パウル・クレー Paul KLEE
1879年スイスで音楽家の両親のもとに生まれる。幼い頃からヴァイオリンの才能を発揮し、11歳で市の管弦楽団の非常勤団員となる。音楽家への道を望む両親とは異なり、クレーは文学や絵画に興味を抱くようになる。1898年高校を卒業と同時にドイツへと移り、ミュンヘン美術学校で学ぶ。1906年結婚。ピアノ教師の妻の主夫として家事と育児をこなすかたわら独自の表現と芸術論を磨いていく。1914年友人らとチュニジアを旅行。この時期を境にクレーの絵画は「線描」から「色彩」へと大きな発展を遂げる。同年に始まった第一次大戦に従軍しながらも、兵舎で絵を描き続け、各地で展覧会を開き次第に名が知られるようになる。
大戦に敗れたドイツで1919年、芸術と産業(職人技術)を統合した美術工芸学校であるバウハウスが設立され、クレーは友人のカンディンスキーと共に教師に任命される。1933年ヒトラーがドイツ政権を掌握。画家志望であったヒトラーはドイツの前衛画家たちに弾圧を加える。同年クレー夫妻はスイスへ亡命。生まれ故郷へ逃れたあとは、不便な暮らしと晩年に発症した皮膚硬化症との闘いの間も創作に専念し、ドイツ時代には描かれなかった大作やたくさんのデッサンを遺した。