ときの忘れもの 今月のお勧め
■2021年12月21日(火)  野口琢郎 Takuro NOGUCHI "Landscape #43"

野口琢郎 Takuro NOGUCHI
"Landscape #43"
2017年
箔画/紙、漆、金・銀・プラチナ箔、石炭、樹脂、アクリル絵具
76.5×57.0cm Signed

野口琢郎 Takuro NOGUCHI
1975年京都府生まれ。1997年京都造形芸術大学洋画科卒業。2000年長崎市にて写真家・東松照明の助手に就く。2001年京都西陣の生家 箔屋野口に戻り、西陣織に使われる引箔製造の技法を応用し箔画作家として活動を開始、2004年に初個展開催、以来毎年個展を行なっている。ときの忘れものでは2012年、2014年、2018年に個展開催。

漆を塗った木のパネルに金・銀・プラチナ箔や石炭粉を接着する独自の技法を用いて、抽象的な街の風景〈Landscape〉シリーズや、花火をモチーフにしたシリーズ、海と空、夜明けや星空などの風景を題材に希望の光を感じられる美しさを作品に表現している。箔画の最大の魅力は、画面全体に箔が施されている為に、観る角度、光源の強弱や方向によって輝きが変化する所にあります。


■2021年12月07日(火)  横尾忠則 Tadanori YOKOO 《その時が来た時のために》

横尾忠則 Tadanori YOKOO 
《その時が来た時のために》
1990年
キャンバスに油彩
イメージサイズ:162.0×130.5cm
※東京都現代美術館「GENKYO 横尾忠則 ―原郷から幻境へ、そして現況は?―」(2021年7月17日(土)−10月17日(日))出品作品

横尾忠則 Tadanori YOKOO
横尾忠則(よこお ただのり)は、1936年兵庫県生まれ。池田満寿夫と並ぶ戦後60年代が生んだ文字通りスーパースターです。幼少のころから絵や文字に興味を持ち、小学校時代には既に《漫画少年》に投稿していた。高校のときに漫画家か ら挿絵画家へ志望を変え、通信教育を受ける。また、同じころ油絵の制作を始め、絵画展へ応募し、入賞を重ねた。太平洋画会会友に推挙されたが、高校生であるということで断る。高齢の両親のことを思い、美大へ進学せず就職するが半年で解雇される。1956年カットの投稿や公募展への出品などを重ねるうち、神戸新聞宣伝技術研究所の助手として入社、翌年には神戸新聞社事業部関係のポスターを一手に引き受けるようになった。

1959年ナショナル宣伝研究所へ移るが、翌年には念願の日本デザインセンターへ入社、その才能を存分に発揮し、存在が広く知られるようになる。1965年の初個展の会場で三島由紀夫と出会う。1967年寺山修司主宰の天井桟敷に参加、美術を担当する。このころから海外での個展など、その活躍の場が世界的なものになった。グラフィックアーティストとして第一線で活躍を続けていた1980年、ニューヨークで見たピカソ展に衝撃を受け、画家への転向を表明、油彩の制作を本格的に開始する。その後もさまざまなジャンルのアーティストとのコラボレーションを行うなど、いまなおその活動は注目を集める現在稀有な作家である。


■2021年11月30日(火)  草間彌生 Yayoi KUSAMA 《死の直前》

草間彌生 Yayoi KUSAMA
《死の直前》
1975年
パステル、コラージュ
イメージサイズ:54.4×39.3cm
表面にサイン、年記あり。裏面にサイン、年記、タイトルあり

草間彌生 Yayoi KUSAMA
1929年長野県生まれ。49年京都市立美術工芸学校卒。57年渡米。無限に増殖する網や水玉の作品を制作、ソフトスカルプチャーなど環境彫刻の先駆けをなし、ボディペインティング、反戦運動など多数のハプニングを行う。75年帰国。93年ベネチア・ビエンナーレに参加。98-99年ニューヨークMoMA他で大回顧展が巡回し、20世紀の最も優れた女性作家の評価を決定的にした。2004年には【クサマトリックス】(森美術館)と【草間彌生―永遠の現在】(東京国立近代美術館)の二つの大展覧会が開催された。2000年芸術選奨文部大臣賞、2001年朝日賞、2006年高松宮殿下記念世界文化賞(第18回)を受賞。

草間さんが版画を発表したのは帰国後の79年からですが、当初は全く売れませんでした。版元の私たちには辛いことでしたが、草間さんの自作に寄せる自信は揺るぎないものでした。これだけ自己の才能を信じられる作家はそうはいない。バブル崩壊で男が自信喪失する中、経済的にも力をつけてきた女性達が、抑圧された女性の才能をアートで開花させた草間さんに圧倒的な支持を寄せ、空前の草間ブームを呼んだのはご承知の通りです。


■2021年11月23日(火)  菅井汲 Kumi SUGAI "GUEST II"

菅井汲 Kumi SUGAI
"GUEST II"
1980年
シルクスクリーン
57.5×44.0cm
Ed.150
サインあり
※レゾネNo299(阿部出版)

菅井汲 Kumi SUGAI
1919年神戸市生まれ。本名・菅井貞三。阪急電鉄でデザイナーとして活躍、プロ野球の阪急ブレ−ブスのマークなどを制作。中村貞以に日本画を学ぶが52年渡仏、渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界のスターとなる。55年から版画制作を開始、生涯に約400点を制作。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞。96年永逝(享年77)。

映画ファンなら誰でも知っているサガンの[悲しみよ、こんにちは]のギャラリーのシーンはまさにデビューしたてのスガイ先生の個展風景です。戦後の国際舞台に単身で闘いを挑み大きな成功を勝ち得た抽象画家スガイ先生は、私にとって版元と画家との緊張関係を身をもって教えてくれた恩人であり、教師でした。70年〜80年代の幾何学的抽象による70点以上の版画エディションを送り出すことができました。


■2021年11月16日(火)  宮脇愛子 Aiko MIYAWAKI 《Golden Egg(A)》

宮脇愛子 Aiko MIYAWAKI
《Golden Egg(A)》
1982年 ブロンズ
H4.5×21×12cm
限定 50部
本体に刻サイン、共箱(箱にペンサイン)

宮脇愛子 Aiko MIYAWAKI
1929年東京生まれ。1952年日本女子大学文学部史学科卒業。阿部展也、斎藤義重に師事。1957-66年欧米各地に滞在し、制作活動を行なう。真鍮、石、ガラスを用いた立体作品のほか油彩や墨絵を制作。代表的な彫刻作品《うつろひ》は、モンジュイック・オリンピック広場(バルセロナ)、ラ・デファンス(パリ)、奈義町現代美術館など世界各地にコレクションされている。1998年神奈川県立近代美術館で回顧展、国内外で多数開催。晩年は車椅子での不自由な闘病生活にもかかわらず創作意欲は衰えず、油彩や ドローイングを制作し続けた。2014年8月20日84歳で永逝。

宮脇のシルクスクリーンや銅版画からは繊細で静かな華やかさが漂う。マン・レイが撮影したモナリザのポーズの若き日の宮脇の肖像写真は、夫君の磯崎新のデザインでシルクスクリーンのポスターになった。しなやかな金属ワイヤによる[うつろい]がもたらす軽やかで爽やかな空間のゆらぎは、宮脇の独創で、自然と人間の感性が共鳴する新たな現代美術の可能性を人々に訴えかけている。


■2021年11月09日(火)  倉俣史朗 Shiro KURAMATA "Perfume Bottle No.3"

倉俣史朗 Shiro KURAMATA
"Perfume Bottle No.3"
2008年
ボディ:クリスタル
キャップ:アルマイト仕上げ
6.8×5.0×5.0cm
Ed.30
保証書付き(倉俣美恵子夫人のサイン入り)

