介します。
この「nude of J 村上麗奈 03」は写真集に収録され、「YELLOWS」シリーズと同様に正面から表情を消して撮影されています。

五味彬 Akira GOMI(1953-)
1953年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。77年渡仏し、ローレンス・サックマン、ミッシェル・ベルトンに師事する。83年帰国後、ファッション誌『流行通信』『エル・ジャポン』などを中心に活躍。93年日本初のCD-ROM写真集『YELLOWS』を発表。その後、『YELLOWS2.0』『AMERICANS』『YELLOWS3.0』など00年までに14タイトルを発表。バンタンデザイン研究所で写真Webデザインを教える。97年東京都写真美術館で「アウグスト・ザンダーと五味彬」展。99年「YELLOWS RESTART」を発表。
97年DIGITALOGUE Gallery Tokyo(東京・原宿)で個展「YELLOWS Contemporary Girls Psycho Sexual」。2008年キャノンギャラリー(銀座、名古屋、梅田を巡回)にて個展「YELLOWS Return To Classic」、ときの忘れものにて個展「五味彬写真展 Yellows 1.0」。09年GALLERY COSMOSで元アシスタントたちとのグループ展「Family Plots」。

■2011年11月10日(木)  エドゥアール・ブーバ「パリ情景」
nicky_20111110.jpg 439×600 59Kエドゥアール・ブーバ
「パリ情景」
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:36.0x24.4cm
シートサイズ:36.6x25.7cm

今週のお勧めは、エドゥアール・ブーバの「パリ情景」をご紹介します。
パリのセーヌ河畔で抱きあうカップル、静かなさざなみの表情、パリのなんと言うことはない風景を切り取った抒情豊かなブーバの写真からは、「カメラの詩人」と評された通り、しっとりとした情感が漂ってきます。
1995年に新宿の小田急美術館で「エドゥアール・ブーバ展」が開催されていますが、亭主は見ていません、こんなこと(写真画廊)になるのだったら見ておけばよかったと、ちょっと悔しい。
画廊にはブーバの第一作品集『海の抒情』を置いてありますが、それがフランスではなく日本(平凡社)で出版されたことはさすが写真集大国ニッポンの面目躍如としていますね。
平凡社世界写真家シリーズの1冊として刊行されたブーバのこの写真集は、海辺の町、ヴァカンスを楽しむ家族、漁師たち・・・ポルトガルの海岸でルポルタージュを目的として撮影されたカラーとモノクロの写真44点が収録されています。
ブーバは名声の割りになぜか日本ではほとんど知られておらず、作品の実物に触れられる機会も少ないようです。
この機会にぜひコレクションに加えてください。

エドゥアール・ブーバ Edouard BOUBAT(1923-1999)
写真家。1923年フランスに生まれる。
1946年から写真を撮り始め、後にthe agency Raphoで働く。パリで生まれ、パリで暮らし、戦後のパリを撮り続けてた。アンリ・カルティエ=ブレッソン、 ロベール・ドアノーらとともに20世紀を代表する フランスの写真家の一人として数えられている。 1999年、歿。

■2011年10月30日(日)  ジョージ・タイス「TWO AMISH BOYS, LANCASTER, PA, 1962」
nicky_20111030.jpg 490×600 96Kジョージ・タイス
「TWO AMISH BOYS, LANCASTER, PA, 1962」
1962年撮影(1988年プリント)
ゼラチンシルバープリント
24.0x19.0cm
サインあり

この写真を見てハリソン・フォード主演の映画『刑事ジョン・ブック/目撃者』を連想する人も多いのではないでしょうか。映画ではハリソン・フォード演じる刑事が、偶然殺人事件を目撃したアーミッシュの子供を守るため、アーミッシュの家庭に身を寄せるうちにその母親と恋に落ちるという物語でした。
AMISH アーミッシュとは、アメリカのペンシルベニア州・中西部やカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民のキリスト教と共同体に忠実である厳格な規則の宗教集団で、移民当時の生活様式を保持し、文明の利器などを使わずに農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られています。
新しい家を建てるときには親戚・隣近所が集まって取り組む姿は、映画でも重要なシーンでしたね。自動車は使わず馬車、商用電源は使用せず(もちろん原発も)風車、水車による自家発電程度、服装もいたって質素、タイスの写真に写る少年たちの帽子もアーミッシュ独特の服装です。

ジョージ・タイスは巨匠エドワード・スタイケンのポートフォリオのプリンターをつとめたことでも知られるように、自身も大判カメラを用いてアメリカの都市や風景を撮影し、モノクロームの精緻なプリント作品を制作し、高く評価されています。
今回、X氏のコレクションにタイスの写真があるので嬉しくなり、慌てて探したのですが、日本ではあまり写真集が出ていないようですね。知り合いの写真画廊さんにも伺ったのですが、日本語での資料や実物作品は見つかりませんでした。
画廊には、『Hometowns: An American Pilgrimage : James Dean's Fairmount, Indiana, Ronald Reagan's Dixon, Illinois, Mark Twain's Hannibal, Missouri』(New York Graphic Society)を置いてありますので、どうぞご覧になってください。
ジェームス・ディーン、ロナルド・レーガン、マーク・トゥエインの故郷の町(ホームタウン)を撮った写真集です。建国以来僅か200年余りの歴史しか持たないアメリカの町並はどこも似たようにも見えますが、しかしそれぞれの固有の思い出、記憶のこめられた懐かしい故郷なのでしょう。

