畦地梅太郎 Umetaro AZECHI
1902年愛媛県北宇和郡二名村(現在の三間町)に生まれる。1920年上京し、油彩を自習、やがて24歳のときに鉛板を版材として制作した版画が平塚運一に高く評価され、本格的な創作活動に入る。平塚運一の指導、恩地孝四郎の影響を受けながら、初期の作品は関東大震災後、近代的に様変わってゆく都市の風景を描き、その後、故郷・伊予の風景作品を制作するなかで、山の創作のテーマに定める。
50歳のときに畦地版画を代表するイメージである《山男》が作品に登場、この《山男》のシリーズにより、畦地の作品は山を愛する多くの人々の共感と支持を得ることになる。1927年日本創作版画協会展初出品以後、国画会展、日本版画協会展、日本国際美術展、東京国際版画ビエンナーレ展、ルガノ国際版画展など海外出品も多い。1999年肺炎のため死去。