倉俣史朗 Shiro KURAMATA
1960年代後半から革新的な作品を発表した世界的デザイナー。アクリル、グラス、アルミニウム、スチールメッシュを多用した作品が多い。 1934年、東京都生まれ。東京都立工芸高等学校木材科で学び、1953年から帝国器材に勤める。1953年から56年まで桑沢デザイン研究所リビングデザイン科で学び、1957年に三愛の宣伝課に就職、ウィンドウディスプレイなどのデザインを手掛ける。1965年クラマタデザイン事務所を設立。1967年、横尾忠則らとコラボレーションしたインテリアデザインなどで脚光を浴びる。

このころから、彼が生涯にわたって好んだアクリル素材を用いて、日常の空間に無重力を作り出したような、透明で浮遊感のある作品を生み出していく。 1970年"Furniture in Irregular Forms"シリーズで世界に広く認知される。1972年毎日デザイン賞を受賞。1981年エットレ・ソットサス Jr.らによるイタリアンデザインの新しいムーブメントであるメンフィス(Menphis)の展示会に磯崎新、マイケル・グレイブスらと共に参加。1990年フランス文化省芸術文化勲章を受勲。 1991年、急性心不全のため死去。享年56。


■2021年11月02日(火)  磯崎新 Arata ISOZAKI 《W-047 「闇 1」》

磯崎新 Arata ISOZAKI
《W-047 「闇 1」》
1999年
シルクスクリーン
イメージサイズ:58.3×77.0cm
シートサイズ:70.0×90.0cm
Ed.35
サインあり

◆「磯崎新版画集 闇」(なら 100年会館)の中の1点。

磯崎新 ISOZAKI Arata
建築家。1931年大分市生まれ。54年東京大学卒業。61年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。63年磯崎新アトリエを設立。代表作に[大分県立中央図書館][岩田学園][福岡相互銀行本店][つくばセンタービル][MOCA―ロサンゼルス現代美術館][バルセロナ市オリンピック・スポーツホール][ティーム・ディズニー・ビルディング][山口県秋吉台国際芸術村][トリノ冬季五輪アイスホッケーメーン会場]他。近年は頻繁にアジアに出向き、多数のプロジェクトに参加している。日本建築学会賞、RIBA賞、朝日賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、他受賞。著書『空間へ』『建築の解体』『手法が』『栖十二』『建築家捜し』など多数。

早くから建築のみならず、思想、美術、デザイン、映画などの国際的な舞台で活躍、評論や設計競技の審査を通じて、世界のラディカルな建築家たちの発想を実現に導くうえでのはかり知れない支援を果たしてきた。日本を代表するとともに、世界の建築界で最も信頼されている建築家である。自らの建築観(コンセプト)を紙の上に表現することに強い意欲を示し、77年から既に200点もの版画を制作している。現在、ときの忘れものを版元に、版画とエッセイによる連刊画文集《百二十の見えない都市》に取り組んでいる。


■2021年10月19日(火)  安藤忠雄 Tadao ANDO 《セビリア万博日本館》

安藤忠雄 Tadao ANDO
《セビリア万博日本館》
1998年
シルクスクリーン
イメージサイズ:49.0×50.0cm
シートサイズ:90.0×60.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり

◆安藤忠雄、初の大型版画集「安藤忠雄版画集 1998」の10点中の1点。

安藤忠雄 Tadao ANDO
建築家、東京大学名誉教授。1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、69年安藤忠雄建築研究所を設立。[住吉の長屋]により79年日本建築学会賞受賞、衝撃的なデビュー。代表作に[六甲の集合住宅][光の教会][ファブリカ/ベネトンアートスクール][フォーワース現代美術館][直島コンテンポラリーミュージアム][表参道ヒルズ]他。吉田五十八賞、日本芸術院賞、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞、UIA賞他を受賞。2010年文化勲章受章。著書『連戦連敗』『旅』他多数。
学歴なしでいきなり東大教授に就任したときは世間をあったといわせましたが、阪神・淡路震災復興支援にも尽力するなど、安藤さんほど建築家という職業を世に知らしめた人はいないでしょう。84年から版画制作に取り組み、『安藤忠雄版画集 1998』をときの忘れものより出版。ニューヨークMoMA、パリ・ポンピドゥーセンターなど世界各地で建築展を開催、出品される美しいドローイング、版画類は世界中のコレクター垂涎の的です。


■2021年10月5日(火)  奈良原一高 Ikko NARAHARA 写真集〈消滅した時間〉より 《二つのごみ罐−ニュー・メキシコ、1972》

奈良原一高 Ikko NARAHARA
写真集〈消滅した時間〉より 《二つのごみ罐−ニュー・メキシコ、1972》
1972年 (Printed 1975)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:26.9×39.9cm
シートサイズ:40.6×50.8cm
サインあり

奈良原一高 Ikko NARAHARA
1931年福岡県生まれ。本姓は楢原。中央大学法学部卒業後、早稲田大学大学院で美術史を専攻。前衛美術に傾倒し、1955年には池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。在学中の1956年に、初個展「人間の土地」を開催し、ほぼ無名の新人の個展としては例外的な反響を呼び、鮮やかなデビューを飾った。それに続き、1958年には極限状況を生きる人間にフォーカスを当てた「王国」を発表、日本写真批評家協会賞新人賞受賞。1959年東松照明・細江英公・川田喜久治・佐藤明・丹野章と、写真家によるセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成(1961年解散)。
その後滞欧し、帰国後の出版した写真集 『ヨーロッパ静止した時間』で、日本写真批評家協会賞作家賞、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞を受賞。1975年写真集 『消滅した時間』、1986年写真集『ヴェネツィアの夜』で日本写真協会賞年度賞。1996年紫綬褒章受章。2002年パリ写真美術館で、2004年東京都写真美術館で回顧展が開催されるなど、国内外で高く評価されている。2005年日本写真協会賞功労賞受賞。 2020年死去。


■2021年9月21日(火)  瑛九 Q Ei 《フォトデッサン型紙》

瑛九 Q Ei
《フォトデッサン型紙》
切り抜き・厚紙
45.6×56.0cm

瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォト・デッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

明治以来、多くの画家たちが悪戦苦闘した油彩画ですが、私は瑛九こそがもっとも優れたカラーリスト(色彩画家)であると思います。既に1930年代にフォトグラムを制作した表現の地平は今から思えばマン・レイ等と並ぶ世界的な水準でした。油彩、水彩、フォト・デッサン、版画それぞれに独自の表現を求め、決して自分を模倣することはありませんでした。いつもそこには光り(最も美しい色彩)がありました。


■2021年9月14日(火)  瑛九 Q Ei 《題不詳》

瑛九 Q Ei
《題不詳》
制作年不詳
フォト・デッサン
シートサイズ:28.0×21.5cm
額裏に杉田都夫人のサインあり
「瑛九フォト・デッサン展記念 一九八七.九月 於 マリオン朝日ホール」と但し書きあり

瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォト・デッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

明治以来、多くの画家たちが悪戦苦闘した油彩画ですが、私は瑛九こそがもっとも優れたカラーリスト(色彩画家)であると思います。既に1930年代にフォトグラムを制作した表現の地平は今から思えばマン・レイ等と並ぶ世界的な水準でした。油彩、水彩、フォト・デッサン、版画それぞれに独自の表現を求め、決して自分を模倣することはありませんでした。いつもそこには光り(最も美しい色彩)がありました。


■2021年9月7日(火)  瑛九 Q Ei 《バレエレッスン》

瑛九 Q Ei
《バレエレッスン》
フォト・デッサン
22.0×27.0cm

瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォト・デッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォト・デッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

