イリナ・イオネスコを来日させたかったのは単にCD-ROMの宣伝のためでした。勿論、私たちがよんだその時が初来日です。O氏がパリのイリナのアパートメントで是非日本に来てくださいねと言わなければ実現しなかったでしょう。また本当に彼女が来てくれるとは思いませんでした。O氏は何故かCD-ROMは売れると思っていたようです。と言うより何としても成功させたかったのです。後で解ったのですがO氏の申し出にイリナが喜ばないわけがありません。イリナにとっては夢のような話だったのです。イリナにはどうしても日本に行きたい訳がありました。
 イリナは語り始めました。彼女の生い立ちです。サーカス団にいた母親のこと、オペラ歌手だった父親のこと。母を如何に愛していたか。その母がイリナをおいて、同じサーカス団員の東洋人と駆け落ちをしてしまったこと。そして父の突然の死。イリナは母が自分を捨ててまで何に惹かれて東洋に駆け落ちしてしまったのか理解したかったのです。彼女は母親を恨んではないのです。そうではなく彼女の知りたいのはそこまでして母を魅了した東洋とは何なのかを知りたかったのです。多分中国人であったろう駆け落ちの相手に出来れば会ってみたかったようです。母を理解したかったのです。母を身近に感じたかったのです。イリナに断る理由は何もありませんでした。
 イリナが日本に来たのは、サクラが散ってしまった5月の花冷えのする日曜日でした。成田に迎えに行くとスレンダーでオシャレなイリナがゲートから出てきました。20代の時とスリーサイズは全く変わっていないのと腰に手を当てて言うイリナ。正にその通りで彼女はとてもキュートでした。60代も後半の彼女ですが、イリナはあくまでも女性でした。まるで少女のように私の車に乗り込むとひっきりなしに話がはじまります。時々ため息をつくように「ジャドール(大好きとも違うこの言葉です。敬愛すると言う堅苦しい訳もあるのですがそれとも違うのです。メロメロというとくだけすぎで何とも訳しにくいのですがとても嬉しい事です)」を連発です。「ジャドール ジャポン」
 東京のワシントン・ホテルのスイートルームにO氏は部屋を取ってくれました。桁違いの歓迎でした。イリナも大満足です。長旅の疲れを見せるどころか日本風の喫茶にいきたいようでしたので、甘味処へ入りました。座るや目をくりくりさせて喜んだのが障子に映る木漏れ日でした。風が吹くたびに影が砕けるように揺れるのがとても気に入ったようです。また「ジャドール」の連発です。またウエートレスのメイクにもとても関心を示しました。ジーと見つめたかと思うと私の顔を見つめ何度も頷くのです。そしてまた「ジャドール」の連発です。
 さらにイリナの関心を誘ったことがありました。彼女が驚いたのは先回からのモノクロームの世界に関係しています。それは次回にお話しします。(つづく)
2009年1月13日(いむらはるき)

エヴァ6イリナ・イオネスコ
"Eva 6"
1978(Printed in 1996)
Gelatin Silver Print
27.5×19cm
Ed.20  Signed