ジョージ・タイス George TICE(1938-)
写真家。1938年ニュージャージー州に生まれる。
14歳からカメラクラブに参加し写真を撮り始める。1959年、当時ニューヨーク近代美術館の写真部門でディレクターを務めていたエドワード・スタイケンは、タイスの才能をいち早く認め、タイスによる航空母艦ワスプ爆発の写真を美術館のコレクションに選ぶ。タイス20歳のときである。
彼は、国内外で数多くの展覧会を開催。1972年に個展を開いた後、作品はニューヨーク近代美術館・シカゴ美術館・メトロポリタン美術館などに収蔵されている。 彼は、活動初期から、芸術形態として写真集の可能性を認識し、多くの写真集を出版した。

■2011年10月20日(木)  元永定正「白い光が出ているみたい」
nicky_20111020.jpg 466×600 55K元永定正
「白い光が出ているみたい」
1977年
スクリーンプリント
イメージサイズ:61.0×47.0cm
Ed.100
サインあり

2011年10月3日元永定正先生が亡くなられた。88歳でした。
「ぼくはアホ派やから」とおっしゃっていたがもっともっと長生きして活躍して欲しかった。
「具体」の代表作家として内外で高い評価を得ている元永先生ですが、ずっと順調だったわけではありません。
1963年に東京画廊で個展を開催、その翌年現代日本美術展で優秀賞を受賞した頃が最初のピークでした。1971年に「具体」が解散してからのしばらくは元永先生の雌伏の時代となりました。不遇の時代といってもいいでしょう。
亭主が初めて元永先生にお目にかかったのは、1975年秋、関根伸夫先生に連れられて行った名古屋の今では伝説の画廊となった桜画廊の個展の会場でした。
その後、1977年の現代版画センターの「現代と声」という企画に、関根先生が強力に元永先生を推薦して、「白い光がでているみたい」「いいろろ」「オレンジの中で」の3点の版画を初めてエディションしました。刷りはすべて石田了一さんです。
これ以前にも版画制作はされていたのですが、本格的なものはこれが最初で、いわば実質的な版画デビュー作品です。

少し昔話になりますが、この「現代と声」企画には、各分野から9人の作家が選ばれましたが、その顔触れは、靉嘔、オノサト・トシノブ、磯崎新、加山又造、小野具定、一原有徳、野田哲也、関根伸夫、そして元永定正でした。
当時の現代版画センターの<軍師>は関根伸夫先生で、彼の強力な推薦で元永先生が選ばれたのですが、当時、元永先生の存在は東京ではすっかり忘れさられており、この企画が発表されるや「えっ、元永さん生きてたの?」といわれたことを覚えています。
亭主は、以来、70点以上の版画作品をエディションしました。点数としては磯崎新先生は別格として、元永先生と菅井汲先生が最も多かった。それだけ売れたのである。
この「現代と声」企画3作品をきっかけに元永先生は版画制作に本格的に取り組み、それがひろく元永ワールドを知らしめることとなり、再評価へと繋がりました。
1983年に新潮社の日本芸術大賞を受賞したときの受賞理由に「版画家」としての評価が入っていたことを嬉しく思い出します。
この後の元永先生の大爆発と活躍はご存知の通り。

関東の男としては、元永先生(伊賀のご出身だが)をはじめ、菅井先生、そして安藤忠雄先生たち関西の作家たちの言いにくいこともあの関西弁ではっきり伝え、サービス精神旺盛なくせに辛辣なこともさらっと言えるお人柄にはずいぶんと最初は戸惑ったものでした。
今では得がたいキャラクターなのだと懐かしい。
たくさんのことを学び、たくさんの作品の誕生に立ち会うことができました。
元永先生、ありがとう、さようなら。

元永定正 Sadamasa MOTONAGA(1922-2011)
1922年三重県生まれ。県立上野商業学校卒。55年関西を拠点にする[具体美術協会]に参加、吉原治良に師事する。絵具のたらし込みなど流動感ある絵画によって、折から世界を席巻したアンフォルメルの画家として一躍注目を浴びる。64年現代日本美術展で受賞したのをはじめ、各種国際展などで活躍。83年には日本芸術大賞を受賞し、名実共に日本を代表する抽象画家としての地位を確立した。2011年10月3日、死去。享年88。

過去の記事 2004年06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 12月 
2006年01月 03月 
2009年02月 03月 05月 06月 11月 12月 
2010年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2011年01月 02月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2012年01月 

一覧 / 検索