明治以来、多くの画家たちが悪戦苦闘した油彩画ですが、私は瑛九こそがもっとも優れたカラーリスト(色彩画家)であると思います。既に1930年代にフォトグラムを制作した表現の地平は今から思えばマン・レイ等と並ぶ世界的な水準でした。油彩、水彩、フォト・デッサン、版画それぞれに独自の表現を求め、決して自分を模倣することはありませんでした。いつもそこには光り(最も美しい色彩)がありました。


■2021年9月2日(火)  松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO 《人物(W)》

松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
《人物(W)》
紙にペン、水彩
イメージサイズ: 22.0x16.0cm
シートサイズ:26.8x18.2cm

松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO
松本竣介(旧名佐藤俊介)は1912年東京に生まれ、2歳のときに岩手に移り少年時代を盛岡で過ごす。松本姓となるのは1936年に松本禎子と結婚してからである。 盛岡中学の入学後に聴力を失い、画家を志す。同級生には舟越保武がいる。1929年中学を中退し、上京、太平洋画会研究所に通う。1935年前衛グループNOVAの同人となり、二科展に初入選。翌年松本禎子と結婚し、二人で月刊の随筆雑誌『雑記帳』を創刊する(綜合工房刊、14号で廃刊)。同誌には林芙美子、難波田龍起、高村光太郎、萩原朔太郎らが文章を、藤田嗣治、鶴岡政男、麻生三郎らがデッサンや口絵を寄せた。1940年銀座の日動画廊で初個展を開催。

1941年美術雑誌『みづゑ』1月号に掲載された座談会記事「国防国家と美術」に反論し、「生きてゐる画家」を投稿、同誌4月号に掲載された。同年盛岡・川徳画廊で「舟越保武・松本俊介二人展」を開催。戦時中は1943年靉光や麻生三郎、寺田政明ら同志8名で新人画会を結成し、第3回展まで開催した。戦後1946年美術家組合を提唱、戦争に疲れ沈退した全日本美術家の提携再起を促した。1947年自由美術家協会に新人画会のメンバーと共に参加し、翌1948年毎日新聞主催の連合展に「彫刻と女」「建物」を出品、これが絶筆となり、僅か36歳の短い生涯を終えた。


■2021年8月17日(火)  倉俣史朗 Shiro KURAMATA 《無極II》

倉俣史朗 Shiro KURAMATA
《無極II》
1979年
平版
イメージサイズ:74.7×103.5cm
シートサイズ: 79.1×109.6cm
Ed.5

倉俣史朗 Shiro KURAMATA
1960年代後半から革新的な作品を発表した世界的デザイナー。アクリル、グラス、アルミニウム、スチールメッシュを多用した作品が多い。 1934年、東京都生まれ。東京都立工芸高等学校木材科で学び、1953年から帝国器材に勤める。1953年から56年まで桑沢デザイン研究所リビングデザイン科で学び、1957年に三愛の宣伝課に就職、ウィンドウディスプレイなどのデザインを手掛ける。1965年クラマタデザイン事務所を設立。1967年、横尾忠則らとコラボレーションしたインテリアデザインなどで脚光を浴びる。

このころから、彼が生涯にわたって好んだアクリル素材を用いて、日常の空間に無重力を作り出したような、透明で浮遊感のある作品を生み出していく。 1970年"Furniture in Irregular Forms"シリーズで世界に広く認知される。1972年毎日デザイン賞を受賞。1981年エットレ・ソットサス Jr.らによるイタリアンデザインの新しいムーブメントであるメンフィス(Menphis)の展示会に磯崎新、マイケル・グレイブスらと共に参加。1990年フランス文化省芸術文化勲章を受勲。 1991年、急性心不全のため死去。享年56。


■2021年8月10日(火)  マン・レイ Man RAY 《アンドレ・ブルトン》

マン・レイ Man RAY
《アンドレ・ブルトン》
1990年プリント
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:30.2×24.4cm
シートサイズ:35.6×26.4cm
裏面にスタンプあり
※ピエール・ガスマンによるモダンプリント

マン・レイ Man RAY
マン・レイ(Man Ray, 1890年8月27日〜 1976年11月18日)はアメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。

レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残している。


■2021年8月03日(火)  熊谷守一 KUMAGAI Morikazu 《揚羽蝶に百日草》

熊谷守一 KUMAGAI Morikazu
《揚羽蝶に百日草》
※原作1971年作
2011年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
20版12色27度刷り
イメージサイズ:33.0×24.0cm
シートサイズ:41.9×32.2cm
Ed.80
枠外に印章と限定番号及び、エンボス

熊谷守一 KUMAGAI Morikazu
1880年岐阜県に生まれる。1900年東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。黒田清輝、藤島武二らの指導を受ける。同級生に青木繁がいた。1930年代より墨絵を描き始め、晩年は書も書くようになる。1932年に豊島区長崎町(現千早)に移り住み、生涯過ごす。1964年にパリの画廊にて個展、日本各地でも数多く個展が開催されるようになる。1967年文化勲章を辞退。1977年8月1日死去(享年97)。戦後は明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする画風を確立し、猫や鳥、虫や花など、身近な生命をテーマに描きたい時だけ描いた。それらの一連の作品は“クマガイスタイル”と称され、今なお高い評価を得ている。住まい跡地は「豊島区立熊谷守一美術館」となっている。


■2021年7月27日(火)  長谷川潔 HASEGAWA Kiyoshi 《ヴォルクスの村》

長谷川潔 HASEGAWA Kiyoshi
《ヴォルクスの村》
1927年
メゾチント
イメージサイズ:20.1×28.0cm
シートサイズ:33.0×46.0cm
Ed.50
サインあり

長谷川潔 Kiyoshi HASEGAWA
1891年(明治24年)、銀行家であった長谷川一彦の長男として横浜市に生まれる。裕福な家庭に育つが、1902年に父が、次いで麻布中学校卒業前に母・欣子が死去。虚弱体質であったため、好きであった美術の道へ進む。1910年(明治43年)麻布中学校を卒業。葵橋洋画研究所で黒田清輝から素描を、本郷洋画研究所で岡田三郎助、藤島武二から油彩を学ぶ。また、バーナード・リーチからエッチング技法の指導を受けた。1913年(大正2年)に文芸同人誌『仮面』に参加、表紙や口絵を木版画で制作する。1918年(大正7年)フランスへ渡航。

版画技法の研鑽に励み、サロン・ドートンヌ等に出品。1925年(大正14年)初の版画の個展を開催。翌年サロン・ドートンヌ版画部の会員となり、パリ画壇で確固たる地位を築いた。その後の第二次世界大戦の勃発時にはフランス在住の多くの画家が帰国するが、長谷川はフランスに留まる。経済的にも苦難が続くが、銅版画技法を極め、自らが復活させたメゾチントの名作を数多く発表した。1980年(昭和55年)12月13日、パリの自宅で死去。享年89。渡仏してから一度も日本へ帰ることはなかった。


■2021年7月20日(火)  光嶋裕介 KOSHIMA Yusuke 《幻想都市風景2020-03》

光嶋裕介 KOSHIMA Yusuke
《幻想都市風景2020-03》
2020年
和紙にインク、金箔、プラチナ箔(箔押し:野口琢郎
45.0×90.0cm
サインあり

光嶋裕介 KOSHIMA Yusuke
建築家、一級建築士。
1979年米国ニュージャージー州生。 87年に日本に帰国。 以降、カナダ(トロント)、 イギリス(マンチェスター)、 東京で育ち、最終的に 早稲田大学大学院修士課程建築学を 2004年に卒業。 同年にザウアブルッフ・ハットン・ アーキテクツ(ベルリン)に就職。 2008年にドイツより帰国し、 光嶋裕介建築設計事務所を主宰。 首都大学東京にて、助教(2012-15) 神戸大学にて、客員准教授(2015-) 桑沢デザイン研究所(2010-)、 日本大学短期大学部(2011-12)、 大阪市立大学(2013-)、 早稲田大学(2019-2019)、 名古屋工業大学(2017-2020)にて、常勤講師。

