「1974年6月だより」
発行日:1974年6月
発行:現代版画センター事務局
会員向けの「6月だより」は前月と同じB4サイズのコピー2枚(2頁)で発行された。
エディション作品の制作は作家や版画工房(刷り師)らの協力で急ピッチで進んでいたが、まだエディションだけで一つの展覧会を組むことはできない状況だった。
その穴を埋めたのは久保貞次郎(顧問)、尾崎正教(事務局長)はじめ、企画委員の高森俊など主に創造美育協会(創美)の中心メンバーたちが提供してくれたコレクション作品である。
特に久保コレクションからは北川民次、尾崎コレクションからはオノサト・トシノブが大量に提供された。その他、駒井哲郎、川島猛、福井延光、木村利三郎などの版画作品がエディション以外の定番作品となって全国の会場に送られた。
こうして初年度のメイン企画「全国縦断企画 版画への招待展」が愛媛県松山(尾崎事務局長の故郷の縁でヒロヤ画廊が支部となる)と岩手県盛岡(上田浩司氏主宰のMORIOKA第一画廊が支部となる)でスタートすることになった。
松山、盛岡のエディション作品の出品は「6月だより」にある通り、靉嘔、小田襄、木村光佑、島州一、森義利らであった。


発行日:1974年6月
発行:現代版画センター事務局
会員向けの「6月だより」は前月と同じB4サイズのコピー2枚(2頁)で発行された。
エディション作品の制作は作家や版画工房(刷り師)らの協力で急ピッチで進んでいたが、まだエディションだけで一つの展覧会を組むことはできない状況だった。
その穴を埋めたのは久保貞次郎(顧問)、尾崎正教(事務局長)はじめ、企画委員の高森俊など主に創造美育協会(創美)の中心メンバーたちが提供してくれたコレクション作品である。
特に久保コレクションからは北川民次、尾崎コレクションからはオノサト・トシノブが大量に提供された。その他、駒井哲郎、川島猛、福井延光、木村利三郎などの版画作品がエディション以外の定番作品となって全国の会場に送られた。
こうして初年度のメイン企画「全国縦断企画 版画への招待展」が愛媛県松山(尾崎事務局長の故郷の縁でヒロヤ画廊が支部となる)と岩手県盛岡(上田浩司氏主宰のMORIOKA第一画廊が支部となる)でスタートすることになった。
松山、盛岡のエディション作品の出品は「6月だより」にある通り、靉嘔、小田襄、木村光佑、島州一、森義利らであった。


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