建築作品に《凱風館(神戸、2011)》、 《旅人庵(京都、2015)》、 《森の生活(長野、2018)》など多数著作に『増補 みんなの家。』(筑摩書房)、 『幻想都市風景』(羽鳥書店)、 『これからの建築』(ミシマ社)など多数


■2021年7月13日(火)  瑛九 Q Ei 《カザリ》

瑛九 Q Ei
《カザリ》
1956
リトグラフ
36.0x24.5cm
Ed.8
都夫人の裏書あり
※レゾネNo.51

瑛九 Q Ei
1911年宮崎生まれ。本名・杉田秀夫。15歳で『アトリヱ』『みづゑ』など美術雑誌に評論を執筆。36年フォトデッサン作品集『眠りの理由』を刊行。37年自由美術家協会創立に参加。既成の画壇や公募団体を批判し、51年デモクラート美術家協会を創立。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら若い作家たちに大きな影響を与えた。油彩、フォトデッサン、版画などに挑み、独自の世界を生み出す。60年48歳で永逝。

明治以来、多くの画家たちが悪戦苦闘した油彩画ですが、私は瑛九こそがもっとも優れたカラーリスト(色彩画家)であると思います。既に1930年代にフォトグラムを制作した表現の地平は今から思えばマン・レイ等と並ぶ世界的な水準でした。油彩、水彩、フォトデッサン、版画それぞれに独自の表現を求め、決して自分を模倣することはありませんでした。いつもそこには光り(最も美しい色彩)がありました。


■2021年7月6日(火)  オノサト・トシノブ ONOSATO Toshinobu "Galaxy"

オノサト・トシノブ ONOSATO Toshinobu
"Galaxy"
1981年
シルクスクリーン
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150
サインあり
※レゾネNo.174

オノサト・トシノブ ONOSATO Toshinobu
1912年長野県生まれ。その後群馬県桐生に移り住む。本名・小野里利信。津田青楓洋画塾に学ぶ。35年黒色洋画展を結成。38年自由美術家協会会員となる(〜56年、以後無所属)。41年に一兵卒として出征、戦後のシベリア抑留を経て48年に帰国後は桐生のアトリエでひたすら円を描き続けた。64年・66年にはベニス・ビエンナーレに日本代表として出品。戦前、戦後と親友の瑛九とともに前衛美術の道を歩み続けた。86年永逝。
瑛九、山口長男、菅井汲らとともに日本を代表する抽象画家オノサト先生は、油彩のほかに約200点の版画作品(リトグラフ、シルクスクリーン)を残しました。版元の私がアトリエに通い出した70年代はアトリエをほとんど一歩も出ず、終日絵筆を握る孤高の生活でした。東京国立近代美術館など多くの美術館に作品が収蔵されていますが、本格的な回顧展と画集の刊行が待たれます。


■2021年6月15日(火)  安藤忠雄 ANDO Tadao 《ピノー美術館》

安藤忠雄 ANDO Tadao
《ピノー美術館》
2003年
シルクスクリーン
イメージサイズ:36.0x86.0cm
シートサイズ:65.5x90.0cm
Ed.15
サインあり

安藤忠雄 ANDO Tadao
建築家、東京大学名誉教授。1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、69年安藤忠雄建築研究所を設立。[住吉の長屋]により79年日本建築学会賞受賞、衝撃的なデビュー。代表作に[六甲の集合住宅][光の教会][ファブリカ/ベネトンアートスクール][フォーワース現代美術館][直島コンテンポラリーミュージアム][表参道ヒルズ]他。吉田五十八賞、日本芸術院賞、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞、UIA賞他を受賞。2010年文化勲章受章。著書『連戦連敗』『旅』他多数。
学歴なしでいきなり東大教授に就任したときは世間をあったといわせましたが、阪神・淡路震災復興支援にも尽力するなど、安藤さんほど建築家という職業を世に知らしめた人はいないでしょう。84年から版画制作に取り組み、『安藤忠雄版画集 1998』をときの忘れものより出版。ニューヨークMoMA、パリ・ポンピドゥーセンターなど世界各地で建築展を開催、出品される美しいドローイング、版画類は世界中のコレクター垂涎の的です。


■2021年6月8日(火)  舟越直木 FUNAKOSHI Naoki 《Bedessa Moon》

舟越直木 FUNAKOSHI Naoki
"Bedessa Moon"
2000年
ブロンズ
14.5×9.0×7.5cm

舟越直木 FUNAKOSHI Naoki
1953年東京都生まれ。78年東京造形大学絵画科卒業。83年銀座・みゆき画廊で個展。以後、なびす画廊、MORIOKA第一画廊、ときの忘れもの、ギャラリー寺下、ギャラリーせいほう他での個展を中心に発表。1998年長岡・新潟県立近代美術館[インサイド/アウトサイド日本現代彫刻の8人]に出品。2000年岩手・萬鉄五郎記念美術館で[舟越直木・阿部陽子展]開催。
不定形な山型や人体の部分を思わせる独特のドローイング作品、何よりその色彩感覚に惹かれます。ブロンズによる彫刻作品も生物の原初のイメージを思わせるものから、葡萄粒のような球体が連鎖する作品など、大きな振幅を持っていますが、いずれもシンプルで豊かな感性がストレートに伝わってきます。2017年死去。


■2021年6月1日(火)  横尾忠則 YOKOO Tadanori 《LA CHAPELLE LAND A》

横尾忠則 YOKOO Tadanori
"LA CHAPELLE LAND A"
1996年 
シルクスクリーン
94.7×71.8cm 
Ed.100 
サインあり

横尾忠則 YOKOO Tadanori
横尾忠則(よこお ただのり)は、1936年兵庫県生まれ。池田満寿夫と並ぶ戦後60年代が生んだ文字通りスーパースターです。幼少のころから絵や文字に興味を持ち、小学校時代には既に《漫画少年》に投稿していた。高校のときに漫画家か ら挿絵画家へ志望を変え、通信教育を受ける。また、同じころ油絵の制作を始め、絵画展へ応募し、入賞を重ねた。太平洋画会会友に推挙されたが、高校生であるということで断る。高齢の両親のことを思い、美大へ進学せず就職するが半年で解雇される。1956年カットの投稿や公募展への出品などを重ねるうち、神戸新聞宣伝技術研究所の助手として入社、翌年には神戸新聞社事業部関係のポスターを一手に引き受けるようになった。
1959年ナショナル宣伝研究所へ移るが、翌年には念願の日本デザインセンターへ入社、その才能を存分に発揮し、存在が広く知られるようになる。1965年の初個展の会場で三島由紀夫と出会う。1967年寺山修司主宰の天井桟敷に参加、美術を担当する。このころから海外での個展など、その活躍の場が世界的なものになった。グラフィックアーティストとして第一線で活躍を続けていた1980年、ニューヨークで見たピカソ展に衝撃を受け、画家への転向を表明、油彩の制作を本格的に開始する。その後もさまざまなジャンルのアーティストとのコラボレーションを行うなど、いまなおその活動は注目を集める現在稀有な作家である。


■2021年5月25日(火)  吉原英里 YOSHIHARA Eri 《草上のティータイム》

吉原英里 YOSHIHARA Eri 
《草上のティータイム》
1984年
エッチング、ラミネート
イメージサイズ:60.0×45.0cm
シートサイズ:70.0×54.0cm
Ed.30
サインあり

吉原英里 YOSHIHARA Eri
1959年大阪生まれ。1983年嵯峨美術短期大学版画専攻科修了。
1984年大阪の番画廊で初個展を開催し華々しいデビューを飾る。帽子やティーカップ、ワインの瓶など身近なものをモチーフに、独自の「ラミネート技法」で銅版画を制作。
1986年にインスタレーションを展開し、2001年から版画を組み入れた油彩の発表を始める。
主な展覧会:1997年 リュブリアナ国際版画ビエンナーレ招待出品、スロベニア/2000年 ボローニャアートフェアー、イタリア/2003年 文化庁買上優秀美術作品披露展 日本芸術院会館、東京/2007年 「日本版画の粋 現代版画展」南砥市立福光美術館、富山/2011年「吉原英雄を囲む作家展」和歌山県立近代美術館/2013年 新収蔵品展「信濃橋画廊コレクションを中心に」兵庫県立美術館/2016年「版画の誘惑展」砺波市美術館、富山/2016年 The 13th Gongju International Art Festival Lim Lip Art Museum、韓国/2018年 なつやすみの美術館8「タイムトラベル」和歌山県立近代美術館/2018年「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展 国立国際美術館、大阪。 個展は、1984年〜2020年 東京、名古屋、京都、大阪、福山、熊本、ソウル、ミラノ他で70回開催。
パブリックコレクション:文化庁・宮崎県立美術館・和歌山県立近代美術館・町田市立国際版画美術館・京都市立芸術大学・神戸アートビレッジセンター・嵯峨美術大学・ウィル愛知(愛知県女性センター)・兵庫県立美術館・砺波市美術館他。


■2021年5月18日(火)  吉原英里 YOSHIHARA Eri 《Sound of Silence 4》

吉原英里 YOSHIHARA Eri 
"Sound of Silence 4"
2020年
ミクストメディア
162×260cm (162×130cm×2枚組)
サインあり

吉原英里 YOSHIHARA Eri
1959年大阪生まれ。1983年嵯峨美術短期大学版画専攻科修了。
1984年大阪の番画廊で初個展を開催し華々しいデビューを飾る。帽子やティーカップ、ワインの瓶など身近なものをモチーフに、独自の「ラミネート技法」で銅版画を制作。
1986年にインスタレーションを展開し、2001年から版画を組み入れた油彩の発表を始める。
主な展覧会:1997年 リュブリアナ国際版画ビエンナーレ招待出品、スロベニア/2000年 ボローニャアートフェアー、イタリア/2003年 文化庁買上優秀美術作品披露展 日本芸術院会館、東京/2007年 「日本版画の粋 現代版画展」南砥市立福光美術館、富山/2011年「吉原英雄を囲む作家展」和歌山県立近代美術館/2013年 新収蔵品展「信濃橋画廊コレクションを中心に」兵庫県立美術館/2016年「版画の誘惑展」砺波市美術館、富山/2016年 The 13th Gongju International Art Festival Lim Lip Art Museum、韓国/2018年 なつやすみの美術館8「タイムトラベル」和歌山県立近代美術館/2018年「ニュー・ウェイブ現代美術の80年代」展 国立国際美術館、大阪。 個展は、1984年〜2020年 東京、名古屋、京都、大阪、福山、熊本、ソウル、ミラノ他で70回開催。
パブリックコレクション:文化庁・宮崎県立美術館・和歌山県立近代美術館・町田市立国際版画美術館・京都市立芸術大学・神戸アートビレッジセンター・嵯峨美術大学・ウィル愛知(愛知県女性センター)・兵庫県立美術館・砺波市美術館他。


■2021年4月29日(木)  アンディ・ウォーホル Andy WARHOL 《LOVE 2》

アンディ・ウォーホル Andy WARHOL 
"LOVE 2"
1983年
シルクスクリーン(刷り:石田了一)
65.8×50.0cm
E.P. (Ed.100)
サインあり

アンディ・ウォーホル Andy WARHOL
83年[アンディ・ウォーホル全国展]を企画した私は、ウォーホルに日本の花をテーマに、日本の刷り師を使いエディションを作って欲しいと頼んだ。刷り上がった千数百枚の『KIKU』『LOVE』連作6点を担いで、生まれて初めてN.Y.に行きウォーホルにサインを貰ったのだが、「君も描いてあげるよ」と言われたのに遠慮してしまったのが今となっては悔しい!89年にファクトリーを再訪した時は既に主はいなかった・・・。


■2021年4月22日(木)  釣光穂 TSURI Mitsuho 《キンタローマリリン yel》

釣光穂 TSURI Mitsuho 
《キンタローマリリン yel》
2020年
陶土、磁土、顔料
D16×W9×H9cm
サインあり

「Tricolore2021より―釣光穂」

釣光穂 TSURI Mitsuho
1991年兵庫県生まれ。2014年京都市立芸術大学美術学部工芸科陶磁器専攻卒業。2016年京都市立芸術大学大学院 美術研究科修士課程工芸専攻陶磁器卒業。2020年金沢卯辰山工芸工房卒業。

主な展覧会:個展2016年「うつわの標本」KUNST ARZT/京都,グループ展2017年「ルンパルンパKanazawa Newly arrived Art&Craft 2017」青山スパイラル/東京,「ウォーホル美術/Warhol Art」KUNST ARZT/京都,2018年秋元雄史監修「もう一つの工芸未来派」銀座和光/東京, その他グループ展,国内のアートフェア,ワークショップなど多数参加)

受賞歴:2016年「京都市立芸術大学作品展」奨励賞,2017年「第7回菊池ビエンナーレ 現代陶芸の<今>」菊池寛実記念智美術館 奨励賞,2019年「金沢市工芸展」NHK金沢放送局長賞,「金沢卯辰山工芸工房研修者作品展」卯辰山工芸工房賞。


■2021年4月13日(火)  宇田義久 UDA Yoshihisa "aquarium 21-2"

宇田義久 UDA Yoshihisa  
"aquarium 21-2"
2021年
パネル・アクリル・ウレタンニス
91x113cm 
サインあり

「Tricolore2021より―宇田義久」

宇田義久 UDA Yoshihisa
1966年 福島県会津若松市生まれ 岩手県盛岡市在住
1992年 岩手大学特設美術科卒業
1991年 「磁気状況シリーズ」/ギャラリー彩園子(岩手・盛岡市/'95, '00, '08)
1993年 個展/ギャラリー彩園子(岩手・盛岡市/'94, '14, '16)
1996年 岩手県芸術選奨受賞・個展/盛岡クリスタル画廊(岩手・盛岡市/'99, '02)
2003年 VOCA展/上野の森美術館(東京・上野)・ホルベインスカラシップ
2004年 個展/諄子美術館(岩手・北上市/'06, '10)・個展/足利ギャラリー(福島・会津若松市)
2005年 N.E.blood21 Vol.17宇田義久展/リアス・アーク美術館(宮城・気仙沼市)
2007年 「奥の若手道」展 /リアス・アーク美術館ほか(宮城、北海道、山形)
2008年 石神の丘アートウォーク2008/石神の丘美術館(岩手・岩手町)

2009年 福島の新世代2009/福島県立美術館(福島・福島市)・多彩な表現の中で展/石井県令邸(岩手・盛岡市)・はじめる視点・博物館から覚醒するアーティストたち/福島県立博物館
2011年 センダイモリオカアート/宮城県立美術館・県民ギャラリー・「2011.3.11〜展」/諄子美術館(岩手・北上市)
2012年 センダイモリオカアート/石井県令邸(岩手・盛岡市)
2013年 個展/turn around(宮城・仙台市)
2014年 BOX ART展/リアス・アーク美術館(宮城・気仙沼市)・国民文化祭秋田市/秋田県立美術館
2015年 個展/萬鉄五郎記念館 八丁土蔵ギャラリー(岩手・花巻市)・個展/MORIOKA第一画廊(岩手・盛岡市/'17)
2018年 宇田義久展/もりおか啄木・賢治青春館(岩手・盛岡市)
2020年 宇田義久展 Aqua/石神の丘美術館(岩手・岩手町)


■2021年4月6日(火)  ジャスパー・ジョーンズ Jasper JOHNS "Cicada"

ジャスパー・ジョーンズ Jasper JOHNS  
"Cicada"
1979年
セリグラフ
イメージサイズ:44.7×34.5cm
シートサイズ:55.8×46.0cm
Ed.100
サインあり

こちらの作品は、「オマージュ志水楠男 Marginalia-Hommage to Shimizu」に挿入されている作品の中の1点です。

「志水楠男と南画廊 Marginalia-Hommage to Shimizu」

ジャスパー・ジョーンズ Jasper JOHNS
1930年、ジョージア州オーガスタに生まれた。少年期をサウスカロライナで過ごした後、1949年、ニューヨークに出る。徴兵されて陸軍に入り、1952年に除隊。1954年頃から、国旗、数字、標的などを題材にした絵画を発表し始める。ほぼ同世代の美術家ラウシェンバーグとは、たまたま同じビルに入居していたこともある友人同士である。

ラウシェンバーグの作品がしばしば2次元の枠をはみ出ているのに対し、ジョーンズは標的や地図のようなもともと2次元的な事物を平面に描くことにこだわった。3次元の事物を2次元の平面に再現する「イリュージョン」としての絵画はここでは否定され、絵画自体が「もの」であることが強調され、平面的な「オブジェ」と化しているのである。また、ビールの缶をブロンズで本物そっくりに鋳造し彩色した「彫刻」も手掛けている。


■2021年3月30日(火)  関根伸夫 SEKINE Nobuo 《位相−大地》

関根伸夫 SEKINE Nobuo  
《位相−大地》
1986年
シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
シートサイズ:79×59.5cm
Ed.75
サインあり

関根伸夫 「〈発想〉について」(全5回)
関根伸夫 「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin のためのノート」
鏑木あづさ 「関根伸夫資料をめぐって」
土渕信彦 「梅津元の関根伸夫 追悼トーク」
追悼 関根伸夫先生
ルイジアナ美術館の関根ガーデン
関根伸夫の版画
関根伸夫の生前最後の個展
濱田千里 「川越市立美術館 小特集:関根伸夫と現代の美術について」
関根伸夫73歳 「日本美術オーラル・ヒストリー」
ロスのBlum & Poeで関根伸夫個展
'82関根伸夫全国展とオリジナル入りカタログ刊行
関根伸夫ヨーロッパ巡回展歓送会
現代版画センター全国同時展 「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km」MORIOKA第一画廊

関根伸夫 SEKINE Nobuo
1942年埼玉県生まれ。68年多摩美術大学大学 院油画研究科卒業。同大学で斉藤義重に師事。第8回 現代美術展、 神戸須磨離宮公園現代彫刻展、第5回長岡現代美術館賞展などで次々と受賞。美術界に旋風を巻き起こす。日本 発の現代 美術ムーブメント[もの派]を代表する作家として活躍する。70年ヴェニス・ビエンナーレ出品。73年環境 美術研究 所設立。78年デンマーク・ルイジアナ美術館他でヨーロッパ巡回展を開催。

須磨の公園の大地に大きな穴(円筒)をスコップで ひたすら掘り、掘り出した土をその穴の脇に円筒形に 積み上げた [位相ー大地]。彫刻の既成概念をひっくり返したこの作品は数週間の命で、人々の記憶にしか残りません。も し延々と その作業を続けたとしたら地球の中身は空っぽになり、隣にまったく同じ地球が生まれます。位相幾何学を援用 した思考 実験ともいうべき壮大なスケールのこの作品で関根先生は一躍スターとなりました。
2019年5月永眠。


■2021年3月23日(火)  関根伸夫 SEKINE Nobuo 位相絵画《不滅のもの》 (G8-133)

関根伸夫 SEKINE Nobuo 
位相絵画《不滅のもの》 (G8-133)
1989年
位相絵画(ミクストメディア、金)
45.5×37.5cm (F8号)
サインあり

関根伸夫 「〈発想〉について」(全5回)
関根伸夫 「空相ー皮膚 Phase of nothingness-skin のためのノート」
鏑木あづさ 「関根伸夫資料をめぐって」
土渕信彦 「梅津元の関根伸夫 追悼トーク」
追悼 関根伸夫先生
ルイジアナ美術館の関根ガーデン
関根伸夫の版画
関根伸夫の生前最後の個展
濱田千里 「川越市立美術館 小特集:関根伸夫と現代の美術について」
関根伸夫73歳 「日本美術オーラル・ヒストリー」
ロスのBlum & Poeで関根伸夫個展
'82関根伸夫全国展とオリジナル入りカタログ刊行
関根伸夫ヨーロッパ巡回展歓送会
現代版画センター全国同時展 「島州一・関根伸夫クロスカントリー7500km」MORIOKA第一画廊

関根伸夫 SEKIENE Nobuo
1942年埼玉県生まれ。68年多摩美術大学大学 院油画研究科卒業。同大学で斉藤義重に師事。第8回 現代美術展、 神戸須磨離宮公園現代彫刻展、第5回長岡現代美術館賞展などで次々と受賞。美術界に旋風を巻き起こす。日本 発の現代 美術ムーブメント[もの派]を代表する作家として活躍する。70年ヴェニス・ビエンナーレ出品。73年環境 美術研究 所設立。78年デンマーク・ルイジアナ美術館他でヨーロッパ巡回展を開催。

須磨の公園の大地に大きな穴(円筒)をスコップで ひたすら掘り、掘り出した土をその穴の脇に円筒形に 積み上げた [位相ー大地]。彫刻の既成概念をひっくり返したこの作品は数週間の命で、人々の記憶にしか残りません。も し延々と その作業を続けたとしたら地球の中身は空っぽになり、隣にまったく同じ地球が生まれます。位相幾何学を援用 した思考 実験ともいうべき壮大なスケールのこの作品で関根先生は一躍スターとなりました。
2019年5月永眠。


■2021年3月09日(火)  ハ・ミョンウン HA Myoung-eun "Firecracker BRUSH"

ハ・ミョンウン 
"Firecracker BRUSH"
2018年
ミクストメディア
115x80x6cm
サインあり

ハ・ミョンウン HA Myoung-eun
韓国の若い世代を代表する女性アーティスト。20世紀のポップアートを用いて、さまざまな素材のオブジェへと再解釈して、独自の作品を作る。2011年ソンシン女子大学一般大学院西洋画科卒業。

主な個展:2009年「A master piece of painting Preznt展」ギャラリーS101(ソンシン女子大学)、2011年「A master piece BRUSH」Gana Art Wilギャラリー(ソウル)。その他グループ展、団体展多数。受賞歴:2010年マノフィン新進作家公募優秀賞、2011年ギャラリードール 選定作家。


■2021年3月02日(火)  ボブ・ウィロビー Bob WILLOUGHBY "Hepburn, Audrey, 1953
Audrey Hepburn getting into a car after her first photo shoot at Paramount, having recently finished her first film "Roman Holiday," 1953. (A120)" ※「ローマの休日」

ボブ・ウィロビー  
"Hepburn, Audrey, 1953
Audrey Hepburn getting into a car after her first photo shoot at Paramount, having recently finished her first film "Roman Holiday," 1953. (A120)" ※「ローマの休日」

1953 (Printed in 2004)
ゼラチンシルバープリント
12×16in.
Ed.200
Initialed by Bob Willoughby, stamped and signed by Christopher Willoughby

「ボブ・ウィロビー写真展 ハリウッド・スペシャル」よりオードリー・ヘプバーン

ボブ・ウィロビー Bob WILLOUGHBY
1927年アメリカ・ロサンゼルスで生まれる。12歳のときに父からもらったカメラで写真を撮り始める。高校卒業後、ハリウッドのカメラマンたちの助手として修業し、かたわらジャズを対象に写真修業をした。南カリフォルニア大学の夜間部で写真を学び、専門学校でデザインを学習。やがて演劇や文化イベントを手がけるようになり、雑誌のために映画関連の撮影が増えた。

オードリー・ヘプバーン出演作のほか、「地上より永遠に」「スタア誕生」「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」など30年あまりの間に120本ほどの映画でスチル写真を撮り、『ライフ』『ヴォーグ』など世界的な雑誌に提供している。写真集として、『プラチナの時代』(1974)、『ロサンゼルスのジャズ』(1990)、『ハリウッド・スペシャル』(1993)などがある。彼の写真は、数多くの国の美術館に展示されている。2009年12月フランス・ヴァンスに永逝(享年82)。


■2021年2月23日(火)  平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko 《黒澤明 北海道苫小牧市。 『影武者』ロケ現場。》

平嶋彰彦  
《黒澤明 北海道苫小牧市。 『影武者』ロケ現場。》
1979年10月
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:25.9×38.7cm
シートサイズ:35.6×43.0cm
Ed. 3
サインあり

平嶋彰彦「東京下町の私的な体験」
平嶋彰彦
「東京ラビリンス」のあとさき
森山大道「平嶋彰彦展〜写真を支える多様なレイヤー」
大竹昭子「東京上空に浮遊する幻の街 平嶋彰彦写真展に寄せて」
飯沢耕太郎「日本の写真家たち 第10回 都市観察者の眼差し 平嶋彰彦」

平嶋彰彦 HIRASHIMA Akihiko
1946年、千葉県館山市に生まれる。1965年、早稲田大学政治経済学部入学、写真部に所属。1969年、毎日新聞社入社、西部本社写真課に配属となる。1974年、東京本社出版写真部に転属し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』『エコノミスト』など週刊誌の写真取材を担当。1986年、『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、筑摩書房)、翌1987年、『続・昭和二十年東京地図』刊行。1988年、右2書の掲載写真により世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展たたずむ町」。(作品は同美術館の所蔵となり、その後「ウナセラ・ディ・トーキョー」展(2005)および「東京スケイプinto the City」展(2018)に作者の一人として出品される)。1996年、出版制作部に転属。1999年、ビジュアル編集室に転属。2003年、『町の履歴書 神田を歩く』(文・森まゆみ、写真・平嶋彰彦、毎日新聞社)刊行。

編集を担当した著書に『宮本常一 写真・日記集成』(宮本常一、上下巻別巻1、2005)。 同書の制作行為に対して「第17回写真の会賞」(2005)。そのほかに、『パレスサイドビル物語』(毎日ビルディング編、2006)、『グレートジャーニー全記録』(上下巻、関野吉晴、2006)、『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』(池田信、2008)、『宮本常一が撮った昭和の情景』(宮本常一、上下巻、2009)がある。2009年、毎日新聞社を退社。それ以降に編集した著書として『宮本常一日記 青春篇』(田村善次郎編、2012)、『桑原甲子雄写真集 私的昭和史』(上下巻、2013)。2011年、早稲田大学写真部時代の知人たちと「街歩きの会」をつくり、月一回のペースで都内各地をめぐり写真を撮り続ける。2020年6月現在で100回を数える。


■2021年2月16日(火)  マン・レイ Man RAY 《モデル エルザ》

マン・レイ Man RAY 
《モデル エルザ》
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:31.9×26.0cm
シートサイズ:38.3×27.9cm
裏面にスタンプあり
※ピエール・ガスマンによるモダンプリント

マン・レイ Man RAY
マン・レイ(Man Ray, 1890年8月27日〜 1976年11月18日)はアメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。

レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残している。


■2021年2月09日(火)  細江英公 HOSOE Eikoh 《草間彌生、NYにて》

細江英公 HOSOE Eikoh 
《草間彌生、NYにて》
1964年(printed later)
ゼラチンシルバープリント
イメージサイズ:37.0×55.7cm
シートサイズ:50.4×60.7cm
Signed

細江英公「写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い〜イタリア・ルッカ」
細江英公
「「ガウディ」の肉体と霊性」
飯沢耕太郎「細江英公の演劇的想像力」
原 茂「細江英公写真展―写真絵巻とフレスコ画の時を越えた出会い〜イタリア・ルッカ」オープニングに出席して
森下隆「鎌鼬美術館——秋田県羽後町田代に開館」(全3回)
細江英公、瀧口修造を撮る

細江英公 HOSOE Eikoh
写真家。清里フォトアートミュージアム館長。1933年山形県生まれ。本名・敏廣。18歳のときに[富士フォトコンテスト学生の部]で最高賞を受賞し、写真家を志す。52年東京写真短期大学(現東京工芸大学)入学。デモクラート美術家協会の瑛九と出会い強い影響を受ける。54年卒業。56年小西六ギャラリーで初個展。63年三島由紀夫をモデルに撮った[薔薇刑]で評価を確立し、70年[鎌鼬(かまいたち)]で芸術選奨文部大臣賞受賞。

[薔薇刑][鎌鼬][抱擁][おとこと女]などの写真集は今や稀覯本です。瑛九の周辺に集まった画家たちの中では最年少だった細江先生ですが、98年紫綬褒章、2003年には英国王立写真協会創立百五十周年記念特別賞を受賞するなど、国内外において高い評価を獲得しています。功なり名を遂げても一ケ所に安住することなく、時代の先端をカメラを通して見つめ、謙虚で若い才能を愛する姿勢は一貫しています。


■2021年2月02日(火)  ル・コルビュジエ LE CORBUSIER 《モデュロール》

ル・コルビュジエ 
《モデュロール》
1956年
リトグラフ
70.3×52.8cm
版上サインあり

倉方俊輔「『悪』のコルビュジエ」(全12回)
磯崎新「ル・コルビュジエへのオマージュ」
藤本貴子「建築圏外通信 第1回(没後50年 ル・コルビュジエの資料)」
藤本貴子「建築圏外通信 第11回(ル・コルビュジエ ロンシャンの丘との対話)」
八束はじめ「建築家のドローイング 第15回 ル・コルビュジエ」
王聖美「気の向くままに展覧会逍遥 第1回〜ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸とエスプリ・ヌーヴォー館を通じてル・コルビュジエが試みた絵画と建築の融合」
杉山幸一郎「幸せにみちたくうかんを求めて 第42回〜チューリッヒのコルビュジエ」
尾立麗子「映画 ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」
「ル・コルビュジエの版画と資料」

ル・コルビュジエ Le Corbusier
建築家。1887年スイスのジュラ地方ラ・ショー・ド・ファン生まれ。本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1906年初めての住宅[ファレ邸]を設計。1917年パリに出るが、翌年左目を失明する。『エスプリ・ヌーボー』の創刊に関わり、美術運動にも参加。1922年建築事務所設立。代表作[サヴォア邸][ロンシャン礼拝堂][ラ・トゥーレット修道院][国立西洋美術館]他。1965年水泳中にカプ・マルタンで死去(78歳)。

ライト、ミースと並ぶ20世紀建築界の巨匠はリトグラフによる詩画集『直角の詩』など多くの版画を残しました。[近代建築の五原則]を提唱、近代建築国際会議(CIAM)メンバーとして近代建築理論の最大の指導者でした。油彩、彫刻、版画を制作、生涯絵筆を手放しませんでしたが、その死は悲劇的でした(母なる海に帰ったともいえますが)。そのあたりのことは磯崎新『栖十二』の美しいオマージュをお読み下さい。


■2021年1月26日(火)  磯崎新 ISOZAKI Arata 『版画掌誌ときの忘れもの』第2号より 磯崎新 《ファテプール・シクリ3》

磯崎新 ISOZAKI Arata
『版画掌誌ときの忘れもの』第2号より 磯崎新 《ファテプール・シクリ3》
2000年
エッチング
イメージサイズ:13.5×18.0cm
Ed.135
サインあり
※『版画掌誌ときの忘れもの』第2号A・B版に挿入

磯崎新「内部風景シリーズについて」
磯崎新「<極薄>〜東野芳明へのオマージュ」
磯崎新「<還元>〜建築家はなぜ版画をつくるのか」
植田実「磯崎新の七つの美術空間 Seven Art Galleries」
深野一朗「建築家というもの、建築家の仕事というもの[たてもの]」
植田実「建築家の手の在り処」
今村創平「大分市美術館[磯崎新の謎]展」

磯崎新 ISOZAKI Arata
建築家。1931年大分市生まれ。54年東京大学卒業。61年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。63年磯崎新アトリエを設立。代表作に[大分県立中央図書館][岩田学園][福岡相互銀行本店][つくばセンタービル][MOCA―ロサンゼルス現代美術館][バルセロナ市オリンピック・スポーツホール][ティーム・ディズニー・ビルディング][山口県秋吉台国際芸術村][トリノ冬季五輪アイスホッケーメーン会場]他。近年は頻繁にアジアに出向き、多数のプロジェクトに参加している。日本建築学会賞、RIBA賞、朝日賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞、他受賞。著書『空間へ』『建築の解体』『手法が』『栖十二』『建築家捜し』など多数。

早くから建築のみならず、思想、美術、デザイン、映画などの国際的な舞台で活躍、評論や設計競技の審査を通じて、世界のラディカルな建築家たちの発想を実現に導くうえでのはかり知れない支援を果たしてきた。日本を代表するとともに、世界の建築界で最も信頼されている建築家である。自らの建築観(コンセプト)を紙の上に表現することに強い意欲を示し、77年から既に200点もの版画を制作している。現在、ときの忘れものを版元に、版画とエッセイによる連刊画文集《百二十の見えない都市》に取り組んでいる。


■2021年1月19日(火)  内間安瑆 UCHIMA Ansei "Forest Byobu with Bouquet" 『版画掌誌ときの忘れもの』第4号より

内間安瑆 UCHIMA Ansei
"Forest Byobu with Bouquet"
原版制作1979年(2001年後刷り)
木版
イメージサイズ:19.7×26.5cm
シートサイズ:24.0×31.4cm
Ed.35(初版の作家自刷りはEd.30)
作家印を捺し、限定版号を記入)
『版画掌誌ときの忘れもの』第4号A版に挿入

内間安瑆「インタビュー(1982年7月 NYにて)第1回」
内間安瑆「インタビュー(1982年7月 NYにて)第2回」
内間安瑆「インタビュー(1982年7月 NYにて)第3回」
水沢勉「版の音律—内間安瑆の世界」
水沢勉「ふたりでひとりー内間安瑆と内間(青原)俊子」
内間安樹「My parents: A Reflection  追想:両親のこと」
永津禎三「内間安瑆の絵画空間
『版画掌誌ときの忘れもの』第04号/内間安瑆

内間安瑆 UCHIMA Ansei
1921年アメリカ生れ。40年父母の国日本に留 学。早稲田大学で建築を学ぶ。戦後、創作版画の恩地 孝四郎に巡り逢い抽象木版に志す。55年東京・養清 堂画廊で初個展。60年帰米、以降ニューヨーク在 住。62,70年グッゲンハイム・フェローシップ版 画部門で受賞。サラ・ローレンス大学名誉教授。 2000年永逝(享年79)。メトロポリタン美術 館、ホイットニー美術館、シカゴ美術館、アムステル ダム国立美術館他が作品を収蔵。

日米、二つの祖国をもった内間先生は浮世絵の伝統 技法を深化させ「色面織り」と呼ぶ独自の技法を確立 し、伝統的な手摺りで45度摺を重ねた『森の屏風  Forest Byobu』連作を生み出します。鮮 やかな色彩のハーモニー、微妙なぼかしが入った色面 が幾重にも重なる複雑な構成、多色にもかかわらず画 面全体には静かな気品が漂う。現代感覚にあふれた 瑞々しい木版画はこれからもっともっと評価されるに 違いない。


■2021年1月12日(火)  草間彌生 KUSAMA Yayoi 《南瓜》 『版画掌誌ときの忘れもの』第3号より

草間彌生 KUSAMA Yayoi
《南瓜》
2000年
シルクスクリーン・コラージュ
27.0×21.0cm
Ed.135
サインあり
※レゾネNo.294(阿部出版 2005年新版)
『版画掌誌ときの忘れもの』第3号A・B版に挿入

草間彌生 KUSAMA Yayoi
1929年長野県生まれ。49年京都市立美術工芸 学校卒。57年渡米。無限に増殖する網や水玉の作品 を制作、ソフトスカルプチャーなど環境彫刻の先駆け をなし、ボディペインティング、反戦運動など多数の ハプニングを行う。75年帰国。93年ベネチア・ビ エンナーレに参加。98-99年ニューヨーク MoMA他で大回顧展が巡回し、20世紀の最も優れ た女性作家の評価を決定的にした。2004年には 【クサマトリックス】(森美術館)と【草間彌生―永 遠の現在】(東京国立近代美術館)の二つの大展覧会 が開催された。2000年芸術選奨文部大臣賞、 2001年朝日賞、2006年高松宮殿下記念世界文 化賞(第18回)を受賞。

草間さんが版画を発表したのは帰国後の79年から ですが、当初は全く売れませんでした。版元の私たち には辛いことでしたが、草間さんの自作に寄せる自信 は揺るぎないものでした。これだけ自己の才能を信じ られる作家はそうはいない。バブル崩壊で男が自信喪 失する中、経済的にも力をつけてきた女性達が、抑圧 された女性の才能をアートで開花させた草間さんに圧 倒的な支持を寄せ、空前の草間ブームを呼んだのはご 承知の通りです。


■2021年1月5日(火)  安藤忠雄 ANDO Tadao 《ベネトン・アートスクール I》

安藤忠雄 ANDO Tadao
《ベネトン・アートスクール I》
1998年
シルクスクリーン
イメージサイズ:39.0×111.5cm
シートサイズ:60.0×120.0cm
A版:Ed.10
B版:Ed.35
サインあり

植田実「安藤忠雄展―挑戦―」
今村創平「建築への思いを伝える、安藤忠雄の建築図面(安藤忠雄 初期建築図面集―個の自立と対話、於国立近現代建築資料館)」
スタッフS「Tadao Ando. The Challenge」
スタッフS「Tadao Ando, Le defi 〜 Centre Pompidou」

安藤忠雄 ANDO Tadao 
建築家、東京大学名誉教授。1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、69年安藤忠雄建築研究所を設立。[住吉の長屋]により79年日本建築学会賞受賞、衝撃的なデビュー。代表作に[六甲の集合住宅][光の教会][ファブリカ/ベネトンアートスクール][フォーワース現代美術館][直島コンテンポラリーミュージアム][表参道ヒルズ]他。吉田五十八賞、日本芸術院賞、プリツカー賞、高松宮殿下記念世界文化賞、UIA賞他を受賞。2010年文化勲章受章。著書『連戦連敗』『旅』他多数。

学歴なしでいきなり東大教授に就任したときは世間をあったといわせましたが、阪神・淡路震災復興支援にも尽力するなど、安藤さんほど建築家という職業を世に知らしめた人はいないでしょう。84年から版画制作に取り組み、『安藤忠雄版画集 1998』をときの忘れものより出版。ニューヨークMoMA、パリ・ポンピドゥーセンターなど世界各地で建築展を開催、出品される美しいドローイング、版画類は世界中のコレクター垂涎の的です。




一覧 / 検索